HomeNovel ファルサ・ルーン・スクート 始りの旅路の章 序
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ファルサ・ルーン・スクート
 〜雨の向こうへ〜

 かつて、虚無の中より、光が削り出したる世界あり

 すなわち、ガルーダー・イオンなり

 なにゆえ、光は世界を削り出したか

 それを語れる者は、おそらく居るまい

 何故なら、神すらも知らぬ事なれば

 何故なら、神もまた、削り出されし者なれば

 我らは唯、結果を知るのみ

 何故なら、我らもまた、削り出されし者なれば

 何故なら、神により、削り出されし者なれば

 されど、いつの日にか、真実は語られよう

 何故なら、それが、光の意思なれば

 それまで、我らは物語を語るのみ

 何故なら、それが、我らの定めなれば

 ゆえに、ここに物語を語ろう

 ガルーダーの世界が一つ

 ファルサ・ルーンの物語を……

始りの旅路の章 序

 モソ……
 ベッドの上の毛布が動いた。合間から、金色の長髪がのぞいている。
 そこへ、人影が近づいた。
 バッ!
 人影は、毛布を一気にはぎ取った。そこには、上半身裸の男が寝ていた。
「んん……」
 うめいて、男は寝返りをした。
 人影の手が男の肩にのびる。その肩をユサユサと揺らしたが、男は一向に目覚めない。業を煮やした人影は手を振り上げ、拳を握り締めた。
 ゴ!!
 そのまま、男の頭を殴り付けた。
「いっ!? つぅ〜……」
 男は頭を押さえて起き上がり、眠たそうに眼を開く。
 髪からのぞく耳は、先端が微妙に尖っている。
 どうやら彼は新しき種族『セタット』と古き種族のひとつ『エルフ』との混血、『フェティ・エルフ』のようだ。
「あれ、シルディ……」
 男は寝ぼけまなこで人影を見た。
「『あれ』じゃないでしょ。なぁにやってんのよ、人のベッドで」
 シルディと呼ばれた人影は、セタットの女性。
 セタットとは、神が世界と共に創った種族だ。その身体的特徴は多種多様であるが、唯一、彼らだけが持つ特徴が丸い耳だ。他の種族はみな、耳は先端が尖っているので、その耳を見れば一目瞭然だ。もっとも、世界で最も繁栄しているため、街にいる者のほとんどがセタットであるが……
「ああ、もう朝ですか……」
 男は起き上がり、目をこすった。
「アスリート、あんた泣いてるの? そんなに痛かった?」
 アスリートと呼ばれた男は手を止め、じっとシルディを見つめた。濡れた跡が目尻から横にのびている。
「……いえ、違いますよ」
 シルディはアスリートのかたわらに座った。
「そっか……また例の『夢』を見たのね」
 シルディはアスリートが、いつも同じ『夢』を見るのを知っている。そして、『夢』を見た時は決まって泣いていた。しかし、その内容までは知らない。どんなに聞いても、アスリートは教えてくれなかった。
「それにしても、まだ『夢』を見るの?」
「ええ」
 『夢』は、アスリートがこの町に来た頃から、見続けていた。二十年間、ずっとだ。
「……もう二十年になるんですね。この街に来てから。シルディに会ってから」
「そうね」
 フ、と、アスリートは鼻で笑った。
「よしましょう。思い出に浸るほど、二人とも老けちゃいませんよ」
「二十年はじゅ〜ぶん、長いわよ」
「ですね。さて、と。そろそろ行きますね」
 アスリートはベッドから降りた。
「あ、ちょっと待ってよ。人のベッドを無断で使ったんだから、ご飯くらい作っていきなさいよ」
 言って、アスリートがいなくなったベッドに、バッタリと倒れ込んだ。
「はいはい」
 仕方ない、と言う顔をしつつも、アスリートは台所へと向かった。
「シルディ。この卵、ずいぶん前からあるような気がしますけど?」
「あ、そお? ……そう言えば、いつのだっけ、それ」
「……いつか、食中毒おこしますよ」
「そしたら、看病してくれるんでしょ?」
「その時暇だったら、やってあげますよ」
「よく言うわね、暇人が」
 そんな話をしながらも、着々と調理の準備を進める。
「暇人って……ひどいですね」
「本当の事じゃない」
「僕はいつまでも、この街でブラブラしてるつもりはありませんよ」
 アスリートの言葉に、シルディはしばらく呆然と天井を眺め、そして、跳ねるように上体を起こした。
「……それじゃ、いよいよ旅に出るの?」
 身を乗り出す。
「今夜の試合次第ですけどね」
「なぁんだ。じゃ、まだ無理ね」
 またバッタリと倒れる。
「さっきから聞いてれば、人をバカにしてませんか?」
「サーレン様に勝てる訳ないって」
「今日こそは、勝ちます」
「大した自信ねぇ」
「自信がなければ、もう諦めてますって」
「それもそうね」
「さぁ、そろそろ起きてください。出来ましたよ」
「はーい」

 ナグス王国。大陸の国々の中でも屈指の大国だ。
 かつて、世界の全大陸は一つの王国に支配されていた。その王国の崩壊後に起こった戦国時代の、初期に建国したと言う古い歴史も持つ。その首都、王都クザスには戦の女神バリキュアスの総本山とでも言うべき、バリキュアス大神殿がある。
 たいがいの神殿では、身寄りの無い孤児などを預かることが多い。バリキュアス大神殿もまた、例外ではなかった。
 アスリート、シルディは共に、このバリキュアス大神殿に預けられ、この街で生きてきた。いわば、兄弟のようなものだ。
 シルディは十八歳の時に神殿を出て一人暮らしを始めた。そして、歓楽街の店に勤めた。今から十年前のことだ。
 アスリートはいまだ、神殿で暮らしていた。彼には神殿を出られない理由があった。

「おい、アスリート」
 シルディの部屋を出たところで、アスリートはある男と出会った。
「探したぞ、んの野郎」
 彼はデクスナー。この街でも、かなり名の売れた戦士だ。アスリートの親友でもある。
「どうかしましたか?」
「おまえにちょっと手伝ってほしいんだよ」
「え……」
「仕事だ、仕事。大したモンじゃないんだがよ、どうだ、やるか?」
「内容にもよりますよ」
「そいつは道々話すからよ、とりあえず竜の目亭に来てくれ」
「はいはい」
 デクスナーがアスリートに手伝いを頼むのは、いつもの事だ。
 デクスナーは冒険者だ。冒険者と言うと聞こえはいいが、要は何でも屋だ。受けた仕事をこなして、収入を得る。仕事が無ければ、何日でもその辺をぶらついている。一つ間違えれば、チンピラと同じである。
 冒険者は普通、パーティを組むものである。デクスナーもまた、パーティのリーダーをしている。が、アスリートは彼のパーティのメンバーではない。しかし彼は、何かあるとアスリートを誘っていた。
 道中、アスリートは簡単に仕事の内容を聴いた。
「ネズミ……って、ネズミですか?」
「ああ、ネズミだ」
 聴き直すアスリートに、デクスナーは素っ気無くかえす。
「何の比喩でもなんでも無く?」
「ただのネズミ……って訳でもないんだけどな」
 アスリートは苦笑した。
「やっぱり、そうですか。で? どこがどう違うんですか?」
「それは……ここで話すのは、ちょっとまずいな」
 そう言ってデクスナーは歩みを速め、アスリートもまた、それに従った。

 竜の目亭は、涼風北通りの中ほどにある宿屋である。造りは一般的なもので、宿泊施設は二階で、一階は酒場になっている。
 アスリートたちは、その宿屋に入った。
「あっらぁ」
 ウエイトレスがすぐに気づいて声をかけてきた。
「アスリートったらぁ、今日はやけに早いわねぇ。そぉんなにあたしに会いたかったのぉ?」
 言ってアスリートに近づき、身体をすりよせた。
 彼女はエルフだ。
 神に創られたセタットとは違い、彼らは異世界より神に連れてこられたらしい。エルフに限らず、『古き種族』と呼ばれている者たちは、異世界出身と言われている。それに対して、神に創られたセタットは『新しき種族』と呼ばれているのだ。
 エルフは、アーモンド型の眼と尖った耳を持ち、総じて痩身で、セタットより身長が低い。また、森に住み、精霊たちとともに暮らす彼らは、優秀な精術師でもある。
 それにしても、エルフのウエイトレスと言うのも珍しい。
 アスリートは両手でミアの身体を引き剥がした。
「んな訳ないでしょう。ほら、どいてください」
「んもぅ、照れちゃって」
「いいなぁ、アスリート。今度、俺にもサービスしてくれよ、ミア」
 ミアと呼ばれたウエイトレスは、デクスナーに舌を出した。
「だめよぉ。これはサービスじゃなくて、夫婦の営みなんだからぁ。ねぇ?」
「ミア、いい加減にしてください。いつ夫婦になったんですか、まったく」
 ふう。
 その時、店の中からため息が聞こえた。
「あんたら、いつまで遊んでる気だい?」
 三人が見ると、ほおづえをついた女性がテーブルに座っている。
 日の光の下であれば、さぞかし映えるであろう赤毛の髪。その合間から覗く、冷たく鋭い眼光。その眼光が、三人を見据える。
「やあ、シャーリィ」
 そう言って、アスリートはミアの脇をすり抜けた。
 シャーリィ、シャーレイラン・ハックリスもまた戦士だ。
「ずいぶんと遅いじゃないか?」
「わりぃわりぃ。こいつが女のところにしけ込んでやがってよ」
「な、なぁんですってぇ! アスリートぉ! どー言う事よぉ」
 デクスナーの言葉に、いち早く反応したのはミア。
「……デクスナー」
「……わりぃ」
 デクスナーはバツが悪そうに頭を掻いた。
「また、シルディのトコに行ってたのぉ!? 信じらんない! あんなおばさんの、どこが良いのよぉ! あんな、身体売ってるような人なんか……」
「ミア」
 アスリートの静かな声が、ミアを押さえた。
「彼女の事をそんな風に言うのは、やめてください」
「で、でもぉ……」
 尚も食い下がろうとするミアを、デクスナーが止めた。
「その辺でやめとけや、ミア。アスリートがマジで怒る前にな。シルディはアスリートたちの姉貴みたいなもんだ。その姉貴を侮辱してるんだぜ、お前は」
 ミアは一瞬、息をのんだ。
「……ごめんなさい」
「いえ、分かってくれれば良いんですがね」
「さってと……」
 シャーリィが立ち上がった。
「そろそろ、本題に入ろうじゃないか」
「そうですね……っと、他のみんなは?」
「フォウは、依頼人の相手をしてる。後の二人は、出かけてるはずだが……」
「まだ戻ってないよ」
 デクスナーの後を、シャーリィが継いだ。
「そうか。それじゃ、奥に行こう」
 アスリートたちは、酒場の奥にある個室に入った。
 そこにはデクスナーの仲間、法術師のフォウと、依頼人らしき男が待っていた。
「やあ、来たね、アスリート」
 フォウはアスリートの顔を確認すると微笑んだ。
「ええ。それじゃあ、僕にも話を聞かせてください」
「どこまで聞いてる?」
 椅子に座ったアスリートにフォウが訊ねた。
「ネズミ退治としか言ってない」
 代わりにデクスナーが答えた。
「それなら、全部教えないとだね」
「お願いします」
「あの……」
 遠慮がちな声に、一同がその男のほうを振り向いた。
 学院の者を示す、特有のローブを着ている。頭はボサボサで、不健康そうに痩せこけていた。
「その方は……?」
「心配なさらないで下さい。我々の助っ人です」
 柔らかい物腰で、フォウが答える。このパーティで、彼が接客役を務めるのも、うなずけると言うものだ。
「こちらが、今回の依頼人のカンバスさんだよ」
 そう言って、フォウはその学院の者をアスリートに紹介した。
「学院の薬学部門に所属なさってる」
「薬学? ネズミと何の関係が……ああ、実験動物ですね」
「当たり。で、実験中にそのネズミが居なくなってしまったんだけど……」
「それを捕まえろと?」
「ま、詰まる所は、そうなんだけどね……」
「違うんですか?」
「どうも、盗まれた形跡がある」
 アスリートは眉をひそめた。
「盗まれた? たかがネズミでしょう?」
「実験動物と言ったよね?」
「まさか、大きくなってるとかじゃないですよね?」
「よく分かったね」
 冗談のつもりだったが、フォウにあっさりと受け入れられてしまった。
「大きいと言っても、猫くらいの大きさだけどね」
 この世界、猫サイズのネズミなんてのは、割と見かける。
「もっとも、これは盗まれた当時のサイズだってことだけど」
「もっと、大きくなると?」
 フォウは、ゆっくりとうなずいた。
「その可能性があるんだ。じつは、ここからが、この件の本題なんだよ」
「どういうことです?」
「ネズミが消える前に、カンバスさんの研究所でちょっとした問題が起こったんだ。その問題と言うのは、薬品が入ったいくつかの小ビンが消えたこと。で、その小ビンの行方なんだけど、くだんのネズミが飲み込んだらしい。で、それと同じ薬品を混ぜてみたところ……」
「どうなったんですか?」
「五バルフ四方が吹っ飛んだらしい」
 『バルフ』はこの世界の長さの単位だ。1バルフ=1メートルと思ってほしい。
「五バルフ……」
 アスリートは思わず、フォウの言葉を繰り返した。五バルフ四方と言ったら、結構な破壊力だ。たとえ、ネズミの体内で爆発したとしても、人すら殺せるだろう。
「盗まれた以上、それが悪用されないとも限らない。そうじゃなくても、危険この上ないと言うことで、この依頼と言うわけ」
「殺してしまっても、構わないんですね?」
 この質問には、カンバスが答えた。
「構いません。こちらとしては、周りに大きな被害さえ出なければ、処理方法はそちらにお任せしています」
「大きな被害って、どの程度です?」
「人に被害が無ければ、と言う意味です。物が壊れたのならば、こちらで弁償します」
 そこまで話し終えたところで、突然、部屋のドアが開いた。
「たっだいま〜」
 入ってきたのは亜麻色の髪の男。この男もまた、アスリートと同じフェティ・エルフだ。
「やっと来たか。収穫はあったのか?」
「おお、ありありだぜ。お、アスリートじゃんか」
「やあ、レイル」
 このフェティ・エルフの名はレイル。盗賊だ。
「うちのリーダー、人使い荒いからな。大変だな、おまえも」
「ちょっと待てコラ、レイル!」
「アハハ、君の苦労ほどじゃありませんよ」
「失礼ですが、カンバスさんは、学院のほうに戻っていてください。終わりましたら、こちらから、連絡を入れますので」
 フォウが、それとなくカンバスに退室を促す。
「あ、はい。それでは、よろしくお願いいたします」
 ここから先は、依頼人がいても仕方ない。と言うより、時には依頼人がいては、話しづらいこともあるのだ。
「んで、その収穫のほうを、早く話しなよ」
 カンバスが扉を閉めるのを待って、シャーリィが促す。
「おう。あっちこっち調べてみたんだけどな、犯人はこいつ」
 そう言って、1枚の紙を取り出した。全員が覗きこむと、そこには似顔絵が書かれていた。
「名前はガギック。一応、ギルドのメンバーにはなってるんだが、ま、チンピラ程度の奴だな」
「おまえと一緒だな」
「あーはいはい、どーせチンピラだよ、俺は」
 シャーリィの入れた茶々を軽く受け流し、先を続ける。
「盗まれた頃合いに、研究所付近でそいつを見た奴がいる」
「それだけか?」
「いや、ネズミが入れられていたカゴサイズのものを、抱えていたらしい」
「なるほどな。そいつのねぐらは調べてあるのか?」
「とーぜんでしょ」
 デクスナーの問いに、両手を広げ、おどけて答えた。
「ふん。じゃ、グックが戻り次第、行くか」
「戻ってきたぜ」
 レイルが言うとほぼ同時に、扉が静かに開いた。
 髪を短く刈り込んだ男。このパーティの魔術師、グックだ。
「よし、行くぞ」
 デクスナーの声に、グックはただ、黙ってうなづいた。異常なほど無口な彼の声を、知る者は少ない。

 場所はカラス街区。王都クザスの中でもかなり治安の悪い区画だ。それを知る一般人は、近づくことは少ない。この中に盗賊ギルドもあるらしいが、それこそ、盗賊以外の者には知る由もない。
「どれだ?」
「あそこだ。こっちから三軒目」
 デクスナーとレイルが、建物の影からのぞいていた。
 他の者は、もう少し離れたところで待機している。
「んじゃ、ちっと行ってくら」
 レイルは単身、偵察のために、ギガックの家に近づいて行った。
 偵察には、さほど時間はかからなかった。
「野郎、中にいるぜ。それとな……」
 報告を聴いたデクスナーは、各自の行動を手早く考えた。それをひとまずレイルに告げ、他の仲間の元へと移動した。
 そこでデクスナーは、地面に図を描いて説明をはじめた。
「いいか。出入り口は正面。裏口は無い。が……」
 正面向かって左側にあたる所に線を引いた。
「ここに窓がある。ここから、裏路地に逃げられる恐れがある。それでだ、ここ」
 言って、窓がある側の奥に丸を書く。
「この路地の奥にアスリートがついてくれ。多分、気配でばれると思うが、とにかく、やつの逃げ道を封じろ」
「はい」
「そこの手前にシャーリィ、おまえだ」
「はいよ」
「グックはシャーリィといっしょにいろ。やつがどっちから出てきても、眠りの魔法をかけて、ネズミだけでも眠らせてくれ。フォウはレイルといっしょに正面だ」
「了解」
 フォウの返事とともに、グックは黙ってうなずく。
「行くぞ」
 デクスナーの言葉で、全員、レイルが待つ場所へと向かった。
 手だけでレイルと確認し合い、そのまま配置につく。特に準備の確認もしないまま、デクスナーは扉を叩いた。
「ギガック、いるのは分かってるぞ。出て来い!」
 デクスナーが叫ぶと、中でゴソゴソと音がした。少し間を置いて。
「アスリート、そっちだ!」
 ドカッ!
 レイルの声とともに、男の身体が窓を突き破ってきた。両腕には、ネズミが入ったカゴが抱えられている。
「!」
 立ち上がり、ギガックはアスリートとシャーリィの存在に気づいた。
「ちきしょぉ!」
 ギガックは叫んで、カゴをシャーリィに投げ付け、アスリートのほうへと突っ込んできた。
「くっ!」
 アスリートは、とっさに剣を振った。ギガックはそれを短剣で受ける。
「……フー・ロゥ・エン」
 突然、ガクリとギガックが倒れた。
 グックの眠りの魔法が発動したのだ。
「ふぅ」
「アスリート! 落ち着いてる場合じゃないよ!」
 シャーリィの声が飛んできた。
 見ると、ボロボロになったカゴが転がっていた。
 路地から飛び出ると、人の身長ほどはある巨大なネズミを、デクスナー達が取り囲んでいた。
「どうしちゃったんですか、これは!?」
「シャーリィがカゴを叩き落したら、巨大化しやがったんだ!」
 手近にいたデクスナーが答えた。
 叩き落したその衝撃で、ネズミの体内にあった薬ビンのどれかが割れてしまったのだろう。
 ネズミの向こうで、レイルとグックが何やらゴソゴソとやっているのが見えた。
「あんたたち、なにやってんだよ! ちゃんと働きな!」
「これから働くんだよ!」
 シャーリィの野次に、レイルが叫ぶ。
 グックから何かを受け取ったレイルは、ネズミを切りつけるデクスナーの背後に回りこみ、皮の切れ端に何かをはさんで振り回し始めた。
 デクスナー、シャーリィ、フォウ、アスリートの4人でネズミを取り囲み、逃げ場をふさいだ。全員で何度も剣で切りつけるが、致命傷を与えられない。いまだ、体内には薬ビンが入っているからだ。これを壊してしまうわけには行かないので、どうしても深い傷を負わせることが出来ないでいた。
「今だ!」
 その時、声とともにレイルが振り回していたものを投げた。
 それはネズミの口へと入り込んだ。
「ギイィィィィィィィィ!!」
 その衝撃と苦痛にネズミがのた打ち回る。周りの4人は、巻き込まれないように少し離れた。
「っしゃあ!」
 ガッツポーズするレイルに向かって、デクスナーが怒鳴りつけた。
「何やったんだ、お前は!?」
「え? ああ、あいつの口に、グックが持ってきた薬を撃ちこんだのさ」
「薬だと!?」
 グックを見やるが、いつもの無表情だ。
「・・・あれの体内の薬品を無効化するものを、撃ちこんだだけだ。これで、自由に暴れられるだろう」
 デクスナーは、珍しくしゃべるグックを見つめた。
「・・・なるほど」
 言って、口元をゆがめた笑みをこぼす。
「おーし!! もう爆発の心配はない! さっさと仕留めるぞ!」
 ようやく落ち着きを取り戻したネズミに全員が構えを取る。その瞬間・・・
 ボフッ!!
 ネズミの口から光が漏れ、ネズミがゆっくりと倒れた。
「……え?」
 倒れたネズミの口や鼻からは、煙が昇り、あたりには焦げ臭い異臭が立ち込めた。
「なにが起きたんだ?」
 デクスナーの問いにグックが答えた。
「どうやら反応不足だったらしい」
「なんだって?」
「えーと……つまり、レイルが撃ちこんだ薬が足りなかったってことですか?」
 アスリートが続いて問う。
「そう言うことだ」
「あのなぁ・・・なーにが自由に暴れられるだ!」
「間違えは誰にでもある」
 詰め寄るデクスナーに対し、飄々と言ってのける。
「ま、結果オーライってことじゃないの?」
 震えるデクスナーの肩を抑えて、フォウが言い聞かせるように言う。
「それに、依頼人に報告もしなきゃだよ」
「……ふぅ、そうだな」
 ネズミにとどめを刺していたシャーリィが戻ってくる。
「ネズミもあれだけデカくなると、立派な猛獣だね」
「おつかれ」
 迎えるように、フォウが声をかけた。
「さて、それじゃ、こいつを学院まで連れていくか」
 死骸を見下ろしながら、デクスナーはため息をついた。

 仕事の報酬は、良い額になった。必要経費を引いても、一人頭百五十キャリア程と言うのは、街中での仕事の割には上出来だ。
 しかしどんなに良い額でも、最初の使い道というのはそう変わるものではない。
 ここ、竜の目亭では、デクスナーたちの宴会が始まっていた。
「どうしたー? 飲まねーのか、アスリート」
 杯の進まないアスリートに気づいて、デクスナーが絡んできた。
「今日はまだ、酔っ払っちゃう訳には行かないんですよ」
「んー……あぁ、今夜は剣闘会かぁ」
「ま、そう言う訳なんで、そろそろ上がりますよ」
「えぇ〜〜〜〜、もう帰っちゃうのぉ?」
 立ち上がったアスリートに気づいたミアが、腕に絡みつく。
「だから、用があるんですって」
「じゃぁ、あたしも一緒に行くぅ」
「ミア、仕事は?」
「う……」
「じゃ、そー言うことで」
「おぅ、あとで応援に行くぜ」
 肩越しに手を振りながら、アスリートは店を出た。

 キン……ガキン……
 クザスの夜に、剣戟の音がこだまする。
 そこはバリキュアス大神殿の中庭。今日は月に一度の剣闘会だ。
 とは言っても、命のやり取りをするほどのものではなく、刃をこぼした剣での試合であり、本来は戦の女神であるバリキュアスに捧げるという、神事も兼ねていた。
 参加は街の戦士たちも自由に出来るため、訓練の場としても、重宝されている。
 それ以外にも、見物人も多く来ている。辺りは、ちょっとした祭りの様相となっていた。
 そしてそこは、アスリートにとって、試験の場でもあった。
 ハァ……ハァ……
 アスリートは肩で息をしていた。それもそうだろう。すでに戦い始めてから三十分が経過している。
 対する相手はようやく汗が流れたかと言った程度である。
 経験の差。それが二人の間にはあった。すでに壮年の対戦相手に、まだ若いアスリートが体力で劣ることもないはずだが、それでも遅れをとっているのは経験以外の何者でもない。経験を積むことにより、無駄な動きを省き、また、精神的にも強くなる。この精神的な掛け合いで、負けているとも言える。
「どうしたアスリート!」
 対戦相手が声をかけてきた。
「今日はこれで終わりか!?」
 言われたアスリートは、一度呼吸を大きく吸い込む。
「ィヤアァァァァァァァ!」
 気合とともに走り、突きを繰り出す。
 ギィィィン!
 しかし、それもあっさりと剣に払われてしまった。その衝撃に、アスリートの手も耐え切れず、剣を手放してしまう。
「ぅあっ!」
 そしてその隙に、喉元に剣を突きつけられていた。
「……ま…まいりました……」
 何とかそれだけを絞り出す。すっと離れた剣を見てほっとしたアスリートは、その場にドサリと座り込んだ。そのまま深呼吸をし、息を整える。
 様子を見ていた対戦相手は、アスリートが落ち着いた頃を見計らって、手をさしのべた。
「強くなったものだな、アスリート」
 その顔には笑顔があった。
「とんでもないですよ、サーレン様」
 アスリートは、差し出されたサーレンの手を握った。
 その対戦相手……サーレンは、この神殿の司祭の一人である。剣の使い手としては、神殿一と評されるほどの腕で、とてもではないが、アスリートがかなう相手とは思えなかった。それでもアスリートには、彼に挑戦しなければならない理由があった。
 手をしっかりと握ったサーレンは、「ヨッ」というかけ声とともに、アスリートの体を持ち上げた。
「いやいや、特に体力がだいぶ付いたようだ」
「ありがとうございます。それでは……」
 一礼の後、人の輪からでていった。
 うつむいて歩くアスリートの頭に、突然、タオルがかぶせられた。
「凄かったじゃん、お兄ちゃん!」
 タオルをかぶせた主が、後ろから声をかけた。しかしアスリートは、立ち止まったきり、振り向こうともしなかった。
 それは少女だった。その大きな瞳が愛らしい。
 アスリートと同じく、フェティ・エルフのようだ。それもそのはず、二人は兄妹なのだから。少女の名前はケアネス。
 ケアネスは、アスリートの前に回り込んだ。すると、アスリートの微かなつぶやきが聞こえた。
「きょ…も、か……かった………」
「ん?」
 アスリートの顔を、ケアネスがのぞき込んだ。いや、身長の低い少女にとっては、見上げたと言った方が正しいか。
 顔が見えた。その目には、悲しそうな光がこもっていた。
「今日も、勝てなかった………」
 今度ははっきりと聞こえた。
「な……そんなのしょうがないじゃない! サーレン様はこの神殿で一番の剣の使い手なのよ。お兄ちゃんなんかが、かなう相手じゃないんだから!!」
 その言葉を聞いて、アスリートはフッと微笑んだ。いつもの、寝ぼけたような、ぼうっとした眼に戻っていた。
「ずいぶんはっきり言ってくれるじゃないですか。え、ケアネス?」
 いつもの調子に戻った兄を見て、ケアネスは少しホッとした。
「よぉ、アスリート。すげぇ試合だったじゃねぇか」
 振り向くと、人の輪からデクスナーが、笑いながら近づいてきた。
 その人の輪の向こうでは、すでに次の試合が始められているようだった。
「ホントに来たてたんですか、デクスナー」
「おいおい、そりゃねーだろ? 親友の応援に来ちゃわりーのかよ」
「ハハハ、そうは言ってませんよ。でも、あのまま飲みつぶれてると思ってましたから」
 言われたデクスナーは、アスリートの肩に腕をかけた。
「んなわきゃねーって。それより人が応援してんのに、気付けよなぁ」
「無茶言わないでくださいよ、こっちは真剣だったんですから、気づく訳ないでしょう」
「冷てぇなぁ。なあ、ケアネスもそう思うだろ?」
「お兄ちゃんは冷たくなんかないよ!」
 そう言って、ケアネスは神殿の中へと走っていった。
「……なぁ」
 デクスナーは頭をかきながら、問いかけた。
「はい?」
「俺って、ケアネスに嫌われてんのかな?」
 アスリートは思わず、笑みをこぼした。
「知らなかったんですか?」
「ちぇっ」
 デクスナーはいかにも悔しそうな仕草をした。

 アスリートは、自室のベッドに仰向けに寝ていた。アスリートの部屋は、神殿の敷地内の外れに建っている神官用の寮にあった。アスリートは神官ではないが、妹のケアネスが、この神殿に神官として勤めていると言うこともあり、アスリートもこの寮に部屋を与えられていた。
(ふぅ……今日もダメでしたね……)
 突然、扉が叩かれた。
「はい、誰ですか?」
 扉を開けるために起きあがったが、たどり着く前に扉は開いた。
「入っても良いかな、アスリート」
 そこに立っていたのは、兄妹の保護者に当たる、エイルだった。
 エイルは昔、兄妹の両親と共に、旅をしていたことがある。その後、この街の神殿に落ち着いていた。兄妹の両親が死んだ後、兄妹はこの男に預けられた。当時はまだ高司祭だった彼も、今では大陸における、バリキュアスの最高司祭という地位に収まっていた。
「エイル様、どうかされたんですか?」
「なに、ちょっと話がしたくてな」
「はぁ、ではどうぞ」
 そう言って、アスリートはエイルのために椅子を用意した。自分はといえば、ベッドに腰をかける。
「すまないな」
「それで、話、とは……?」
「あー、なんだ……許可しようと思うんだが」
「……え?」
 アスリートが反応するのに、一瞬の間が空いた。
「サーレンとの相談の結果、おまえの旅立ちを許可しよう、という結果に達した」
「本当……ですか?」
「嘘をついてどうする。まぁ、約束ではサーレンに勝ったら、と言うことになってたから、おまえがいぶかしむのは無理もない話だとは思うが、おまえとて、そうそうあれに勝てるとは思っていないだろ?」
 その言葉に、アスリートは少々むっとはしたが、事実は事実。認める他はない。
「それはそうですが……」
「それにな、ぶっちゃけた話、もともと、勝てずとも、許可はするつもりだったしな」
「どういうことです……?」
「目標が高ければ、そこに達するために必死に努力するだろう。しかし、それでもサーレンに勝つには、もっと経験が必要だ。私もそうだが、サーレンとて、かつては名の売れた冒険者だ。おまえとの経験の差は、そうそう埋まるものではない」
「つまり……騙してたんですか……?」
「おいおい、怒るな」
 エイルはアスリートの肩に手をかけた。
「おまえが街の冒険者と簡単な仕事をこなしていることも聞いている。しかし、それとて経験としては不足だ。いや、限界だ、と言った方が良いかもしれんな。一つの街で積める経験としては、な」
「それでは……」
「行って来い。その眼で、世界を見、そして色々なことを経験してこい。それがおまえを強くする」
「はい!」
「それとな……一つだけ聞いてくれ、アスリート」
 エイルの手に力がこもる。
「なんですか?」
「おまえはあの二人の息子だ。だが、私の息子でもある。この街で、おまえは育った。色々と友人も出来たろう。たとえ旅に出ても、ここにはおまえの帰るところが沢山ある。それを……忘れるな」
「エイル様………」
「……じゃぁ、邪魔したな」
 部屋を出ようと扉のノブに手をかけたエイルが止まった。
「アスリート」
「はい?」
「……いや、何でもない。いつ発つかは、おまえの好きにしなさい」
「お休みなさい、エイル様」
 出ていくエイルに挨拶をしながらも、アスリートは上の空だった。
(ついに旅に出られる)
 そう思うと、いやが上にもアスリートの鼓動が高まった。今夜は興奮で眠れそうにない。

PT503年 6月14日

アスリート・ケイオッド(フェティ・エルフ/男/25歳)

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