HomeNovel Tenshi DA Tenshi 第一話 その4
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第一話 少女二人 その4

 懐かしい匂いがする。
 この匂いは何だったか。
 そうだ。これは、ご飯が炊ける匂い。これは、味噌汁の匂い。
 懐かしい? 最後に味噌汁を飲んだのは、そんなにも前の事だったろうか。
 そうじゃない。いつもの匂いじゃない。これは、母さんの味噌汁の匂い。
 そうか。母さんの匂いは、こんな匂いだったのか。
 母さんは、そこにいる……

 薄く目を開けた。
 朝だ。
 津久巳は、今、見ていた夢を思い出す。
 なんとも不思議な夢だった。津久巳には母親の記憶がない。当たり前だ。津久巳の母は、津久巳が生まれる寸前に、息を引き取ったのだから。だから、母親の味噌汁の匂いなんて、知っているはずが無いのに。
 津久巳は気付いた。まだ、あの味噌汁の匂いがしている。これは……夢じゃない。
 飛び起き、台所を見る。
 誰かが立っている。
 そして、振り向いた。
「あ。おはようございます、津久巳様」
 にっこりと笑ったその顔は、静奈。
「すぐにご飯に致しますね」
「え、あ、ああ」
 返事をしながら、津久巳は布団を見た。敷布団はきれいに畳まれている。掛布団は、自分の上にかかっていた。
 テノの姿は見えない。
 静奈は、テーブルの上に朝食をならべた。ご飯と味噌汁。それに焼き鮭。いたってシンプルなメニューではあるが、久しぶりのまともな朝食だ。
「どうぞ、お召しあがりください」
「あ、はい。いただきます……」
 津久巳は、あわてて姿勢を正した。そうしなければ、失礼な気がした。
 ずず……
 味噌汁をすする。
「うまい!」
 本気で感動した。元来、味噌汁が好きな津久巳だったが、これほどうまく感じたのは初めてだった。
「まあ、ありがとうございます」
 ご飯の炊き具合も、鮭の塩加減も、津久巳の好みだった。寝起きだというのに、御代わりまでしてしまった。
「ああ、うまかった。ごちそうさま」
「御粗末さまでした」
 なんとも古風な風習を知っている娘である。
「なあ、静奈ちゃん」
 津久巳は、後片付けを始めた静奈を、呼び止めた。
「はい。何ですか? 津久巳様」
「……その、『様』っていうのは、何とかならない? せめて、『さん』とか……」
「はい、わかりました。津久巳様……あ」
 静奈は口を押さえて、真っ赤になった。
「ハハハ……ま、いいや。好きに呼んでよ」
「ほ、本当に申し訳ありません!」
「ところでさ、何で俺に、メシ作ってくれる訳?」
「私が作りたいから。津久巳様に、私が作ったものを食べて頂きたいから……では、いけませんか?」
「え? 俺に、食べてほしい?」
 静奈はコクリと、うなずいた。
「それは、助けたお礼ってこと?」
「それが半分。残りの半分は、お詫びの気持ちです」
「お詫びって、何のことだい?」
「妹が、ご迷惑をおかけしてしまったから……どうしても、津久巳様を試すと言って、きかなくて」
 静奈の言葉の意味を、少し考える。
「……妹って、まさか!」
「テノです」
「……!」
 津久巳は正直、驚いた。あのテノと、目の前にいる静奈が姉妹とは、思いもよらなかった。
「やっぱり、ジューゾ様からは、何もお聞きになってないのですね?」
「ジューゾ? ……それって、昨日の?」
 昨晩のテノの上司を思い出した。
「はい。それにしても、あの人にも困ったものです。あれほど、妹がお願いしたのに……まったく、上司としての自覚があるのかどうか……」
「静奈ちゃん、グチってるね……」
「ご、ごめんなさい。私ったら……」
「いや、別にいいんだけどさ。それよりさ、今日、これから出かけようか」
 何故か出かけたかった。いつも、休みには出かけていたからも知れない。
「え? どちらにですか?」
「そうだなぁ、とりあえず、金がかからないところがいいなぁ。ほら、俺、金無いから」
「あら。お金の事なら、気になさらなくても大丈夫ですよ」
「え?」
 静奈は、どこからともなく取り出した貯金通帳を、津久巳に渡した。
「これは、俺の通帳!? いつのまに……」
「お母様が、津久巳様の口座に振り込んでくれました」
「ゲ……」
 残高を見て、絶句。
「一十百千……一千万!?」
 もう一度確認したが、間違いなく、そこには一千万と記されている。
「そうだわ、津久巳様。デパートに行きましょう!」
「え、ええ?」
「お買い物に行きましょう。特にお布団買わないと。いつまでも津久巳様を、畳の上に寝かせておけませんわ」
「いいよ、別に。俺はこのままでも」
「いいえ、いけません。それにそのお金は、ここでの生活費にするように、お母様がくださった物ですもの。気にする必要はありませんわ。さあ、早く用意してください」
「え、あ、う……はい」
 返す言葉も思い付かず、津久巳はうなずいた。

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