2002年12月28日(土)

紅海を船で渡ってエジプトへ。

12時に出るはずの船が、出港したのは15時過ぎ。
イスラエルとエジプトの国境付近を通りながらヌエバに向かう。

天気良いし立派な船だし快適に過ごせた。

ヌエバに着いたのが19時過ぎで、
VISA貰って外に出たんだけど、
ダハブ行きのバスは16時で終わってしまったらしい。
乗り合いタクシーを捜したんだけど、
乗客が集まらないので出ないみたい。

チャイ屋のおやじにバスがなくなったって言ったら、
このチャイ屋は24時間開いてるから
いていいよって言われて、
そこで朝6時のバスを待つことにした。

怪しいおやじなんだけど、
ビールくれたりつまみくれたり親切な人っぽい。

23時になってチャイ屋の上にある
おやじのアパートに寝ていいって言われたので、
寝かせてもらうことにした。

12月29日(日)

ぐっすり寝てしまい、
朝から3本もあるバスに乗れなかった。
次は16時の最終バスである。

見た感じと喋り方と、
どこをとっても怪しいおやじなんだけど
最後まで親切だった。
ヌエバの人達もいい感じだし、
このまま調子よく旅ができればいいけど。

エジプトは評判悪いからな。

14時頃スピードボートが着いて、
外人が何人かダハブに行くって言うので、
タクシーをシェアしてダハブに行った。

クルマの中から見た景色は、
まさにエジプトだった。

12月30日(月)

ダハブはおもいっきりツーリスティックだった、
中級以下のリゾート地って感じ。

たまにはいいねぇ、こういう所も。

昼間からビーチで酒を飲み、
クッタリしながら1日を過ごす。

12月31日(火)

エルサレムで買ったソバがあるので、
その辺にいる日本人を捕まえて年越しの準備をする。

ダハブで働いてるダイビングのインストラクターから、
リーマンパッカーまで10人位集まって
年越しソバとカウントダウン。

日本より7時間遅れて年を越す。

今年はまるまる旅してた、
いいルート、いい季節、いい出会い、
そしていい旅だった。
来年もそうあって欲しいと願います。

2003年1月1日(水)

年を越して1時間、
ご来光を見にモーゼが十戎を授かった
聖地シナイ山に向かう。

一緒にソバを食べた人達とハイエースをチャーターして、
数々の検問を抜けて2時間でシナイ山、
そこから真っ暗なラクダ道を2時間半歩いて頂上へ。

すげえ人だった。
日本からのツアー組もいくつかあったし、
200人位いたんじゃないかな。

朝日は綺麗だった、元旦にふさわしい。

みんなこんなくそ寒い所になぜ登るのかわかりました、
眠さと寒さなんて吹っ飛んでしまった、
素晴らしい景色、いい所だ。

山を降りて聖カトリーヌ教会を見て、
ダハブに帰る。

1月2日(木)

ソバ組と新年会をやることになった、
まず海へサザエを採りに行く。

それが夕方までかかって、
夕日の時間になったんだけど、
めちゃくちゃ綺麗だった。
海が赤く染まってキラキラしてるし、
対岸のサウジアラビアの山も真っ赤になって、空も赤。

紅海だよ、ホントに紅海。

となりの宿の庭を借りて、
炭に火をつけてバーベキューをした。

サメ、イカ、密漁して来たサザエ、
やっぱり魚介類はいい。

1月4日(土)

シュノーケルセットを借りてサザエを採りに行く。

ちょっと潜ればいきなり20m位落ちているので、
魚も珊瑚礁もいっぱい見れる。

ここのリーフだけでも十分楽しめる。

そしてまたバーベキュー。
サザエ(ただ)タイ(1ドル)大きい魚(6ドル)も、
一緒に焼く。

1月5日(日))

今から10年前にオープンウォーターのライセンスを取って、
やっとアドバンスにレベルアップすることにした。

エクスマスで潜って以来、
2年くらいダイビングはしてないのでチェックダイブがある。
明日ファンダイブをかねてチェックダイブをする。

バーベキュー仲間のノリさんがPADIのインストラクターなので、
日本語で教えてもらえるし心強い。

1月6日(月

チェックダイブをする。

朝9時にショップの前に集合したんだけど、
この時間はほとんど店が開いてない。

町全体が夜型なんですね。

チェックダイブはスムーズにいった、
ただ最後にエアー切れで苦しい思いをした。
みんなだいぶ余ってるのに、
俺だけレッドゾーンだったよ。

リーフも魚もなかなかいい透明度もいい、
数年前まで世界一透明度がある所だったらしいじゃない。

明日からアドバンスのコースをやるんだけど、
1日1本で十分なので、
頼んで4日かけて取らせてもらうことにした。

1月7日(火)

昼間の気温36度、ここでは一応冬である。

コンパスとか使ったり、
アドバンスコースでやらなきゃいけないことをやる。

魚が面白いんだよ。
紅海にしかいない魚とかいるし、
熱帯魚が群れてたり、
やっぱりダイビングも楽しい。

1月8日(水)

ピックアップトラックに乗って、
ちょっと離れたポイントへ。

海はエメラルドグリーン、
その下は全て珊瑚礁。

1月9日(木)

嫌なんだけどアドバンスを取るのに
ナイトダイブをしなきゃいけないらしいので一応潜る。

ライトを持たなきゃいけないので面倒である、
暗いからライトがないと何も見えない。
いきなり珊瑚の壁とか現れるから恐い、
実際ウニみたいのが手に刺さった。
バディをすぐ見失う、
俺のバディは気がついたら、
暗くて深いほうへ後ろ向きに落ちていった。

珊瑚の色が綺麗で夜光虫も見れたし、
たいして寒くはなかったけど。

もう夜潜るのはいいや。

1月10日(金)

8時に集合してキャニオンっていうポイントへ。

アドバンスの最後の課題、ディープダイブ。

キャニオンは海のキャニオンだった、
岩の隙間から上を見ると、
光がパーッと差し込んでてスゴク綺麗。

ダイビングやっててよかったなと思うひと時ですね。

それからブルーホールって言うポイントへ。
ビーチから10m海のほうへ行くと、
深さ90mの大きな穴が開いている。

海辺にはお墓がいっぱいある。
30年位前にポイントを見つけて、
それから169人死んでるらしい。

岩の隙間を一気に30m降りる、
タンクをガツガツぶつけながら降りて
ブルーホールに出るんだけど、
まさにブルーホール、
右側は全て珊瑚、左側は真っ青。
その間は熱帯魚とか、
キンギョハナダイの群れとかがいっぱい。

1月21日(火)

シャルムイッシェーフから出る、
沈船とラスムハメッドに潜れるツアーに参加する。

夜中船に入ってダイビング器材をセッティングして船で寝る。
そんな寒くないので、甲板で星を見ながら寝た。

1月22日(水)

10時に沈船で1本、結構流れが強い。
昼過ぎに沈船内部を見に1本、
全長136mで1947年に沈んだものらしい。

バイクとかジープとか入ってて、
なかなか面白い。

昼飯を食べながら移動して、
ラスムハメッド最後の1本。

ここの魚群は凄い。

船の1番いいところで夕日を見て、
シャルムイッシェーフに寄ってダハブに帰った。

1月23日(木)

夜までダラダラして、
夜行のカイロ行きのハイエースに乗る。

ダハブはいい所だった。
イスラエル人が作ったリゾート地だから、
のんびりできるように作られてる。

自分の国でゆっくりできないからね。

1月24日(金)

朝6時にカイロに着いて、
有名な宿サファリホテルへ。

情報ノートが充実してるし、
ここに3年いる丸山さんが飯を作ってくれるし、
イスタンブールとか、中東で会った人達もいっぱいいるし、
居心地いいかも。

1月26日(日)

すでに3週間以上エジプトにいるので、
VISAが切れてしまう。
延長しにモガンマに行って6ヶ月もらう。

11.5ポンド約2ドルちょい、
VISA代に比べるとだいぶ安い。

カイロは都会である。
地下鉄あるし、高架だらけ。
ツーリスティックな町ではウザイエジプト人も、
ビジネスマンだと意外と親切だったりする。

1月29日(水)

ここ数日、考古学博物館に行ったり、
スーフィーダンスを見に行ったり、
ハンハリーリに行ったりした。

宿に帰ってくれば夜中まで麻雀だし、
朝から観光だし、結構疲れぎみ。

考古学博物館前でバスに乗りギザへ、
そこからサッカーラと赤のピラミッドを見に行った。

赤のピラミッドは中にも入れてなかなか面白い。

1月30日(木)

ギザのピラミッドを見に行く。

物凄い観光客の数。

入場料とは別払いのクフ王のピラミッド中に入った。

すばらしい。

2月1日(土)

髄膜炎が北部アフリカで流行ってるらしい、
とりあえず安いし1本注射打っといた。

フラフラしながら宿に帰って、
ちょっと熱っぽいけど麻雀をする。

ここサファリホテルは、
日本人宿として異様なほど独特な雰囲気がある。

ここに3年いる丸山さんは、
なぜか頭のてっぺんを剃ってて、
落ち武者みたくなってる。

7ヶ月前にインドとパキスタンの国境で別れた和永は、
あれからカイロに飛んで、
それからほとんどこのホテルで過ごしてる。

海外であったのは7回目か?
彼氏まで作って、
長期滞在者のダメダメなオーラを出し続けてる。

飯くうか寝るか麻雀。

それから麻雀沈没組みが数名、
ほぼ24時間ジャラジャラいってる。

2月3日(月)

リビア国境の近くにあるシーワっていう町を目指す。

電車に乗ってアレキサンドリアへ、
いい感じの町だったので、とりあえず1泊。

夕飯食いに行ったらすごい嵐にあった、
全身びしょぬれになって、
風邪引くかと思ったよ。

2月4日(火)

ヨーロッパとは違うけど、
整然とした町並みと建物の感じは、
他のムスリムの国とちょっと違う。

イギリス植民地時代の面影でしょうか。

路面電車なんて走ってるから乗ってみた、
乗客も切符売りのおやじもみんな親切である。

そのままバス停に行って、
次の町を目指そうと思ったんだけど、
シーワまで行くっていうので、
そこまでのチケットを買った。

しばらく海沿いを走った、
エメラルドグリーンの地中海。

エジプトの海って言ったら紅海だと思ってたけど、
地中海も綺麗だな。

マルサマトルーフっていう町から砂漠に入る、
砂漠の1本道をひたすら走ること4時間、
夜の12時にシーワオアシスに着いた。

2月5日(水)

砂漠の夜は寒い、
毛布3枚もかけて寝た。

なんだかこの町の人達はのんびりしてていい、
車よりロバ車のほうが多くて、
小さい子供がロバを引いてたりする。

ここも敬虔なムスリムなんでしょう、
女の人を見かけない。

2月6日(木)

シーワの町の真ん中に旧市街がある。

今はほとんど人が住んでなくて、
廃虚になってる。
イランのバム遺跡にも似てる。

自転車を借りてアモン神殿に行ったり、
オアシスを見に行ったりしたんだけど、
この町の人はいい感じだな。

素朴な砂漠の民って感じ。

エジプト人じゃないらしい、
シーワ人って言って、
この辺に昔から住んでた部族みたいなものらしい。
騒々しさを嫌うんだって。

たまにロバが鳴くくらいで、
あとは町に音がない。

2月7日(金)

シーワからマルサマトルーフへ。

地中海沿いにある町なんだけど、
さすがにこの時期は寒い。

あまりツーリストが来ないみたい、
うざいエジプト人もいないし、
なんだかみんなやさしい。

エジプトはある程度の町なら、
物が手に入らないとか不便さは感じないな。

そういう所はイランっぽいかも。

2月8日(土)

昼頃起きてアレキサンドリア行きのバスに乗る。
アレキサンドリアから電車でカイロに戻った。

しばらく休憩して、
一気にアフリカ下るかな。

3月8日(土)

1週間前にスーダンVISAを取りに行って、
今日やっと黄熱病の予防注射を打ちに行ってきた。

つぶれたホテルの1階に、
机と冷蔵庫があるだけの部屋に通されて、
1ポンド約20円で消毒もしないで注射を打つ。

なんだか悪い注射を隠れて打ってる気分。

そのままホテルに帰って、18時間寝る。

3月10日(月)

16時間寝た。
まだ黄熱病のワクチンと戦ってるみたい。

1ヶ月以上いたサファリホテルを出て、
ルクソールに向かう。

3月11日(火)

9時間位でルクソール駅に着いた。
電車はかなり快適で、リクライニング付き禁煙車両。

ルクソールは小さい町なんだけど、
観光で食ってるだけはあってやたらボってくる。
エジプト人は値段の交渉をしてると、
逆ギレするんだよ。
自分達が100倍位ボってるのが悪いのに。

それで買ってもらえないんだからアホだよな。

頑張って起きてたんだけど、
昼過ぎには眠くなってしまって寝てしまった。

また昼夜逆転生活が始まってしまう。

3月12日(水)

ルクソール神殿に行ってきた。
真ん中あたりに石の塔があるんだけど、
不自然に1本しかない。
壊れたのかなと思ったんだけど、
あとで聞いてみたら残りの1本はパリにあるらしい。

エジプトの物は大分国外に持ち出されてるね、
スフィンクスのアゴもそうだ、
そういえばシナイ半島も
今は返ってきたけどイスラエルに取られてた。

戦争に弱いだけなのかな?
でも、アゴを持ってってもしょうがないと思うけど。

3月13日(木)

朝の4時に起きてしまった。

アザーンを聞いてから、
バスに乗ってエナへ。
エナからハイエースでデンデラ遺跡。

なんだかあまり治安のいい所じゃないみたい、
軍隊やら警官がいっぱいいる、
そしていちいちついてくる。

守ってくれるんだからありがたいんだけど。

デンデラ遺跡は素晴らしい物だった、
クレオパトラがかかれた壁画とかもしっかり残ってる。

隠し地下室とかあっていい感じ。

エナに戻ってルクソールへ。
戻ってから17時間寝る。

3月14日(金)

カルナック神殿に行ってきた。

エジプトの遺跡はデカイんだよ、
1個見るのでも大変だ。
しかも壁にびっしりレリーフがあるので、
首が痛くなる。

なかなか昼夜逆転生活が治らない、
日の光が体にまとわりついてだるくなる。

俺の体は夜の方が活発に動けるように出来てるのかも。

3月15日(土)

自転車を借りて船でナイル川を渡る。
西岸に着いて15分、チケット売り場へ。

ツタンカーメンの墓以外のチケットを、
すべてここで買わなきゃいけないんだよ。

統一してほしい。

色々周った後、ハトシェプストへ、
そこから裏山を1時間近く歩いて、
王家の谷へ。

この1時間はキツかった。

フラフラになって王家の谷に着いて、
そこから西の谷に行ってアイの墓を見る。

ここが一番よかったな。

また王家の谷に戻って4個の墓を見たんだけど、
手直ししすぎだな、
色まで塗っちゃって、そのままの姿で見たかった。

3月16日(日)

昨日の疲れがまったくぬけず、
目を半開きにしてベッドで横になってた。

異常に喉が渇き、チャイを飲みまくる。

3月18日(火)

わかった。このだるさと微熱は、
疲れもあるだろうけど、
黄熱病の予防注射の影響もあるんだろう。

注射打って10日後から10年有効って言ってたし、
その10日間はワクチンと体を戦わせて
抗体にする期間なのかもしれない。

3月19日(水)

ルクソールから電車で3時間アスワンへ。

スーダンとの国境近く。

ちょっとした買い物をしたんだけど、
物価が少し安いみたい。

ナイル川が綺麗だ。

3月20日(木)

この町の人達は、髪の毛がチリチリパーマで顔が黒い。

ヌビア人って言うらしい。
エジプト人とは人種が違う、一応ムスリムらしい。
喋る言葉はヌビア語。

リビア国境の近くのシーワにも違う民族人達がいたし、
意外と多民族な国なんだ。

国境線なんてあとから付けたもんなんだから、
多民族国家なんて言ったって関係ないか。

3月21日(金)

ナイル川を見てボーっとしたかった。

ナイル川の川岸に座ってたんだけど、
アホエジプト人がフルーカっていう船に乗れってうるさい。

ウザイぞお前ら本当に。

3月22日(土)

朝3時に起きて、アブシンベル行きのバスに乗った。

1年ちょっと前に陸路解禁になった、
まだ危ないみたいで、
何十台もの団体ツアーのバスとアーミーの護衛つき。

それが朝の4時に出発。
それから3時間でアブシンベル神殿についた。

アスワンハイダムを造ったときに、
水没するはずだったんだけど、
ユネスコがお金集めて、
そっくりそのまま神殿ごと移動してしまったっていう
面白いところ。

ラムセスU世が4体座ってて、
ナセル人造湖を見下してる。

嘆き悲しんでることでしょう。

ちなみにナセル湖のナセルは、
当時大統領だったナセルの名前をとったらしい。

電力、農業生産向上のために造ったダムなのに、
ナセル湖ができて自然のバランスが崩れて、
今はそっちの方に頭を悩ませてるって言うんだから、
エジプトっぽいよね。

また3時間砂漠の道を戻って、
アスワンに帰る。

3月24日(月)

電車でアスワンハイダムに行って、
イミグレーションを越える。

かなりボロボロの船に乗って、
ナイル川を下ってスーダンに向かう。

14時に出発するはずだったんだけど、
結局5時間遅れてハイダムを出た。

とりあえず1泊。

3月25日(火)

朝6時頃外がやたら騒がしくなる。
見てみると、船のとなりに荷物用の船をくっつけてたんだけど、
波が出てきて荷物が濡れてしまったらしい。

とりあえず停泊して船を切り離す。

そこで6時間ほど止まった。

夕方ころまた止まって、
このままスーダンに行っても、
イミグレーションは閉まってるので、
もう1泊するっていってエンジンを切ってしまった。

ここで2泊目。

止まったところがアブシンベルの隣である、
船でここまで24時間かかったことになる。

車で3時間の距離をだ。

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