閑有日記
閑有日記

小人閑居して不善をなす

パロパロ閑居して、日記をなす



1999年8月2日(月)

サザエさん症候群
サザエさん症候群というのがあるかどうかは別として、日曜日の午後6時55分
サザエさんのエンディングテーマ〜♪〜ほーらほーらみんなの声がする〜♪という曲を聴くと、どっと心が重くなる・・・・明日からまた仕事・・・・
毎週そんな思いをしながらサザエさんを見る。多くのサラリーマン諸氏はそう思っているのではないか、そんな気がしている。

1999年8月9日(月)

虫の声
すでに立秋を過ぎ、暑さは残暑と称されるようになったのだが、
少なくともまだまだ真夏の暑さである。
二十四節季は太陽高度で決められるものであるから、実際の季節感とはズレがあるのは当然であるが、しかし太陽高度、日の長さでも季節は感じられるものだ。
今は五月上旬とほぼ同じ日の長さにあたる。気温は高くても、着実に日は短くなっている。
そのうち本当に秋風が立つようになるだろう。
今夜、この夏(秋?)初めて、虫の声を意識した。

1999年8月15日(日)

盂蘭盆
お盆は墓参りがつきもの。家の北側がすぐにお寺で家の周りが墓だらけの環境下、この時期読経の声が幾度となく聞こえる。
お盆は、梵語 ullambana 倒懸と訳され、逆さ吊りの苦しみの意とされ、イランの語系で霊魂の意の urvan とする説もあるとか
一般には墓参・霊祭を行い、僧侶が棚経にまわる行事、地方により新暦七月・八月など日が異なるいわゆる、盂蘭盆から来ているわけである。
お盆は盂蘭盆でウラボンなのである。
供養のためにも迎え火、送り火など先祖の霊をまつり、粛々とウラボンを過ごし、ウラボンの意味を考える機会であるが・・・・webの世界ではウラボンとは決して盂蘭盆ではない
物事には真の事象があれば逆の事象があり、裏の事象があり、対偶の事象があっても、盂蘭盆とウラボンには何の関係もないのである。
だが多くのネットに携わる成年男子は、この関係について熟知してるだろう。

1999年8月18日(水)

貧乏性
この炎天下、タイヤのローテーションを行う。久々に汗をかく。大汗をかく表現で昔から汗を一斗五升もかいてという表現があるが・・・・
なぜ一斗五升なのか。さほど疑問を抱いたこともないが、汗を一斗五升もかいてタイヤのローテーションをした。
ガソリンスタンドでは2000円も出せばやってもらえる仕事だが、その2000円でうまいものでも食べようと思いながらハードな作業。
2000円の価値は十分にありそうだ。1時間近くかかっての作業で、久々の運動となる。
さて浮いた2000円でうまいものを食べたかとなるとそんなことはない。単なる貧乏性のなせる業だったようである。

1999年8月21日(土)

ノーテンキ
もうじき不惑を迎える。これといって特別な感慨はない。連続的に過ぎる時の中の意識的な不連続点に過ぎない。そんな無味乾燥な感慨である。
25歳の頃までは物事を悲観的に考えていた。同じ結果なら楽観的に考えよう。以降自分は物事を楽観的に考えるよう指向してきた。
40歳を迎えて、楽観指向に疑問を持つようになった。
楽観的に物事を考えるのはいかがなものか。ここに一つの結論を得た。
物事はノーテンキに考えるべきである。

1999年8月25日(水)

重荷
インターネットの更新ネタとして日記を載せたが‥‥荷が重いものを載せてしまったかなと反省している。
他人に読ませることを前提に書く日記は見栄があるので、つまらない内容にはしたくない。また人に知られたくない秘密などは書けない。
そんな制約条件がある中では、なかなか名文を書くこともできず‥‥滞るばかり。いつまでも書き加えられず、時ばかりが過ぎてゆく。
アダルト系に走らない人の多くは日記を掲載している。オリジナリティがあり、しかも更新しやすいネタと考えているからだろう。さらに言うなれば、HTMLも作りやすい。
しかし初めの数ページはともかく、続けるとなればかなりたいへんなことである。日常生活が波瀾万丈に富む人ならばともかく、ごく普通の小市民にとって、人の気を引きつけるようなエピソードや事件などそうあるものではない。
そのうち天気とその日の行動のみが記録されるような内容になってゆき、最後は日付だけが書かれるだけの日記になってゆくのである。
自分の日記もそろそろその境地にさしかかっている。

1999年8月26日(木)

1000アクセス
12世紀後半いにしえの京、五条大橋で武蔵坊弁慶が1000振りの刀コレクションを達成すべく、毎夜おいはぎ強盗を働いていた。武蔵坊弁慶が実在した人物か、ましておいはぎ強盗を働いて刀コレクションをしていたかは大きな疑問であるが、しかしコレクションをしたとしていたならば、目標1000振りはきわめて説得力があり、妥当な数値であるように思う。千とはそんな昔から普遍的に目標として掲げられた数値なのである。
もともと千という数値は、単純に百の10倍という意味ばかりではない、実現可能または実際に存在する数値の最大の数を表すもの、そんな意味があるように思う。千里の道、千尋の谷、一攫千金、いずれも百の10倍というよりはかなりの数量でという意味だろう、しかしそれは決して存在しないものでも、不可能なものではない。千という数値は実現できるからこそ節目、目標にするに足る数値なのである。
本日、パロパロホームページもその1000アクセスを迎えた。

1999年8月28日(土)

短時間睡眠
先月の中旬から睡眠時間の短縮に取り組んできた。
睡眠時間を四時間半くらいにするのが目標である。人の意識レベルの周期は90分。四時間半は3サイクル分に当たる。就寝起床のタイミングに合致するわけで、寝付きが良く寝起きも良いタイミングとなるはずである。理屈ではそうである・・・・
一ヶ月経って、完全な四時間半睡眠は難しいが、二日間四時間半続けてつぎ六時間の繰り返しでなんとか続けられそうだという感触を得ている。
昨年の今頃は七時間半ほど寝ていたが、その時に比べ睡眠時間を40%も削減した。
効果は大きい。惰眠をむさぼるのではなくインターネットというツールを通して、より豊かな人生のために当てる時間が増えたわけである。それがたとえアダルトサイトの閲覧目的であっても・・・・?

1999年8月30日(月)

金縛り
 臨死体験とか、夢枕に立ったなどということをテレビのワイドショーで、この時期放送される。夏のこの時期はワイドショーもネタがなく、いわゆる夏枯れという状況にあり、ホラー仕立てで放送するのだろう。
 そんな季節、昨夜は自分も貴重な体験をした。一般には金縛りと呼ばれているものなのかもしれない。
 22:30分頃、あまりに激しい睡魔に襲われ、ちょっと横になるつもりでうたた寝‥‥といいながら、すっかり寝込んでしまった。どれだけ眠っていたか、何者かに押さえつけられているような夢で目を覚ます。体が動かない。腕が持ち上げらない。寝返りすら打てない。たいへんなことになった‥‥ふたたび体を動かそうとしたが、やはり動かない。とっさに考えた事は脳溢血、脳梗塞の類の病気になったのではないか。その刹那、そんなことが脳裏を横切る。
 しかし何度かトライしてるうちに、意識もはっきりしてきて、体がすんなり動いた。
 後になって冷静に分析してみた。単に寝ぼけていただけでのようである。

palo@wind.ne.jp
Akiary v.0.51