四重人格 第6回

雨を見たかい (CCR)

 この8月下旬から9月上旬にかけ、連続的に台風が直撃し、各地に大きな被害をもたらした。群馬県でも例外ではない。台風15号では県内で3人が死亡、一人が行方不明となったままだ。
 このうち、2人の死者を出した上信越自動車道の土砂崩れでは、道路を管理する関係者が「ここ3年ほど雨量が増えている」と話していた。地球温暖化により局地的な集中豪雨が増えているという説もある。「雷と空っ風」は上毛カルタにもうたわれた群馬名物だが、たしかに夏の雷雨も、数年前と比べると様子が変わっているような気がしないでもない。この集中豪雨被害も、大きく言えば“人災”と言うことだろうか・・・。床上・床下浸水や、増水した河川では鉄橋が傾くという被害もあった。
 こういう中で、「だからダム建設が必要なんだ」と言い始める人もいそうだが、どんなにダムをつくっても今回のような被害は食い止めることができないだろう。だって、つい一カ月ほど前は、「ダムの貯水率が××%」「取水制限も」なんてニュースが毎日のように新聞・テレビで伝えられていた。それほどダムの水も少なかったのは誰の目にも明らかだ。でも、そのダムは、連続的な集中豪雨でたちまち満杯となり、「最上部の排水ゲートを初めて開いた」というほどの放流をしなくてはならなかったのだ。

 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)は、「雨を見たかい」と歌った。雨が降ることは、「恵み」にもなるし、「あいにくの天気」とも言われるようになる。人間とは、なんとも身勝手なことか。
 その“身勝手な人間”が、地球温暖化という環境破壊を招き、大規模ダムをつくって各地で環境破壊を招いている。そして、人命が奪われるということにまで至っている。
 群馬県沼田市では、玉原ダムが出来て以降、発知川でヤマメが良く釣れた「私の絶好のポイント」が消えてしまった。川虫の一種で、釣りエサとして適する「きんぱく」がよく捕獲できたが、それも同時にすっかり消えた。
 ダム建設推進にあたって「自然環境に配慮」などと言うが、こういう事実・現実については、どのような“理論”を持ち出すのだろうか。こんな「事実」はくり返してほしくない。
 つくづく身勝手な人間は、自然をコントロールできるという思い込みから脱却することが必要だ。人間も自然の一部である。自然とともに生きるという考えこそ求められている。私たちが未来に残すべきものは何か、もう一度考えたい。(9月21日「地味い」記)

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