- 2002年12月15日(日)
- VISAが切れるのでヨルダンに向かう。
ダラーっていう町まで1時間ちょっと、
そこから乗合タクシーでシリアとヨルダンの国境へ。
シリアの出国はVISAも見ないでスタンプを押しやがった。
ヨルダン側に入ると、国王か誰かの写真の下に小さく
「ウエルカム」って書いてあって、
ちょっと歓迎されてる感じ。
ヨルダンって王国なんだ。
普通国名は、この辺だったらイスラミックなんとかなのに、
ここはヨルダン王国である。
わざわざヨルダンVISAを取りに行ったのに、
あまり意味がなかったみたい、
パスポートのページを1枚損した。
スタンプだけで2週間滞在出来るらしい。
そこからまた同じ乗合タクシーに乗ってラムサへ、
ラムサから首都アンマン。
この国のお金はゼロが少なすぎ、
1ヨルダンディナールで0.7ドル。
硬貨もアラビア語で2分の1とか4分の1って
書いてあるからわかりずらい。
- 12月16日(月)
- 他のツーリスト2人とタクシーをシェアして、
東部の砂漠にある城を見に行く。
ハラナ城に最初に行く。
砂漠にポツンとある、
城っていうか昔の宿だな、
商人がどこかに物を売りに行く途中による所っぽい。
それからアムラ、ハラナから車で15分くらい。
一応世界遺産に登録されてるんだけど、
とても小さいです。
でも、建物の中にあるフレスコ画は面白かった、
あのタイプのフレスコ画は初めて見た。
馬が楽器を弾いてたりサルが手をたたいてたり
かなり珍しい壁画だ。
小さいけどハマムもあった、1200年前の物らしい。
それからアズラック、
サウジアラビアの国境まで50キロのところ。
ここもただの昔の人が使ってた宿だ、
石でできた開閉可能な門はよかった。
ここはアラビアのロレンスが、
アラブ革命時に住んでたところらしい。
運転手と話をしてたら、
元ベドウィンだっていう。
家族や親戚はまだ砂漠で遊牧生活をしてるらし。
この近くにテントを張ってて、
この冬はそこで過ごすって言うので、
行きたいって言ったら連れってくれた。
っていうかこの時代に、
ちゃんと遊牧生活をしてるベドウィンがいたんだ。
ラクダとか羊がいっぱいいる所を通って、
1つの大きいテントに行った。
大家族で、男7人と数人の小さい子供、
女性は何人かで1つのテントに住んでる。
朝と夕方で味が違うっていう、
ベドウィンのコーヒーを飲ませてもらったり、
なんだかやたら歓迎されてるようだ。
テントは羊とラクダの毛で作った物で、
雨も入ってこないらしい。
すぐに移動できるように、とっても簡単な作りになってる。
6本の支柱は蹴ったらすぐ外れそう。
テントの中は暖かい、
火もつけてないのになんでこんなに暖かいのかわからない。
先祖代々砂漠に住んでるんだから、
俺らにはわからない砂漠の知恵っていうもんがあるんだろう。
みんな全身からいい人っぽい素朴な感じのオーラが出てる、
地べたにひいた絨毯の上に座って肘掛けにもたれて、
とってもいいひと時を過ごさせてもらったよ。
- 12月17日(火)
- ヨルダン大イベントの1つ、死海へ。
バスに2回乗って最後はヒッチ、
死海って本当に浮くんだよ。
寝そべっても手と顔と足は外に出るし、
立つと茶柱のようになるし、
びっくり度ナンバーワンだ。
バルクルカプルジャをぬいた。
海抜−394mらしい、こんな時期でも暖かい。
近くに温泉があって、
死海に流れ込んでくるので入ってても寒くない。
温泉に入って死海に入ってを繰り返す。
死海のすぐ近く、歩いて1分位の所に自然の温泉があって、
普通に浸かれるんだけど、
温度は完璧ちょっと熱いくらい。
泥パックもあって肌はスベスベ、
いいねーいいぞ死海!
帰りはアンマンまでヒッチしたんだけど、
その運ちゃんが元々は対岸に住んでたらしい、
死海の対岸はイスラエルである。
イスラエルに追い出されて、
その時いっぱい殺されたって言ってた。
今はイスラエル領の対岸が良く見える、
誰が悪いとかはわからないけど。
直接こういう話を聞くと、心が痛いね。
- 12月18日(水)
- ワディームーサに行く。
バスはボルし嘘つくし、ふざけてますね。
危うく違うバスに乗らされる所だった。
3時間ちょっとでワディームーサ、
明日の朝と昼メシを買い行ったんだけど、
どの店に行っても100パーセントボル。
腐ってますねこの町は。
何もしなくてもペトラの遺跡を見にくる人は来るからな、
ちょっと寄った旅行者からボッてやろうってことだろう。
- 12月19日(木)
- 久しぶりに朝7時に起きる、
世界遺産のぺトラ遺跡へ。
一番最初にインディージョーンズに使われた遺跡が出てくる。
映画のままだった、素晴らしい。
ぺトラは有名だし、やっぱりどこを見ても凄い。
17時までたっぷり歩いて、
宿に帰ったときはぐったりだった。
途中道に迷って、
ちょっとハードなトレッキングっぽくなったんだけど、
道なき道を行って、
まず人が来ないであろう忘れられた遺跡を見たり、
変なところに昔の人が作った階段とかあったり、
かなり面白いところでした。
- 12月20日(金)
- アンマンに帰る。
バスが止まってるところに行くと、
アンマン行きは出ないって言う。
タクシーと話をすると、
50JDなどとぬかす。
通りすがりの地元の人も話に参加して嘘をついていく、
こんな町最低だ。
お話にならないので、まずマアーンまで行った。
そこでさっそくバスを見つけたけど、
アンマンの近くで何かあったらしく、
4時間くらい出なかった。
昼過ぎにバスが出たんだけど、
途中ポリスに止められて、
バスの中でまた待たされる。
なぜか戦車やアーミーがやたら通っていく、
何があったんでしょう?
数日前にこの辺の地元の人と警察と衝突があったらしいので、
その関係かもしれない。
それにしても戦車までだすか?
少しして出発して、
アンマンに戻った。
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