東北マップ
宮城県仙台市へ(青葉城跡)


岩手県盛岡市へ(わんこそば)
遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取囲まれたる平地なり。
新町村にては、遠野、土淵、附馬牛、松崎、青笹、上郷、小友、綾織、鱒沢、宮守、達曽部の1町10ケ村に分つ。
近代或は西閉伊郡とも称し、中古には又遠野保とも呼べり。
今日郡役所の在る遠野町は即ち1郷の町場にして、南部家一万石の城下なり。
城を横田城とも云ふ。
此地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、其川の支流猿ケ石川の渓を伝ひて、東の方へ入ること13里、遠野の町に至る。
山奥には珍しき繁華の地なり。
伝え言ふ、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに・・・
   柳田國男著 「遠野物語」第一話より
「遠野物語」は、明治43年柳田國男によって遠野出身の佐々木喜善から古く伝わる多くの民話の聞き書きをもとに、自費出版され広く知られることとなりました。

岩手県遠野市へ
 「遠野まつりポスター」
宮城県仙台市(青葉城跡)
 政宗公騎馬像
 伊達政宗(1567から1636)は、独眼龍政宗といわれた東北の英雄。政宗は、家臣の支倉常長をローマ法王のところに派遣したり貿易をすすんでおこなうなど時代の先取りに優れていました。また、江戸や大阪の文化をどしどし仙台に取りいれたり、城下町に自由に商売ができる制度をもうけて、産業をさかんにしました。
 伊達政宗の軍団は、行進するとき、どの大名の軍よりも華美でした。服装がはなやかで、持つ武器も優れていました。人々は、この行列を見て、「伊達衆」あるいは「伊達者」とよびました。(パンフレットより)
 青葉城跡から仙台市街を望む
 
仙台の街は2001年に藩祖伊達政宗公が1601年(慶長6年)1月11日に「仙台城下屋敷割」を行ってちょうど四百年という大きな節目の年を迎えました。
 青葉城跡は仙台駅から西に4Kmほど離れた山中で青葉城跡の石垣は修復中でしたが、政宗公騎馬像のある高台から仙台市街を一望でき、その先には太平洋が望めます。

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岩手県盛岡市
 JR盛岡駅は、東北新幹線の終着駅です。今年12月には、青森県八戸までの区間が開通します。(仙台=盛岡は1駅で、約45分でした。)
 日本で一番広い県、岩手県の盛岡市。南部藩20万石の城下町です。盛岡駅前広場には石川啄木の歌碑がありました。駅前から5分ほど歩くと北上川の清流が流れています。北上川に架かる「開運橋」をわたると官公庁・繁華街につづきます。

 
 JR盛岡駅前の石川啄木歌碑
 「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
 啄木
 
 北上川の流れ
 北上川にかかる「開運橋」。官庁・繁華街はこの先です。
 東家駅前店(わんこそば)
「はい どうぞ。」
「はい どんどん。」
「はい がんばつて。」
「はい どつこい。」
「はい まだまだ。」
 4人で、250杯。 腹ごなしにカラオケに行きました。

 (證明書がもらえます)
  
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