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なんでも雑記帖(2002年版)


現在作成中(2002/11/19)

しばらく更新しなかったですね。このコンテンツをすっかり忘れていました(笑)

ジャズアルバムの『この一枚』は一応毎週更新していますが、それとは別に現在進行形のものがあります。
『初心者のための電気講座』というタイトルで電気や電気製品の基本を講釈するものです。内容は一部ですが、こんなものを予定しています。

電気の基礎

雑学編

電子と電荷
交流と直流
電流の三作用
オームの法則
ジュール熱
電磁誘導
静電気
見る
測る
超音波
電波
アマチュア無線
調理器
コピー・ファクシミリ・スキャナ
デジタル時計
超伝導

大項目は電気の基礎、電気とお付きあいする方法、雑学など6項目、中身の数は現在のところ49項目あります。もちろんオーディオもありますよ。

現在鋭意作成中ですが、実際に文章を書くとなると・・・・・・えらい大変です(笑)

充分知識を持っていると思っていたことでも、書いてみたら知識不足だったり、あいまいだったり。
なるべく簡単に説明したいのですがどうしても専門用語を使わざるをえなかったり。
ヘタなイラストを書いたり、ホームページから写真を拝借したり(一応拝借した写真には出所を明記します)
あれやこれやで、もう止めちゃおうか、などと思ったり(笑)

でも一応始めたことですから、なんとかアップするまで頑張ろうと思っています。
アップの時期は・・・早くても1月ごろになるかもしれません。


今日は(2002/10/26)

今日(10月26日)は私の結婚記念日です。

夫婦って何なのだろう、と時々思います。
考えてみれば、どんなに愛し合って結婚するとはいえ、違う環境で生活してきた者同士が一緒になるなんて無茶な話です(笑)

結婚したときから『現実』が始まるのです。
生活のリズム、嗜好、考え ・・・すべてが違うと言っても言い過ぎではないでしょう。
恋愛期間中は見えなかった相手の欠点も見えてきます。

・・・・こんなハズではなかった

男でも女でも、一度でもそう思わない人はおそらくいないのではないでしょうか?

しかし・・・と思うようになったのは比較的最近のことです。
私が『こんなハズではなかった』と思うように、妻も『こんなハズではなかった』と思っているに違いありません。
そうなると、これはもうお互い様でしょうね。

恋人に必要なのは『情熱』かもしれません。
でも夫婦に必要なのは、お互いの些細な欠点をすべて承知の上で、なお、お互いの人格を認め合うことなのではないか。

もちろん、これが夫婦のすべてではありませんが、例えばそう言うことなのではないかと思うこのごろです。


善い人(2002/10/05)

掲示板の注意書を作ってから数週間がたちました。コトの発端はいくつかのサイトの掲示板で論争やストーカーまがいの話を目の当たりにしたからです。

以前からそうでしたが、幸いなことに私の掲示板に書きこんでくださる方々はいずれも紳士・淑女達で、掲示板でイヤな思いをしたことは一度もありません。

◇ ◇ ◇

私のお習字の先生の、さらにその上の先生が一筆書いてくださった色紙があります。私の宝物の一つです

偉い人間にはなれなくとも、善い人げんにはなれる

と書いてあります。。

人間にはいろんな『能力』や『才能』がありますね。
ビジネス上の能力、運動能力、語学力、文学や芸術の才能・・・パソコンを使いこなすのも一つの能力ですし、細かく分ければ膨大な数になることでしょう。

仕事上の能力なら誰もがそれを高めるために日々努力していることと思います(スキルアップ)。会社員なら、能力があるということはそれだけ高く評価してもらえる重要な要素になるからです。

では善い人とはなんなのでしょう?
これにもいろいろな要素があると思いますが、例えば優しさであり、相手の立場を思いやる気持ちなのではないでしょうか?
『善い人』とはその人の性格・人間性であって、能力とは無関係でしょう。

ところが残念なことに善い人であるがゆえに傷つくことも少なくありません。
何か人に親切にしてやったことがアダになって、かえってバカを見ることもあるのです。

そんな時、あいつは人が善いからなあ、などと言われます。
『善い人』とか、『人が善い』というのは必ずしも誉め言葉ではないのです。
何か間違っていると思うのは私だけでしょうか?

人間には人間としての品格・品性というものが必要です。
例えどのような優秀な能力を持っていようとも、社会的に高い地位にあろうとも品格・品性がまったくない人もいるのです。

かつてエコノミック・アニマルと呼ばれた日本人
東南アジアへ買春ツアーに行って恥をさらした人
相手の迷惑を顧みず好き勝手なことをする人
人の心を傷つけて平気な人
どうせ名前がわからないから、見られていないからと旅行やネット上で恥を掻き捨てる人
それを面白がる人・・・・・。

良い学校へ入りましょう、良い会社へ就職しましょうとはよく聞かれる言葉です。
でも善い人になりましょうとはあまり聞きません。
人が善いだけでは生きにくい世の中なのです。そして心無い人のいやがらせから身を守るために心を閉ざさざるを得ない人もいるのです。

話は少々違いますが、杉原千畝氏は私が尊敬する一人です。
杉原氏はユダヤ人のためにビザを発行したために戦後外務省を免職になりました。

杉原氏の奥様も手記に書かれていますが、氏はあるいは外交官落第だったかもしれません。
でも彼は『立派な人』でした。

優秀なビジネスマンである以前に『人間として』正しく立派でありたい。また『善い人』でありたい・・・。
人間性では杉原氏の足元にも及ばない私ですが、氏の生涯を知ってからそう思うのです。


日本中央(2002/09/09)

歴史編に新作をアップしました。
今回は古代東北地方が舞台です。

その昔。
「日本」は白河の関を境に「蝦夷(えみし)」と対峙していました。

蝦夷とは一体何なのか。
日本の先住民族なのか・・・、アイヌとの関係は・・・・・。
ある学者は考古学的に、またある人は人類学的に研究してきました。
私は膨大な量の文献と、その難解さに気が遠くなりそうですので、健康のためこの問題は避けてしまいました(笑)

坂上田村麿は奥州の争乱を平定した後、現在の青森県東北町で石に「日本中央」という字を刻んだといいます。
東北の最北、青森でなぜ「日本中央」なのか・・・・・大きな謎です。

日本中央の碑

奥州藤原氏と平泉文化を支えたのは膨大な金の力でした。
奥州藤原氏2代目、藤原基衡は毛越寺を建てたことで知られていますが、その本尊である薬師如来像は京の仏師、雲慶に制作を依頼しました。

完成するまでの数年間。
制作費用とは別に、基衡は毎日のように奥州から雲慶のもとに様々な名目をつけて、黄金、駿馬、絹などの贈り物を届けたと言われています。

絹にいたっては輸送するのに三艘の船を使いましたが、運慶が「どうせ絹をもらうなら、練絹が良かった」とふと漏らすとそれを聞いた基衡は再び船三艘をチャーターして運送したとのことです。

後年になって東北地方は冷害、寒村、貧しいというマイナスのイメージでとらえられてきました。
でも少なくとも平安時代以前、ここはまさに黄金郷だったのです。

しかし俗な言葉でいえば、金の切れ目が運の切れ目。金が底をついたときが藤原氏の運の尽きではなかったか・・・・確信はしていませんが、私はそう思っています。

藤原氏の後、奥州で栄えたのは安部氏の子孫を称する安東氏でした。
しかし安東氏のことは歴史の教科書(中高生用)にはまず載っていません。
私がその存在を知ったのはそれほど昔のことではありません。
安東氏のことは、今後の研究次第では一般に知られるようになるかもしれません。

この地でヤマトと戦った阿弖流為や安部貞任、栄華をきわめた藤原氏のことを思うとき、そのスケールの壮大さに邪馬台国などとはまた別の意味で歴史のロマンを感じます。


3年生(2002/07/30)

あれから2年が経ちました。
2000年7月30日は、私がこのサイトを立ち上げた日なのです。

ホームページ作りのきっかけは「雑記帖」にもほんの少し書きましたが、職場の女子社員、Sさんの勧めによるものでした。

その年の社員旅行(5月)の宴会で、私の隣にSさんが座りました。座席はくじ引きなので、誰がどこに座るかまったくの偶然なのです。
いろいろ話をして行くうちに趣味の話になり、パソコンの話になった時、Sさんからホームページ作りを勧められました。
おだてられるとその気になる性格(おまけに酔っ払っていた)なもので、早速とりかかったわけです。
ま、これが男子社員の勧めでは、次の日には忘れていたでしょうね(笑)

それから約2ヵ月でサイト立上。
Sさんは私の掲示板書き込み第一号でもありました。その後間もなく結婚退職して今は静岡県で暮らしています。

あれから2年。
こんな拙いサイトにもかかわらず、毎日大勢の方が訪れてくださっています。
まったく感謝の言葉もありません。

思えば知合った方々との接点、共通点はわずかにネット上だけのことです。
年齢も職業も住所もみなまちまちなのです。
ジャズをはじめとしていくつかの要素があるとは言え、北は北海道から南は広島まで、何人もの人と知合えると言うのもまた不思議な話です。

それにしてもこの2年間で何人の人達と知合ったことでしょう。
毎日来てくださる方。1、2回の書き込みだけで終わった人。全部合わせれば相当な人数になると思います。

それにオフ会。
立上当時はオフ会なんて想像すらしませんでした。
らふらんすさん、散歩人さんのように我家にお越しくださった方もいます。

◇ ◇ ◇

最近仕事が急に忙しくなっていますし、休日出勤も時々あります。
今までのようにあちこちのサイトに書き込むのは厳しい状況になりつつあります。
このような状況がこの先どれくらい続くのか想像もできません。
これにつきましては、お詫びする以外ありません。

時々、このサイトはいつまで続けられるだろう、と思うことがあります。
更新ネタも尽きてきていますし。ネタなど、もともとあまり持ち合わせていませんが(笑)

それでもこの上州屋。
お客様がいる限り、一日でも長く続けていこうとも思います。
一期一会ではありませんが、せっかく縁があって知合った方々です
これからもずっと仲良くして行きたいと思うのです。
そんなわけですから、今後とも上州屋をご贔屓に。これからもよろしくお願いしたします。


たかがオーディオ(2002/07/14)

●されどオーディオ・・・・・

今日ゴロピカ工房の自作オーディオに新作をアップしました。作ろうと思い立ったのが3月ごろでしたから納期は4ヵ月でした。
結果は・・・・・・・検討段階を経て、完成に至る過程は ここ に記載してあります。

今回の作品は右上のものです。
左側のアンプは今までのものですが、それに比べるとかなり小さいのが分かると思います。

正直言いまして、アンプ作りのそれぞれの工程は決して楽なものではありません。シャーシー加工には力が必要ですし、配線は座り仕事ですから腰も痛みます。時には危険・・・火傷、感電・・・すらあります。それでも、シャーシーを加工し、配線をしている時。
ふと、オレの一番好きな趣味はこれだなあ、と思ってしまいました(^。^)

●世のため人のため・・・・・

ところで私は人様のためにアンプを作ることはまずありません。修理もごく簡単なもの以外は頼まれたくありません。
なぜなら万が一事故(感電、火災等)が起きても責任が取れないからです。

私がここのサイトで回路図だけを書いて部品の定数・・・抵抗やコンデンサーの値を書かないのは、まさにこの理由によります。不特定多数の人達が見るサイトですから、部品の値を書いて、それをそのまま作られて、誤配線等によるトラブルを起こされてもどうすることもできないからです。

矛盾するようですが、私のアンプ作りの最大の方針は使って安全であることです。良い音が得られるなら少々の危険は顧みない、などと平気で言う人は、私は人間として信用できません。
私はこれでも一応電子工学科の出身ですし、子供のころから電気配線には親しんできました。
それでも素人の素人配線なのです。

アンプが完成すれば、様子を見るために半日位は通電して安全(過熱や発火など)を確認しますが、それだけで全てOKと言うわけではありません。

ですから私はアンプを使っている時は、そのそばにいますし(LP、CDを聴いているのですから当然ですが)、部屋を出る時には必ずスィッチを切って出ます。

人のためにアンプを作った場合、アンプはその人だけでなく、その人の家族にも使われる可能性があります。
動作中の真空管に素手で触れば間違いなく火傷をします。おまけに今回のアンプのように裏蓋がないものは置き場所も選びますし、子供が持ち上げて中を覗いて高圧部に触ることも考えられます。

ちなみに今回のアンプには場所によっては290Vの電圧がかかっています。290Vと言うのは真空管アンプの場合、決して高い電圧ではありません。それでもまともに触ったらものすごいショックだと思います。

それやこれやで私は人様のためには作らないです。

●十人十色

オーディオ機器を買いたいけれど、どんなものが良いか、と聞かれることもあります。
頼りにされるのは嬉しいのですが、その反面正直言いまして困ることでもあります(笑)

数学や物理の問題解答ではなく、人間の感性の問題だからです。(オーディオの基礎理論は数学・物理に基づきますが)
ですからこのテの質問にもなるべくなら答えたくないです(笑)

「私にとって好きな音質・良い音」が、「質問をした人にとっても好きな音質・良い音」である保証はどこにもありません。
私自身、自分がどんな音が好きなのか、言葉で表すことはとてもできないのです。

気づいている方がいらっしゃるかどうか・・・・。私は自分のサイト、他人のサイトを問わず、私は○○が好きだとは書いても、絶対あれが良い、こんなのは全然良くないなどと意見を述べたことはありません。
私は自分の趣味や好みを人に押し付けるようなことはできる限りしたくないし、押し付けるべきではないと思うのです。人それぞれだからです。・・・・これ自体一種の意見の押し付けですが(笑)

オーディオ機器は結構お金がかかるものです。
オーディオ雑誌の機器紹介や相談コーナーを参考にして、やっとの思いで買ったオーディオ機器が落着いて聴いたらあまり良くなかった、と言うこともあり得ます。そんな時はどうしましょう・・・・・フトンにくるまって泣き明かしましょうか(笑)

でもオーディオ雑誌に文句をいうのは間違いです。
オーディオ雑誌に書かれたことは「一つの参考意見」であって「勧誘」ではないからです。人の意見・勧めに従って買ったとしても、買う・買わないの意思決定者は自分自身なのですから。購入の責任は購入者にあるのです。
これはジャズ専門誌を読んでCDを買うときにも当てはまりますね。

●たかがオーディオ・・・・

たかがオーディオ・・・・。私にはいつもそんな思いがあって、そこから抜けられません。
もちろん私はオーディオが好きです。ですから電子工学などを専攻したのです。

それでもまずオーディオありきではなくて、まず生活ありきです。これはゴロピカ工房にも、雑記帖にも多少は書きました。
家庭を持っている以上やむを得ないですね。自分にそう言い聞かせている面もありますが(笑)

驚くことにこの世には、音が悪くなると称して機器のヒューズを取り外して、その部分を普通のケーブルでつないでしまう人がいます。
ヒューズなんかで音質が変わってたまるか、と私は思っていますし、安全を無視するような人は信用できないと、先ほど書いたとおりです。

百歩譲って音質が向上するとしても、その反面、ヒューズのない危険性は絶対に無視できないのです。(このような場合こそ、絶対と言う言葉を使って強調します)

一口にオーディオ・ファンと言っても、世の中にはいろんな志向の方がいます。
アンプを作る人も私のように真空管中心の人もいますし、トランジスターやFETで最新の技術を結集させる人もいます。スピーカークラフトに精を出す人、ケーブル等のアクセサリー・マニアの人・・・・。いずれもその人のオーディオへのこだわりが伺えます。

こだわるのは大いに結構です。こだわるからこそ趣味なのです。
しかし、たかが音質の向上です。事故がおきてから泣き喚いても遅いのです。

ま、たかがオーディオです。
テキトーに切り上げて、お酒でも飲んで、美女とおしゃべりしながらジャズでも聴きましょう(笑)


秋葉原(2002/06/16)

現在検討中のアンプのパーツを買いに久しぶりに秋葉原に行きました。
ここは世界最大とも言える電気の街です。秋葉原の歴史を簡単に書くと次のようになります(秋葉原電気街ホームページより)

秋葉原電気街のあたりは「火事とケンカは江戸の華」と言われたように、江戸時代は火事が多く、1869(明治2年)の大火を機会に、当時の明治政府は9000坪の火除地(ひよけち)を当地に設置し、翌1870(明治3年)年に、静岡県から火除けの秋葉大権現(あきばだいごんげん)を勧請(かんじょう)し、鎮火神社としてまつった。

当初は鎮火原と呼ばれたが、鎮火神社が秋葉神社(あきばじんじゃ:現在は台東区松が谷に移転)と改められると、「秋葉原(あきばはら・あきばっぱら)」と呼ばれるようになった。 現在、「あきば」と略されるのは、このあたりが語源となっている。

1890年に上野から鉄道が延長されて、新しく当地に駅が開設されることになり、駅名は「秋葉原(あきはばら)」と名付けられ、その名前が一般化し、全国的には「あきはばら」という読み方が定着していく。

一般に秋葉原電気街は、太平洋戦争後、駿河台/小川町界隈の闇市が、徐々にラジオ部品を専門に扱うようになり、1951年の露店整理令によって、ガード下に収容されたことが始まりといわれている。
しかし、実は戦前から、このエリアで家電卸売り/小売を営んでいた会社があった。

◇ ◇

学生時代は神田かお茶の水駅まで行きましたので、秋葉原は途中下車にはもってこいの駅でした。

この略図でラジオ○○と言うのはビルやガード下のお店の集団の名称です。部品は群馬でも買えますが、値段も高いし新品と言う保証もない、通販もできますが実際にこの目で見たいと思ったので出かけた次第です。
実際には電車賃を考えれば通販の方が安上がりでしょうね(笑)

電気街口を出たところ
あいにくの曇り空。しかし人は多い

ここの店は大きく分けると電気製品の店、電気部品の店に二分されます。
私の目当てはもちろん部品のお店です。
○○ラジオ、〇〇無線という名前のお店が多いのは、かつてラジオは庶民の贅沢品だったからかも知れません。
どこに行けばどの部品が買えるかは学生時代以来の経験で大体分かっています。
もっともあのころはオーディオ機器は花形商品でしたが、いまはパソコン関係になっています。
今日買ったのは抵抗、コンデンサー、ダイオードと言った具合にごく小さな部品ばかりです。

ラジオセンターは総武線のガード下にある。
午後になって中央通は歩行者天国になった。

 

ラジオセンターの中
電気部品の専門店が密集している

ここではこの店は安いと思って買った物が、となりの店をふと見たらもっと安かった、なんてことは誰もが経験することです。ですから一旦買ったら、あまりキョロキョロしない方が良いです。(笑)


ライブ(2002/06/02)

昨日(6月1日)はライブに行きました。
カーリン・アリソン・クァルテット、マッコイ・タイナー・トリオです。東京からわざわざ来られたMissAnnさんと散歩人さんも一緒でした。

17時10分に高崎駅に到着したMissAnnさんとジャズ喫茶・主音求でコーヒーを飲んだ後会場へ行き、散歩人さんと合流。

ライブは今年2回目です。
あのブラッド・メルドーほどの強烈なインパクトはありませんでしたが、充分楽しめました。

18時30分、開演です。
まずはカーリン・アリソン・クァルテット。クァルテットと言ってもバックはピアノ・トリオ+ギターの4人です。

オープニングはアップテンポで You'd Be so Nice to Come Home to。
これはなかなか良いぞ、と思わせる快調な出だし。続く2曲目はシャンソンの パリの空の下セーヌは流れる で意表を突きます。

バックのメンバーはいずれもハデなテクニックはありませんが、ボーカルのバックとしては申し分なく、着実・堅実と言ったところでしょうか。やがて彼女自身もピアノを弾き始め、それまでピアノを弾いていた人はフルートを吹きます。この持ち替えはちょっと変わってます。

私が知っている曲は What's New、I Wish I Knew 、Too Youg To Go Steady 。コルトレーンのBalld からですね。アンコールは Moanin' でした。

この人は抜群のテクニックでぐいぐい押しまくる人ではありません。私はボーカルは、どちらかと言えばそのようなタイプの方が好きです。アン・バートンやサリナ・ジョーンズが好きなものですから(笑)

ですからファンになりそうです(^。^)

♪ ♪ ♪

さて、マッコイです。
何才になるのかなと思ったら、今年の12月で64歳になります。私の知っている曲は St. Louis Blues とアンコールのSatin Doll でした。

それにしてもパワフルですね!
年齢を微塵も感じさせません。
現在ですらこれほどなのですから、若い時は相当のものだったでしょう。それにキースのように背中を丸めることもなく、背筋はピンとしています。

ベースのエイブリー・シャープは大変なテクニシャンです。
でもソロになると、どの曲もワン・パターンで、金太郎飴のようでした。次にどんなことをするか見当がついてしまうのです(笑)
ドラムもなかなかのものですが、長いソロになると同じことの繰り返しで、もう少しなんとかならんか、と思ったものです。

同じことの繰り返しと言えば、この日の演奏全てにあてはまります。
あるパターンを執拗なまでに繰り返し、次第にエンディングを盛り上げていく手法です。コルトレーン時代を彷彿させます。

私が持っているマッコイのリーダー・アルバムは Reaching Fourth と Altantis 、The Night Has A Thousand Eyes の3枚です。
The Night Has A Thousand Eyes を聴いたときは、へえ、あのマッコイがずいぶんおとなしくなったじゃないの、と思ったものです。
昨夜の演奏は、また元に戻ったかな、です(笑)

水野晴郎ならこう言うでしょう。

いや〜、ライブって本当に良いものですね!


公約 (2002/04/27)

今日「ドルフィーに捧げる涙」と称して、ごく簡単ですがエリック・ドルフィーのコーナーをアップしました。こんなコーナーをアップするくらいですから、私はドルフィーのファンです。
しかし誰でもある程度そうだとは思いますが、考えたことの半分も書けていないようにも思えます。

アップすると大見得切った(と言うほどでもないか)のは、去年の元旦ですから、納期は実に1年4ヵ月近くかかったことになります(大恥)

ま、どこかの国の政治家と違って、公約を忘れなかっただけエライとさせてください(笑)

♪ ♪ ♪

話は変わって、いま新たなオーディオ・アンプを作ろうと考えています。
これもすでにオーディオのコーナーに 「VT−52アンプのリメイク」として回路だけはアップしましたが、これはボツにします。

現在考えているのは 「全段差動増幅プッシュプルアンプ」と言うものです。
差動増幅と言うのは、現在のトランジスタ式のアンプでは常識的な回路ですが、真空管ではきわめて珍しいものです。

どのような経緯で作る気になったのか、製作課程は、出てきた音はどうか・・・。
完成したらあらためてレポートをアップするつもりです。

ただ、私も宮仕えの身。
時間は土日を使えばなんとかなりますが、お金がいくらあっても足りない年代・・・と言ってもコストは3〜4万円ですが、それをひねり出すのが大変です(笑)
少しづつ部品を集めますが、完成するのは早くて夏ごろになるでしょう。


 オフ会、そしてブラッド・メルドー(2002/03/23)

ブラッド・メルドーがブルーノートに出演する、と聞いたのは1月中旬、マダム・Yさんがけれやさんの掲示板に書き込んだ時です。

私はそれ以前から、彼の演奏を聴いてすごいと思っていたので、すぐに行くことに決めました。
その後 MissAnn さんや、けれやさん、マダム・Yさんと連絡をとり合い、当日は事前にカフェで待合せることになりました。

3月21日
上野駅から銀座線に乗り、表参道で降りてカフェの入口に着くと、ほとんど同時に着いた人が私を見てゴロさん?と言います。

けれやさんでした。
中に入るとマダム・Yさんと、思いがけないことにドラさんが待っていました。

初めてお目にかかる3人。やがてMissAnnさんも到着。
お久しぶりと挨拶。

ジャズのこと、ホームページのことを中心に話に花が咲き、その合間にみやちゃんとGAKOさんと電話でお話。15時半になるとけれやさんとドラさんは都合で帰り、17時10分、私達はブルーノートに入りました。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

18時半に登場したメルドーは、赤い(と言うより濃いピンク)ポロシャツにスラックスというラフなスタイル。
椅子に腰掛けたメルドーは、持っていたキャメルのタバコとライター(100円ではなかった)を左の足元に置きます。そのそばにはペットボトルが2本と汗拭きタオル。

私達の席はステージに向かって左側。メルドーの背中が良く見えます。距離にして3m程度でしょうか。ピアノの向こうにいるベースはほとんど見えず、ドラムはまったく見えません。

一曲目はごく軽い演奏。
あれ? こんな演奏が最後まで続くのなら、とんだ期待外れだ・・・・・。

と思っていたら、二曲目は打って変わってまさにメルドーの世界です。それまで聞こえていた食器の音や話し声はまったく聞こえなくなりました。聴衆全員が一音も聴きのがすまい、としています。

四曲目。Alone Together がはじまりました。例によって無伴奏ソロからはじまります。

音の使い方、テクニック・・・・見事の一言に尽きます。ピアノの一音、一音の粒立ちの鮮やかさは磨きぬかれた宝石のようです。
そしてソロが終わり、ベースとドラムが入るタイミング!
ライブで目の当たりにしたせいか、Vol.5 のAlone Togetherより素晴らしいのではないかと思います。完全にノックアウトされましたね。これは。
もし残念な点を挙げるとすれば、その後の演奏がやや冗長であったことです。

最後の曲。そしてアンコール。
あっという間の1時間半でした。

それにしても、すさまじいばかりの集中力です。
キース・ジャレットのスタンダード・トリオは、どちらかと言えば3人が好き勝手なことをしているように思えますが、メルドー・トリオは3人が完全に一体化しています。

彼らが醸し出す世界はなんと言って表現すれば良いのでしょう。
集中、現代的、皮肉、不安、悲愴、知的、孤独、緊迫感・・・・・・

ふと、思ったことは、メルドーのスタイルはエバンスとは全然違うが、音楽上のコンセプトにおいて、ビル・エバンス・トリオ(ラ・ファロがいた時の)の後継者があるとするなら、それは彼等のことではないか・・・・

このグループは彼等3人同士はもちろんのこと、聴衆にも「真剣勝負」を求めてきます。それが彼等の世界であり、演奏後は深い感動と心地よい疲労感が残りました。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 

その後、表参道駅でMissAnnさんとは別れ、マダム・Yさんとは途中の駅まで一緒でした。楽しいオフ会、素晴らしいライブ・・・・余韻は今でも続いています。


GS (2002/03/09)

今から35年ほど前、歌謡界にはGS(グループ・サウンズ)旋風が吹き荒れました。
パイオニア的存在だったスパイダース、ブルー・ジーンズ、ブルー・コメッツ等の人気にあやかって登場したタイガース、テンプターズ・・・・・・。

音楽的にはビートルズに憧れつつも音楽性は遠く及ばず、ロックをめざしながらも歌謡曲の枠を破れませんでした。
今日の耳で聴けば、懐かしいだけの歌と、しょうもない演奏ですが、当時の中高生は熱狂したものです。

 

私はあるサイトでの会話をキッカケとして、GSコーナーを作ることにしました。
私が持っている当時のレコードはシングル盤数枚にすぎませんから、まず資料集めをしないとね。
せっかくですから、GSの歴史やら、代表曲の紹介も織り込もうと思います。

構想はできたとは言え、どんなふうになりますことやら(笑)


嗚呼 小市民(2002/02/17)

趣味は生活の一部であって、生活そのものではありません。
ちょっと前に掲示板に書きましたが、生活の味付けを豊かにする調味料のようなものだと思っています。

私は私のサイトで紹介しているように、趣味(らしきものも含めて)と言えるようなものを四つほど持っています。ジャズ鑑賞、オーディオ、歴史書、書道です。
そしてそれぞれは単独で存在するのではなく、互いに影響しあっているのです。

ジャズを聴くのにオーディオが必要なのはわかる。
では書道が必要なのか?

そう思う人は多いことでしょう。
私には必要なんです。
なぜって、それが私なのですから(笑)
頓智問答みたいですね。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 

ところでジャズにしろ、オーディオにしろ、このテの趣味にはある程度のお金がかかるのはやむを得ないことです。
でもCDを買う(ライブに行く)とか、高級オーディオ機器を買うことが、つまり趣味が本来の生活を圧迫して良いはずがありません。

以前あるオーディオ関係のサイトで読みましたが、そこの管理人氏は 「一年間で趣味にかけるお金は年収の5%以内にしなければならない」 と言っています。
5%が適正かどうかはさておき、経費の枠を決めておくのは一つの見識かと思います。
先程も言いましたように「趣味は生活の一部」なのですから。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

世の中、ジャズやオーディオや読書や書道以外にも楽しいことはたくさんあるはずです。
たとえばここに100万円の臨時収入があって、全部好きなように使えるとしましょう。
どのように使いましょうか?

オーディオ機器を買うとしたらせいぜい20万円までです。
それでも、ちょっとお金をかけすぎるかな(笑)

さ〜て、これからが妄想です(笑)

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

まず洒落た服や靴を買い、御婦人同伴でコンサートにでも行きましょうか?
ジャズにしようかクラシックにしようか・・・こんな悩みはいいもんです(笑)
同伴する御婦人も、jコンサートの内容によって決めましょうか。

不純ですか?

いえいえ、音楽なんて、そもそも不純なものです(笑)
だからこそ魅力的なのです。

純水より、多少混ざりものがあるお水の方が美味しいのです(ヒドイたとえです・笑)
そう言ってはミもフタもありませんが、もともとクラシックは王侯貴族の男妾の作品ですし、ジャズは紅燈街の客寄せ音楽じゃないですか(爆笑)

それにせっかく行くのですからコンサートの楽しみ、歓びを語りあえる人の方が良いですね。
音楽を語りあえる奥方様、御主人様がいらっしゃるのなら結構ですが、人生の伴侶は時として趣味の同好者ではありません。

自家用車で行くのなら、洗車してワックスをかけておきましょう。
室内がタバコ臭いなど論外です。
窓ガラスには指紋などついていませんように。

コンサートの開場は大抵が18〜19時ですね。
コンサートが土日でなくてウィークデーにあるのなら、仕事が終わってから駆けつけるのはとっても忙しいです。第一着替えもできません。

そんな時は会社は休んでしまいましょう \(^o^)/
仕事は生活のための手段であり、会社は生活のための道具なのです。
まず会社(仕事)ありき、それでは困ります。

コンサートの途中でお腹が空いてぐうぐう鳴ってはみっともないです。
事前に軽いものを食べておきましょう。

コンサートの後、すぐに帰ってはいけません。
食事にしましょう。
ちゃ〜んとレストランを予約しておかなくては。
予約するのが相応しいようなレストランに、ですよ(笑)。

和食にしますか?それともフランス料理?
食前酒をけちってはいけません。
今聴いた音楽について、語らいながらおいしいお酒を飲みましょう。
量は少な目に(笑)

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

ところで臨時収入は、自分一人の楽しみだけに使ってはいけません。
コンサートに全額使ってはならないのです。

まだ50万円位は残っていますか?
上等なワインやウィスキー、日本酒を何本か買っておきましょう。
お酒もある意味では、音楽の友なのです。

そして奥方様、あるいは御主人と旅行にでも行くべきです。
しかし旅行に行っても、あれもこれもと忙しく見物したり、海外旅行なら、ガツガツとブランド物を買いあさってはいけません。

あさましいだけのものです。
お金があるのと、心の豊かさは別のものです。
それに旅行に強行軍は禁物。
時間もゆとりをもって出かけましょう。

事前に旅行ガイドでその地の歴史の概略くらいは予備知識として持っていると良いですね。
もちろん郷土料理の知識も(笑)

旅行が無理なら、観劇などもよろしいでしょう。
歌舞伎にしますか? ミュージカル?

もちろん後のお食事も忘れずに。
時には居間でテレビなど見ずに、レストランでお喋りするのも良いのではないでしょうか。
他愛のない会話で良いのです。

残金はどうでしょう。
まだ10万円位はありますか?
綺麗な花でも買って部屋に飾りましょうか?
花瓶も部屋や花に合せないとね。

窓ガラスはきれいですか?
カーテンもクリーニングに出しましょう。
四季の移り変わりに合わせて変えるのも一興。
季節によって家具調度類を取りかえるなんてゼイタクなことです。

10万円では大したことはできないかもしれません。
でも、たとえお金をかけなくても、豊かな生活空間を作ることは可能ではないでしょうか?
お金がなくては豊かな生活ができないなんて、それこそある意味では貧しいことです。

家も傷んでいるところはありませんか?
日曜大工も良いですね。

1万円位残りましたか?
それではCDを4〜5枚買って終了です。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

100万円で豊かな生活を!

嗚呼、小市民・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


二番煎じ・今週の課題曲 (2002/02/02)

去年の5月から8月にかけて、【今週の課題曲】という企画をやりました。
私としては、まずまずの企画だったと思います(^。^)

去年の12月7日。
柳の下のドジョウを狙いまして、恥もガイブンもなく再び始めてしまいました。
前回は100曲でしたが、今回は50曲です。

前回のように思いつきで取り上げるのはやめて、最初から50曲を決めていましたが、途中で何曲かは入れ替えました。

幸いGAKOさんの詳しい解説をはじめ、いろいろな方々の協力を得て1月30日に無事終了しました。
あらためましてお礼申しあげます。

ありがとうございました!

前回の課題曲は ここ にあります。

01.Someone to Watch over Me
02.Nardis
03.All of You
04.Brilliant Corners
05.Close Your Eyes
06.Our Love is Here to Stay
07.The Trill Is Gone
08.Jordu
09.A Lovely Way to Spen
d an Evening
10.It Ain't necessarily so
11.Crystal Silence
12.Too Marvelous for Wards
13.It's All Right with Me
14.Russian Lullaby
15.Who Can I Turn to
16.Love Me or Leave Me
17.Milestone
18.Beautiful Love
19.I've Got You under My Skin
20.Tea for Two
21.Well, You Needn't
22.Love for Sale
23.High Fly
24.All Blues
25.Falling in Love with Love
26.It never Entered My Mind
27.The Man I Love
28.I'm Old Fashoned
29.Eye of Hurricane
30.Glad to Be Unhappy
31.Stompin' at Savoy
32.Good Bye
33.Woodin' You
34.Danny Boy
35.Be-Bop
36.Somebody Loves Me
37.Spring Is Here
38.How Deep Is The Ocean
39.C Jam Blues
40.Too Young to Go Steady
41.Out of Nowhere
42.Root 66
43.Night and Day
44.Oh,Lady Be Good
45.Cherokee
46.In a Sentimental Mood
47.Jiterbug Waltz
48.Taking a Chance on Love
49.The Way You Look Tonight
50.Donna Lee

 


20000カウント(2002/01/28)

不思議なものでカウンターが20000になりました。
ホームページを立ち上げて以来、一見、いや、実際に頼りなく、大して役にも立たない私のサイトに来て下さったお客様には心より感謝申しあげます。
これからもよろしくお願いいたします。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

先月リンクさせてもらった方のサイトのリンク欄を開いたら、私のサイトが「バラエティー」と紹介されています。

ふと思いました。

あ、なるほどね。バラエティーか。
考えもしなかったけれど、そのとおりだな・・・・。

今はジャズに徹しなかったから良かったのかな、と思わなくもありません。
私程度のジャズの知識では、たちまち馬脚を表してしまいますからね(笑)

しかし・・・さすがに、もうネタが無くなって来ましたね〜(笑)
ま、あまり考えても仕方ありませんから、その場のヒラメキ(そんなものがあれば)で運営して行きましょう。

細く、長く、ね。


この10年(2002/01/20)

ここに書くことは全て、仕事上のことではなく、家庭人としてでもなく、あくまで私個人のことです。

もうすぐ私の49回目の誕生日です。40代の最後の年で、あと1年で半世紀を生きることになります。ずいぶん長く生きましたね(笑)

さて、私は40才になりたてのころ、ふと思ったことに長いこと捕らわれていたのです。
何を思ったか。

夢とはなんなのだろう、と思ったのです。


若者の夢と中年オヤジの夢は、厳密に言えば違うかもしれません。
若者なら、例えば恋人が欲しいとか、かっこいい自動車を買いたいとか。
新婚ほやほやなら、子供は何人、マイホームはいつ頃建てる、ボーナスが出たら何を買おうとか。(たとえなので、自分は違うとは言わないでください 笑)

私は27才で結婚し、29才で父となり、33才でマイホームを持ちました。
つまり30代前半で、家族も家も持ってしまったのです。

40才になった時・・・・・
人生も半分終わってしまった。
家もできた、子供もそれほどは手がかからなくなった。
あとは何を目標に生きればいいのだろう?

そう言えば昔はジャズをよく聴いたし、アンプを作ったこともある。でも子供が産まれてからは何もしなくなってしまった・・・・・。

夢と言えばおおげさだけれど、何か目標を持ちたい・・・・・・・・・。
40才になりたてころ、私はそんなことばかり考えていたのです。
毎日会社と自宅を往復するだけ、休みの日はぼんやりしているだけ。
そんな毎日がつまらなくて、イヤでたまりませんでした。


どうすれば解決するか。

42才ごろ、私なりに一応の結論を出しました。
今後の人生方針です。おおげさでしょう(笑)

これから先、何年生きるかわからない
それならば、今後10年を一つの単位・区切りとして考えてみよう
はじめの1、2年で何をしたいかを考えて、残りの8年、9年でそれを実行してみよう。

50才になったら、何か他のことを考えよう
60才になったら、また別のことを考えよう・・・・・・
そうすれば、そのことで一生遊んで行けるじゃないか

そう考えたのです。
さらに基本的事項として ”お金で買えるものを目標にしてはならない” としました。

お金で買えるものでしたら、常識の範囲なら貯金するなり、ローンを組むなりして必ず買えるものなのです。それよりも ”自分に役に立つものを身につけたい” と思ったのです。
では具体的に何をするのか、それが問題です。

私は紙に「自分は何ができないか」を思いつくままに書き始めました。
この場合「できないこと」は、「やりたいこと」の裏返しなのです。
ですから間違っても「オリンピックに出場したい」とか、「芸能人になりたい」などとは書きません(笑)

なかなか決まりません。
その中に「字がヘタだ」と言うのがありました。
でも、その時点では特別何の注意もしなかったです。


当時私は、近所にある神社の役員をしていました。
春・秋、年二回あるお祭りの実行委員です。

42才の春祭り。
その日私は受付を仰せつかり、祝金やお酒を持って来た人の名前を半紙に書いて、境内に貼り出していました。「奉納  金○○円也  ****様」 と。

これはマジック・インクではなく、毛筆で書くように言われたのです。
毛筆か・・・・最後にやったのは小学校だったか、中学校だったか。何十年もやっていない。
それにしても我ながらヘタクソな字だなあ。

そう思いながら、紙を貼って行く私。
するとどこかの子供がやって来て言うではありませんか。

今年の字は下手だなあ!

その時私は、はっと思いました。

これだ!

それから間もなく、私は息子が通っている習字塾に行くようになりました。


あれから7年。
8級から始まった習字は、今四段になりました。もちろん、もっと上位を目指しています。

習字を始めるのと同時に、かつての趣味、ジャズとオーディオも復活させました。
アンプを作り、CDを買いはじめたのもその時からです。
さらには一昨年にはホームページを作り、大勢の皆様と知り合うこともできました。

私の過去において、趣味の世界がこれほど充実した期間はありません。

よ〜するに、ヒマ人のヒマつぶしは極めて充実しているのです(爆笑)

50才になったら、また何かをはじめるでしょうか?
メンドーになって、何も考えないかも知れません。(笑)

もちろん習字も今までどおりやって行きますが、この上さらに習い事を追加するのは時間的に無理かもしれません。
何をはじめるか、考えるだけでも楽しいことですが、それは来年になってからのお楽しみにしましょう。


 ブラッド・メルドーを聴く(2002/01/12)

SJ誌はもとより、各サイトでも評判になっているブラッド・メルドーのアルバムを買いました。
Vol.5 PROGRESSION と言うものです。

まずはざっと解説に目を通します。
彼自身による、いささか難解風な文章が目に入ります。
もったいぶってあれこれ講釈を言う輩にロクな者がいたためしがない、などと思いつつ聴き始めました。

はじめて聴くミュージシャンはついつい、「誰に一番似ているだろう」と思ってしまいます。
似ているとするならば、ビル・エバンスとキース・ジャレットですね。
しかし、エバンス〜ジャレットのラインの延長線上にピタリと乗っているわけでもありません。
基本をこの二人として、さらに独自のモノを加味した新しい世界を創造しているように思えます。

SJ誌2002年1月版に「耽美ピアニスト特集」があります。
耽美の意味が、「美に溺れ、美が一番すぐれたものである、とすること(三省堂国語辞典より)」 ならば、耽美派(?)とは「美至上主義」であり、「それを疎外する一切のものを排除」することになりましょうか?

そのような考えを持つ人はどんな性格なのでしょう。
きわめて自他に厳しく、考えを異にする者には排他的であり、本質的に自己陶酔型の人ではないでしょうか?
しかし聴く立場としては、演奏者がどんな人か興味はありますが、実際にはどうでも良いことです。

# & ♭

さて、一曲目からぐいぐいと引き込まれて行きます。
Alone Together の最初の無伴奏ソロのすさまじさ、Cry Me a River をはじめとするスローナンバーの暗い深淵に吸いこまれそうな雰囲気はどうでしょう・・・・・・。

気持ちが落ち込んでいる時聴けば、あたかも首吊りの足を引っ張られるような気分になるのではないでしょうか。(これは悪口ではありません)

時折聴かせる左手の動きの面白さ!
テディ・ウィルソン等スィング系のピアニストの左手は、モダン・ピアニストのそれよりある意味でははるかに強靭ですが、それは当時のリズムセクションの役割の未分化に起因するものです。

当然ながら、メルドーはまったく違います。
モダン系(?)でこのような弾き方をするピアニストを他に知りません。大変ユニークです。

このアルバムは2枚組ですが、全編通して緊張感溢れる演奏に終始していますが、1枚目の方がよりスリリングな演奏です。2枚目の方もかなりのものですが、ほんの少々緩んできています。
曲目にも関係するのでしょうか。

アルバムの曲順がそのまま当日の演奏順とは限りませんが、長時間緊張感を最後まで持ちつづけるのは相当な力量なのでしょう。

ともあれ大いに気に入りました。
気に入ったところでVol.3を買いに行きました。

2回目ですから、最初に聴いた、あの新鮮な驚きはもはやありません(これも悪口ではありません)。
Vol.3を決して低く評価するわけではありませんが、完成度(メルドー自身は完成とは思っていないでしょうね)はVol.5に比べると少々劣るように思えます。

この人の演奏は余韻を大切にしたいアルバムです。
家で連続してジャズを聴くなら一番最後に聴いて、これを聴いた後はそれ以上何も聴かずに、しばらくの間、静かに目を閉じているのが良いかもしれません。


森は海の恋人(2002/01/03)

森は海の恋人」と言うものを知ったのは一年ほど前のことです。
書道の機関紙に私の先生の作品が掲載されたのを見た時でした。

なかなか響きが良いと思ったので、その機関紙を参考に私が自宅で書いていると、それを見た息子が「これは国語の教科書に載っている」と言ったのです。
その時、私は岩手県東磐井郡室根村に「森は海の恋人運動」というものがあることを知りました。

室根村にある矢越山を源流とする大川は最後は気仙沼港に注ぎます。
気仙沼は天然の良港で、鰹と秋刀魚の水揚げが日本屈指であるばかりでなく、牡蠣、昆布、帆立貝などの養殖場としても知られています。

海と森。

一見、無関係に思えるようなことですが、実は大変な関係にあることを知りました。
養殖に必要なのは、もちろん綺麗な海水。栄養たっぷりの海水です。

では、その栄養のモトはどこから来るのか。

山から来るのです。
矢越山の落葉樹に雨が降り腐葉土となり、水は地面に染みこみ、大川に流れるのです。
大川から気仙沼に注がれた水は、魚や牡蠣の餌になるプランクトンにとって栄養満点の水なのです。

一見無関係のようですが、森がなければ美味しい魚も牡蠣も食べられないのです。
それまでの矢越山は無理な伐採や、広葉樹の代わりに植えられた針葉樹のため、河口である気仙沼港にはかなりの影響があったようです。

そこに気付いた河口の唐桑町に住む牡蠣養殖家の方々が、室根村の協力を得て植樹をはじめたのが「森は海の恋人運動」なのです。
これがキッカケとなり、岩手県室根村では植樹がイベントとしてはじまりました。

この運動は、牡蠣養殖家の代表者畠山重篤氏が中心となってはじまり、「森は海の恋人運動」と名付けられて一躍知られるようになりました。
参加者は同村と周辺の村の人達を中心に、牡蠣養殖家、漁業組合員。さらには遠く兵庫県からも訪れる人がいるようです。

森は海の恋人運動は次のサイトで紹介されています。
これらのサイトを読み、美しく豊かな自然を子孫に残すのは我々の努め・・・平凡ながらそう感じた次第です。

室根村のホーページ

第14回水郷水都全国会議in気仙沼(畠山重篤氏の講演)

森は海の恋人ホームページ

私の作品は ここ に掲載してあります。


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