べっくさん
 別 宮 山

なんこうぼう
  南 光 坊
 
「山門」
 
「山門」
「本堂」
「本堂」 
 行基の開創と伝え、もとは「海の総鎮守」として武将の信仰あつい大山祇神社の別当寺であった。瀬戸内海大三島にあったが、海を越えての参詣がむずかしいため、8世紀初めにこの地に移された。のちに弘法大師が霊場と定めた。
 天正年間(1573〜92)兵火によって焼失するが再興され、江戸期には今治藩の信仰もあつかった。
 本尊は大山祇神社の本地仏で、尊形は大日如来の異形。「法華経」「化城喩品」に説かれる如来で、阿弥陀・釈迦如来などはその弟子である。
(「週刊 古寺をゆく」)
 「大師堂」
「大師堂」
 
「奈良原神社」「大山祇神社」の門柱。
「奈良原神社」
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