2002年8月18日(日)

アハルツィへから南に40分下った所の、
シスラカプシっていう国境をわたる。

旅人の中じゃ評判の悪いボーダーで、
やっぱりグルジア側のイミグレで、
ワイロよこせって言われた。

ずっと真顔で相手の目を見ながらしかとしてたら、
行けって言われて何も取られなかった。
もっとしつこいと思ってたので、
こっちも色んな対策を練ってたんだけど。

トルコ側はスムーズで、
荷物のチェックもなく入国、
時計を2時間戻して、
やっと7時過ぎには暗くなるような時間の割合になった。

イミグレーションを出てもタクシーしかいなくて、
ポソフっていう町まで10ドルだってぬかす。
1時間待っても誰も何も来なかったので、
8ドルに値切ってポソフへ。

そこからボーダーとアルダハンとポソフの
分岐点まで歩いて行って、
バスを待ったが、スイカ売りのおやじ曰く、
バスは明日らしい。

ヒッチに切り替える。

スイカ売りのおやじのトラックが作る影で、
スイカ食ってチャイを飲みながら車を待つ。

チャイ復活。
カフカスに行ってたから忘れてた。
トルコはまだチャイだ。

車がまったく捕まらなくて、
おやじに美味しいチャイの入れ方と、
食べ頃のスイカの見分けかたを習う。
結局8時間待っても捕まらなかったので、
ポソフで泊まるよっておやじに言ったら、
ポソフと反対方向に20分歩くとスタンドがあって、
そこの2階に安く泊まれる所があるみたいな事を言ったので、
そこに行ってみた。

シャワー付き3ドルで、
ホットシャワーはガンガン出る、
下には小奇麗なレストラン、
トイレには紙がついてて鍵もしまる、
部屋は広くて綺麗なシーツ。

アジアも終わりだな。
まぁそれだけがアジアじゃないけどさ。

でも、アザーンが鳴り響くって感じ。

8月19日(月)

朝7時にたたき起こされる、
昨日は9時にバスが来るって言ってたのに、
もうバスが来てしまったらしい。

下のレストランに降りたら、
コーヒーが出てきたので、
他のお客さんを待たせてコーヒーを飲み干す。

アルダハンへ。

景色が素晴らしい、
カフカスと同じで高原がパーっと広がってて、
山、そして小さい山脈って感じなんだけど、
ここはその高原の真ん中に、
石で出来た家が小さな村を作ってる。

後ろを見ると綺麗な雲海、
そこから山の頂上だけがポツンポツンと顔を出してる。

朝から気分がいい。

アルダハンに着いて、バザールを軽く見て、
カルスへ向かう。

やはりバス代が高い。

トルコから西は高くなるよって聞いてたんだけど、
ここまで高いとは思わなかった。
最初ボッてるのかと思ったくらいだ。
ポソフからカルスまでの3時間で、
8000000リラ約600円である。
っていうか凄いインフレだよな、
ゼロが多すぎるんだよ、
ブラジルみたいにゼロを切っちゃえばいいのに。

カルスに着いて宿を捜す、
地元の人にここが安いぞって教えてもらった宿にする。

カルス城に行ったり、
教会なんだなモスクなんだか
わからないような所にも行った。

その古い教会には十字架が一応彫ってあるんだけど、
中に入るとイスラムっぽいんだよ。
この辺は昔アルメニアの領土だったから、
トルコがこの土地を取ったときに、
教会をモスクに替えてしまったのかもしれない。

なかなか面白いぞ。

町をブラブラしてたら2人の欧米人に声をかけられた、
アニ遺跡行かないかって言われて、
ぜひとも行きたかったので、
一緒にタクシーをシェアする事になった。

その2人は、顔はヨーロッパっぽいんだけど、
名前聞いても知らない国だった。
ノルウェーの近くだって言ってたな。

インフォメーションに行って、
パーミットを貰ってアニへ。

さすがにトルコと仲の悪いアルメニアの国境が、
川を隔ててすぐそこだから、
アーミーがいっぱいいた。
「ここは、わが国にとってとても重要なポイントなので、
写真禁止で怪しい動きもするな」だって。

アニ遺跡はよかった、
久しぶりに遺跡好きの本領発揮って感じだった。
あのくちかた最高だな。

でも、ハチュカルとか綺麗に残ってたり、
壁画が残ってたり、
周りの景色といいホントいい所。

昔のアルメニアの首都だった所だから、
アルメニアは今でも欲しくてしょうがないんだろう。
ちなみにここからアルメニア領まで、
歩いて5分もかからない、
橋が架かってた痕跡があるんだけど、
戦争のときにロシア軍が壊したらしい。

国境になってる川のすぐ上にある教会に入ったら、
アーミーが暇そうにしてたので、
アメあげて写真を撮っていいかって聞いたら、
内緒だよみたいな格好をして撮らせてくれた。

こういう所が、まだアジアっぽいんだよ。

8月20日(火)

人がいいんだよみんな、
本当に人がいいんだよ、クルド人かな?

顔と体臭はカフカスとかイランっぽいんだけどな。

それにしてもずいぶんのんびりしたムスリムだこと、
ちゃんとお祈りしてるのか?
女の子なんてTシャツじゃない、
スカーフかぶってるのなんか、
おばさんくらいじゃない。

ウールドゥでバスを乗り換えて、
イランとの国境の町ドバヤンジットへ。

景色がイランっぽくなってきた、
草や木があまり生えてない、懐かしい。

ここからイラン国境はすぐだ。

1泊2ドルという宿を見つけてそこにする、
別に部屋自体悪くないんだけど、安いんだよ。

アララット山を見に行く。
ちょうど1ヶ月前にアルメニア側からアララット山を見たんだ、
前より雪が少なくなってる。
アルメニア側から見たほうが綺麗だな。

トルコは旅がしやすい、
宿も多いし、
バスも高いけど色々なところに走ってるし、
本数も多いし。

全体的に人がいい。

ちゃんと機能してるインフォメーションがあって、
1DAYツアーとかもある。

ここまでちゃんと旅行者のために整備された国って、
オーストラリア以来かも。

8月22日(木)

まだ入国して数日しかたってないのに、
もうすでにトルコ料理に飽きてしまった。

って言ってもそれ以外に食べるものはないから、
食べるんだけどさ。

イサク・パシャに行ってきた。
イサク・パシャ自体たいして面白くはなかったんだけど、
そこから見るドバヤンジッドの町や、
イランみたいな乾燥した広大な大地が、
とってもいい感じ。

水が合わないようだ、
体の調子があまりよくない。
南アジアの雑菌たっぷりな水の方が、
俺には合うらしい。

8月23日(金)

ワンに行こうと思ってたんだけど、
体の調子がパッとしないので、
インターネットをしたり、
宿のおやじと話をしたりする。

8月24日(土)

やはり熱が出た。

昼に37度だった熱が、
夜には40度になってしまった。

ベッドから動けず、
メシも食いに行けないし、
水も買いに行けない。

20時頃水くらいは飲んでおこうとして、
階段をフラフラ降りていって、
小さいロビーに行ったら、
日本人の女の子がいた。

早速水を買いに行かせる。

2人で話をして、
この熱はやばいってことで病院に行く。

看板に何回もぶつかりながら、
普通2分の道のりを15分かけて病院へ。

病院って言っても、
病院であって、病院ではない。
期待はしてなかったけど、
やはりって感じだった。

その病院らしき所で1時間待つ。
どうみても俺より重い患者しかいないんだよ、
血だらけのやつとか、
すでに気を失ってるやつとか。
先生らしき人も1人しかいないし、
もちろん看護婦なんて存在しないし、
明日また来ますって言って、
また看板にぶつかり、つまづきながら、
ホテルに帰ってすぐに寝た。

8月25日(日)

朝起きても頭がフラフラするので、
あんまり行きたくなかったんだけど、
病院に行った。

血液検査をしてもらったんだけど、
結果が出る前に先生が車でどっかに行ってしまった。

血を抜いてくれたおばさんに、
大丈夫?って聞いたら、
問題無いよって言うので、
そのまま帰ってきた。

ますます元気がなくなってきた。

食欲はあるのでガツガツメシ食って、
アイランを飲みまくる。

薬局に行って風邪薬を買う。
飲むしかないし、
買ったからには飲んだ。

夜中体がしびれる感じで目が覚めた。
やっぱり飲まなきゃよかったと後悔する。

8月26日(月)

9時に起きると何ともない、
熱も下がってるし体の調子もいい。

なんて恐ろしい薬なんだ、
インドの下痢止めのようだ。

なぜ風邪を引いたか考えた。

最初の熱の上がりかたは、
マラリアかと思った。
だけどここ1ヵ月は、
マラリアなんかいるような国は通ってないし、
やっぱりグルジアの疲れが原因かな?

水を買ってきてくれた女の子が、
ツアーから帰ってきて、
トルコ人に体をさわられたのって言い出す。

じゃあさわりかえせばって言ったんだけど、
そういう問題でもなさそう。

女の子は半泣きだった。

話を聞くと、どうも本人にも落ち度があり、
だからどうしたいっていう具体的なものもないので、
しょうがないから、
まぁ「飲むか」って言ってビールを飲む。

最後はトルコ人なんて大嫌いって言って、
帰っていった。

なんだかな、これからこういう旅行者が増えそうだ。
ヨーロッパやめてアフリカ行こうかな。

8月28日(水)

ワンに行く。

やっぱりバス代が高いんだよ、
またバスのおやじと喧嘩をしてしまった。

でも、ボッてるわけじゃないみたい。
普通に物価が高いだけだ。

ワンに着いて宿を決めて、
ベッドでぼけっとする。

まだ本調子ではないみたい。

この国のガキは人の顔を見るたびに、
マニーマニーって言ってくる。
みんなまともな服を着てるし、
肉付きもいい。
あきらかに物乞いでもない。

教育がなってないね。

お前らに金をくれてやるくらいなら、
アフガニスタンの、
今にも死にそうなやつらにやってるよ。

8月29日(木)

ワン城に行った。

バスを降りて歩き出したら、
地元の青年がついてきた。
ちょこっと英語が喋れる。

入場料払うときに、
その彼が、なんだか受け付けのおっさんと喧嘩して、
結局ただで入れることになった。
そいつにワン城の事を色々説明してもらって、
帰りのバスまで見つけてくれた。

いいやつだ。

それからタトワン行きのバスに乗る。

バスを2時間位待ったんだけど、
その時熱心なムスリムに会った。

イスラム教とかの話したんだけど、
とにかくアッラーは偉大だと、
コーランを守って生きていべきだなんて言ってる。

酒も飲むし、
単パン半袖のムスリムなんか聞いたことがない、
それこそコーランを守ってないじゃない、
お前らこそ考え直した方がいんじゃないの。

8月31日(土)

ネムルダウっていう山に行ってきた。

バスで行って帰ってきただけだから、
面白くなかったけど、
3000mちょっとある山を登ったら、
かなりいい景色が見れるんだろう。

山を登る装備なんてなにも持ってなかったので、
湖の横でピクニックをしてた家族に、
昼飯をごちそうしてもらって、
さっさと帰ってきてしまった。

9月1日(日)

エルゼルムに行く。

バス代が高かった、8ドルくらい。

この国面白くないな。
トラブゾンで魚食ったら、
さっさと西に向かおう。

9月2日(月)

バイバートでバスを乗り換え、
トラブゾンへ。

乗り換えた方が安かった。

乗り換えっていっても、
乗ってきたバスもトラブゾン行きだった。
そのバスより早くトラブゾンに着いた。

意外とバカっぽいトルコのバス。

そして黒海。

黒海があってすぐに山があって、
その間にトラブゾンの町が
山の斜面にへばりついてるようにある。

港町って感じで、雰囲気はいい。
ただ湿気が多い。

9月5日(木)

半年前に、インドの日本寺で一緒にお経を読んでた、
大介さんにばったり会う。

久しぶりに懐かしい人に会って、
気分がいい。

港で海を見ながらボケっとする。

トルコ人って俺が日本人だとわかると、
手で1対0って作ってニコニコしてる。

ワールドカップの事を言いたいんだろう、
かなりうざいぞ。

9月7日(土)

シワス行きのバスに乗るために、
バス停へ向かった。

途中ATMがあったので、
カードでお金を降ろしたら、
カードが引っかかって出てこない、
そのうち中に入ったまま出てこなくなった。

画面は元に戻ってしまった、
銀行は土曜日だから閉まってる。

銀行の隣にいたロカンタのおやじに、
カードが戻ってこないって言ったら、
月曜日になれば銀行が開く、
そうしたら戻ってくるぞって言ってる。

月曜日って言ったら2日後じゃない、
それにバスのチケットを、
25000000リラでもう買ってるんだよ。

おやじに頼んでセキュリティー会社に
電話してもらったんだけど、
やっぱり月曜日じゃないとだめらしい。

とりあえずバス停に行って、
キャンセルしてもらう。
キャンセルしてもお金は返さないって
バス会社のおやじに言われたんだけど、
おだてたり、脅したりして全額返してもらった。

銀行のとなりのロカンタ(レストラン)に帰ったら、
さっきのおやじが、
お金ないなら貸してやるって言ってくれたんだけど。

金はあるんだよ、
カードがないんだよ。

おやじは俺が金を持ってないと思ったらしく、
ただでメシも食わしてくれた。

それからまたホテルを探す。
同じ所には戻りたくなかったので、
教会に行って泊まらせてもらう事にした。

ドネーションでいいらしい。

9月8日(日)

すっごい居心地がいい。

雰囲気いいし、
すっごいこの教会を気に入ってしまった。

窓から黒海が見える、
その大きい窓から、
何ともいえない風が黒海から吹いて来る。

海風なのに軽い。

今日はその場所から動かないで、
ソファーで寝っ転んでた。

それにしても面白い。

日本に教会があるのとはわけが違う。
99パーセントの人がイスラム教徒の国に、
今でも使われてる教会があるのである。
しかもそこで働いてるのは、
イランから逃げてきたキリスト教徒。

イランに帰らないの?
って聞いたら、
イランに帰ったら捕まっちゃうよって言ってた。

イラン・イスラム共和国だからな、
キリスト教徒のイラン人は大変だよな。

でも捕まるってところが、
イランっぽくて面白い。

9月9日(月)

カードが吸い込まれてしまった銀行に行って、
カードを返してもらった。

土日に吸い込まれたカードが30枚以上あった、
ATMに問題があるんじゃないの?

本当は今日シワスに行くつもりだったんだけど、
教会の居心地がいいので、
出るのやめた。

リゼから来るイスタンブール行きの船が、
途中シノップに寄るので、
それに乗る事にした。

9月10日(火)

今日も買い物以外教会から出なかった。

ここはキッチンがあるから自炊出来る、
安くすむし、自分で味付けできるからいい。

日本人の大学生も泊まってて、
一緒にメシ食ってるんだけど。
その女の子包丁も使えないんだよ、
かなりビックリした。

魚のさばき方とか教えてやった。

9月11日(水)

この教会はよかった。

ここに泊まってた人達もみんなフレンドリーだったし、
石と木で組んだ教会と、
うちらが泊まってた宿泊所の居心地は、
いままで泊まった宿の中で1番だ。

だけど近くにモスクがあって、
1日5回アザーンが流れるのはかなりうるさかった。

わざわざ教会の方にスピーカーを向けてあるのがムカツク。

弁当を作って船に乗り込む。

大きい船で設備も整ってる。
デッキにはカフェや自由に使えるデッキチェアがあって、
いい感じ。

1時間遅れて19時に出港した、
出港してからの夜景が綺麗だった。

トラブゾンの夜景ももちろん綺麗だったんだけど、
船がずっと陸沿いに行くので、
ずっと夜景である。

これは素晴らしい航行ですよ。

9月12日(木)

12時にシノップに着いた。

城壁に囲まれた町。

黒海に突き出たボズテペ半島は、
トルコの最北端らしい。

9月13日(金)

昨日は夜中まで飲んだ。

オーストラリアのパース出身のツーリストと同じ宿で、
オーストラリア話で盛り上がった。

昼前にバスに乗ってサムスンへ。

そこから乗り換えて南に2時間アマスヤへ。

岩窟墳墓が切り立った岩山にあって、
その山の斜面に家がある。

旧市街のにある宿にした。

9月14日(土)

旧市街は面白い。

100年位前に作られた石作りの家の門の前に、
おばあちゃんがポツンと座ってて、
日向ぼっこをしてる。

メルハバって俺が言うと、
しわだらけの顔でニッコリ笑って、
メルハバって言ってくれる。

宿が岩山の中腹あたりにあるので、
宿の屋上に上がると町が一望出来る。

夕日に染まった岩山は、
真っ赤だったよ。

9月15日(日)

アマスヤから電車に乗って6時間、
シワスへ。

電車は安いけど、時間は倍かかる。

それにしてもホントに遅い、
わけのわからないところで止まったりするし、
でも景色はよかった。

シワスに着いて宿を捜したんだけど、
どこも高かった。
その中でも一番安い7000000リラ、
約500円の所にした。

9月16日(月)

夜寒かった、
標高1300mらしい。

久しぶりに早起きして、
温泉に行く。

オトガルからカンガル行きバスに乗って1時間、
カンガルでバスを2時間待って、
カンガルから30分で、
バルクル・カプルジャ。

ここは魚が温泉の中にいて、
人間の皮膚を食べるっていう珍しい所。
皮膚病を治す療養所らしい。

これにはびっくりだ。

温泉に入ると魚がパーっと寄ってきて、
俺の皮膚を食べていくんだよ、
くすぐったいし、大きい魚に食われると痛い。
足にあったかさぶたは全部食われた。

5分位じっとしてれば100匹以上は体に群がって、
皮膚を食ってる。

ここは久しぶりにヒットだ、
笑いが止まらなかった。

9月17日(火)

シワスからカイセリへ、
それから有名なカッパドキアの中にある、
ギョレメっていう町へ。

またまた幹線道路で降ろされた、
どうやってギョレメに行こうか考えてたら、
違うバスが来たのでそれに乗せてもらった。

ギョレメは久しぶりにツーリスティックな町で、
町全体の物価が高い。

変な岩をくりぬいて作った宿がいっぱいあって、
トルコ人に日本語で「こんにちは」って言われる。

歩いてたら日本人に会ったので、
安い宿を紹介してもらった。
その宿も岩をくりぬいた宿だ。

日本の大学生が3人いて、ちょっと話をしたんだけど。

「俺26歳」って言ったら、
「おっさーん」って言われた。

こいつら何者だ、
新手の嫌がらせか?

「俺1年ちょっと旅してるの」って言ったら、
「うわーダメ人間でしょ?」って言われた。

かわいいね、この子達かわいいよ。

これからどこに行くのって聞かれたので、
「アフリカ」って言ったら、
ギャハハって笑われた後、
「じゃー死ぬかもね」って言われた。

間違ってるのかな、
俺もしかして間違ってるのかな。

今日は飲んだ。

9月18日(水)

カッパドキアはさすがに日本人が多い、
俺の泊まってる宿にも5人くらいいる。

地下都市があったデリンクユに行った。

蟻の巣みたいだ。
かがまないと歩けない通路があったり、
礼拝堂があったり、学校跡もある。

歴史的には面白い、
紀元前から人が住んでたらしい。
迫害されたキリスト教徒も住んでた時期もあったらしい。
ペルシャにやられて逃げてきた人達かも。

地下8階まで公開されてるんだけど、
もっと下まであるみたい。

それからアチュクサライへ。

カッパドキア特有の変な岩に、
教会らしきものがほってある。
岩に登ったり、崩れた教会に入ったり、
なかなか面白い。

幹線道路に出てヒッチしようとしたら、
かってに車が止まって、
逆にヒッチされ、ネブシェヒルまで乗っけてくれた。

9月19日(木)

朝起きて部屋の外に出ようとする時、
毎日決まってフラフラしてしまって、
立っていられなくなる。
夕方帰ってきたとき、その原因がわかった。

俺がいる部屋はメチャメチャ傾いてたんだ。

洞窟部屋だから窓がない、
昼間でも電気を消すと真っ暗である。
真っ暗の中、斜めになってる部屋を、
10歩歩いて外に出なきゃいけない、
起きてすぐだし、そりゃ立っていられないな。

スクーターを借りた、6時間14000000TL。

ウチヒサルにいって、日本人観光客ウオッチング。
大型バスでどんどん来るんだよ。

ギョレメパノラマに行って、
日本人観光客の写真係をする。

あめと水を貰った。

それからゼルヴェに向かったんだけど、
道路に日本人がポツンといたので拾って、
一緒にパシャバ地区へ。

ケバブを奢って貰った。

ハシャバでは、京都テレビが撮影をしてた。

最後はローズバレーで夕日を見て帰ってきた。

こんな日もあるさ。

9月20日(金)

元気になってきた、サクサク動ける、体が軽いぞ!

カッパドキアを出て、首都アンカラへ。

オトガルが凄い、
まるで空港のようだ。

大型バスの数が半端じゃない、
この広い国土を縦横無尽に走らすには、
このくらいのバスの数は必要なんだろう。

さすがはバス大国。

17時のサフランボル行きのチケットを買って、
時間通りに出発。

20時にサフランボルに着く。

ここは旧市街の町並みが、世界遺産に登録されてる。

何人かの旅人に紹介された宿に行ったら、
いっぱいだった。

今日はサフランボルのお祭りらしい。

その宿の向かいの家の人が、
泊まってっていいって言うので、
お世話になることにした

9月21日(土)

石畳の路地と、古くてお洒落な家。
入りくんだ昔ながらの町並み。

さすが世界遺産。

ハマムに行ってみた。
サウナなんだけど、建物が石で組んだドーム型で、
想像してた通りのハマムだった。

とってもいい。

9月23日(月)

居心地がいい、
町の人達も観光客ずれしてなくて、いい感じ。

昼間はバックギャモンをやりにチャイ屋に行って、
夜は庭でバーベキュー。

9月27日(金)

サフランボルはよかった。
のんびりしてて、人もいい。

結局1週間も居てしまった。

ジャム作りを手伝ったり、
ハマム作りもやらせてもらった。

昼過ぎのバスに乗ってイスタンブールへ。

ここまで1年ちょっと、
やっとアジアが終わる。

バス停に着いたときは、もう暗かったので、
すぐ船に乗ってヨーロッパ側へ。

アジア側もヨーロッパ側も、いい夜景だったな。

なんだかもう秋だ、
やっぱりこのままアフリカを目指そう。

9月28日(土)

イスタンブールにアジアを感じさせてくれるところはない。

これがヨーロッパから来た人なら、
アジアっぽさを感じることはあるかもしれないけど、
アジアから来た俺には、まったく感じられない。

もうヨーロッパだ。
都会だ、でも嫌いじゃないな。

11月11日(月)

イスタンブールに1ヶ月半くらいいた。

ヨーロッパとかアフリカとか、
俺みたいにアジアからくる旅人が集まる宿。

ホームページを作る手伝いをしたり、
みんなで日本食を作ったり、
旅の休憩にはちょうどよかったし、時期だった。

今はまだ旅の途中で、
16日には滞在期間が90日を過ぎてしまうので、
シリアに向かう。

11月12日(火)

なおみさん、ファティー、
ツリーで同じ時を過ごした皆様。

どうもありがとう。俺は出るよ。

普段はそうでもないツリーの女の子軍団、
俺が出る1週間位前から、
どういうわけかレベルの高い女の子が集まってきた。

はっきりいって、みんなかわいい。

残りの滞在期間がほとんどない、
あと5日で不法滞在者だ。
パスポートをギリシャに飛ばすっていう話もあったんだけどな。

出るには出るけど、今は出たくなかった。

ガラタ橋を渡って、船に乗る。
それからアジア側へ。

ガラタ橋を渡ったときに、
ちょうど真ん中あたりで釣りをしてる日本人が居た。
2ヶ月くらい前にトラブゾンで会った、
渡辺夫婦だった。

「大漁」だよって言ってたけど、
君たちこんな所でトルコ人に混じって、
何やってるんだよ。

ヨーロッパに行くって言ってたし・・・。

電車は期待してたより快適だった。
アダナまで900キロ、
18400000TLとは思えないくらいの設備。

1つの車両に4、5人で出発する。

11月13日(水)

暖房付き列車はかなり快適だった。

2時頃寝たはずなのに、
起きたのは昼だった。

今ムスリムの方達はラマダンだけど、
こういう時は外国人の特権を使って、
ビスケットをバリバリ食べて、
タバコもスパスパ吸う。

トルコは大丈夫。

昼寝をして起きたら目的地のアダナだった。
ほとんどを寝て過ごしてしまった。

途中寝ぼけながらも、外の景色を見たんだけど、
イランって言うか、緑のないカフカスっぽかったな。

砂漠化かな、カフカスでは草原に山だったけど、
こっちは荒れ地に山って感じ。

アダナに着いて宿を捜す。

やっぱり休憩も必要だと思う、
でも、旅人は旅してなんぼではないのか?

イスタンブールでは、30m歩くのも嫌だった、
でも今は新しい気持ちで、
色んな物を受け入れられる気がする。

きわどいな、どっちでもいいか。

11月14日(木)

昼前に起きてオトガルへ。
バスがちょうどあったので、
それに乗って2時間でアンタクヤ。

ここはアジアの国境っぽい雰囲気が漂ってる。
人とか車とかがムサっといて、
なんだか落ちつきがない。

トルコの他の所には見られなかった、
喧騒みたいなものがある。
アジア離れしたかったのに、
なんだか拍子抜けしてしまった。

次はシリアなのに、またアジアに戻った気分。

町をブラブラして、
あまったトルコリラで、
シリアポンドとドルを作る。

≪GEORGIA≪≫SYRIA≫