第5回 その2
「7月3日」PartAブライアン・ジョーンズのこと
ブライアン・ジョーンズは1969年7月3日、自宅のプールで溺死(できし)した。その邸宅は、ブライアンが死の直前に購入したもので、もともとは『くまのプーさん』の原作者・A.A.ミルンが所有していたものだった。
ブライアンの死には謎が多いといわれている。その死の本当の理由は、だれも知らない。生前から「伝説」を持っていた男、ブライアン。彼は死してなお伝説的な存在となっている。
私とストーンズの出会いは、至って単純なものだ。私が慕っていた先輩(仮にTさんとする)が、ブライアンに傾倒していたことに他ならない。このTさんも、ブライアンに負けず劣らず「伝説」を持っている。ほんの一例を紹介しよう。@「茶髪」なんて言葉すら無かった時代に金髪のモヒカン刈りをしていたA喫茶店で他人の食べかけのスパゲティーをいきなり喰ってしまった(この事件の“動機”について彼は、「あの人は、もう食べないんだと思ったんだよぅ」と後に語った)Bフランケンシュタインのゴム製のマスクを被ってバイクで暴走していたC高校を中退した彼が、「弁護士になる」「法律学校に進学する」と言って大検で高卒資格を取ったD友だちの多くと音信不通となり「行方不明」と噂されていた−−等々。
ブライアンについては、彼の生い立ちから死までを綴った伝記が出版されているので、そちらを参照されたい(共感するか、反感を持つか、それは貴方次第だから)。ここでは、ブライアンの生き様を語るより、ミュージシャンとしての彼を論じたいと思う。
ある人が私に、「結局、ブライアンは、ローリング・ストーンズには何も貢献しなかった」と語ったことがある。しかし、事実に目を閉ざすというのは本当に愚かしいことだ。たとえば、ストーンズのアルバム「ベガーズ・バンケット」を聞いたことがあるだろうか(「シンパシー・フォー・ザ・デビル=悪魔を憐れむ歌」を含む傑作です)。この中の「ノー・エクスペクテーションズ」「ソルト・オブ・ジ・アース(地の塩)」を聞けば分かる。これらの曲で、エレクトリックまたはアコースティックのスライド・ギターを決めているのが、他ならぬブライアンだ。
「黒く塗れ<ペイント・イット・ブラック>」「アンダー・マイ・サム」などの曲では、シタール(インドの民族楽器)やマリンバ(いわゆる木琴=もっきん=)を演奏し、「レディ・ジェーン」「ルビー・チューズデイ」では、チェンバロやダルシマーなどの楽器を使用し、ストーンズの音楽に幅と深みを持たせている。
「貢献していない」などと、どうして言えるのだろうか。ブライアンは、確かにストーンズの初代リーダーだった。マウス・ハープ(またはブルーズ・ハープ=ともにハーモニカの一種)でも、ブライアンの演奏はすばらしいものがある。私にとって魅力あふれるストーンズのなかでも、服装にしろ、演奏にしろ、ブライアン・ジョーンズこそがもっとも「カッコイイ」存在なのだ。私がギブソン社のギター「ファイアーバード」を購入したのも、60年代のアメリカのテレビ番組「エド・サリバン・ショー」で、ストーンズの曲「19回目の神経衰弱」を演奏するブライアンが、そのギターを弾く姿と音に魅せられたことにある。
しかし、惜しむらくは、ブライアンにしてもそうだが、私「地味い」の敬愛するロック・ミュージシャンは、ほとんどが若くして命を失っている。これまで、この『四重人格』で名前の出たミュージシャンのほとんどは、すでにこの地上にいない。それが理由か、はたまた「ロックン・ロールは、バディ・ホリー(※)とともに死んだ」ということなのか、「地味い」が年老いたことが理由なのか、特定のミュージシャンに熱狂するということがほとんどない。これはどんな理由にしろ、さびしい限りである。
ちなみに、「伝説の男」Tさんとは、今も音信不通のままである。したがって、その「伝説」は、風になびく彼の髪の輝きとともに、いつまでも色あせることがない。
いいものは錆(さ)び付かない。しかし、さびしいことには変わりがない。いまの気分には「19回目の神経衰弱」「ノー・エクスペクテーションズ」がピッタリと来るようだ。
あなたも、落ち込んだときには、アルバム「ベガーズ・バンケット」をいかがですか。
※1950年代の有名なロックン・ロール・スター。映画「ラ・バンバ」で日本でも有名となったリッチー・バレンスとともに、飛行機事故で亡くなった。ちなみに「ロックン・ロールは・・・」の台詞(セリフ)は、映画「アメリカン・グラフィティ」(監督は「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス、製作はフランシス・フォード・コッポラ)に出てくる。
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