2002年7月23日(火)

時にはバカにされ、時には助けられ、
やっとイランを出国する日が来ました。

朝6時にイランとアルメニアの国境に着く、
手続きを終え、
川にかかってる橋を渡ってアルメニア。

アルメニアに入った途端、
同じバスに乗ってたおばちゃん達が薄着になり、
ビールを飲みはじめ、
イミグレの人に呼ばれてるのに、
ずっとビール片手に話をしてる。

イミグレの仕事が遅いのと、
おばちゃん達の勝手なチャイタイムと、
「お前ら引越しか?」
っていうほどいっぱいある荷物チェックで、
5時間もかかった。

11時にイェレバンを目指して再度出発。
夜23時にイェレバンに着いた。

途中トルコとの国境の近くを通った時に、
アララット山がよく見えた、
綺麗な山だ、なんだか神々しい。

イスラム教、ユダヤ教、アルメニア正教、
この山を神と崇める人達は多い。
ノアの箱船がついたっていうのも、
この山らしい。

それにしてもトルコ国境は近い、
俺がアララット山を見た所から、
10キロもないんじゃないかな?

7月24日(水)

すっごい幸せだ。

ビール美味いし、生ハム美味いし、
ワイン美味くて安いし。
ショッピングセンターあるし、
女の子かわいいし薄着だし。

こんな幸せを感じたのは久しぶりだ。

本当に感動してるよ、
ビールを飲んだ時に涙が出た、
何がアラーだ、何がコーランだ、
女の子が目しかだしてないくて、
しかも酒が飲めない国なんて、
二度と行かないぞ!

イェレバンの町はいい感じだ。
何がいいって、
想像してた旧ソ連そのままの町並みだからだ。

キリル文字も見かける、
小さいけどレーニン像もある、
広場の名前はまさに「共和国広場」、
昔はレーニン広場って呼ばれてたらしい。

無機質で特徴がない。

7月25日(木)

アルメニア人は美人だ。
スタイルいいし、90パーセント巨乳である。

仲良くなりたいけど、
まったく英語が通じない。
アルメニア語かロシア語らしい。

共和国広場にオープンカフェがあって、
オープンカフェ自体久しぶりに見たんだけど、
そこのウェイトレスのお姉ちゃんが、
カタコトの英語が喋れて、
これでもかっていうほど喋ってやった。

すっごくかわいくて、
スタイル抜群で、
ちょっとしたしぐさがカッコイイ。

100点なんだよ、パーフェクトなんだよ、
ほれない男はいないぞまず。

日本人いないな、いるわけないか。
大体日本大使館もないじゃないか、
日本語喋りたいな、
しばらく日本語喋ってない。

7月26日(金)

アルメニアの女の子好きです、
どなたか友達になって下さい。

かたっぱしから声をかけるが、
みんな英語も日本語も話せない。
いやー「ぼくジャポン」って言っても、
まったく無反応、知らないのか?

フジフィルムがあるじゃないか、
ソニーのテレビを使ってるだろう?
ODAで年間50億円以上やってるじゃなか、
お前らの国の音楽センターの音響と、
音楽団の楽器代誰が出してやったと思ってるんだ。

イェレバンについた時に、
ちょうどバス停にいた「カリネ」っていう、
おばさんの家にお世話になってるんだけど、
そこの家の近くで、
ちょっとしたイベントがあるっていうので行ってみた。

なんだかよく分からないイベントだったんだけど、
そこで14歳の少女達に出会った。
その5人のうち1人が帰国子女で、
英語が話せたので仲良くなることが出来た。

14歳のションベン臭いガキがだよ。
すでにFカップ位あるんだから驚いてしまうよ。
っていうか、その挑戦的な格好はなんだよ、
背中なんてヒモじゃないか!
下着つけろよ、スケスケだし。

ムスリムの国からきた俺には刺激が強すぎる。

「私達の中で誰が一番好き?」
なんて言われてしまって、
はっきり一人を選んで「YOU」って言ってしまった。

大人げない。

帰ってワインを2本とビール2L空ける。

7月27日(土)

見晴らしのいい所に行って、
イェレバンの町を見下ろす。

首都にしては小さい街だ。

それにしてもアララット山は綺麗だ、
アララット山はトルコ領にあるんだけど、
何であんな所に国境があるんだろう?
こっちから見ると、
何もない畑に国境があるように見える。

この国には水があまりないみたい、
日中は断水。
トルコとアゼルバイジャンの経済封鎖が原因なのか、
経済の状況もあまり良くないみたい。
普通の人は、1ヶ月働いて50ドル位らしい、
貧富の差が激しい。

物価はそこそこだけど、
何といってもワインが安い。
アルメニア産のワインなら、
500ドラム、約100円で一本買える。

そういえばアルメニアの人は真っ白じゃないな、
アジアとヨーロッパの血が、綺麗に混ざってるんだろう。
だから美人なんだな。

俺がマカオで一発で惚れた女の子も、
ポルトガルと中国のハーフだったし。

7月28日(日)

夜22時まで明るい。
サマータイムを導入したほうがいんじゃないの?

毎日毎日酒ばっか飲んでて、
どこにも行ってないな。
全部の銘柄のアルメニアワインを飲んだら出ようかな。

なぜアルメニア人は英語を勉強しないで、
ロシア語を勉強するのかわかった。

テレビと映画がほとんどロシア語だったんだ。

7月29日(月)

町を歩いてたら、
東アジア人っぽい2人がいた。
よく見ると、
パキスタンで会った日本人カップルだった。

この時は嬉しかった。

カリネさんの家に帰ってワインを飲む。
とにかく飲みまくり、とにかく喋りまくった。

今更ながら、言葉が通じるって凄いことだなと、
実感したよ。

ワイン5本飲んで、ビール4本飲んで、
フラフラでした。

7月30日(火)

2日酔いです。
夕方まで酒が抜けなかった。

ふと路地裏に入ったら、
なかなか雰囲気がよかったので、
カメラを取りに行って、
また行ってみた。
女の子がポツンと座ってて、
なんかいいなと思ってバシバシ写真とってたら、
お兄さんらしき人がきて、
こっちに来いみたいなことを言ってる。
怒らせたか?と思ったけど、
案内されたのが普通の家で、
そこの一家と近所のおばちゃんとか、
10人くらい紹介され、コーヒーをいただいて、
なんだかとてもいい雰囲気。
ロシア語と英語の辞書を出してきて、
辞書トークをする。

日が暮れたころ、
カリネさんの裏の家の女の子が遊びに来た。
彼女は英語が少し喋れる。
それから1時間くらいして、
その子の妹が遊びに来て、話に花が咲く。
彼女も英語が話せる。
それからまた1時間して、
お母さんが来て、30分後にお父さんが来て、
カリネさん一家と裏の家の一家と俺と、
なぜかパーティーが始まった。

夜中の1時スタートである。

なんと、隣の家の人はみんな英語が喋れた。
ちょっと上流階級の人達みたい。

下の妹は20歳なんだけど、
ロシア語、アルメニア語、英語、スペイン語が話せる。
風呂あがりで、髪が濡れてて、
ノーブラでもある。

結局4時過ぎまでパーティーは続いた。

話の中でロシアのことが出てきたんだけど、
ロシアの事ってあまり知らないんだよね、
でも、ロシアって日本の隣にあるんだよな。
そこを鋭く指摘され、色々聞かれた後、
日本にいるロシア人はどうだ?って聞かれたので、
車盗んだりしてるって言ったら、
大笑いしてた。
日本にいるアルメニア人は頑張ってるか?
って聞かれたんだけど、

日本にアルメニア人っているの?

アルメニアっていう国の存在自体、
俺も3ヶ月くらい前に知ったし。

お姉さん21歳、妹20歳。
どちらも非常に綺麗でとってもやさしい。
おやじが酔っ払って、
娘の一人を持っていけって言ったんだけど、
本気で持っていきたかった。

ホント「美女」で、
そんな目で、こっちを見ないでって感じ。

8月1日(木)

虫が大量発生して全然寝れない、
起きたら体中血だらけだった。

エチミアジン大聖堂へ。

アルメニア正教の聖地らしいけど、
別に普通の教会だったので、
ぐるっと一周して帰ってきた。

家に帰って隣のお姉さん達と遊ぶ。
「俺写真好きで、ホラこんなにグッドな
メイドインジャポンのカメラを持ってるんだよね」
って言って、
わざわざ着替えさせて、写真を撮る。

どこから撮っても絵になるんだよ、
もう、途中で撮るのをやめてしまった。

8月2日(金)

セヴァンに行く。

途中でバスを乗り換えたんだけど、
ひどいバスだった。
バスの上に6本ガスタンクがあるんだよ、
もしかしてこのバスはガスで走ってるのか?
全然スピードが出ない、
インド並みにボロボロだし。

ゼヴァンに着いて、
普通に走ってた車を無理矢理停めて、
宿まで連れてってもらう。

意外といいやつだった。

荷物を置いてゼヴァン湖でボケっとする。

この国ってイランより貧乏なんじゃないのかな。
宿で一緒になったおばちゃんは、
1ヶ月20ドルしか貰ってないって言ってた、
イェレバンで会ったお姉さんは50ドルって言ってたな、
おかしいところは、
グッチとかのお店もあるし、
ベンツとか意外と多いんだよ。
これは貧富の差が激しいんだ。
貧乏人の方は、普通にスーパーで買い物なんて出来ないよ。

この前ナゴルノ・カラバフの問題で、
アゼルバイジャンとの戦争が終わったばかりなのに、
このままじゃイランと同様、
治安は悪くなるだろう。

8月3日(土)

しばらくシャワーを浴びてない。
ホテルで、しかも湖の隣のくせして水が出ない。
湖に体を洗いに行くが、
冷たくて顔と足だけ洗って帰ってきた。

教会とか見に行ったんだけど、
あまりパッとしない。
ハチュカルとかいい感じなんだけど、
どれも壊れてて、その辺に置いてあるだけ。

8月4日(日)

セヴァンからグルジアを目指して、
行けるところまで行く。

セヴァンにはバス停がないらしいので、
幹線道路に出てバスを待ったが、
まったくつかまらず、ヒッチするこにした。

3時間くらいで、
ヨボヨボのおやじと、
ヨボヨボの車をゲット、
ディリジャンまで行ってくれた。

この辺は景色が良い、美しいって感じ。
空気もうまいし、高原でもあるし、
700m位の山がいっぱいあって、
夏だから花も咲いてて、
ヒッチの疲れなんか吹っ飛んでしまった。

ディリジャンでメシを食って、
道路にポツンと座ってたら、
目の前で車が止まった。
「オドブース」って言ってたから、
バスだとは思うんだけど、
どう見てもバスっぽくないんだよ。
でも、キロヴァカンまで、
500ドラムで行ってくれるって言うので、
それに乗る。

おやじがいい奴で、
どこに行きたいんだって聞かれたので、
グルジアって答えたら、
アラヴェルディ行きのバスのところまで、
連れてってくれた。

それからアラヴェルディへ。

アラヴェルディは谷にあるんだけど、
ボロボロのロープウェーがあって、
崖の上まで行ける。
谷にも町があって、崖の上にも町があって、
そこをロープウェーが結んでて、
市民の足になってる。50ドラム約10円。

気に入っちゃってさ、
景色もいいし、見所もあるみたいなので、
泊ることにした。

崖の上にホテルがあって、
そこにしたんだけど、
たぶん旧ソ連時代からある建物なんじゃないかな?
ボロボロで、お湯どころか水も出ない、
昔はさぞ立派なホテルだったんだろうけど、
ほんとボロボロ、しかもお客は俺だけ。

歩いてサナヒン修道院へ。
ここの教会はよかった。
光の入り方がいいのと、
ハチュカルとちょっとした彫刻がいい。

ホテルに帰って1人でワインを飲んでた、
そして10時頃停電になる。

ちょっとまて、
水が出なくて電気も使えないんなら、
ホテルじゃないじゃん、
1泊5ドルも払ってるんだよ。

でも何故か1人しかいないはずの10階建てのホテルに、
人の声がする、
恐いので見に行く。
階段を上がっていったら人とぶつかった、
マッチがなくてローソクに火をつけれなくて、
困ってる女の人がいた。
俺が持ってたライターで、
ローソクに火をつけ、
その人の部屋に行ったら、
12歳から41歳までの女の人が4人いた。
このホテルには住んでないけど、
仕事のオフィッスとして使ってるんだって、
電気もないしローソクもないから、
遊びに来ていいって聞いたら、
いいって言ってくれたので、
みんなで夜中まで話をする。

兄弟とか親戚が集まって、
会社をやってるみたい。

8月5日(月)

虫もいないし涼しいし、
久しぶりにぐっすり寝れた。

ロープウェーに乗って下の町へ、
バスを捕まえてオズンに行った。

ここにはロープウェーはないけど、
崖の上にある村で、パーっと開けてて、
遠くには300m位の小さい山があるいくつもある。

のんびりしてて、すっごい静か。

バスを降りてお金を払おうとしたら、
いらないって言われた。
誰かが払ったらしい。

教会の方に向かって歩いてたら、
おやじがちょっと待ってろって言う、
教会の鍵を借りてきてくれたみたい。
そのおやじと一緒にオズン教会に入って、
お祈りをする。

それからおやじが、
メシ食ってけみたいなカッコウをしたので、
ついていった。
奥さんがすでに昼飯の用意をしてて、
いきなり現れた外人の俺を見てびっくりする。

宇宙人を見るような目で俺の顔を覗き込む。

とりあえずウォッカで乾杯して、
昼飯をいただく。

あとでわかったんだけど、
ここのおやじがバス代を払ってくれたみたい。
近所の人も集まって、
みんなで記念撮影をして、
アラヴェルディに戻った。

バスを乗り換えハグパットへ。

ここのハグパット修道院は世界遺産に登録されてる。
保存状態がよくて、
ハチュカルもかっこいい。

帰ろうとして「バスどこ」って聞いたら、
ないよって言われた。
車も通りそうもないので歩く。
1時間くらい歩いた所で車が来たので、
すかさずヒッチして、
アラヴェルディの町のはじっこまで乗せてもらう。

町のはじっこについた時は、
19時を過ぎててロープウェーの営業時間が終わってしまった。
その辺にいた女の子を捕まえて、
家でコーヒーをいただいて、
タクシー見つけてもらってホテルに帰る。

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