2003年7月5日(土)

外の景色はずーっと森。
ザンビアとの国境近くに来てやっと山がいくつか見えてきた。

一晩乗っただけで気温が全然違う、
昨日まではTシャツ1枚でも暑かったのに、
今日は長袖3枚も着てる。

南半球は冬だからな、
これからもっと寒くなるだろう。

国境を通過するときに、
タンザニア側のイミグレの人が出国カードをくれた、
それから1時間くらいたって、
次に来たのはザンビア側のイミグレの人だった。

おかしい。
タンザニアの出国がないじゃないか。

タンザニアのイミグレの人が、
押し忘れちゃったみたい。

ザンビア側のイミグレの人は、
タンザニアの出国がないとだめだって言ってる。

国境まで戻って、出国スタンプを貰ってこいっていわれる。
次の折り返しの電車は8日くるから、
次の町でイミグレの人と一緒に降りて、
3日待てっていってる。

次の町ってどんな所って聞いたら、
ジャングルって答えた。
寝るところはって聞いたら、
ブッシュっていうじゃないか。

そしてイミグレの人は行ってしまった。

隣のコンパートメントに、
イギリスとザンビア人の女性4人がいる、
助けを求めてみた、
どうやら助けてくれるらしい。

イミグレの人が戻ってきたときに、
女の子達を呼んで話をしてくれた。
さすがに女は強い、
色々文句を言ってくれたみたい。

「俺達も人間だ」って意味のわからないことを言って、
ハンコを押してくれた。

よかったよ、ホントよかったよ。

タンザニアは最初から最後まで最低だった。
だめだね失敗した社会主義は。

7月6日(日)

8時に着くはずだったんだけど、
やはりその時間には着かなかった。

景色は相変わらず木とか草しか見えない。

たまに小さい村に止まったときに、
チキンとかピーナッツとかバナナが売ってる。

電車を見にきた村人の反応はいい、
たぶん中国人だと思ってるんだろう、
この電車は中国が作ったもんだから、
地元の人には感謝されてるのかもしれない。

カピリムポシに着いたのが14時で、
降りたらすぐにパスポートを取られて、
イミグレオフィスに行かされた。

1時間以上待ってパスポートを返してくれたんだけど、
SARSの問題でアジア人を調べてるって言ってた。

待たされるのには頭にきたけど、
イミグレの職員はみんないい人だった。

ザンビアはみんな英語で会話をしてる、
公用語は英語。

そこからハイエースに乗って、
首都ルサカまで3時間、
5ヶ所も検問があった。

あまり治安のいい町じゃないな。

7月7日(月)

ルサカは寒い、吐く息は白い。

シャワーは暖かい、
熱いシャワーなんて久しぶりだよ。

みんな英語で会話してるから、
言葉には困らない。
そして人がいい、暖かいって感じ。

ショップライトっていうケニアから南の、
大きな町にあるスーパーに行った。

ここのやつはアメリカのショッピングモールみたいに大きい。

久しぶりに文明を感じさせてくれる所に来た。

商品の棚を見てるだけで目が痛くなってきて、
1時間くらいで疲れてしまった。

コーヒー飲んで休んでたら日本人がいた。
「こんにちは」って言ったら1人はシカト、
もう1人の女の子は言い返してくれた。

青年海外協力隊の人らしい。

あいさつも出来ないやつが、
他の国の人を助けられるのか?
まず挨拶が出来るようになってから
協力隊に参加しろよ。

7月8日(火)

ルサカからリビングストーンへ。

5時間くらいでリビングストーンに着いたんだけど、
休日のためほとんどの店が閉まってる。

あまりいい町じゃないな、
変なのが多い、シンナー吸ってフラフラしてるやつとか。

ちょっと路地に入ったら、
すぐに強盗に変わりそうな奴等がいっぱいいる。

ザンビーフ、ザンビア産のビーフのことなんだけど、
めっちゃうまい。
それからシマっていうウガリみたいなやつ、
まぁまぁうまい。

それにしてもこの国は物価が高いね。

7月9日(水)

なんだか気疲れしてしまって、
今日は1日休むことにした。

ここも国境の町としては活気がない、
ジンバブエの国が今はボロボロだから、
そっちからの荷物もあまり入ってこないんだろう。

南アフリカの影響が大きいみたい。
スーパーに売ってるものは、
ほとんど南アフリカ製。

ザンビア人が南アフリカ製を買うのは大変だろうな、
高いし。

7月10日(木)

ビクトリアフォールズに行ってきた。

リビングストーンの町から10分位。

入場料49000クワッチャは高いけど、
素晴らしい!
こんな滝は初めて見た。

あまりにも大きいし落差もあるから、
みずしぶきが100m以上の高さまで上がってきて、
近くを歩いてたらずぶぬれになってしまった。

さすがアフリカって所を見せてもらったな。

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