二人は銀行へやってきた。
何はともあれ、金を引き出さない事には買い物も出来ない。
「布団って、いくらくらいだっけ?」
フと、静奈に訊ねた。
「いっそのこと、百万円くらい引き出してしまえば、大丈夫ですよ」
「そりゃ、足りるだろうけど……」
いくら金があるからといって、一気にそんなに引き出していたら、すぐに無くなってしまう。
「じゃ、その辺に座ってなよ。すぐに来るから」
「はい」
静奈は、入り口近くの椅子に座った。それを確認した津久巳は、キャッシュ・ディスペンサーへと向かった。
「さってと、本気でいくら下ろすかなぁ」
言いながら、財布からカードを取り出した。
その時、事件は起きた。
パン!!
強烈な破裂音が銀行内に響いた。
「金出せ、オラァ!!」
見ると、窓口の方で五人ほどの集団が、騒いでいた。
顔は全員、目の下までマフラーで隠し、帽子を目深にかぶっていて、よく分からない。が、その全員が銃を携えていた。
一人は天井に向けていた。一人は行員に突きつけていた。他、三人は適当に散らばり、思い思いの方へ、銃口を向けていた。
銀行強盗だ。
「誰も動くな。動けば真っ先に殺す」
天井に銃を向けていた奴が、静かな声で言った。その声には、妙な迫力がこもっていた。
言われなくとも、誰も動けなかった。ニュースやドラマではよく聞くが、まさか実体験するとは思っていなかっただろう。津久巳もその一人だ。
「早く金を出させろ。チンタラやってたら、テメェが死ぬぞ」
さっきの奴が、窓口にいる仲間に銃を向けた。
おそらく、あいつがリーダーだろうと津久巳は思った。
「は、はい! オラ、早くしろ!」
かなり声がこわばっている。
(まさか、本当に仲間すら殺すような奴なのか?)
津久巳が思った瞬間、動く影があった。
その影はリーダーらしい男にすばやく近づき、その顔を平手でなぐった。
「あなたは、自分が何をしているのか、解っているのですか!!」
「ゲ!」
津久巳は卒倒しそうになった。その影とは、静奈だったのだ。
リーダーは静奈を見つめた。
「いい度胸だ」
ぽつりと言って、銃口を静奈に向けた。その間は二十センチも開いてない。
「静奈!!」
津久巳は思わず叫び、飛び出した。
「動くな!」
奴等の誰かが叫び、それとともに銃声が鳴った。弾は津久巳の足元に着弾した。
「うわ!」
津久巳はまともに転び、床の上を滑った。前を見ると、静奈に向けた銃の引き金が、今まさに引かれようとしていた。しかしそれでも、静奈は平然と構えている。それどころか、微笑みすらたたえていた。
(駄目だ、間に合わない!)
津久巳が目をつむった瞬間、銃声が鳴った。
「うう……」
そして、男のうめき声。
津久巳は顔を上げた。
静奈は立っていた。どこも怪我をした様子はない。
「私に、そのような物は当たりませんわ。さあ、このような愚かな事はおやめなさい」
静奈の言葉に、リーダーは後ずさった。が、またもや、静奈に銃口を向けた。そして、二度の銃声。
津久巳は目を見張った。
銃声とともに、静奈の周囲に青白い波紋が走ったのだ。
そしてやはり、静奈に弾丸は当たっていなかった。
「ク、クソ!」
リーダーは撃ちまくった。銀行内にけたたましい騒音が鳴り響いた。が、それだけだった。それ以上の事は何も起らなかった。
カチンカチン
やがて、銃声は撃鉄の音に代わった。
「どうやら、そこまでのようですわね」
静奈は相変らず穏やかな顔でいた。
「多分、今の銃声は外に洩れたでしょう。すぐに警察が来ますわよ」
「だ、黙れ!」
リーダーが腕を振り上げた。
ゲシ!
その拍子でリーダーの手からすっぽ抜けた銃が、静奈のあごをとらえた。
「あう……」
そのまま、静奈のからだは後ろ向きに倒れた。
ゴン!
固い音が聞こえた。倒れた時に、頭を打ったらしい。
「静奈ぁ!」
津久巳は静奈に飛びついた。息はあった。気絶したようだ。
ゴリ
「!?」
後頭部に何か押し付けられた。
「妙な動きはするな。この銃は、さっきの物とは違う。貴様の頭くらい、すべて吹っ飛ばしてくれる」
津久巳は息を飲んだ。
「貴様、その女の知り合いだな。一体何者だ、そいつは」
「この娘は……」
悪魔……なのだろうか。テノの姉だというのなら、やはり悪魔なのだろう。しかしその割には、その行動は悪魔らしくない。
「答えろ!!」
(悪魔なんて言ったって、信じちゃくれないだろうな。下手すれば、殺される……か)
「俺も……よくは知らない」
津久巳にとって、正直でもっとも正確な答えだろう。しかし、それでこいつが納得する訳が無い。
津久巳の頭から銃口がはずされた。
ドン!!
「っ!?」
かなり近くで銃声が鳴った。耳がひどく痛む。
弾は、静奈の髪の毛をかすめ、床に穴を開けた。
「耳は聞こえるか?」
「……少し……」
「立って、こっちを向け」
津久巳は言われた通りにした。リーダーの目が、津久巳を見据える。津久巳は睨み返した。その津久巳の眉間に、銃口が近づく。銃口の熱が、肌に伝わってくる。
「次は間違い無く当てる。正直に答えろ」
「正直に答えたんだ。まだあの娘とは知り合って間がないんでね、詳しい事は聞いてないんだよ」
「貴様もなかなか、いい度胸をしている」
リーダーは目を細めた。口元は見えないが、おそらく笑っているのだろう。
スッと、銃口が斜め下を向いた。その先には、静奈がいるはずだ。
「ならば、これな……ら……」
リーダーの目が見開かれ、動きが止まった。
「!?」
他の人たちの目も、リーダーと同じ場所、つまり静奈を見詰めていた。
津久巳が振り返ると、いつのまに気がついたのか、静奈が立ち上がろうとしていた。しかし、静奈の目はいまだ虚ろで、焦点が合っていないように思えた。
「静奈ちゃん?」
虚ろな目が、津久巳を見る。
ざわり
見られた瞬間、鳥肌が立った。
「え……!?」
次の瞬間、津久巳は、いや、そこにいた者全てが、目を疑った。
静奈の肌と服が、少し黒くなった。最初は、静奈に何かの影が、おおいかぶさったのかと思った。しかし、その色は次第に濃くなり、灰色から黒へと変化していった。その肌も、その服も、眼球さえも硬質なツヤを持つ黒になった。それは精密な彫刻のようにも思えた。
さらに服が肌と同化して、ほとんど裸と同じ状態になり、ついには髪の毛さえも無くなった。
「一体……何が……」
リーダーがつぶやいた。
誰一人、強盗さえも動かず、少女の変化の様子を見守っていた。
次には無くなった髪の毛が再び現れた。しかしそれは、ロングヘアーではなくショートカット。
(ま、まさか……)
津久巳は心の中でつぶやいた。
服が現れ、、肌の色がもとの戻る。しかし、服の色は変わらず、黒いレザーウェアだ。
「……テノ、か?」
それは紛れもなく、テノであった。
ギッ!
テノが強盗の男を睨み付けた。
「てんめえぇ。よっくもお姉ちゃん、いじめたなぁ!」
テノは予備運動もなく動いた。一瞬で、リーダーの目の前に迫る。
避ける間もなく、リーダーはテノの拳を顔面に食らった。
「ぐはっ!」
リーダーはその勢いで、後ろによろめいた。
「へっへ〜。あったり〜!」
テノは腕を振り回して、無邪気に喜んだ。とりあえず、静奈を気絶させた事については、気が済んだらしい。
「くっ! この、化けモンが! おまえら、やれ!!」
リーダーの号令で、他の強盗たちが銃を撃った。
「だっからぁ。んなモン、当たんないってのに」
テノは事もあろうか、手ですべての弾丸を弾き飛ばした。弾かれた弾丸は、ガラスや壁に穴を開けた。
連中が一通り弾を撃ち尽くしてから、テノは動いた。それは、まさに電光石火と言う他に、表現のしようがなかった。
四人の男を倒したテノに、リーダーが弾丸を放った。
「しつこい!」
テノの拳が、弾丸を打ち返した。
ガィイン!
リーダーの持つ銃が吹っ飛んだ。打ち返した弾が、銃口に入ったのだ。
「その辺で、諦めな!」
テノは掌ていで、リーダーの喉元を突いた。銃の爆発から、間を入れないこの一撃にはなすすべもなかった。リーダーは呼吸困難に陥り、気絶した。
「助かった……のか」
こっちを見て親指を立てるテノを見ながら、津久巳はつぶやいた。
しかし、ここからが問題だ。
テノと静奈の超常的な能力を、みんなに見られている。すぐに警察も来るだろう。どうやってここを離れるか。
まわりを眺めた津久巳は、違和感を感じた。何かがおかしい。
「ジューゾ! 出てきなよ!」
突然のテノの声。
その言葉に反応するように、テノの背後の床に影が現れた。その影から、人が生えてくる。
それは間違いなく、昨晩、静奈に化けていた女だった。
「まさか、そんなんで脅かす気じゃないでしょ?」
後ろを振り返る。
「あら、よく分かったわね」
「分からいでか! どんだけ、あんたと付き合ってると思ってんのよ!!」
「そんなに脅したっけ?」
「……あんたね、時と場所を選ばずに脅しまくってたっしょ! 昔、あたしが不眠症になったのって、あんたのせいよ!!」
「ああ、そんな事もあったわね」
「……いいよ、もう。それに、これやったのも、あんたでしょ?」
そう言って、テノは手近にいた客の額を叩いた。が、ピクリとも動かない。
津久巳がさっき感じた違和感は、これだったのだ。
「どうなってるんだ?」
「ちょっとね、ここにいる人たちの時間を止めたのよ。後は記憶をいじってあげれば、テノの事は誰も覚えてない、て言う訳」
津久巳の問に答えるジューゾ。
「記憶を……いじる?」
「そう。記憶ってのは、あたしたちの力でもきれいには消せないもんでね、そのかわりに、ちょっと書き換えてやるのさ」
「どうすんの?」
テノが訊ねる。
「ここにいる連中は、誰もあんた達二人を認識できなかった事にするのさ。強盗を倒したのは、よく解らないモノだったってね。それでみんな、あんた達の事は忘れるよ」
「テノも十分よく解らないモノのような……」
「なんか言った!?」
「ところでテノ。あんた、ちゃんと本名教えたの?」
「……あれ?」
「『あれ?』って、あんたね……ちゃんと仕事しなさいよ!」
「はいは〜い」
あらためて津久巳を振り返った。
「んじゃ、あたしの名前教えるから、ちゃんと憶えなさいよ」
「おまえの名前って、テノだろ」
「そりゃ、愛称だよ」
「ふうん。でも、愛称だろうがなんだろうが、おまえ個人を示せれば、別に本名なんか知らなくたって……」
テノは人差し指を振って、津久巳の言葉を制した。
「あまい! あまいなぁ。あんたがあたしの本名を呼ばないと、契約内容の実行ができないのよ」
「別にいいよ。俺、おまえにお願いする事もないし」
「あたしが困るんだってば!」
「わかったわかった。で?」
「それじゃ……」
咳払いを一つ。
「現れよ!」
テノの呼びかけと同時に、二人を魔法陣が囲んだ。
「な、なんだ、これは!?」
「これは、契約の魔方陣である」
答えるテノの声に、いつもの調子がない。顔を見ると、まるで仮面をかぶったかのように、表情が消えうせていた。
「この魔法陣の内にある者に、なんぴとも干渉する事は不可能なり。これより、宣言を行う」
次いで、二人の間に例の契約書が現われた。
「我、契約書の内容に従う事をここに誓う。契約者、凪 津久巳に問う。汝、契約を承諾するや?」
「……ハ、ハイ」
答に、鷹揚にうなずくテノ。
「両者の意は得られた。契約者に我が真の名を告げる事で、契約の証とせん」
テノの瞳が大きく見開かれた。
「『テノンラゼルデーナ』。これが我が真の名なり。今後、契約者が我が真の名を口にせし時、契約は有効となる」
そして、契約書が消えた。
「消えよ」
そしてまた、魔法陣も。
「終わった?」
ジューゾが笑顔で話し掛けた。津久巳は、彼女の存在を忘れていた事に気付いた。
テノは笑顔でVサインを送った。
「まあ、なんとかね」
「あっそ。こっちの方も、あらかた片づけといたから。それと、ハイ、お金」
ジューゾは、札束とカードを津久巳に渡した。
「カードが落ちてたから、引き出しといたよ」
「って、暗証番号はどうやって?」
「野暮な事は聴かないの」
そう言って、津久巳にウインクを送った。
「じゃね」
ジューゾは手を振りながら、床に沈みはじめた。
「テノ、彼と仲良くすんのよ」
「さっさと帰れ!」
そして、ジューゾが消えた辺りを踏みにじった。
「テ、テノ。みんなが気付く前に、ここを出よう」
「は〜いよ」
二人は銀行から立ち去った。