しんごうざん
 神 毫 山

いちのみやじ
 一 宮 寺
 
「山門」
 奈良時代の大宝年間に創建されたお寺で、はじめは大宝院と言っていました。後、聖武天皇は諸国にお宮とお寺を一つづつ建てられ、全国を治められました。讃岐には田村大明神と国分寺が建てられました。その時、讃岐一の宮である田村大明神の別当職(役職を兼任するの意)のお寺として、名前も大宝院から一の宮寺と改めたものです。昔の名残りをとどめ、今でも讃岐一の宮の田村神社と並んでいます。
「山門」
 
「本堂」
 大宝年間(701〜740)に法相宗の僧義淵が創建。大宝院と称していたが、讃岐国一宮であった田村神社の別当寺となり、寺名も一宮寺と改めた。
 のちに行基が訪れ堂宇を修築、大同年間(806〜810)には弘法大師が聖観音像を刻み、本尊とした。以来真言宗に改宗して繁栄し、江戸時代の1679年(延宝7)に田村神社と分離している。
 参道にある薬師如来を祀る石の祠の下には、地獄へ通じる穴があり、地獄の釜音が聞こえるという。 (「週刊 古寺をゆく」)
「本堂」
「大師堂
 
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