エピソード1

プロローグ

 赤城山の山頂に雪雲がかかっている。国境の山々は本格的な雪なのだろう。狭い自宅前の路地に捨てられた空缶が北風に煽られ転がっているのが窓越しに見える。

妻が青汁の味がおかしいと朝から何回もつぶやいている。昨日チラシに掲載されていた特価品で、安いからと裏のスーパーでしこたま買い込んだ物だ。

視覚障害者である妻は味が鋭敏になっている。私はといえば、今朝はだいぶ冷え込んだためか再発した膝痛のため朝からこたつに入ったまま動く気がしない。妻と二人、今の生活に取りたてて不自由しているわけではない。しかし最近、漠然とした不安があの雪雲のように沸き上がることが時々ある。

俺も年なのかなあ。七十二だものなあ。自分が死んだら、妻はどうなるのだろう。日常生活に何かと困るのではないだろうか。将来に備えて、今の内から準備しておいたほうがいいのだろうか。 

LS群馬相談室にて

~○○さんへの回答~

『将来、判断能力が十分でない状態に至った場合には、日常生活に関係する様々な契約・財産管理をすることができなくなるおそれがあるので、その時に備えて任意後見契約を結んでおいた方がよい。

現段階では、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分等の状態ではないので成年後見制度を利用することはできないが、今現在でも身体障害によって日常の様々な生活上の不便を感じることがあるであろうし、また、不本意な契約をさせられてしまう危険も存在するので、今から、任意代理契約を結んで、信頼できる人を代理人として選んでおいて、自分の意向をしっかり踏まえたうえでサポートしてもらう方が得策ではないか。

頼んでおく人は誰でも良いが、お金が絡むことなので、その辺を踏まえて、間違いなく信頼できる人を選んでおく必要がある。子供がなく、特に身の回りに信頼できる人がいなければ、リーガルサポートの社員を選んでおくのも一つの方法である。

頼んでおくことができるのは、契約や財産の管理等に関することであるが、今現在の生活の状況を踏まえ、また今後の生活全般を想定しながら、きめ細かな契約を結ぶ必要があるので、契約書の作成にあたっては、専門家に相談しながら進めた方が間違いないのではないか。』

シンちゃんの最終回答

ご質問のケースの場合、将来、貴方が認知症などで物事を理解する能力が十分でなくなった場合には、貴方自身の生活はどうやって成り立たせていくかという問題と、貴方が亡くなった後或いは認知症などになってしまったとき奥様の日常の生活が困ってしまうという問題があります。この二つの点を分けて考えることにしましょう。

1.最初に貴方自身の生活をどのように成り立たせていくか

まず、最初に貴方自身の生活をどのように成り立たせていくかという問題です。

普通ご夫婦の一方が認知症になってしまうとか、介護を要する状態になってしまう場合には、相手方である配偶者が日常の生活を援助するのが一般的です。お金の管理にしても、日常の世話にしても夫婦でお互いに助け合うことがまず第一でしょう。しかし、貴方の奥様は、両目が不自由ということで、日常生活において多少のハンデキャップをおっていらっしゃいます。今現在はおそらく貴方が生活に必要となるお金の管理やいろんな契約をされているのではないかと推測しますが、もし貴方の身に何かあった場合には、それらのすべてを身体に障害のある奥様がすべて一人で行わなければならなくなります。

そして、奥様が自分自身のことだけでなく、認知症になった貴方の世話もしなければならないという二重の負担を強いられることになるわけです。これは相当の困難を伴うことが予想できます。民法の中では、幼年、老年、傷病などの自然的原因、又は失業などの社会的原因によって、自分の力だけでは生活していけない者を一定範囲の親族が生活上の援助をすることを「扶養」と言っています。生活上の援助には経済的援助の他に面倒見的援助(介護を含む)及び財産の活用・保全上の援助があるといわれています。民法877条で直系血族及び兄弟姉妹にその義務が課せられ、同730条で親族間(直系血族及び同居の親族)に互助の義務が、そして同752条で夫婦間の同居・協力の義務が定められています。

本来であれば、これらの親族関係にある人が何らかの形で援助を試みるのが法の建前です。もしそれが不可能であれば、公的な社会保障に委ねることになります。最終的・全面的な扶助を規定している生活保護が最後の砦となります。

貴方の場合、子供もなく、ご兄弟との関係もそれほど親密でないように見受けられます。頼みの綱の奥様が十分な援助をすることが困難な状況では何らかの手を打っておくことが必要です。このまま社会保障に身を委ねるまで放置しておくのは得策とは言えないでしょう。現に多少なりとも財産をお持ちのようですので、その財産を使って将来のために何らかの手を打っておくことは有効な手段です。

そこで、考えられるものとしては、貴方が認知症等になってしまった時の預貯金の管理や公共料金の支払い、年金の受領等といった財産の管理を、誰か信頼できる人に頼んでおくという方法が考えられます。これを「任意後見制度」といいますが、信頼できる人との間で、公正証書によって任意後見契約というのを結んでおきます。

もし、認知症になってしまったときには、選んでおいた任意後見人に財産管理をおこなってもらうというものです。奥様の手をなるべく煩わせることなく、信頼できる第三者に裁判所の監督の下で財産の管理や契約の締結などをしてもらいます。当然その財産の中から、奥様の生活上必要になるお金の管理なども支弁する必要がでてきますので、任意後見人には、奥様と法律の専門家が共同でなるのがよいのではないでしょうか。

2.残された奥様の日常生活をどうやって過ごしていくか

一方で、貴方に万が一のことがあり、奥様が一人残された場合のことも考えておく必要があります。

身体に障害を抱え、現在でも日常生活を送っていく上で不便をお感じになっていらっしゃるでしょう。今後は、日常生活の支えであるご主人を亡くされたとすれば、さらに生活の不便さを感じることでしょう。先ほどの扶養の問題から考えてみると、奥様にも子供や親しい親族がいないとなれば、やはり自分で何らかの手を打っておかなければならないことになります。

今は、特別養護老人ホームや有料老人ホームが充実してきているとはいっても、順番待ちでいつは入れるかわかりませんし、やはり、住み慣れた自宅を離れることは抵抗があるでしょう。日常生活に関係する様々な契約・財産管理をすることができなくなるおそれがあるので、その時に備えてご主人の場合と同じように、任意後見契約を結んでおいた方がよいでしょう。

奥様が、「この人なら」と信頼のおける人を選んでおく必要があります。お金が絡むことですので、特に身の回りに信頼できる人がいなければ、リーガルサポートの社員を選んでおくのも一つの方法です。

ご主人が亡くなるよりも前に奥様が認知症になるということも考えられますので、奥様の任意後見人には、ご主人と法律の専門家の双方を定めておくという方法も考えられます。

3.任意後見契約の作成にあたっての注意点

任意後見契約書を作成して、信頼のおける人に頼んでおくことができるのは、契約や財産の管理等に関することです。

この頼んでおくことは、「代理権目録」という目録(一覧表)を作ってそこに明記するわけですが、今現在の生活の状況を踏まえ、また今後の生活全般を想定しながら、きめ細かな契約を結ぶ必要があります。その理由は、一端、この契約書を作成して、実際に契約書に従った生活の支援が始まってからでは契約書の作り直しができないからです。

後で契約書の代理権目録に記載されていないことがらが必要になった場合には、契約書を破棄にして、裁判所に別途申立が必要になります。

たとえば、預貯金の管理や年金の受給等金銭の管理面に附いてだけ契約しておいた場合に、将来、認知症の症状がひどくなり有料老人ホームへの入居がふさわしくなったような時が挙げられます。この場合には、あらかじめ選んでおいた任意後見人では、入居契約を結ぶ権限がありませんので、別途、家庭裁判所に申立をして、その権限を含めた形での後見人を選んでもらう必要がでてきてしまいます。

任意後見契約を白紙にして、裁判所で「後見開始審判の申立」という再度の手続きが必要になり、別途医者の鑑定手続きなども必要になります。これでは、せっかく契約書を作成しても、意味がなくなってしまいます。

ですので、契約内容を決めるにあたっては、専門家に相談しながら進めた方が間違いないでしょう。

4.結論

このような点を踏まえると、ご主人が万が一認知症になった場合に備えて、奥様と法律の専門家を任意後見人とするご主人の契約書を作成しておくこと。

そして、ご主人が亡くなられた後に奥様が万が一認知症になるような場合に備えて、法律の専門家を任意後見人とする奥様のための任意後見契約を作成しておくこと。

この二つをしておけば、将来お二人が日常の生活を困難にさせる状態を迎えてしまったとしても、任意後見人が裁判所の監督の下、ご本人のために、財産管理を中心として生活の支援をしてくれます。

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