- 2003年4月10日(木)
- ゲダレフからガラバートまでの乗合ピックアップに乗る。
700ディナールとたいして高くないけど、
たぶん生まれてはじめてこんなに汚くなったと思う。
砂漠だから車が巻き上げる砂埃がすごくて、
6時間だったんだけど、
全身真っ黒になってしまった。
タンも真っ黒。
この移動はひどかったな。
途中車が壊れて小さい村に停まったんだけど、
想像するアフリカそのものだった。
その村に井戸があって、
これは日本人が6年前に作ってくれた物だって言ってた。
村の真ん中に立派な井戸があって、
女の子がひっきりなしに水を運んでる。
JAICAでしょう、よくこんなところまで気がついたよな、
これは大成功の援助だね。
1時間くらいで車が直って、
国境の町ガラバート。
そこで2L位の水分を取る。
あまりの汚さにその辺にいたやつが水をくれて、
顔を洗った。
スムーズにイミグレーションを越えて、
エチオピアの国境の町メタマ。
民家の1つがイミグレオフィスで、
入国印を貰って終了。
シャハディ行きのバスに乗る。
3時間でシャハディ。
- 4月11日(金)
- 国境を越えただけでガラっと人が変わった、
スーダンに比べるとあまり人がよくない。
ムスリムじゃないしな。
朝4時過ぎに起きて、
1日1本しかないゴンダール行きのバスに乗る。
シャハディの宿は、
北部パキスタンの田舎の宿以上にどこも汚かった。
これ以上よくもできないんじゃなかな、
シャハディ自体そんな小さい町じゃないと思うけど、
技術もないし、お金もないし、
全体的に貧しさが伝わってくる感じ。
途中1回休憩して、
有名なエチオピアコーヒーを飲んで、
14時頃ゴンダールについた。
- 4月12日(土)
- 体が疲れてる、やっぱり北部アフリカの移動はキツイ。
食べ物もあまりないな。
インジェラってすっぱい薄いベトベトしたパンみたいなやつに、
ちょっとした野菜と変な辛いタレが乗っかってるやつか、
味のない川魚しかない。
エチオピアは物価が安い。
宿代も1ドルしない(虫付き)、
メシも50セントくらい。
- 4月13日(日)
- 27歳になりました、
ビールのあるところで良かった。
野菜が食べたくてスークみたいな所に行ったんだけど、
土地が痩せてるんだろう、
トマトもジャガイモも小さくて元気がない。
- 4月14日(月)
- 少し飯が食えるようになってきた。
ただ、エチオピア正教では、
イースターまでちょっとした断食期らしくて、
肉を食べてはいけないらしい。
だから魚か麺の伸びたパスタくらいしか食べれない。
チマキっていうアボガドとパパイヤとマンゴーをまぜた
ジュースで栄養をとる。
- 4月19日(土)
- 体調絶不調だった。
メシも食えるようになってきたので、
一応世界遺産になってる王宮を見に行った。
50ブルは非常に高いけど、
雰囲気はよかったな。
今泊まってる宿は、
エチオピア風ディスコ兼連れ込み宿みたい。
そこで働いてる奴等は、
英語はあまり喋れないけど、
コーヒーくれたりなかなかいい奴等だ。
- 4月20日(日)
- 朝4時に起きる。
バス停に行ってまだ閉まってる門を、
外国人特権を使って開けてもらう。
なぜこんなに朝早くバスが出るかというと、
法律らしい。
夜6時から朝6時まではゲリラに襲われる可能性があるから、
走っちゃだめなんだって。
7時にバスが出て、
なんだかのどかな村や山岳地帯を通って8時間位、
ネファスメチャっていう小さい村につく。
今日はここで1泊するらしい。
バスを降ろされてみんなそれぞれ宿に向かった。
ここにくるまでの景色もすごく良かったんだけど、
この村の感じもいい。
この辺の人は挨拶するとき頭を下げる習慣があるみたい、
ボロボロのおっさんに近寄ると、
ピシっと起立して頭下げて挨拶してくれる。
人懐っこい子供たちを30人連れて、
村の中をグルグル回る。
- 4月21日(月)
- また朝4時過ぎに起きる。
昨日と同じバスに乗ってガシュナっていう村へ。
そこからパンクを直してたトラックの荷台に乗せてもらって、
3時間くらいで世界遺産のラリベラ。
ここまでの移動はグレートリフトバレーでしょうか、
アフリカにもこんな所があるのかと関心するくらい、
いい景色だった。
ラリベラについてすぐにガイドらしい少年がついてくる。
とりあえず宿を決めて、
11個の教会の共通チケットを買いに行った。
100ブル約12ドルで1ヶ月有効となめたことぬかす。
でも、本当に100ブルだった、
国が決めたことらしい。
ついてきた少年ガイドを雇って、
6個の教会を見に行ってきた。
物乞いが多すぎ。
2万人の人が24年もかけて作ったらしい、
すごいね。
少年ガイドに払うお金が2日で15ブル約2ドル。
なんとその金で夜間の私立学校に行ってるっていうんだから
すごい12歳だよ。
公立の学校は1クラス100人もいて、
勉強に集中できないらしい。
12歳が自分の稼いだ金で学校に行くって、
こんなやつがいっぱいいたら、
エチオピアの将来はあかるいね。
- 4月22日(火)
- ブンナベッド。
ブンナはアムハラ語でコーヒーの意味、
ちょっとしたバー兼ちょっとしたホテルのこと。
これが牛のウンコで作ったような小屋で、
1泊1ドルもしないんだけど、
ほぼ100パーセント虫がいる。
ゴンダールではノミ、
ラリベラでは南京虫にやられた。
全身がかゆい。
今日も教会を見て村を散歩する。
ガキがかなりウザイんだよ、
のんびりしてていい村なんだけど。
- 4月23日(水)
- 朝4時起きしてバスに乗る。
3時にデセっていう結構大きい町についた。
景色はすっごい良かった。
デセの宿は電気も水もなかった、
あまり治安のいい町じゃなさそう。
- 4月24日(木)
- 早起きするのが嫌で、
もう一泊することにした。
今はツォムって言う、
エチオピア正教の断食期で肉が食えない。
もう2週間もベジタリアンしてる、
しかもろくな野菜がない。
こんな短い髪の毛なのに、
枝毛が出来たり肌がガサガサになったり、
唇にヒビが入ったりしてる。
野菜っていったら、キャベツ、玉ねぎ、
唐辛子、たまにニンジンくらいしかない。
- 4月25日(金)
- 4時に起きる。
バスに乗ってアディスアベバに向かう。
2時間くらい走ったところで、道が壊れてた。
3日前から夕方毎日雨が降って、
そろそろ雨季かなと思ってたら、
ほんとうに雨季に入ってしまった。
それから3ヶ所で道が壊れてたり、
川になってたりして、
全部で6時間くらい遅れた。
普通は1日でアディスアベバに着くんだけど、
デブレ・ビルハンっていう町で1泊することになった。
ゲリラがでるので夜は走れないのである。
- 4月26日(土)
- また6時に出発する。
9時に首都のアジスアベバについた。
タイトゥーっていう、
1900年頃に建てられた古いホテルに荷物を降ろす。
この街はあまり首都とは思えない、
田舎の田舎の大きな町って感じ。
- 4月27日(日)
- この町は標高2400mのところにある、
階段を少しあがるだけですぐ息が切れる。
エチオピア正教ではキリストの生誕年の解釈の違いから、
今日がイースターで、牛やら羊を店先で殺して祝ってる。
今日で断食も終わりで、普通に肉が食える。
この町はバカが多い、
どうみても東アジア人を馬鹿にしてるやつらがいる。
- 4月28日(月)
- ケニア大使館に行く。
領事部の受け付けの女がやたら態度悪い、
こいつも完全にアジア人をなめてる。
白人にはすげーやさしいし笑顔をふりまくんだよ、
もう遺伝子に組み込まれてるんじゃないの、
白人イコール偉い人って。
- 4月29日(火)
- ケニア大使館にパスポートを取りに行ったんだけど、
領事のハンコを貰ってないから、
明日来いって言われる。
この目の前にいるバカ女が今日の15時に来いって言ったのに。
白人にはエキュスキューズミー・サーなんて言いながら、
パスポート渡してるのに。
いやーむかつく。
ケニア大使館を出たら死にそうなエチオピア人がいた、
意識ないしゲロと失禁と、とにかく危なそうな雰囲気。
人が集まってきてどうにかしようとしてるんだけど、
みんな見てるだけで何もしない。
脈をとったらかなりの不整脈だった、
ホント死にそう。
その見てた野次馬のなかの1人が俺に、
こいつに金をやれば助かるから金をやってくれって言う。
もうこうなると援助なれしてるよな、
外国人を見たら金もってるから、
何とかしてくれると思ってやがる。
普段は人をこばかにしておいて、
いざとなると頼みに来る。
自分達でなんとかしようっていう考えがないらしい。
- 5月7日(水)
- この10日間で3回温泉に行った。
1部屋に湯船が2つあって45分で12ブル。
1年前にイランで湯船に浸かってから、
久しぶりに湯に浸かれた。
すげー気持ちよかった。
毎日肉を食ってたし、
ちょっと贅沢して韓国料理とかも行ったし、
こけてた頬もふっくらしてきた。
マルカートに宿を移して、
明日のバスに備える。
- 5月8日(木)
- 4時過ぎに起きてバス停へ。
宿の門の外に出てすぐに、
数人の人に襲われそうになる。
昨日もマルカートのマーケットで2回もスリにあうし、
危ないなこの辺は。
俺が宿にいるっていうのは知ってて
わざわざ早起きして襲おうとしたんだろう。
寝ぼけてたから何がなんだかわからなかった、
そのうちいなくなった。
ディラまでのチケットを買って、
バスの中で出発を待ってたんだけど、
いつまで経っても出発しない。
ポリスがバスを替えろって言ってるらしく、
全員でバスを降りてバスを替える。
5時にバス停に行ったのに、
出発したのは9時。
昼に小さな村でメシ食って、
16時頃ディラについた。
アジスアベバからディラまでは、
舗装されてて快適だった。
バスの乗客はみんないい人で、
枕貸してくれたり食い物くれたり、
もしかして南のエチオピア人は親切かも。
- 5月9日(金)
- ディラを6時に出る。
少し走ってバスがオーバーヒートした、
他の所も壊れたらしく、
道の真ん中で立ち往生したまま動かなくなってしまった。
数時間たって替えのバスがきて、
それに乗り込んでまた出発したけど、
パンクしたり道が壊れてたり泥でスタックしたり、
ほんとエチオピアの移動はスムーズにいかない。
途中の景色は素晴らし物だった、
こういう景色ははじめて見た。
バスが急にブレーキをかけたので外を見たらトラがいた、
そこから500m手前にちょっとした少数民族の村があるのに。
なんとか国境の町モヤレについたのが17時近くて、
結局国境をわたれなかったので、
エチオピア側で1泊。
エチオピアブルからケニアシリングの、
両替のレートが悪い。
≪SUDAN≪ ⇔ ≫KENYA≫