閑有日記
閑有日記

小人閑居して不善をなす

パロパロ閑居して、日記をなす



1999年11月4日(木)

1000km達成
今日昨年6月に取り付けた自転車の距離計が累計で1000kmになった。
おおよそ18ヶ月で1000kmということになる。ほとんどが通勤で稼いだ距離である。
この一年半余りの間に3ヶ月ほど自転車で通勤したという計算が成り立つ。
ガソリンにして100リットル、地球環境に優しくなったということになるだろうか。
人間のエネルギー効率は内燃機関に比べ、はるかに効率が悪いということを聞くが、仮に同じレベルと考え、自転車は運転する人の重さを含め、1/10とすると、1000km走った時の燃料は10リットルということになる。
すなわち、この一年半の間に、自分の体脂肪が10リットル使われたと考えることができるのだ。一年半で10kgのシェイプアップ、よくがんばった。
まてよ・・・・でも体重はぜんぜん変わっていない。何故だろう・・・・計算はあってるはずなのに・・・・

1999年11月7日(日)

王将:村田英雄
『王将』 唄:村田 英雄

一、
吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた命を笑わば笑え
生まれ浪速の八百八橋、月も知ってるおいらの意気地
二、
あのてこの手の思案を胸に、破れ長屋で今年も暮れた
愚痴も言わずに女房の小春、作る笑顔がいじらしい。
三、
明日は東京へ出で行くからは
何が何でも勝たねばならぬ
空に灯がつく通天閣に、オレの闘志がまた燃える。

というわけで、明日は社命により東京に行く。泊まりがけの地獄の研修である。
きっと鬼軍曹のような人がでてきて、スチャラカ社員をしごくに違いない。
どんな恐ろしい特訓が待ち受けているやら。

ああパロパロの運命やいかに。


1999年11月9日(火)

鬼軍曹
ついにやってきた泊まりがけの研修。
鬼軍曹のような教官。何故?竹刀を持っているの?

『ええい!さっさと並ぶんだ』・・・・そんな手荒い言葉をかけなくとも・・・・
『背筋を伸ばせ!』『顎を引け!』『何をぼやぼやしてるんだ』・・・・そんな大声出さなくとも聞こえてるよ・・・・
『いいか、おまえら良く聞け、ここは地獄の一丁目と二丁目がないところ』・・・・どっかで聞いたことのあるセリフ・・・・
『生きて帰れると思うな』・・・・社命とはいえ、何故自分がこんな研修に参加しなければいけないの・・・・

***********

長い夢であった。
小春日和のうららかな研修であった。

1999年11月13日(土)

粗大ゴミ
会社の同僚が自分が通勤に使っている愛車を見かねて、彼がもう使っていない自転車を無償でくれるという。すでに前後輪ともパンクして、タイヤ、チューブとも交換が必要だが、なんと12段変速ギア付きマウンテンバイク。
タイヤやチューブの交換は、現在乗っている自転車で十分トレーニングを積んでおり、お手の物である。
今まで、粗大ゴミ同様の自転車で我慢して乗り続けたおかげで12段変速ギア付きマウンテンバイクが頂けるのである。
ありがたいかな、さっそく今日持ってきてくれた‥‥持つべきものは良き友達である。
『ありがとう』
『礼を言うのはこちらの方です、返品は一切受け付けませんので』
『エ!‥‥( ̄□ ̄;)』
そしてまた一つハイレベルな粗大ゴミが増えたのである。

1999年11月14日(日)

銀輪
自転車を銀輪と形容する言葉がある。
多くの自転車は銀白色に輝くリムを有し、だからこそ銀輪であり、自転車なのである。
しかし友人から譲り受けたマウンテンバイクは、すでに錆でリム全体が赤褐色に変色し、自転車としてのアイデンティティを失っていた。
マウンテンバイクの更生は銀輪を回復できるかどうかにかかっている。
ワイヤブラシを買ってきて、リム部をブラッシング、奇跡的に銀白色の光沢を回復した。一部に錆は残ったが、遠目では銀輪そのもの。
虫ゴムを交換することでタイヤ、チューブを交換する必要はなかった。
ここかしこの錆もワイヤブラシで除去。12段変速ギアも調節することにより機能を回復。
乗り心地、ブレーキの利き、ギアチェンジの状態等、もう完全に粗大ゴミから脱却し、名実ともにマウンテンバイクとして更生した。
しかし自分の心は正直であった。更生してもなお盗まれる心配をしていないのである。

1999年11月17日(水)

有酸素運動
今朝前橋で初霜を観測したと朝の天気予報で言っていた。
霜が降りるということは、気温は低いが、無風であるということだ。風さえなければ自転車通勤はそんなに問題ではない。健康増進と地球環境を考え今日も自転車通勤を決意した。
玄関を出た。けっこう風は吹いているようだが、しかし決意は固い。
通りに出た‥‥なんだこの風は‥‥
サイクリングロードに出た。利根の川面を吹き抜ける風がもろ。息苦しいほどの向かい風の中、必死でペダルを踏み続けた。

無風であったのは明け方だけっだったようである。

おかげでいつもより10分ほど長く有酸素運動をすることができた。

1999年11月19日(金)

夕張メロン
生まれた土地から列車で4時間以上離れているとはいえ、道産子として北海道はなつかしい土地である。空港の土産物売り場、懐かしい銘菓の中に目立つのは、夕張メロンとハスカップブランドである。
自分が北海道を離れる18年前にも確かにあったが、こんなに幅は利かせていなかった。
そんなハスカップと夕張メロンが空港のレストランのディスプレイに飾ってあった。夕張メロンジュースとハスカップパフェ。道産子としてはぜひ押さえておきたい味である。

早速店の中に入ってオーダーした。ハスカップパフェが早く出てきた。なんのことはないブルーベリージャムのようなものがかかったパフェである。
その後に出てきたのが夕張メロンジュース、あの濃いオレンジ色がグラスいっぱいに広がりその芳醇な香りは、贈答品にしか使われないという品位と風格があった。

そしてその味は‥‥

甘いもので満たされた舌にはそれは、まさに胡瓜の味そのものであった。

1999年11月20日(土)

寝台車
北海道出張の帰りは、訳あって飛行機では帰らず寝台列車に乗って帰る計画を立てた。
『寝台車はなかなか寝られないよ』という友人の忠告を無視して・・・・道産子でありながら青函トンネルを通ったことがなかったので、ぜひこの機会に通り抜けてみよう。それには寝られないほうが好都合とひらきなおっていた。

南千歳発19:58、北斗星4号。予約が遅かったため上段、しかも窓に向かって右側の荷物の置けない場所であった。飛行機と違い持ち込める荷物の量に制限はない。両手で持てるだけ買ってきた土産が仇になった。防寒のために持ってきたコートとあいまって、狭い寝床をさらに窮屈にし、寝返りすら打てない状況である。友人の忠告が脳裏をよぎる。このぶんでは青函トンネルを抜けるどころか、朝まで寝られないのではないか。

苫小牧に着いた。・・・・次の停車駅は‥‥

次に気が付いたところは青森駅であった。トンネルに感動することなくいつのまにか通り過ぎてしまった。

1999年11月21日(日)

ひとつ鍋最中
北海道土産は『ひとつ鍋最中』
十勝平野名産のてぼ餡と小豆餡に餅が入っているという優れもの。
『開拓の始まりは豚とひとつ鍋』
つまり北海道開拓時代、豚の餌も人間の食べ物も同じ鍋で作ったということに由来したネーミングである。名前もさることながら、なかなかおいしい最中である。

『おなかすいたよ。昼ご飯食べに行こうよ』
『ここにひとつ鍋最中があるよ』
『こんなのご飯の代わりにならないよ。もっとお腹にたまるもの』
『そんなことはねぇ、これを五つ六つ食べてみなされ、おなかがげんなりして、もう何も食べられなくなる』
『‥‥‥‥‥‥』

まさか本当に食べるとは思わなかった

1999年11月25日(木)

バター犬
雨上がりのさわやかな朝であったが、通勤途中奇異な光景を目にした。

年の頃は60歳くらいだろか、自転車を押しながら柴犬を散歩させている初老の女性がいた。そこまではよくある光景である。
後部荷台の籠にテレビコマーシャルでおなじみラーマの箱がぽつりと入れてあった。
バター、マーガリンの類は食用にするものであり、屋外で使うものではない。それが荷台に一つだけ入っていたのである。

それが不自然だったから奇異に見えたのだろうか。

それとも、一瞬バター犬ではないかと思った自分の想像力がたくましすぎたのだろうか。

1999年11月26日(金)

勧誘
郵便局に用事があって会社を半休で帰ってきた。
当然、用事が済めば時間が大量にあまる。宮仕えの身ではなかなか昼寝はできないが、今日は余った時間はふだんはできない昼寝に費やそう。

ちょうどうとうとして、いい気分だった時

ピンポーン
『ご主人、新聞取られてますか・・・・』
こんな時に新聞の勧誘が、普段は穏和な自分であるが、無性に腹が立った。
『間に合ってます!!!』

宮仕えの身は会社を休んでも、昼寝はさせてもらえないようだ。

1999年11月27日(土)

火遊び
天気予報では、北西の季節風が強く吹くと言っていたが、かなり穏やかな天気であった。
狭い庭ではあるが、風に飛ばされてきた落ち葉がけっこうな量、たまっている。
風が弱いということで、落ち葉たきをした。

なぜかたき火は楽しい。
子供の頃から、寒い屋外でたき火に手をかざすのは好きであった。
大人になってもかわらない。

子供にとっても、大人にとっても火遊びは楽しいものだ。

残念ながらまだ火遊びの機会にはめぐまれていないが・・・・
その方が幸せなのかもしれない。

1999年11月28日(日)

祖師再来意如何
 笑いのカテゴリでありながら今日はちょっとまじめな話です。笑いを期待していた人ごめんなさい・・・・端から期待などしていないは!・・・・という声が・・・・

 テレビはお受験殺人のことについての番組ばかり。事実の報道はともかく、容疑者の生い立ちから最近の行動、近所付き合いまでプライバシーに関することばかりで、他人のプライバシーに関してほとんど興味がない人にとってはつまらない番組だ。ただ社会現象として、受験競争というものが2歳の幼児まで低年齢化しているということについて、自分としては何かやりきれないものを感じている。

 最近、NHKのラジオ番組でダウン症の子供を持つ親の手記をまとめたものを紹介するドキュメンタリー番組が放送された。他人ながらに、ダウン症の子供を持つ親はたいへんなのだろうな・・・・聞く前はそう思っていた。
 だが番組を聞いてみるとそんなことはない。確かに経済的には負担が多いだろう。子供の将来のことについても心配の種はつきない。しかし紹介されていたすべての人が、お受験などに振り回されている俗世間の家庭よりもはるかに幸せそうに思えた。うらやましいくらいに幸せな家庭が描写されていた。
 我々は競争の社会の中にいる。それなりに規制はあるが自由競争と言ってよいだろう。自由とはとても耳に心地よい言葉だが、自由競争は勝者のみが生き残れるという過酷な社会。我が子をその自由競争社会の勝者にすべく、親はいろいろと頭を悩ます、お受験もそのひとつだろう。心がすさんで来るように思える。

 はじめは・・・・あれができた、これができた・・・・というような子育てだったに違いない。それががいつのまにか、あれができない、これができないに変わって行く。なにかすごく殺伐といているような・・・・
 誰もそんな社会、そんな環境を我々は望んでいないはずだが・・・・。
 あれができた、これができたというときの喜び・・・・自分には子供がいないので親の気持ちなどを語る資格などないが・・・・すごい達成感で満ち満ちている。ダウン症の子供を持つ親は、いつまでものそ気持ちを持ち続ているような気がする。
 幸福とは何なのだろう・・・・ダウン症候群の子供を持つ親と、お受験に振り回されている親・・・・
 
 嗚呼、祖師西来意如何

 そんなことをふと思うパロパロであった。

1999年11月29日(月)

掃除当番2
一ヶ月ほど前のことのなるか、(10月22日)職場の掃除当番に遅れまいと必死で自転車を漕ぎ、職場に着いた時には力尽きていたということがあった。

今週は掃除当番、前回の失敗を繰り返すまいと15分早く家をでた。しかし予想していない事態に遭遇する。驚くべき向かい風である。必死で自転車を漕ぐも、牛車のごとき歩み。

『なんのこれしき』 日本男児この程度の向かい風には負けてはいられない。

自分は燃えた。久しぶりに燃えた。そして職場に着いた時は完全に燃え尽きていた。

palo@wind.ne.jp
Akiary v.0.51