赤煉瓦物語(旧富岡製糸場) |
明治維新政府が、日本産業の基礎作りの目的により、製糸の模範工場を造る為各地を視察して回りその中で気候・風土・環境に恵まれているわが「富岡」が最適地として選ばれました。明治四年から着工、一年数ヶ月の驚異的なスピードで見事完成、明治五年七月頃から主要建物で操業開始しました。
日本国内全体の生糸の品質を向上させるために、富岡製糸場で様式技術を習得した工女をできるだけ、国内各地に拡大させるため全国各地から、年間五百名から六百名位集め一年以上三年未満の年限で入場を許可し、帰郷をうながし国元において多大な指導効果をあげた工女も多数いました。
明治時代を象徴する煉瓦作りのこの建物は、レンガも大量に必要となり、まだ日本ではほとんど使われていないため武州明戸村(埼玉)の瓦職人を連れてきて試作からはじめ、苦心の末つくりあげ、東の大関にランクされるほど貴重な建物で百二十年余りの間、風雪に耐えています。以来日本の近代産業発祥の地として歴史にその名を刻んでいるのです。この貴重な郷土の建物が、ユネスコ世界文化遺産登録を目指しここに「赤煉瓦物語」を作り応援しているのです。 |
平成16年10月15日
上毛新聞掲載記事 |
かぶら新聞 11月1日号掲載記事 |
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