エピソード2

プロローグ

 梅ノ木の剪定は花芽がかたまる秋にするのがいいと植木職人をしていた膳さんが頭のてっぺんから出るような高い声で、向かいのアパートの窓から教えてくれたことを今でも忠実に実行している。

確かに今の時期に今年伸びた徒長枝をばっさり切って、正月をすっきりした景色で迎えるのは気持ちがいい。

足元がざっくりと沈んだ。霜柱だ。こんな小さな衝撃でも膝にきやがる。冗談じゃねえや。年取るってえのはつらいもんだぜ。枝先を切ろうと背伸びをすると梅の枝越しに二階の膳さんの部屋のガラス戸が冬日を反射して輝いた。

そういえば、膳さんも近頃だいぶ弱ってきたらしい。ごみはため込むし風呂にもだいぶ入っていないらしい。先だっては流しの水をあふれ出させて下の部屋に水が漏れたとせがれが嘆いていた。膳さんよお。そんなに老け込む年じゃあねえよ、俺達は。しっかりしろやあ。これからどおするんだよお、来年は新世紀じゃねえか。

LS群馬相談室にて

○○さんへの回答

『入居者本人の不始末によって損害が発生したのであれば、本人に対して、その損害を賠償するよう請求することができる。

その損害を補えないあるいは今後の生活していく上でこれらの不始末への十分な注意・対策を本人ができない場合には、賃貸借契約を解除し、立ち退きを要求することができるであろう。しかし、一人暮らしで身寄りがなく、そのような状況にある高齢者を入居させる民間アパートは皆無であろうし、市営住宅等公共アパートにおいても身元保証人の問題等で、転居先を探そうにも簡単にはいかないであろう。

特に、本人がそのアパートに住み続けたいという希望があるのであれば、その意思を尊重した形で、なるべく他の住民に対して迷惑を掛けないようなアパート暮らしの方策を検討してみてはどうか。

水道・ガスなどの不始末に対しては、本人の了解を取った上で本人の費用負担において安全な設備に改造するとか、日常の部屋の清掃などはハウスクリーニングやヘルパーなどを雇って定期的にしてもらったり、万が一本人に何かあった場合には近くの在宅支援センター・医療機関・警察・消防などとの間で緊急に通報できるようなシステムをとっているところもあるようなので福祉事務所などに相談してみてはどうだろうか。

これらは、すべて大家である貴方が負担すべきものではないので、本人の財産の中から支払われることになるであろう。

本人が今後認知症などで財産上のことを自分でできなくなることが予想できるし、仮にそうならなかったとしても、本人の立場から財産を管理してくれる人をそばに置いた方が望ましいと思うので、任意後見制度や任意代理制度を利用して、本人の財産の範囲内で、アパートで生活できる方策を、本人、任意後見人・任意代理人などと話し合ってみてはいかがか。「このままでは、貴方はここには住み続けられない。この成年後見制度を利用しないと住み続けられない」ということをよく理解させて、本人がそこに住み続けられ周りの住人たちも納得するような生活支援の体制を早急に作った方がよい。

このような体制づくりは、きちんと専門家を交えてする必要があるので、本人の了解があれば、リーガルサポートがお手伝いする。』

シンちゃん、タカさんの最終回答

貴方は、アパートの住人との間で、建物(貸室)の賃貸借契約を締結しています。月々の家賃はいくらか、或いは期間はいつまで、というような事柄を当事者間で定めて、貴方はアパートの部屋を貸しており、住人は、その賃貸借契約を結んでいるが故にそのアパートに住み続けることができるわけです。

ですから、アパートに入居している住人に引っ越してもらうためには、もととなる賃貸借契約を解除しなければなりません。解除ができれば、住人である高齢者は、何の権限もなくアパートに住むことになるので不法占有ということになり、裁判所に対して明け渡すよう請求することができます。

賃貸借契約の解除は可能か

では、契約の解除が認められるかどうかですが、民法の特別法である借家法に次のような規定があります。

借家法第1条の2(更新拒絶又は解約の制限)
「建物の賃貸人は自ら使用することを必要とする場合その他正当の事由ある場合に非ざれば賃貸借の更新を拒み又は解約の申し入れをなす事を得ず」

通常、建物の賃貸借契約の場合には、「正当事由」のない限り賃貸人の側から一方的に賃貸借契約を終了させることはできません。しかし、賃貸人側に正当な事由がなくても、賃借人側に、重大な契約上の義務違反・不信行為があるときは解除が可能であるといわれています。

契約上の義務違反・不信行為でよく挙げられる例が、賃料の不払い、使用目的違反、近隣妨害、無断増改築などがあります。これらは、背信的な要素がある場合のみ、裁判所において解除が認められたものです。

ご質問のケースの場合では、この「近隣妨害」にあたるかどうかというところがポイントになりそうです。昭和61年に東京高裁ででた判決では、「近隣の迷惑となる行為すなわち義務違反の程度が著しく、賃貸人と賃借人間の信頼関係が破壊されるに至っているときは、賃貸人は催告をすることなく賃貸借契約を解除することができる」としています。

具体的には「5階建のアパートの借家人がベランダで犬2匹を飼い、犬の毛の飛散、糞尿の悪臭、糞便による配管の詰まり、吠声などで他の住人から苦情が寄せられているのに、全く耳を貸そうとしなかった」という事例(東京地判昭和54年8月30日)があります。

これに照らして考えてみると、数度の水漏れ事故や異臭騒ぎが起こったものの、入居者の故意(意図的なもの)ではなく、不注意によっておこったような場合であるご質問のケースでは、「近隣妨害」にはあたるかどうかは判断の難しく、これのみをもって解除を主張するのは現段階では困難でしょう。今直ちに引っ越してもらうのは当面は諦めざるを得えません。

入居者に納得して引っ越してもらうには

入居者に対して、賃貸人側から退去を求めることができないとしたら、入居者との間で話し合いをして、入居者に納得してもらった上で引っ越ししてもらうしかありません。引っ越してもらうには、当然引っ越し先がなければなりません。引っ越し先に目星をつけた上で交渉されるのが得策です。ここで考えられるのが、

①親族に引き取ってもらう(民法上、本人を扶養する義務がある者を探し、引き取ってもらうよう説得する)
②入居可能な近くの公共的施設(県営住宅・市営住宅等)を探す
③ケア付き公共住宅を探す(有料老人ホーム・ケアハウス・グループホーム等)

これらについては、群馬県の介護高齢課などに問い合わせてみてはいかがでしょうか。

現実問題としては、いずれに引っ越しをするについても身元保証人の問題があり、簡単には入居できないことが予想されます。

入居者がどうしても残るといった時は

入居者がどうしてもそこに住み続けたい、引っ越ししたくないといった場合には、どうにもできません。賃貸人としては、せいぜい、アパートの他の入居者に迷惑を掛けないような物理的な工夫をして、大家としての最大の注意義務を果たしておくしか方法はなくなります。最近は、自治体などで高齢者等に対する住宅施策として民間賃貸住宅居住者への支援として住宅の改善などが用意されているようなので、一度ご相談されてみてはいかがでしょうか。

公共的な助成が得られないようであれば、少なくとも、入居者本人を説得して、ガスコンロを電気のコンロに替えるとか、灯油のストーブをやめさせてエアコンを入れるとか、入居者の費用負担において改造するよう説得するしかありません。

また、入居者が認知症になった場合には、大家さんとしては、速やかに福祉施設へ引っ越ししてもらいたいところです。ところが、認知症になってしまうと、本人が施設へはいろうにも、契約内容を理解できる能力がなければ、施設と本人との間で入所契約が結べません。

そこで、入所契約を本人に代わって契約してもらうために、裁判所に申立をして、契約を締結する権限をもった人を選んでもらう必要があります。かなり時間を要することでしょう。そこで、なるべく速やかに適切な場所に引っ越しができるようにするためには、今の内から、認知症になったときに備えて、入所契約などの権限を与えておくことができる「任意後見制度」というのを利用することができます。

入居者ご本人にとって誰か信頼できる人を選んでおいて、認知症などになった場合に、その信頼できる人に入居者ご本人に代わっていろんな引っ越しにかかる手続きをしてもらい、適切な住居を探してもらうことができます。

この任意後見制度を利用するには、入居者ご本人が任意後見契約書というのを作成しなければならず、自ら進んで契約書の作成に関わらなければなりません。そして、契約が作成された後に認知症になったら、任意後見人の予定者が裁判所に申立をして、任意後見をスタートしてもらうのです。この方が手続きがスムーズに進むでしょう。

結論

現段階では、裁判所の力を借りて強制的に退去してもらうことは不可能と思われますので、入居者の方と根気よく話し合いをしていただいて、転居先を見つけ、納得の上で引っ越ししてもらう、あるいは、住み続けるというのであれば、他の入居者に迷惑を掛けないような工夫を入居者本人にもしてもらい、万が一に備えて、入居者本人に任意後見契約を結んでおいてもらうというのがよいでしょう。

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