年の始めですので、まずは正統派で・・・・今日はカタイ日記です。
この時期毎年多くの人が神社仏閣に参詣し祈願をする、初詣である。 自分もその中の一人。近所に神社があることもあって、特に信心深いわけではないが、大晦日の夜から新年にかけての、いわゆる二年参りに行く。 ふだんは閑散とした境内もこの時ばかりは数千人の参詣客であふれる。そんな雑踏の中に身を委ね、新年の祈願をするのが恒例となっている。
今とは違い、若い頃の願い事は派手であった。日頃神仏を冒涜するような発言を繰り返しているにもかかわらず、その時ばかりは家内安全、無病息災、大願成就、怨敵退散、果ては国家安康から世界平和まで加持祈祷に及ぶというしたたかさ。初詣とはわずかな賽銭で神仏と利益誘導の契約を結ぶこと。そんなばちあたりな考えを持って参詣していた。海老で鯛を釣るという感覚での参詣など御利益もなく、願い事など叶うはずもない。
齢を重ねふと初詣の意味を考えた。やはり神仏との契約なのだろう。それは利益の誘導ではなく自分の所信や決意を神仏の前で表明すること、そして自助努力を誓約すること。遂行の主体は自分にある。 そんなに堅く考えなくとも、今年一年良い年にするぞと心に誓うこと、そしてそれは一年間事故なく健康でいられることに尽きるのではないか。
今年も二年参りに行った。そして願い事が家内安全、無病息災だけになっているそんな自分に気付くのである。 そんな謙虚な自分の中のどこかに、御利益を求めている正直な自分もまたいるのである。
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