ふだらくさん
  補 陀 落 山

ながおじ
 長 尾 寺
 
 「山門」 
 長尾寺の珍らしい行事に『力餅』があります。毎年正月7日の大法会に、48貫(170Kg)もある大鏡餅を運ぶ、力自慢の行事です。また、源義経の愛妾、静御前は長尾町の東の方、現在の大内町小磯で生まれました。彼女は若い頃、京に上り白拍子(遊女)となり、義経に見そめられたものですが、鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮で 「吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」 と唄ったのが、頼朝の怒りに触れた話は有名です。義経と別れてからは讃岐に帰り、長尾寺にも参詣し、髪を切り得度し、この地で一生を終ったと伝えられています。
 「山門」
 茶屋のぜんざいが有名だそうです。
「本堂」
 738年(天平10)に行基が柳の木で聖観音を刻み、小堂に安置、のちに弘法大師が護摩修法をおこなったという。このとき、大師が人々に護摩符を投げたのが、当寺の正月行事・大会陽「福奪い」として伝わっている。825年(天長2)に諸堂が整い、地名にちなんで寺号がつけられた。天台宗に改宗したのは江戸時代初期である。
 仁王門の手前には、石の経憧2基(重文)がある。鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)に出征した人々の供養のために、たてたものという。
 (「週刊 古寺をゆく」)
「本堂」
「本堂」
「大師堂
 
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