第5回 その1

「7月3日」Part@ 「ハートに火をつけて」(doors)

  その日、カーラジオからドアーズ(doors)の曲「ハートに火をつけて(原題:Light my fire=ライト・マイ・ファイア)」が流れてきた。「そうか、きょうは7月3日だ」。
 この日は、ドアーズのボーカリストだったジム・モリソンが27歳で死んだ日。それは1971年のことだった。その2年前、1969年7月3日には、ローリング・ストーンズをつくった男=初代リーダーのブライアン・ジョーンズが、やはり27歳で死んでいる。私にとって特別の存在なブライアン。7月3日は私にとって二重の意味で特別な日だ。

 ロック音楽が好きな人で、ローリング・ストーンズを知らない人はいないだろう。全メンバーが還暦を過ぎるか近くなった今も、現役で活躍中だから。だが、ドアーズはどうだろう?
 ベトナム戦争を題材にした映画「プラト−ン」でも有名な監督オリバー・ストーンが、彼の「60年代3部作」といわれる3番目の作品として、映画「ドアーズ」を手がけている(ビデオ・レンタル有り)。前出の「プラト−ン」でもドアーズの曲が使われている。
 ドアーズとは、ベトナム戦争が激化する60年代後半、アメリカなどでの平和運動が高まる時代に活躍した米西海岸出身のロック・バンドだ。
 映画に興味・関心がある人なら、フランシス・F・コッポラ監督の作品「地獄の黙示録」(これもベトナム戦争を扱った名作)をご存じでしょう。この映画のラスト近くの場面で流れ出す「ジ・エンド(The end)」という曲、演奏時間13分にもわたるその曲こそが、ドアーズの代表作といえば分かりやすいだろうか。

 映画「プラトーン」も私には思い出深い作品だ。私が初めてこの映画を見たのは大学生のときだった。
 生き方を模索していた私は、この映画もきっかけのひとつとして、自分が生きることの意味を見いだす。「偽善者になるつもりはないが、仮にそう言われて後ろ指をさされてもいい。平和を愛する心だけは、何があっても失わない。私が生きていくことそのものが、世界平和につながったらいい」と。青クサイが、その思いは今でも失っていないと思う(だからこそ、今の私がいる)。 

 ブルーズやリズム&ブルーズをベースとして、60年代を大きな転換点に良くも悪くも変化したロック&ロール(ロックン・ロール)。そして、その時代を反映した思想状況。ジャック・ケルアックの『路上』やサリンジャーの『らい麦畑でつかまえて』などが人気を呼んだ(「地味い」も1980年代に追体験として読んだ)。不可分に結び付いたそれらを「ヒッピー・ムーブメント」という人もいる。
 「ヒッピー・ムーブメント」は、60年代の終わりと同時に消えていった。それは、“ラブ&ピース”が商業主義にまみれたことの何よりの証だった。
 同じように、商業主義の犠牲となって、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソンら、60年代に輝いたロック音楽スターは72年までに相次いで死んでいった。しかし、それでもなお時代を超えて、60年代の音楽は今でも私という存在を規定している。

 私とブライアン・ジョーンズとの出会いは「7月3日PartA」で。

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