2002年11月15日(金)

アンタクヤからバブ・アルハワっていうボーダーまで1時間。
それからスムーズにシリア入国。

バスで国境まで行ったんだけど、
小さい峠を越えたところで、
急に赤土で岩がむき出しの大地になった。

それからシリアのアレッポまでは、
すっと赤土。

これじゃろくな作物が育たなそうだ。

アレッポに着いたのが16時過ぎで、
町はなぜかがらんとしてた。

何事?と思ったけど、
そういえばラマダンだ、
みんなさっさと家に帰って、
飯食うために日が沈むのを待ってるんだろう。

シリアはラマダンが厳しいらしい、
それは外国人であっても、
他の宗教の人であっても同じ。

俺は隠れて食うけど。

11月16日(土)

下痢である、しかもかなり強烈。

昨日の夜、トリの丸焼きを大量に食って、
寝る前にもトリ食って、
生水をガンガン飲んだからだろう。

国境を越えたのをすっかり忘れてた、
国境越えの疲れと、
まだこの国の水に慣れてないのに、
生水を大量に飲んだからこんなことになってしまったんだろう。

宿の周りをフラっとしただけで、
あとは宿の屋上でのんびりしてた。

イスタンブールほどじゃないけど、
ここも夜は冷えるな。

11月17日(日)

まだ治ってない。
でも、昨日よりはよくなったような気がする。

スークを通ってアレッポ城へ。
スークはムスリムの国によくあるやつだ、
呼び方が違うだけ、市場みたいなもの。

ここは人がいいから、
店先で眺めてると食物とかならくれる。

今日1日で干しブドウとクルミ、
それから玉ねぎ5個貰った。

アレッポ城は入場料300シリアポンド、
でも、偽学生証を見せたら、
15シリアポンドになった。約43円。

岩山にあって、町が360度見渡せる。

360度見てみた。
アレッポの町を色でたとえるなら、灰色。
アレッポ城を中心に町が作られたようにも見える。

お城自体は普通だったけど、
壁とかに使われてる四角い石をよく見てみると、
貝殻とかついててなかなか面白い。

昔、海の方から持ってきた石だろうか。

夕日が沈む前、16時とかは、
車もバイクも早く家に帰りたいし、
しかも飯食ってないからイライラしてるしで、
道路はかなり危険な状態。

クラクションは鳴りっぱなしだし、
そこらじゅうでケンカしてるし、
狭い道も思いっきりスピードをあげて通るし、

ラマダンさ、迷惑だよ。

11月18日(月)

今日も朝一発目から下痢だったが、
ラタキアまでバスで3時間だって聞いたので、
行ってみることにした。

途中の景色はいい感じだった、
でも、あまり作物の育たなそうな荒れた土地にみえる。

3時間でラタキアに着いたんだけど、
バスはバス停に行かなかった。
わけのわからない歩道で降ろされてしまったので、
座って休む。
たまたま通りかかった、
ピクルスを一杯積んでる車を止めて、
「ラタキアホテル」「僕ジャパン」
って言ったら、乗せてくれた。
ラタキアホテルの目の前で降ろしてくれて、
ピクルスを1瓶くれた。

いいやつじゃないですか。

荷物を置いて、町をブラブラする。
女の子がスカーフをしてない、
しかもTシャツのやつとかもいる、
そしてかわいい。
なぜだ?ムスリムじゃないのか?

女の子の半分以上は、
かなり開放的な格好をしてる。

アレッポとはまったく違う雰囲気。
みんなあかるい、町もあかるい。

パキスタンで買ったメガネを、
アレッポのバス停でなくしてしまった。
いったん乗ったバスを乗り換えたときに、
網の中に置いてきてしまった。

もともとそんなに目が悪いわけじゃないから、
もうメガネはいいやって思ってたんだけど、
カメラ構えたときに、まったくピンが合わず、
しょうがないから買いに行った。

パキスタンでは確か5ドルくらいで買ったはずなんだけど、
ここでは30ドルもしやがった。

前は竹ノ内風だったから、
今回は「反町風」のメガネをGET。

11月19日(火)

セルビスに乗ってウガリットへ。

ここにある遺跡で発見されたウガリット文字が、
アルファベットの原形になったらしい。

結構ボロボロだけど、
排水溝の跡とか、隠し地下室とかもあった。

3500年前の物としては立派だ。

ラタキアから地中海沿いを通って行ったんだけど、
綺麗だね地中海も。

濃いブルー。

11月20日(水)

乗合ハイエースに乗って、
ハッフェっていう町へ。
そこからバイタクに乗って、
サラディーン城へ。

あの有名な、十字軍と戦ったサラディーンのことだ。

遠くから見たらカッコよかった、
周りが谷だから、要塞って感じ。

これが約700年前の物なんだから凄い。

11月21日(木)

夜中洗濯を始めたら、
止まらなくなってしまって、
結局全部洗ってしまった。

着る服がない。

下痢も治ってきたので、1日休憩して一気に完治だ。

夕方港に行ってきた、
ずいぶん立派な港だこと。
たぶんこの町のムスリム色が薄いのは、
海から入ってきた西側の文化だろう。

若い男の子も女の子も、
軍服着て教科書持って学校に行ってる。

この国の国家予算の50パーセントが、
軍事費らしいじゃない。

さすがテロ支援国家。

テロ支援国家なんて言ってるけど、
こんな治安のいい国は珍しい。
今の日本よりははるかに治安がいい。

情報操作によって、
中東=危ない、
人殺しっていうイメージになってるけど。

まったく何を言ってるんだかって感じだね。

11月22日(金)

移動しようと思ってたのに、
起きたのが昼過ぎであった。

時間ができたので、
イミグレーションオフィスに行って、
VISAの延長をしようとしたら、
休みだった。

金曜日かよ。

いつになったら夏に追い着けるのでしょうか、
シリアの夜も、
ここ数日で急に冷えてきた。

11月23日(土

バニアスへ、それからマルカプ城に行った。

お城から地中海がドドーンと見える。
お城自体はサラディーン城とあまり変わらなかった。

バニアスの町の人達は最低だった。

ボルしキレるし、
道聞いても教えてくれないし。
マルカプ城に行ってバニアスに帰ってきたときは、
もう夕方だったんだけど、
こんな所に1泊するのも嫌なので、
そのままタルトゥース行きのバスに乗ってしまった。

11月24日(日)

昨日の夜はすごい雨だった。

タルトゥースからクラック・デ・シュバリエに行く。

その辺にいたおっさんに、
このバスに乗れって言われたバスに乗って2時間、
ホムスについてしまった。

クラック・デ・シュバリエを通り越した事になる。

なんだか戻るのも嫌なので、
パルミラ行きのバスに乗り換える。

ホムスからパルミラまでは2時間なんだけど、
砂漠の1本道。

昨日の雨で道が3個所水没してて、
毎回降ろされてバスを押した。

日が沈んだ後、バスの乗客が飯を食いはじめた。
ラマダンだから、日が沈むと同時に食べはじめる。
みんな2、3人分位の食料を持ち込んでたみたいで、
20人しか乗ってないのに、
60食分くらいあった。

そこで周ってきた食べ物を、
ありがたくいただく。

パルミラについたのが17時過ぎで、
町からかなり離れた所に降ろされる。

砂漠の道。
真っ暗で寒い中、歩いて町まで行く。

すげー恐かった。
人間より、得体の知れない動物とかが恐い。

11月25日(月)

世界遺産のパルミラ遺跡へ。
パルミラの町のすぐ横にあるから、
歩いても5分くらい。

いいよ、なかなかいいよ。

広い範囲に点在してる、
結構ボロボロな所とかもあるけど、
またそれがいい。

夕方アラブ城に登って夕日を見た。
城から遺跡や町を見下ろすと、
今がいつの時代なんだかわからなくなる。
ぶっ倒れた柱、
100年以上前からありそうなボロボロの石で出来た家。
あとどこまでも続く砂漠が、
そう感じさせるのかも。

11月26日(火)

ひたすら砂漠の1本道を東へ2時間、
ユーフラテス川が町の真ん中を流れてる町、
デリゾール。

町が汚い、ユーフラテス川もそうだけど、
ゴミだらけだ。

みなさん出たゴミはその場で地面に捨ててるようだ。

あまりにも汚い町なので写真を撮ろうとしたら、
シリア人が寄ってきて、
英語で「何を撮るの?」って聞いてきた。

「ゴミ」って言ったら、何故?って聞いてくる。
これが俺のこの町の記録だからって言ったら、
夕日でも見に行こうって言って、
撮らしてくれなかった。

夕日を見てる暇があったら、町中のゴミを拾え。

最近肉ばっか食ってるから、
いつもイライラしてる。

カルシュウム不足だな。

鳥肉もいいかげん飽きたけど、
それしか食うもんないし。

なんだか体まで肉臭くなってきた。

11月27日(水)

ユーフラテス川沿いに1時間ちょっと、
セルビスに乗ってマリへ。

イラクとの国境はすぐそこである。

マリには遺跡があるんだけど、
ほとんどほったらかしてあって、
最初どこだかわからなかった。

遺跡は今まで見た遺跡達とちょっと違った、
イラクが近いからメソポタミア文明の遺跡だろう。

イラクに入るのが面倒な今、
メソポタミア文明の遺跡を見れるのは、
こことイランの南部くらいかも。

砂漠の砂にだいぶ埋もれてる。
もっとしっかり発掘すれば、
色んな物が出てきそうな気がするけど、
ほとんどほったらかしだ。

イラクからきたトラックをヒッチして、
サナヒーエへ。
ここは砂漠の真ん中にポツンとある。

周りに何もない砂漠の中を1人で歩くのは、
結構寂しい。

ここの遺跡はすっごいよかった。

ほとんどボロボロで、
城壁くらいしかしっかり残ってなかったんだけど。
ユーフラテス川が裏の城壁の所を流れてて、
その奥はパーッと緑が続いてる。
川の手前までは完全な砂漠だったのに、
川を越えたら緑がパーッと広がってるんだよ。

階段の石が中途半端な水晶みたいなやつ、
結晶が集まってゴツゴツしてる奴を使ってる。

こんな石使ってる遺跡はじめてみた、
とっても綺麗である。

階段だけじゃなくて、
何でもない所にも使ってるんだよ、
この遺跡は何なんだ?

それからさすがシリア、
土器とかその辺に置きっぱなしである。
しかもかなり大量に落ちてる。

変な文字とか書いてある土器もあった。
ちゃんと集めて博物館に保存しとけ!

ここの風も気持ちがよかった。

砂漠だったら普通乾燥してて、
体に受けてもあんまり気持ちいいものじゃないんだけど、
川が近くにあるからだと思う、
川の湿気と砂漠の乾燥がうまく中和して、
心地いい風が吹く。

何千年もかわらない風が吹いてるんでしょう。

気が遠くなるほどの年月を守ってきたこの城壁、
今は完全に忘れ去られてしまってるようです。

こんな遺跡に出会えるなんてラッキーだ。

11月28日(木)

デリゾールもマリもこの辺一帯は、
敬虔なムスリムが多い。

中東の砂漠特有のアラブっぽい赤白のスカーフを被って、
頭のてっぺんに変なわっか付けて、
アザーンの時間になるとしっかりモスクに集まってくる。

ラタキアとかと違って、
ほとんどの人がラマダンをやってるんだろう。

女の人もアフガニスタンみたいに、
顔がまったく見えないスカーフをしてる。

デリゾールからホムスへ、
バスを乗り換えて水車の町ハマ。

水車が10m以上ある。

11月29日(金)

町の人いい感じ、
でもニーハオって言ってくる奴むかつく。

天気が悪いので、
クラック・デシュバリエに行くのをやめて、
宿の周りをフラフラしてたら迷った。
インターネット屋があったので、
インターネットをやってたら夜になってしまって、
さらに自分の場所がわからなくなる。

体を使って水車とホテルを表現して、
道ゆくシリア人に聞いてまわった。

11月30日(土)

今日も天気が悪い。

ハマの町を歩きまくる、
水車と川いいですね。

12月1日(日)

いきなり風邪をひく、
いきなり39度の熱である。

12月3日(火)

昨日は死ぬかと思った。
ベッドから1歩も動けなかった。

12月4日(水)

スペイン人から貰った、
モロッコの風邪薬が効いたのか、
だいぶよくなってきた。

でもまだ熱があるので、
宿でゆっくりしてる。

12月5日(木)

朝調子が良かったので、ラマダンも終わったことだし、
町がどんな感じになってるか見に行った。

目が違う、それからすっげーさわやかな顔。
そしてなんだかやたらフレンドリーなシリア人。

食べ物屋もいっぱいあいてるし、
ラマダン終わってくれてよかったよ。

今日は金曜日でもないのに、
みんな休みらしい。

宿に帰ったらまた熱が出る。

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