そうたざん
桑 多 山

どうりゅうじ
 道 隆 寺
 
「山門」
 
「山門」
 
 
「本堂」
 創建は8世紀初め、豪族和気道隆による。道隆は76番金倉寺を開創した道善の弟である。
 ある日、道隆は怪しく光る桑の大木を見つけ、矢を放つ。倒れたのは乳母で、嘆いた道隆はその大木で薬師如来を刻み、小堂に納めた。のちに弘法大師があらためて薬師如来を刻み胎内に納め、本尊として安置した。
道隆の子朝祐は伽藍を建立、寺名に父の名をつけた。
 広い境内には300体近い観音像が並び、絹本著色星曼荼羅図(重文)など寺宝も多い。
 (「週刊 古寺をゆく」)
「本堂」
 弘法大師も道隆の子朝祐から深い帰依を受けている。弘法大師の弟、法光大師真雅が道隆寺三世住持をつとめ、四世は智證大師円珍、五世が理源大師聖宝と歴代の高僧が住持をしたという。
                   
           
「大師堂」
「大師堂
 
 衛門三郎像
 焼山寺の中腹で弘法大師に抱かれて亡くなった衛門三郎は、望みどおりに伊予の大守に生まれ変わりました。
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