上泉城
所在地 前橋市上泉町 築城年 ? 築城者 上泉氏
上泉城は上毛電鉄上毛線の上泉駅北500mにある西林寺の東、上泉町自治会館がその跡地である。かつては遺構はよく残っていたらしいが、現在は宅地化が進み、自治会館の北に土塁が認められる程度である。
上泉城は大胡城の支城として、上泉氏が築いた。
上泉氏は大胡氏の一族といわれるが、確かなことは不明である。永禄年間、当主上泉伊勢守信綱(1508?〜1577)は、箕輪城主長野氏に属したが、箕輪落城後は武田家からの仕官の誘いを断り、諸国を流浪し新陰流の開祖となった。
剣の達人で、剣聖と謳われたという。上杉謙信が関東に進出した際、謙信に従う関東武将のリスト(関東幕注文)を作ったが、そこには上泉大炊助(上泉秀胤)の名前が見える。上泉秀胤(1530〜1564)は信綱の子で、小田原の北条氏に仕え、国府台合戦で戦死した。(国府台合戦は、下総国の国府台城(現 千葉県市川市)をめぐって起きた北条氏と房総諸将との合戦)
秀胤の子、泰綱(?〜1600)は、父の死後家督を継ぐが北条氏滅亡後は浪人になり、関ヶ原の戦い(1600年)の直前上杉景勝からの仕官要請に応じて上杉氏の家臣となったが、その後の最上氏との戦いで戦死した。上泉家は泰綱の娘婿が継ぎ、子孫は米沢藩士として続いた。