エピソード3

プロローグ

 ラグビーにのめり込んでいた弟の腕は太い、いや、太かったというべきなのだろう。

点滴で命をつないでいる弟の体は日に日にその逞しさを失っていく。

昨年亡くなった母がいつもしていたように、二の腕をさすってみる。今はもうボールを掴むことも投げることもすることのないその腕から、意外といえるほど、柔らかな感触が指先に伝わる。

でも、元気な頃の指先を跳ね返すようなスポーツ選手独特の弾力ある筋肉の柔らかさとは明らかに違う。本当に柔らかい。

強く、しなやかに動くために肉体は筋肉を必要とする。最小限の動きしか必要としない肉体にとっては、筋肉はその役割を終えたとでもいうのだろうか。

いろんなことを喜んだり悲しんだりしていくであろう私。笑うことも悩むことも歩くことも食べることも放棄した弟。純粋に生きることだけのために活動している肉体の輝きが、重なり合った私の肉体の滓を照らしだす。

一瞬、さすっているマニキュアをした私の指先がひどく醜悪なものに見えた。

弟は、きっと、どんどんどんどん、その肉体を削って削って、やがて一つの純粋な精神の固まりに昇華していくに違いないと思う。

LS群馬相談室にて

~○○さんへの回答~

預貯金の払い出し等金融機関との取引や、相続財産に関する遺産分割協議、或いは医療ミスによって被った損害を賠償するよう請求する行為などは、通常の成人がもっている物事に対する判断能力が前提になければならない。植物状態になったような場合には、「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況」にあるとして、成年後見制度を利用した上で、これらの法律上の事柄を進めていく必要がある。

家庭裁判所に対して、後見開始の審判の申立を行い、成年後見人を選任してもらう。

もし、誰か家族の者や、他に親戚などに信頼できる人がいれば、その人を成年後見人の候補者にあげて申立をすることもできる。必要書類は、本人の戸籍や住民票、医師の診断書等を添えることになる。なお、選ばれた成年後見人が、遺産分割協議の当事者になっている場合には、本人と成年後見人との利害が相反することになるので、この遺産分割を進める上では、別途特別代理人の選任の申立をしなければいけなくなる。

もし、本人にかなりの財産があるようであれば、成年後見人の財産管理も複雑になることが予想できるので、別に法律の専門家を共同成年後見人として選んでおくこともできるし、成年後見人がきちんと財産管理をしてくれるか不安があるような場合であれば成年後見人監督人を選んでおくこともできる。

こうすれば特別代理人の選任の必要もなくなる。しかし、あくまで本人にとってどのようなサポートの方法が一番いいかを総合的に判断する必要があるので、一度リーガルサポートの社員の事務所で関係書類などを参考にしながら一番いい方法を考えた方がいいのではないか。

シンちゃんタカさんの最終回答

-成年後見人を選ばなければなりません-

預貯金の払い出し等金融機関との間で取引をしようとする場合や、故人が所有していた相続財産について相続人の間で遺産分割協議をしようとする場合には、その当事者となるご本人自らがこれらの手続きに関与しなければなりません。

自らこれらの手続きの内容を理解し、納得した上で手続きをし、その結果について自ら責任を負います。

このように自分のしたことの結果を判断することができる程度の精神上の能力をもっていない人がしたことは無効となります。民法ではこのことを「意思能力なき者のした行為は無効」といいます。法律の条文で直接定められているわけではありませんが、学説や判例で認められています。

ご質問のように弟さんが、植物状態にあるということは、金融機関との取引や遺産分割をするにあたって、その内容や結果について理解できるような状態ではありませんので、手続きをとることはできません。

弟さんの奥さんであっても法律上それらをする権限がありませんので、勝手には手続きをすすめることはできません。ご本人がどうにもできないこのような状態にある場合には、誰か本人に代わってこれらの手続きをしてくれる人を裁判所に選んでもらうことになります。これを「成年後見」といいます。

植物状態になってしまった弟さんの家族が、家庭裁判所に対して、申立を行い、「成年後見人」という弟さんの代理人となるべき人を選任してもらいます。どなたか家族の方や、親戚の方などの中に、弟さんの財産を管理するのに相応しい信頼できる人がいれば、その人を成年後見人の候補者にあげて申立をすることができます。

たとえば、ご質問のケースでは、弟さんの奥さんが成年後見人に相応しいでしょう。裁判所に申立をして、弟さん名義の財産を管理したり、処分したりする権限を弟さんの奥さんに与えてもらって、弟さんに代わって奥さんが手続きをするということが考えられます。

-今後の生活設計を考える-

植物状態になってしまった弟さんは、今後就業等による収入を得る道がなくなります。障害者年金等限られた手当が入ってくるだけですですので、当然今後の生活費の捻出やお子さんの将来のための貯蓄などは、奥さんの稼ぎに頼らざるを得ません。

しかし、今までの稼ぎ頭であった弟さんの代わりをすぐに奥様に求めることも難しいでしょう。そこで、亡くなられたお母様の遺産である不動産を売却して、弟さん家族の生活費にあてることが考えられます。

成年後見人として選ばれた弟さんの奥さんを交えて、亡くなられたお母様の遺産分割手続きを進めることになります。弟さんにはお母様の遺産について法律上3分の1を取得する権利があります。貴方とお姉さんと弟さんの奥さんとで話し合いの場をもって、弟さん家族のために、いくつかある不動産の内、弟さんの相続分に見合った不動産が取得できるよう分割内容を決めて下さい。そして、その不動産を直ちに売却して現金化すれば、今後の弟さん家族の生活費にあてることができるようになります。

遺産分割協議の結果、取得することとなった不動産の売却の権限は、成年後見人である弟さんの奥様にあります。弟さんの奥さんは、不動産業者に委託して、買主を探してもらえばよいでしょう。(早急にということであれば、「審判前の保全処分」という申立を行って直ちに売却するという手段もあります。詳しくは別の機会に?)

-複雑な手続きを手伝ってもらう-

弟さんがこのような状態になってしまいますと、精神的にも肉体的にもご家族の負担は計り知れないものでしょう。それに加えて、遺産分割協議であるとか、不動産の売却等の手続きの煩わしさもありますし、なるべく弟さん家族に損をしないような手続きをとる必要があります。

また、これらの手続きがスムーズに進んで生活費の目処がつき、新しい生活がスタートしたときに、新たな負担が待っています。それは、弟さんの奥様の成年後見人としての職務(事務処理)です。定期的な事務処理の報告を家庭裁判所にしなければなりません。民法には、「家庭裁判所は、いつでも、後見人に対し後見事務の報告若しくは財産の目録の提出を求め、又は後見の事務若しくは被後見人の財産の状況を調査することができる(民法863条1項)」という規定があります。裁判所の取り扱いについてはケースバイケースでしょうが、約半年に一回の程度は、成年後見人に報告をしてもらうことになるでしょう。

以上のような法律の規定がある以上、いつ裁判所から報告を求められても大丈夫なように、普段から帳簿関係をきちんと整理しておく必要があります。これは、大変負担がかかる仕事でしょう。弟さんの奥さんは、仕事の合間を縫って弟さんの看病をし、子供さんたちの食事の世話や家のこともしなければならないでしょう。それに加えて、裁判所への提出用の帳簿書類の整理もしなければならないとすると、体がいくつあっても足らないはずです。

そこで、適切な遺産分割・不動産売却の手続きをするとか、あるいは後見人の事務処理の負担を減らす為には、もう一人成年後見人を選んでおくということが考えられます。法律の専門家を共同して事務処理をしてくれる成年後見人に選んでおく方法です。

煩わしい事務処理の一部或いは複雑な契約手続きなどを法律の知識に詳しい専門家を一人加えておくことによって、奥様の負担はかなり軽減されますし、不利益な手続きをとることがないよう配慮してくれるでしょう。これは、裁判所に申立をするときに、候補者として弟さんの奥様と法律の専門家の二人を挙げて、その理由を書き加えて申立をする事になるでしょう。

「結論」

弟さんが植物状態になってしまった以上、ご本人が所有する預貯金等の財産をご家族が生活費や入院費として使って行く、或いは、遺産分割協議などをする場合には成年後見制度を利用しなければなりません。

弟さんの奥様を成年後見人として家庭裁判所に選んでもらって、弟さんの奥様が正式な権限をもった代理人として、弟さんの財産の管理をし、有効に利用することによって、今後の生活を成り立たせていくことが必要でしょう。そして、できれば、遺産分割で弟さんの相続分をきちんと主張したり、不動産の売却では、不利益な売却代金で妥協しないためにも、法律の専門家を成年後見人の一人に追加して、弟さんの奥様と共同して成年後見人としての仕事をしてもらうことが、弟さんの奥様の負担を軽くすると共に、ご家族の今後のためにも一番適切な方法ではないでしょうか。

公益社団法人成年後見センター・リーガルサポートでは、こういった法律知識に詳しい登録している司法書士を成年後見人にご推薦しています。

目次へ戻る