ふだらくさん
  補 陀 落 山

しどじ
 志 度 寺
 
「山門」
 
「山門」 
「本堂」
 志度湾に面して広大な寺域をもち、「海女の玉取り」の悲話ののこる古刹。奈良時代、藤原不比等が海女を弔う死度道場を建立、のちに息子房前が行基と訪れ、寺名を改めたという。
 実際は、平安前期の創建と考えられ、本尊十一面観音・両脇侍立像(ともに重文)は平安前期の作。平安末期ごろから補陀落浄土の入口として、民間宗教者たち根拠地となった。
 本堂・仁王門はともに重文で、五重塔や海女の供養塔も境内に立つ。寺宝に絹本着色「志度寺縁起」6幅(重文)、同「十一面観音像」などがある。 (「週刊 古寺をゆく」)
「本堂」
「本堂」
「大師堂」

 
「大師堂」
 五重塔。悲しい海女伝説の残る寺。
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