第二回「セックス・ピストルズ」

 夜中、突然「セックス・ピストルズ」(1970年代、イギリスのパンクロックバンドとして余りにも有名)の曲「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」が聞きたくなった。デジタル化されたこのご時世に、カセットテープの山をかき分けて、そのピストルズのデビューアルバム「勝手にしやがれ」のテープを見つけだした(もちろんアナログレコードからダビングしたもの)。ボリュームを上げ、「う〜ん、いい」とひとりつぶやく。
 それにしても最近、テレビのCMや、某国営放送の朝の連続ドラマにしても、70年代英国バンドの曲がよく使われる。グラムロックの雄「T−REX」しかり、「クラッシュ」(ピストルズと並び称されるパンクバンド)しかり。

 新しいものに魅力がないからか、彼らの曲で青春時代を過ごした人たちが年を重ね、CM製作などでも中心的な役割を任されるほどに「おとな」になったからか。一種のノスタルジー(懐古主義)とともに、取り戻せない青春時代を取り戻そうとしているのだろうか。それとも、ノスタルジックに「あの頃」を振り返る視聴者の気持ちをつかむ計算か?


 そのいずれにしても、それでもピストルズは使われない。知らない人が聞いたら眉をひそめかねないバンド名も含め、余りにもスキャンダラスな話題に事欠かなかったからだろうか(その彼らの「伝説」は映画「シド&ナンシー」で見ることができる。ビデオレンタル有り)。
 でも、彼らの本当の魅力は、別人が再現している映画でよりも、彼らの曲を聴くことや、演奏シーンを納めたビデオなどでしか伝わらない。ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)の粗暴ながら頼りない声質のボーカルが激しい曲に不思議と似合う。


 70年代、イギリスでパンクが台頭する背景には、同国内の経済状態があった。不況にあえぎ、若者は失業と重税に苦しんだ。その怒りが、パンクロックを歓迎したんだ。
 いまの日本はどうだろう。当時、先進資本主義国の栄華を誇ったイギリスと同じようなゆきづまり状態。不況も失業も深刻だ。それでもなぜ、日本の若者は怒りをあらわにしないのだろう。
 「自己主張をしないことが美徳」と心を押さえつけられ、「反抗すれば内申書や進学に影響する」とおどされる。そんな管理・競争教育の悪影響が現れているのではないかい?
 怒れ!若者よ。怒りを持って立ち上がれ! 私たちには主張する権利がある。なにもパンクになれとは言わない。破壊活動や無政府主義(アナーキズム)は大きな間違いだ。もうすぐ参議院選挙もある。東京都在住の人は都議選挙もある。まだ選挙権がないという人たちは、18歳選挙権を求める運動(ムーブメント)にも加わろう!
 本質を見極めよう。一般的な報道だけに惑わされるな。国民に痛みを強要する「構造改革」「規制緩和」が万能といい、その断行で先を争う与党や野党にだまされるな。恐れず、勇気を持って、真実を見つめよう。ほら、答えはひとつ。戦前から一貫して党名を変えず、侵略戦争に日本の歴史上で唯一政党として反対してきた党があるじゃないか。消費税を3%に戻すべきだと言っている党があるじゃないか。「集団的自衛権の行使」で、いつの間にやら戦場で飛び交う砲弾の下を、命がけで逃げ回るようなことはしたくないでしょ? 一番愛する人が死んでしまっても、悲しまないなんて人はいないよね。子を思う親の気持ち、彼や彼女を思う気持ち。大好きな人に抱きしめられるときの気持ち。そんな大切な気持ちも、思う人、思われる人のどちらかでもいなくなったら失われてしまう。大切なものを見失わないように頑張ろうよ。

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