New 信大ワンダーフォーゲル部OB懇親会の様子(平成19年9月23日〜24日)
● 登山・ハイキング
最近は、本格的な山登りはほとんどしなくなってしまいました。 |
ふるさとの山・妙義山(白雲山)![]() |
妙義山 生まれた時から見慣れた山、それは妙義山と浅間山です。 特に妙義山は奇岩で知られた山ですが、すぐ南にあって私の登山もここから始まっています。 小学校の遠足は妙義神社とか妙義のぶどう園、高学年になると一本杉から石門・大砲岩でした。 【山登りの始まり】 中学生で裏妙義山塊の丁須岩に登ったのが岩の最初でしょうか・・それから、高校の部活では地学部の天文に属していましたが、昼間は太陽の黒点観測くらいで、やることもなく地質班の連中が榛名山二つ岳の成因調査を行なっていましたので、それを手伝っていました。 この頃から山に興味を持ち始めて、山岳名著シリーズの岡田喜秋「青春の山想い」や深田久弥「雪白き山」、北杜夫のドクトルマンボウシリーズを読み、新田次郎の加藤文太郎に魅せられて「私の山想い」がはじまりました。 そして、実力も無いのに山にあこがれて信州の大学を目指しました。この受験で松本に向かう途中、電車から見えた常念岳には感激したものでした。 不思議なことに目的の大学に受かって・・・、もちろん部活は山関係です。しかし、山岳部はちょっと自信がなかったのでワンゲル部に入部しました。そのワンゲル部も入部数ヶ月で事情があって解散の憂き目にあってしまうのですが・・・。 それでも山を諦めきれず、その年の夏休みに1ヶ月ほど上高地に単独で入山しました。テントを張った直ぐ傍に山岳部のサマーテントがあって、そこで山岳部員からいろいろとレクチャーを受けたのです。それから山岳部に入り、私の本格的な登山が始まりました。 学部が農学部だったため松本市は一年生だけ、二年生からは伊那市に引越しですが、引越し時も山(確か立山に山スキー)に行っていて友人に引越しをしてもらうという山三昧の有様でした。 そんな山岳部も3年生の最初で途中退部、その後は気のあった仲間とポツポツと登っています。 なんと、その当時の山行記録をアップしている信州大学山岳会のHPができていました。1970、71年のこと・・懐かしいというか・・・。 |
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夕焼けの妙義山![]() |
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近代登山発祥の地(筆頭岩と金洞山)![]() |
妙義山筆頭岩 日本近代登山の父は、誰もが知っているウオルター・ウエストンで、毎年、上高地でウエストン祭が開催されています。しかし、近代登山史の中であまり重要視されていませんが、最初のザイルワークが行われたのが妙義山である事をご存知でしょうか。 |
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榛名富士![]() |
榛名山 榛名山は万葉の時代は、伊香保嶺「イカホロ(レイ)」と呼ばれていました。火山噴火によるイワオ嶺だったのが転じてイカホロになったようです。万葉集に”伊香保ろのそひの榛原(はりはら) 吾が衣に つき寄らしもよ ひたへと思えば(伊香保の山の岨の榛の林の榛が私の衣にそめつつが如く、私はあなたにつき寄りたくなります。ただ一途に思いますから)”と歌われているように伊香保嶺は榛の木に覆われていたようです。榛の木(ヤシャブシまたはヤマハンノキ)が噴火で荒れた山に当時侵入し覆っていたようです。今でも榛名山系には多く生えています。つまり、伊香保嶺が榛の木に覆われて榛の山、榛名山に名前を変えて行ったのだといわれています。 |
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二ツ岳![]() |
二ツ岳 榛名山の寄生火山です。1600年くらい前まで噴火していて、火山弾や軽石を飛ばし火砕流も引き起こしていました。伊香保森林公園の中にあって自然観察の好適地になっています。 榛名山系遠景
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赤城山遠景![]() |
赤城山 西部地域の山ではないのですが、上毛三山の一つです。伊香保森林公園の展望台からの遠景です.上毛カルタでは「裾野は長し赤城山」と歌われています。 |
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| 子持山 群馬県中部にある標高1296mの火山(休)です。地質学の世界では有名な山で、写真右のシシ岩を中心とした放射状の岩脈が見られます。 |
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万座鹿沢からの浅間山![]() |
小諸からの浅間山![]() |
浅間山 小さなころから毎日眺めていた山です。日本の代表的な火山です。黒斑山、前掛山、石尊山、小浅間山を総称したのが浅間山(2568m)です。東西に長く伸びているのと一文字山などに裾を隠されているため、松井田側から見る浅間山は勇壮さがありません。御代田町や倉渕村の二度上峠から見る姿のほうが美しいようです。最近は噴煙が多く見られますが危険はないようです。子供のころには何度も噴火があって松井田でも降灰が有りましたし、母の実家の軽井沢に行っているときに遭遇し、噴火のためショウウインドが割れ、雷と石混じりの雨が突然降ってきたのを覚えています。最後は昭和49年に小噴火しました。ちょうど、大学の友人達が登っていて噴火に遭遇し、テントを置いて逃げてきた話はリアルでした。 |
浅間山から鼻曲山の山並み![]() |
鼻曲山 |
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鼻曲山から角落山![]() |
角落山(中央の三角形の山) |
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浅間隠山と角落山![]() |
浅間隠山(右)と角落山 |
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稲含山 |
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荒船山![]() |
荒船山遠景![]() 荒船山 西上州に海に浮かぶ船のような個性的な山。南端の経塚山1423m。あとはほとんど平らの山稜が2kmも続きます。 太古の海が隆起して、また陥没、ここにたまった岩石や火山の噴出物が堆積しこれが再度持ち上げられ、侵食されて残ったのが荒船山と言われています。 |
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本白根山![]() |
本白根山 草津白根が一般的ですが、厳密には白根山・万座山・横手山・米無山・逢ノ峰・本白根山の総称です。本白根山はこれらの最高峰ですが最高点には三角点がありません。新しい火山で30以上もの爆裂火口があります。国内有数の亀甲砂礫(構造土)が見られ、亜高山帯の自然は美しくコマクサ、コケモモ、ガンコウランなどの高山植物が見られます。 |
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| 蝶・常念・燕 |
常念岳 中央は常念岳・・・大学入試のため信越線から篠ノ井線に乗り換えて姥捨てのスイッチバックを過ぎ、峠を越え、松本に近づいたとき最初に目に入ってきたのが白く雪を被った常念岳でした。 この景色を見られただけで大学の入試は落ちても良いなぁ・・・なんて思っていたものでした。 それが、何とか目的の大学に受かり、私の本格的な登山は始まったのです。松本の登山靴の店・竹内でオーダーメイドの登山靴を作り、布製の幅の広いザックを買って・・・ 松本には1年だけですが大学の近くに下宿していて、南側を見れば何時も常念だけの三角形の山並みが見えていました。 |
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| 爺・鹿島槍・五龍・唐松・白馬 |
北アルプス遠景 左から爺ヶ岳、鹿島槍、五龍岳、唐松岳、白馬三山です。松本市から遠くに見えます。 大学生2〜4年生までの冬は白馬三山の麓、岩岳スキー場の民宿でバイトをしていました。 山の仲間達と、朝早く起きて客の朝食を作って部屋の片付け、昼間はスキー、夜はまた夕食作りなどのバイトという生活をしていました。 |
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伊那市からの南アルプス連峰![]() |
南アルプス |
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伊那市から経ヶ岳![]() |
経ヶ岳 |
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伊那市から中央アルプス(将棋の頭)![]() |
中央アルプス
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● 山小屋について
● 小屋の雪掘り(2005、2、12〜13)
| 私の入っている「のやまの会」では新潟の清水部落・巻機山の麓に山小屋を持っています。巻機の米子沢の辺にあるので「米子沢山荘」と名付けています。一階、二階、中二階となっていて、一階には薪ストーブがあって、これを囲んで談笑を・・・・。 ということで、会員は何かにつけ利用しています。 毎年、12月の第一日曜日に冬囲いと忘年会、1月・2月に雪下ろしが恒例となっています。のやまの会のホームページへ |
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清水部落へ到着 清水部落は雪の多いところです。今年は特にすごくて、雪の壁が高く、何十年ぶりの大雪だそうです。 |
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ラッセル・小屋へ到着 このため、小屋の屋根は傾斜をきつくし自動的に雪が落ちるようにしてありますが、落ちた雪が小屋を押しつぶさないように窓や壁の周りの雪を堀上に1月と2月(多い年は3月も)に行きます。 ところが今年は屋根の雪が落ちず1m50cmくらい積もってしまいました。 |
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屋根の雪・周りの雪掘り 屋根の雪が落ちないので、仕方なく登って落としました。 |
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夜は宴会 雪堀の後は鍋を囲んで懇親会です。何時もメニューはキムチ鍋・・。 朝、山小屋を発つと快晴の天気、後方の山が奇麗でした。 |
| 2008、12、6〜7
恒例の冬囲いと忘年会。 |
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2006、12、2〜3
恒例の冬囲いと忘年会。 |
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●2005年雪囲いと忘年会
| 2005、12、3〜4
新潟の山小屋へ冬囲いと忘年会を兼ねて行ってきました。 |
●2004年雪囲いと忘年会
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2004、12、4〜5で行ってきました。 昨夜は発達した低気圧で強い風と雨、明け方まで降り続いてどうなるかと思いましたが、何とか止んで作業が出来ました。今年新しく作ったベランダを解体してしまったところで記念写真を撮影しました。 |
●2002年雪囲いと忘年会
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●2001年秋小屋の改修が終了。
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改修なった山小屋です。 |
右側にトイレを張り出しました。 |