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我的爵士楽話(その1)

(爵士楽とは中国語でジャズのことです)


■ その発生

ジャズは、19世紀から20世紀にかけてアメリカの黒人が、彼ら独自の民俗音楽と、ヨーロッパ音楽などを基本として自然発生的に創り出したものです。その後、現在まで1世紀の間に世界中に広まりました。その特徴はオフ・ビート(クラシック音楽とは逆に、4分の4拍子なら2拍目と4拍目にアクセントをおくリズム)や演奏者自身の創造性を要求するアド・リブにあります。

ジャズの語源については諸説フンプンとしており、はっきりしたことは分かっておりませんが、黒人の性的俗語のようです。1910年ころにはJASSと言う言葉がすでに存在していましたが、1920年ごろには、なぜかJAZZとなったようです。ジョージ・ルイスの演奏に「JASS AT OHIO UNION」と言うのがありますね。

かつて、ジャズはアメリカの黒人がアフリカから持ち込んだ音楽が発展したものだ、といわれた時期があったようです。しかし、実際にはそんな単純なものではなく、アメリカの黒人の先祖には、アフリカから直接アメリカに売られた人もいれば、他の国、たとえばキューバやジャマイカ等に売られ、数世代後になってからアメリカに渡った人も大勢いたようです。
このような場合、彼等黒人達はアフリカの音楽だけではなく、それぞれの地域固有の音楽を無意識の内に身につけていたと考えるのが自然でしょう。

それと宗教音楽も考慮しなくてはなりません。奴隷としてアメリカにやってきた黒人達は、最初はキリスト教徒になることを禁じられました。彼らが信仰したのは、アフリカの宗教、例えばブードゥー教です。ブードゥー教は、一時ハイチの国教にもなりました。

またニュー・オリンズは、ブードゥー教の盛んな町でした。ジャズ特有のリズムは、ハイチ音楽の影響なしでは考えられません。
黒人にキリスト教が解放されると、讃美歌をはじめとするキリスト教音楽が彼らに影響しました。そこから黒人霊歌が生まれます。

さらに黒人の大衆芸能である流行歌は、やがてジャズの基本とも言えるブルースとなりました。この他に労働歌、ミズーリ州で生まれたダンス音楽、ラグタイムなどがジャズの発生に大きな影響を与えました。
ブルースにつきましては、簡単ですが
ここにどうぞ。

ジャズが生まれた歴史的背景として、南北戦争の終結によって軍楽隊用の楽器が放出されたこと、南部ニュー・オリンズには白人と黒人の混血(クレオール)が多く、彼らは比較的音楽の素養があって前記の楽器を手に入れる機会に恵まれたことなどがあげられます。

19世紀末にはブラスバンド・パレードが盛んになりましたが、黒人バンドは音楽的には白人バンドには劣るものの、不思議な演奏法やリズム感(スイング)で人気を集めたようです。
ここでクレオールについて、ちょっと説明します。

クレオールは、正確に言えば白人と黒人奴隷の混血で、主人の死後奴隷から開放され、白人と同等の身分を与えられた人を指します。ニュー・オリンズでは一種の特権階級でした。
しかし南北戦争後の1894年、クレオールを特別扱いせず、黒人同様の扱いをすべきだとする地方条例が施行されると、彼らの一部からは生活のため、やむなくブラスバンドに入る人が出てきました。クレオールは社会的地位も比較的高く、正規の音楽教育を受けた者もかなりいたようです。彼らは、ブラスバンドの指導者的存在になりました。

彼ら、クレオールにとって、クラシック音楽とは程遠いリズムで、しかも譜面も読めず、時には即興で力まかせに楽器を吹きまくる黒人達の演奏は、ひどくいい加減なものに映ったにちがいありません。しかし、クレオール達にも流れている黒人の血が、そのリズムも即興演奏も否定はしませんでした。
ここは私の勝手な解釈です。黒人は音楽的素養がないために、譜面が良く読めず、即興演奏せざるを得なかったのではないかと考えます。彼らが即興演奏を始めた時、ジャズの基本が生まれました。


その背景

● 人種のるつぼ

いきなり他の書物からの引用です。

・・・・・以下は空想である。国々が、紛争の解決に、例えばスポーツのようにただ一つのルールを共通の場で設ける。ルールは、すべてを超越し、支配する。つまり国家・民族あるいは宗教から超越する。(国連が、その空想にやや近い)。

(略) 

さらに空想してみる。各国代表は、議場に入る前、手荷物預かり所に "宗教" と "国益" と "民族感情" を預けてしまう。なぜならこの三つがつねに爆弾になる。 
(司馬遼太郎 風塵抄)

つまり、宗教、国益 と 民族感情を抑制すれば、国際紛争は相当なくなるだろう、と言うことです。すべての国々がこの三つから解放されれば真の平和が訪れる・・・・・・。
理屈では分かっていても、なかなか難しい問題でしょう。いや、絶対実現不可能と言っても言い過ぎではありません。

ある人は「国境がなくなって世界が一つの国家になれば自ずと平和が訪れる」と言います。
確かにそうでしょう。しかし、そのためには前述した三つのものを「超越する何か」が必要です。将来人間は、その「何か」を創造することができるでしょうか?

いまのところ、この三つのものを乗り越えて、まだまだ不完全ながらその多少でも理想に近い国と言えば、アメリカ以外にありません。
しかし人種のるつぼとも言われるアメリカが、そのために国内に多くの問題を抱えていることもまた事実です。

 

● 人種差別

いつのことだったか忘れてしまいましたが、スィング・ジャーナル誌にこんな文章が載っていたのを覚えています。

・・・ 黒人ミュージシャン諸君。ステージに上がった時、君たちは英雄だ。しかし一旦ステージから降りたら人間ですらないのだ!・・・

これはトランペット奏者ロイ・エルドリッジが何かの雑誌(おそらく黒人向けの)に投稿した文章です。ロイ・エルドリッジはジーン・クルーパ楽団に在籍中、他のメンバーから様々な差別、嫌がらせを受けてついにキレてしまい、このような投稿におよんだものです。

私の知る限りでは、最初に白人と黒人の混合グループで演奏したのはベニー・グッドマンがテディ・ウィルソンを雇った時です。ベニー・グッドマンは「正義の人」だったのでしょうか?

アメリカでは黒人の公民権獲得により1960年以降は禁止されましたが、それまで南部では、黒人は学校、結婚、公共施設の使用などが白人とは隔離されていましたし、白人女優と黒人俳優のラブシーンがある、と言う理由で上映禁止になった映画もありました。
モハメッド・アリ(当時はキャシアス・クレイ)が、ローマオリンピックで勝ち取った金メダルを川に捨てたのは有名な話ですし、黒人運動のキング牧師が暗殺されたのは、32年前、1968年のことです。
これは今では、古いエピソードかもしれません。しかし1989年におきたロサンジェルスの黒人暴動は、法律的にはともかく、社会的にはまだまだ人種差別が根強く残っている証拠でしょう。

KKKと言う団体があります。白人による、黒人への狂信的ともいえるテロ集団です。1865年発足と言いますから、135年もの歴史があります。1930年ごろになると、会員数は実に500万人とも言われ、テロのほこ先も黒人だけでなく、ユダヤ移民も対象になったようです。
犠牲者が木に吊るされる、「奇妙な果実ゲーム」が始まったのもこのころです。
「奇妙な果実」は、ビリー・ホリデイの曲としてあまりにも有名です。ビリー・ホリデイの父親がリンチで殺され、「奇妙な果実」となったことがキッカケでこの歌は生まれました。

ここにアメリカが持つ「影」があります。影は現在でもなお、影のままです。

人種差別は決してアメリカ特有のものではありません。我々の(もちろん私も)心の奥底にも、潜在的に差別意識が潜んではいないでしょうか。日本にもご案内のように、同和問題と言うものがあります。しかしこれは、テーマから外れますので、別の機会に。

 

≪ベニー・グッドマン考≫

先ほど ≫ベニー・グッドマンは「正義の人」だったのでしょうか?≪ と書きましたが、?をつけたと言うことは疑問に感じているからです。
1969年版スィング・ジャーナル「ジャズ読本’69」に評論家のN氏の寄稿でテディ・ウィルソン等黒人演奏家を雇ったことを

ベニー・グッドマンは自らの人気を利用して率先して人種差別に反対した

と書いています。果たしてそうなのか。

 

ベニー・グッドマンがテディ・ウィルソンとレストランで食事をした時、グッドマンと同じものを注文しようとしたテディ・ウィルソンに、お前にそれは贅沢だ。ハンバーグにしろ、と言ったといいます。
またチャーリー・クリスチャンが入院した時は一度も見舞いに行かなかったとも言います。

グッドマンが雇った黒人演奏家は テディ・ウィルソン、チャーリー・クリスチャン、ライオネル・ハンプトン。3人ともリズム・セクションの人達です。これは偶然でしょうか? 

当時最高にスィングするバンドは、カウント・ベイシー楽団をはじめとするカンサス・シティを中心に活動する黒人バンドでした。グッドマンにとって脅威だったのは彼等のニューヨーク進出でした。

グッドマンの傑作とされるアルバム、例えばカーネギー・ホール・コンサート、を聴けば、やはり白人バンド。ベイシー等黒人バンドに比べればリズムが弱いことは明かです。

グッドマン楽団のドラムは人気No.1(実力は?ですが)だったジーン・クルーパ、ベースはグッドマンの兄弟だったハリー・グッドマンでした。この二人をとりかえるわけには行かず、やむなく他の楽器の演奏家を雇ったのではないか。

グッドマンは別に人種差別反対論者ではなく、そこは当時の一般的な白人(と言っても白人階級では下の方のユダヤ人)だったのではないか。私はそう思っています。


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