閑有日記
閑有日記

小人閑居して不善をなす

パロパロ閑居して、日記をなす



1999年9月4日(土)

真理
白銀も黄金も玉もなにせむや、
     まされる宝子にしかめやも

山上憶良   
  
社会面の記事などさほど興味もない自分であるが、長崎の実子保険金殺人事件には、やややりきれないものを感じている。
接見弁護士に事件を起こして以降、毎日良心の呵責にさいなまれていると話したとか。この記事を見てホットしたものを感じた。まだ人間の心が残っていたのだ。しかし本当に良心の呵責にさいなまれているのだろうか。事件を否認することは無理。そうなれば情状酌量を求めるための布石ということも十分考えられるのでは・・・・
時の流れに価値観が変わるというのは世の常である。しかし山上憶良ではないが、平安時代の昔から我が子が可愛いというのは変わることの価値観ではないのか。人間であるが故の真理ではないのか。
しかし今はこの『真理』という言葉もあやしい。

1999年9月13日(月)

自己表現
ホームページのアクセスカウントが1234を数えた。これといったテーマがあるわけでもなく、さほど充実しているわけでもないホームページであるが、訪れてくれる人がいるということはありがたいことだ。
アクセスカウントが増えるということはうれしいと思う反面ホームページを持った目的はアクセスカウントを増やすことではなかったはずだ。
ホームページは自己表現の場であり、自分そのものが現れる。ホームページを持つ前に先輩から聞いたことであるが、何のことやら理解できないでいた。
ホームページを持つ目的は、自分のメッセージを誰かに伝えたいということではないか。では伝えたいメッセージなんてものが自分自身にあるかといえば、はっきり言葉に出して言えるほど確固としたものはないというところが正直偽らざるところである。
そんな希薄な目的や動機しかないのにホームページを持ってどんな意味があるのだろうなどという疑問すら持ったことはない。
今になってうすうすわかってきた。ホームページとはそんな曖昧模糊とした自分そのものが現れている、自己表現の場だったのである。

1999年9月16日(木)

飲酒ネット
昨日は従業員クラブで酒宴の席が設けられていた。酒を飲むことを前提としているため、自動車での出勤は避け、自転車で通勤した。
自転車ならば飲酒運転は問題無いというわけではない。確かに道路交通法では自転車といえど飲酒運転は禁止である。しかし自転車運転免許証があるわけでなし、行政処分が下されるわけでもない。(ひょっとして下されるのかも知れないが‥‥)そういう理由で、堂々飲酒運転、酒気帯転を実行する計画を立てていた。
そんなに飲むつもりはなかったのであるが、けっこう飲んでしまった。酒気帯び運転ではなく完全に飲酒運転。自動車ならば免許取り消しの行政処分が課されるほどに泥酔。ふらふらになりながら、いつものサイクリングロードを通り帰路についたが、途中派手に2回も転倒。よくもまあ自転車を運転できたものだ。自転車といえど飲酒運転は禁止である理由がよくわかった。
さてその後に、その顛末日記に記録しようと思っい入力にかかる。酔っていたため間違って9月ぶんの日記をすべて消してしまう。なんという失敗、過去のログ等を照会するもすべて消失。
憔悴慄然、飲酒ネットも禁止すべきであった。

1999年9月19日(日)

コレクション
郵便局から『20世紀デザイン切手』シリーズ全シリーズ予約のお知らせ というのが届いた。
記念切手といえば・・・・自分が小学生の頃は記念切手収集のブームがあった。自分もその例外ではなかった。いつのまにかやめてしまったが・・・・
切手に限らず、男の子は集めることが好きである。ほとんどがらくた・紙屑同様のものであるが当人にとっては大切なコレクション。
切手の後もミニカー、筋肉マン消しゴム、びっくりマンチョコレートのシール等々、大人が見るとつまらないものであったが、男の子にしか判らない楽しみであり、自慢のようである。
この流れは今も受け継がれている、ポケットモンスターのカード等、やはり興味のない者にとっては集めるに値しない物をせっせと集める。男の子の習性であろうか。
これがいい年をした大人になっても続くのである。やはり他人から見たら紙屑、がらくた同様のものを集めて喜んで自慢している・・・・こんなもの集めてどうなるのか、女の人はそう思うに違いない。
しかしコレクションは単なるガラクタ、紙屑ではない。そこには教科書、年表には残らない日本の文化が記録されている。男は大いなる日本の文化を集めているのである。
たとえそれがアンダーグラウンドのものであっても・・・・( ̄□ ̄;)

1999年9月20日(月)

告発
昨日MP-3 playerを買ってきた。
今年の6月東芝クレーム・インターネットHP告発という出来事があった。600万カウント以上のアクセスがあったとか。自分もそのうちの一回を押している。
大企業の横暴とかインターネットの可能性だとかいう深い思慮があってのことではない。単にやじうま的興味本位でのアクセスである。
MP-3 playerはその時DLしたMP-3ファイルを再生する目的で購入した。
あらためて聞いてみた。担当者の高圧的な態度とうらはらに告発側の丁重なもの言い。東芝担当者は録音されていることに気づかずに、告発側は録音していることを意識してのやり取りであるためとも思えた。東芝の担当者にとってはまさに壁に耳ありである。めったなことは言うものではない。
同じ事が不特定多数が覗くこの日記にも言える。めったなことを書くと、いつ何時社会的制裁を受けるような告発をされるかわからないのである。もっともVisitor数がまだ300にも満たないのこの日記に、そんな心配はまったくの無用なものかもしれない

1999年9月23日(木)

俗人
さすがに2日間雨が続くとブルーな気分になる。久々に見た陽射しはすがすがしい。
四千四百年前、箱舟に乗っていたノアもこんな気分を味わったのかもしれない。
もう五年も前になるか、ある宗教団体の布教活動に訪れた二人組の女性が、ノアの箱舟について熱く語っていったことがある。
彼女らはいわゆるキリスト教の原理主義とも言うべき教義を持ち、聖書は神の言葉であり、すべて事実であるということを前提に活動していた。
当然ノアの箱舟も事実ということになる。聖書の記述が事実かフィクションかの判断は別として、俗人は聖書の矛盾をつき彼らの主義主張をやりこめようとする。しかし彼らも俗社会の矛盾の解を聖書に求めているのだろう。
いずれにしろ、聖書よりも福沢諭吉の絵葉書のほうに魅力を感じるような俗人の自分には、彼女らの主張は理解できなかった。

1999年9月26日(日)

4世紀を望む
台風一過というのだろうか。台風が持ち込んだ南風のおかげで、真夏並の暑い一日であった。しかし空の色はすでに秋色、コントラストの強い光がまぶしい。
こんな日はバイクにに乗らねば・・・・とホームページの更新ネタを求めデジタルカメラを手に、近くの古墳に行く。
家から4kmくらいのところに、けっこうな規模の古墳がある。文化庁の史跡に指定され、整備された古墳である。
4世紀頃、この地を支配していた豪族の墓だろう。古墳の上に登り古代にに思いをはせるが・・・・周りは住宅街。古代に思いを寄せるにはいささか時代考証が・・・・4世紀の昔はこのあたりは原生林だったのかもしれない。この墓の主は古墳に登り周りの眺望を楽しんでいたのだろうか。遠く赤城山、榛名山、浅間山が見える。
自分も古墳の上に登り遠くの山並みを眺めた。4世紀の頃と変わらないであろう、はるかな山並みを

1999年9月28日(火)

夏風邪をこじらせて咳が止まらないでいる。当然体調も悪い。
原因は7月から始めた短時間睡眠の励行にあるのかもしれない。所詮無理があるのだと思う。確かに若い頃から、こと睡眠時間に関してはあまり無理が効く方ではなかった。徹夜麻雀などしようものなら、翌日はほとんど寝たきりになっていた。
やはりこの年になっての短時間睡眠はかなりの冒険であったようだ。もう少し長めに睡眠時間をとった方がよさそうだ。
40歳は体力が激減する頃、若くはないということは客観的には理解できるのだが、どうしても自分はその例外であるという願望も含めて認めたくないものだ。おそらく40歳を越えたほとんどの人がそう思いながら年を重ねるのだろう。
そして自分もまたその例外ではないのだろう。

1999年9月30日(木)

運と災難
朝は秋晴れのすがすがしい天気、天気予報では夕方から降水確率が高くなると言っていたが、あえて冒険をした。自転車通勤である。今日で3日連続。今週は月曜日のみ自動車通勤。あとは地球環境にやさしく、健康増進に役立つ自転車通勤である。
さて今日も秋晴れの天気を満喫し、健康増進と自分の強運を信じ自転車で通勤した。
しかし、夕方から雨が降ってしかもかなり強い。確かに合羽は用意してあるが、できればお世話にはなりたくないものである。
先日の酒宴の席のため自転車通勤もそうであった。酒宴の席が始まる頃は、どしゃ降りであったが。終わって帰る頃には、雨も上がっていた。
実は昨日もそうであった。夕方、小雨が降っていたが、自分の帰る頃には、雨が止んでいた。だが三度目の正直ということもある。二度ある事は三度あるということもある。
今日はどうなるかと心配したが、雨は自分の思いが天に通じたのか、完全にあがった。なんと運のいいことか。
こんなことで運を使い果たしてどうすると言う人がいるやも知れぬ。
心配する事なかれ。運と災難は誰にでも、無限にあるのだ。

palo@wind.ne.jp
Akiary v.0.51