こうふくざん
 高 福 山

せつけいじ
 雪 蹊

 
 「山門」
 33番雪蹊寺は、フェリーに乗って行きましたが、今は浦戸大橋を渡って行けるのでとても便利になリました。高知城は、南北朝時代、大高坂松王丸の居城で、その後、長宗我部元親が湾に近い浦戸に城を移したが、関ヶ原の戦以後山内一豊が新たに築城し、城下町をつくりました。河中(こうち)→高智(こうち)→高知(こうち)となったと聞きました。
(ガイド談)
 「仮本堂」
 本堂建設中でした。弘法大師の開創当時は、少林山高福寺とよぶ真言宗の寺であつた。
 鎌倉時代に、高名な仏師運慶・湛慶が本尊など諸像を刻んで奉納したことから、慶運寺とよばれるようになつた。その後、月峰和尚が再興、臨済宗に改めた。現寺名は、ここを菩提寺とした長宗我部元親の法号にちなむ。
 本尊薬師如来坐像ほか、湛慶の代表作である毘沙門天、吉祥天・善に師童子立像など鎌倉盛期の傑作があり、重文に指定されている。
(週刊古道をゆく)
 「大師堂」
 愛犬もご主人さまとお遍路しています。愛犬も「南無大師遍照金剛 同行ニ人」の文字が書かれた白衣を着ています。
 境内には、白装束のお遍路さんの姿が見かけられ、にぎやかな雰囲気がありました。
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