里山と生き物雑記

※ 現在、24の雑記があります。気が向いたらお読みください!

1.スプリング・エフェメラル 2.競争と共生 3.里山は日本人の原風景
4.変貌する里山 5.生物の多様性 6.原風景と原体験(中学生たちへ)
7.宝物(中学生たちへU) 8.川の連続性  9.孤人化(中学生たちへV)
10.川から魚が消えるとき・・・  11.ふるさと考(中学生たちへW) 12. 山菜考
13. 群馬のアユは江戸前のアユ   14. 魚と釣り人の効用   15. 春の七草・秋の七草・夏の七草
16. 秋の里山の味覚を楽しもう 17. イナゴ捕りとイナゴの佃煮 18. 春の妖精と春の女神
19. 機心(中学生たちへX) 20. 当世釣り人気質と経済効果 21. さかな達のつぶやき(身近な自然を考える)
22. 根っこ(中学生たちへY) 23. 考動(中学生たちへZ) 24. 自然の中へ・・・(中学生たちへ[) New

スプリング・エフェメラル

スプリング・エフェメラルは「春の妖精・春先のはかない命」とも言われています。

北半球の3分の1が氷河で覆われていた氷期(新生代第4期:1万〜200万年前)に乾燥と寒冷な気候に順応する植物が生まれ、大陸と地続きであった日本に移動してきたと考えられています。

その後、暖かくなった関東以西の日本では常緑広葉樹林が多くなりましたが、農耕文化が発展する中で里山が肥料や燃料採取の場として利用され二次植生として雑木林が残され、暗い常緑広葉樹林の中では生活できない生物が生き残ってきました。

これらの植物にはカタクリ、アマナ、アズマイチゲ、イチリンソウ(日本固有)、ニリンソウ、フクジュソウ、エンゴサク、キツネノカミソリなどがあげられます。

この多くはキツネノカミソリを除いて早春に葉を広げ、3月下旬から4月下旬にかけて可愛い花を咲かせます。そして上を覆う落葉広葉樹が葉を広げる5月頃には、葉を落として次の春まで眠りにつきます。これがスプリング・エフェメラル→春の妖精・春先のはかない命と言われる所以です。


現在は、化学肥料の出現や燃料革命のため利用されず管理されない雑木林が増え、落葉広葉樹の林が変化しつつあり、これらの植物のみならず、これら植物に頼って生きているギフチョウやミドリシジミなどの昆虫たちも、本当の意味ではかない命になりつつあります。
これからは雑木林を維持するため何らかの方法で管理を早急にしていかなければならないでしょう。

競争と共生

地球上の生き物の進化については、ダウィーンの進化論が有名です・・その説の主流は自然淘汰(自然選択)とか生存競争によって、環境にうまく適応できたものだけが生き残って、それが、さらに進化して多様な種が生まれるという考え方です。競争に勝ち抜いた種が生き残って、その子孫を増やし、さらに進化するということ。

里山でよく観察していると、力による競争だけでなくお互いに助け合ったり、うまく利用させてもらったりして生きているものが多いことに気がつきます。単に弱肉強食の世界で力で勝つことのみでは負けた生き物は絶えてしまうのでしょうが、助け合いや利用し合う共生という方法も環境に適応して生き残る術の一つなのでしょう。

例えば、昆虫の多くは自分たちが食べる植物が決まっていますが、その植物が無くなってしまうほど食べ尽くすことはありませんし、利用させてもらう生き物を守ったりする様子なども観察できます。
ところが、人間はとことん利用し尽くしてしまったり、自分に役立たないものや危害を与えるものを絶滅に追いやってしまったりする事が往々にしてあります。

これから私たち人間は、もっともっと「持続的」とか「循環」とか「共生」と言った考え方を大切にしなければいけないのではないでしょうか。

里山は日本人の原風景

里山は日本人の主観的な原風景であって、日本の風土という文化の場でした。
以前の里山はムラ、ノラ、ヤマが範囲となっていて、農業や林業という生業(なりわい)を営む人々が地域にある木や土などで家をつくりムラ(集落)を形成し、ノラ(耕地)で田畑を耕し、ヤマ(里山林)で農業用の肥料や薪・炭など生活資材を採取しながら森を管理してきました。その外側にはハラ(採草地)があって農耕用牛馬の餌や茅葺き屋根用の資材を採取し、さらにその奥にオクヤマ(原生林)があって、そこは神が棲む場所として畏敬の念を持って大切にしてきました。

このような営みは、人間は自然の一員(それも一番遅れてやって来た客)であり、自然の恩恵を受け取るため、自然との約束ごとを守って生きると言うことでした。地域に豊かにある水や土や木などの資源を上手く生活に取り入れられ、人間が生きていける風景が本来の里山社会の姿であったのです。

しかし現在の都市はもとより里山社会もこのような伝統社会から切り離されてしまいました。これは「人間が最も高尚な生き物で、自然を科学的に認識すれば支配でき、自然と乖離することによって経済を発展させ、生活を豊かにし、幸せをもたらす」という考え方の下、自然と人間は対峙するものとしてしまったことにあります。この時から、人間が自然を利用させてもらいながらその一員であることが忘れられ、自然の中で生きていく力を失ってしまったのです。自然を本能的に認識し生きていく力を失った人間が本来の田畑を守り、森を管理していくことができるのでしょうか?

『山川草木悉皆成仏』という大乗仏教の真理があります。「山川草木悉皆成仏」とは、「仏性は人間だけにあるのではなく、すべての生きとし生けるものばかりか、山や川すら仏になれるとする考え方」です。これはすべてのものが自然の一員であって魂を持っている。個々には永久的ではないけれども滅したのち次のものに生まれ変わる生命循環という流れの中で永久的であり、お互いに助け合い共生し自然のバランスを保っているという考え方だと思います。

昔のように過酷な労働、ムラ社会の息苦しさ、不便な生活に戻ろうと言うのではなく、新たな里山社会を創り上げ、豊かな自然の恩恵を持続的に受けるため、人間が自然の中の一員であることに立ち戻る必要があります。

変貌する里山

最近、高崎観音山の遊歩道を樹木ラベル設置のため、予備調査で数カ所歩いてきましたが、なんと二十数年前と森林の様子がすっかり変わっていて愕然としました。
野鳥の森の観察小屋付近では常緑広葉樹が繁茂し鬱蒼とした森林になって薄暗く、被圧木はひ弱で下草も少なく、土壌は固まっていました。バラエティの少ない極相に近いこの森では鳥を始め動植物の種類が限られてしまうだろうことは一目瞭然でした。根小屋城付近は笹の繁茂が多く、雑木林は大径木が育って伐採しても萌芽更新が無理な林令になり、人工林は間伐されず、もやし状態で表土の流出も見られました。昔は、林令や樹種、森林形態がモザイク模様で生物も多様であった森林がなぜ・・?同行の森林管理署の方に訪ねると、下刈りや間伐、伐採など森林作業を行うと自然保護の方々に反対されるので何もできないとのこと。
ん〜、何かが間違っている・・一度人間が手を入れた森林は(特に針葉樹の一斉造林地)は間伐などの作業を行わなければ森林がもやし状態になり下草も生えず表土が流出して、生物の多様性の維持も水源かん養も土砂の流出防備もできないのに・・、それに、いくら極相林が良いからとすべての森林をそちらに誘導すれば、そこに住める植物も動物も種類が限られ、かえって多様性が失われるのではないか(他の雑記で詳しく書きます)と思わざるを得ませんでした。
中途半端な知識が里山を台無しにしてしまう現状を観音山に垣間見たような気がします。

生物の多様性

日本の森林は、ごく一部を除けば太古の昔から何らかの人間の影響を受けていました。しかし、その影響は自然を完全に壊してしまうようなものではなく、自然の恩恵をうまく利用させてもらうものでした。このため、色々な環境が存在し多くの動植物が競争したり助け合ったりして共存してきたのでした。環境を変えるストレスが無ければ環境が単一化して、そこで生活する競争力の強いものだけが生き残ってしまいますが、台風や火山などの自然の攪乱、人間の影響などがモザイク状の自然を造り上げて多様な生き物が共存するシステムを作り上げていったのです。
例えばヒメギフチョウは、現在の群馬県では赤城の一部にしか生息していませんが、このチョウチョは明るい広葉樹林を好み春に成虫となってカタクリやスミレなどの花の蜜を吸い、ウスバサイシンに産卵します。しかし、飛ぶ力が弱いため藪や下草が繁茂していると餌を探したり交尾のため飛び回る障害となってしまいます。この明るい管理された森林を維持してきたのは粗朶や落ち葉かきをしていた里山の人々だったのです。そして、カタクリやスミレが増えるのは、その種に付いているエライオゾームという脂肪酸の固まりを好んで食料としているアリたちの働きが有ったからでした。
また、国蝶のオオムラサキは幼虫時には雑木林のエノキの葉を食べて成長し、成蝶はクヌギやコナラの樹液を吸って生きています。それも若い木でないと沢山の樹液を出さないので、定期的に伐採を繰り返す林の方が生活に適しているのです。
また、採草地に生えるクララは、有毒のため家畜が食べないので残ってきました。これを食草とするオオルリシジミは採草地の減少にともなって減ってしまいました。
このように特定の環境でしか生きていけない生き物たちは人為によって多様な環境が存在した里山で息づいていました。しかし、最近の里山の開発、管理放棄などによって環境の単一化と餌不足などを引き起こして存亡の危機に直面しているのです。

※原風景と原体験(中学生たちへ)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

皆さんに何時までも大切にして頂きたいものがあります。それは「原風景」とか「原体験」というものです。皆さんは、近くの雑木林の中でクワガタやカブトムシを捕まえたり、ため池や小川でフナやウグイなどを釣ったりして時間を忘れて遊びに熱中したことがあると思います。虫の住む木の見分け方や魚の住む場所の見分け方をひとりでに身につけ、捕まえる方法などに工夫をこらして、どうしたら上手く捕まえられるか、わくわくした思い出があるのではないでしょうか?

本やテレビなどを通してではなく、実際に自然の中で遊んだり、生き物と直接ふれあったりすることによって、自然のしくみを学び、遊びをもっと上手になりたいという情熱を持ち、季節の変化を感じる心の豊かさを創り上げていくということが人間形成にとって大切なことだと言われています。このように子供の頃から親しんできた森や川、家並みなど、心の片隅に残って思い出となる風景を「原風景」と呼び、その中での遊びや仕事の手伝いなどを通して得た体験を「原体験」と呼んでいます。

現在の経済優先の社会の中では、こんな「原風景」「原体験」なんかがいくらあっても、良い学校へ進学して良い就職をして、たくさん金を稼ぎ、美味しいものを食べ、便利な生活をするためには何の役にも立たないと思うかも知れません。しかし、金や物が豊かで便利であったはずの経済優先社会は環境破壊や資源の大量消費・大量廃棄を引き起こし、地域や家庭の崩壊をもたらして住みづらい社会を創り出してしまいました。安くて早く、それなりに旨いハンバーガーや牛丼などファーストフードをかき込んで、パソコンゲームでバーチャル体験をして、夜は塾通い、そんなファーストライフとでもいうような生き方が、自己の抑制がきかず、切れやすく、わがままで他人のことなどお構いなしの人々を増やしたとも言われています。

最近、人気のあるテレビ番組に「鉄腕ダッシュ村」というのがあります。多分にやらせだなと思う部分もあるのですが、里山の棚田での稲作りや野菜作り、炭焼き、水車小屋、そば打ち等々どこか引きずり込まれてしまいます。若い人気グループTOKIOがやっているせいもありますが、本物で安全で質の高い旬の作物を自分たちで作り、手作りの道具を使って時間をかけて美味しく食べる。つまりスローフードを食べ、本物志向で命のつながりを大切にし、効率的ではないけれども精神的に豊かな生活、つまりスロースタイルの暮らしをする。この映像に、人工物に囲まれ季節感を失い、あくせく働いている人たちが持っていた「原風景」「原体験」の心が引きつけられて人気番組になったのだと思います。

いくらスローライフが良いと言ったって、今の日本じゃ・・。お金がなくちゃ・・。勉強が・・。部活が・・って声が聞こえてきそうですが、ぜひ時間をつくって、友達と一緒に山や川で思いっきり遊び、家庭の手伝いをし、地域のお祭りなどの行事に積極的に参加して、質の高い「原風景」「原体験」を心の中に持って欲しいと思います。このような心を持つことが自然や社会に興味を持ち、創意工夫に富み、気力にあふれ、健康で精神的に豊かな人間が育ち、豊かな社会が創られると信じます。
それぞれが、小学校・中学校そして地域で学び体験したことをもとに、これから様々な分野や地域で活躍して行くことを心からお祈り申し上げます。

宝物(中学生たちへU)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

3年間の中学校生活はいかがでしたか?
良い友達がいっぱいできたでしょうか?
部活動は、満足する結果が出せたでしょうか?
心に残る経験が、たくさんできたでしょうか?(勉強はがんばれましたか?・・・でも、これは聞きません!!)


私自身のことを振り返って考えてみますと、良いにつけ悪いにつけ、生き方の基本は中学と高校の時に出来上がってきたような気がします。中学・高校生の期間は、約80歳と言われる日本人の寿命の10分の1にも満たない短いものです。
しかし、人として生きて行くうえで必要とされる基本的な部分を創りあげる時期、頭が柔らかくたくさんのことを吸収できて、心も体も盛んに成長していく一番大切な時期なのです。

この大切な時期(皆さんはすでに半分経過してしまいましたが!)に身に付けておかなければならない最も大切なことは、自分達が生きている地域の風景や歴史・文化に愛着する心や情緒的な思考だと言われています。これらを身に付けるためには、地域での体験や交流、自然の中での遊びや生き物とのふれあいがとっても大切だとされています。

なぜ、今の経済優先社会では何の役に立たないようなことが必要なのでしょうか?それは、今の社会が合理性や能率、効率ばかりを追求してきた結果、何もかも上手くいかなくなってきたからなのです。
そして、美しく豊かな自然に育てられた感受性や自然を敬う心が真の意味の学問を創り出し、価値を生みだすこと。地域で育って、家族への愛、郷土への愛着、祖国への愛着があってこそ、はじめて人類への愛が生まれ、そこから真の国際人が育つのだということに多くの人がやっと気がつきはじめたからです。
友人と力を合わせながら、豊かな自然や本物に触れ、葛藤や試練を体験し、人間関係を学ぶことが、五感と愛情を育て、内と外との区別ができ、協調性を持った、創意工夫に富み、気力にあふれ、健康で精神的に豊かな人間の育成につながります。それが豊かな社会を創っていく原動力になるのだと思います。


皆さんが生きていく上で、両親や兄弟、地域の人々、ふるさとの風景や歴史・文化、そして自然は「大切な宝物」です。それに愛着し大切にする心を持って大きく成長していく皆さんは、ふるさと、そして日本、ひいては世界にとって「大切な宝物」になれるということを忘れないでください。
社会の変り方が激しく、ますます価値観が多様化しています。皆さんは、これから様々な考え方を持った人達とたくさんの新しい出会いをし、もっと大きな地域や自然の中でいろいろな経験をしていくことになるでしょうが、中学校で学び身につけた自分なりの生き方を未来につなげ、新たな学習を始めて将来の夢につなげていって欲しいと思います。

川の連続性(緑のインタープリター協会紙への寄稿から)

近年、アユが釣れない、ヤマメやイワナも釣れない、ウグイさえも少なくなった、水が少ない、川が汚いなど、たくさんの声が県内から湧き上がっています。原因として、川の環境悪化、病気のまん延やカワウの食害などが挙げられていますが、その底辺には人間の一方的な都合のおしつけが根付いています。
産業革命後、巨大エネルギーを使えるようになった人間は、都市を造り、生活のためダムを築き、水道や下水を造って川から水を奪い、水害から守るため堤防を築き、川を直線化してきました。生活が便利で安全になった反面、水が少なく排水路と化した川は浄化能力を失って病気がまん延し、河口付近にいたカワウは都市化で生息場所を追われ内陸へ移動して食害を引き起こしました。河川工作物は、魚が川を自由に行き来することを妨げ、直線化は瀬と渕を消滅させて、餌場も休み場も繁殖場も奪って種の存亡の危機を招いてしまいました。

川の連続性が絶たれ、侵食、運搬、堆積という3要素を失い、水も土砂も養分も流れる量が減って、川の多様性、生産力や浄化能力など本来の姿が消えてしまったから、魚が棲みづらくなったのだと・・・これは、自然の恩恵を受けて生きている人間にとっても良いことではありません。
長年、壊し続けて来たから、そう簡単には回復できないでしょうが、魚が棲みやすい(人間にとっても暮らしやすい)川の環境を取り戻すこと、そして源となる森林を守ることは、とても大切な活動です。

※孤人化(中学生たちへV)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

最近、私は車の運転が面倒になったのと温暖化防止に役立つ?・・ため電車通勤をしています。
そこでよく目にしていることですが・・・、人目をはばからず化粧をする女性、席にかばんなどをおいて車内が込んできても知らん顔している人、車内でも平気で携帯電話をかけている人、乗車を待つ列に平気で割り込む人など、非常に不愉快な光景が毎日繰り広げられています。
すべての人がそうではないのですが、高校生や中高年の女性に多いような気がします。この現象は、大人も高校生も皆が「孤人化」してしまったためではないか思っています。
つまり、自分や親しい人以外は目に入らない存在であって、周りにいるのは人間ではなく、自分とは関係ない、ただの「物」になってしまっているのではないかと思っています。
「ただの物」だから化粧を見られても恥ずかしくないし、迷惑をかけても気にならない、他人とは関わりを持ちたくないという「孤人」になってしまったのだと思います。

さて、本当に「孤人化」してしまって良いのでしょうか?
私たちは、人や自然とのつながりがあってこそ、豊かな感性が育まれ、生きているということになるのではないかと思います。
人や自然とのつながりが、うっとうしかったり、めんどうくさかったり、大変だと感じるのは当たり前です。でも、それが人間として生きている充実感や喜びになるのだと思いますし、社会人として成長することになるのだと思います。

皆さんは一年間で200日くらい学校へ通ったはずです。1日8時間、学校にいるとすると1600時間で、これを24時間で割ると約65日にしかなりません。残りは300日で、寝ている時間を8時間として約120日、残りが約180日、つまり学校にいる時間より倍近く家庭か地域で過ごしていたことになります。この時間を皆さんはどのように過ごしてきたのでしょうか。

塾通いでしょうか?それともパソコン・ゲーム?テレビ?・・・学校にいる時間以外の大半がこれらでなかったことを願っています。さらに、食事も家族一緒でなく一人でテレビを見ながらしていたりしませんでしたか?
もし、そうだとしたら「孤人化」が始まっている可能性があります。今からでも遅くはありませんから、少しの時間でいいですから友達と一緒に近くの山や川で遊んでください。地域の人たちとお祭りや行事に参加してください。

地域や家庭で、多くの人たちや地域の文化とふれあうこと。また、本やテレビなどを通してではなく、実際に自然の中で遊んだり、生き物と直接ふれあったりすることで社会の中で孤立せずに、家族や地域の人々、歴史や文化、郷土の自然に愛着を持てるようになれると思います。
そうすれば、人々の細かな心の動きを感じられるようになりますし、季節の変化を感じる心の豊かさを創り上げていくことができ、創意工夫に富み、気力にあふれ、健康で精神的に豊かな人間が育ち、豊かな社会が創られて行くのだと信じています。

中学生の皆さん、それぞれが大人になって学校や家庭・地域で学び体験したことをもとに、様々な分野や地域で活躍して、豊かな社会を創っていただくことを心からお願い申し上げます。

※川から魚が消えるとき・・・(アユを取り戻す全国の集い:話題提供から抜粋)

アユが釣れなくなった原因は、川の環境の悪化、冷水病のまん延、カワウの食害であると言われています。しかし、よく考えると、これは川が病んだ結果の症状であると思っています。そして魚が居なくなって釣れなくなったのは2次的な症状であると・・・。

では、大元の原因は何かと言うと、人間の一方的都合で自然をいじくってきた結果であると言えます。つまり、人災なのです。産業革命以後、人間は巨大なエネルギーを使えるようになって、科学技術も発達して自然を征服できる思った人間は、快適な生活を送るため都市を造り、増水から生活を守るため蛇行する川を直線にして、濁流を海に早く流す方法をとりました。
エネルギーや飲料水を確保するためにダムを築き、水道や下水という第二、第三の川を造って、本来の川から水を奪ってしまいました。替わりに生活や工場で使って汚れた水を川に流して排水路代わりにしてきたのです。
水が減り、直線化して、石が減って微生物や水棲昆虫も少なくなって、川の浄化能力も多様な環境も失ってしまいました。
汚れた水も三尺流れればきれいになるとか、病気の魚でも川に戻せば治るって言われていたのは、過去の話になってしまいました。
カワウもそう。本来、河口付近にいたものを、人間が都市を造るために棲み家や餌場を奪ってしまったから、内陸の川や沼に移り住んで異常繁殖をしてしまった。
魚の病気もそうです。車、船、飛行機など世界を飛び回れるようになって、今まで行き会うことの無かった「日本のアユ」と「北アメリカの冷水病菌」、「日本のコイ」と「イスラエルのコイヘルペスウイルス」が行き会って新たな病気が生まれてしまったのです。
さらに、安ければ良いと病気の魚を放流したり、病気が発生している川からオトリを持ちこんだり、釣り道具を消毒しなかったりと、人間の身勝手さが病気を広げてしまったのです。

こんな風に「人間の一方的な都合」を押し付けてきたから、人間の心が病んでいるから、川も魚も病気になってしまったのだと思います。
このまま進んで行ったら、魚など水の中の生き物だけが絶滅危惧種になってしまうのでなく、釣り人(川の文化)も・・それどころか日本人(個体群)も、近い将来に絶滅危惧種になってしまうのではないでしょうか。

※ふるさと考(中学生たちへW)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

大正時代に長野県の高野辰之と言う人が作詞した小学校唱歌「ふるさと」は、彼が子供の頃に過ごした故郷の風景と望郷の想いを「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷」と詠った曲です。この高野という人は、信越線で東京の音楽学校へ通っていた時、碓氷峠のめがね橋付近から見た秋の風景を「秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中で 松をいろどる楓や蔦も 山のふもとの裾模様」と詠った「紅葉(もみじ)」という唱歌を作った人でもあります。

この「故郷(ふるさと)」にあるような風景は「農山村の集落や小川、ため池、田畑、雑木林などが小さなまとまりではあるけれどモザイク状に豊かな環境をつくっていて、この中に数多くの生き物がすんでいる」というものでした。これは「人々が田畑を耕し、草原で草を刈り、川で魚を採り、雑木林で薪を拾い、山菜を採り、きのこを探し、花や紅葉を愛でるなど、豊かな自然の中で仕事をして生活の糧を得るとともに、美しい自然に心の潤いを求め楽しむ」というように、自然と人間の生活が密接に結びついて出来上がったものと言えます。このような、私たちが幼い頃から見慣れた故郷の風景、故郷への愛着が何時までも変わらず、たとえ故郷を離れても私たちの心の中に生き続けている風景、それを原風景と呼んでいます。

現在、40才くらいから上の人達が子供の頃には、このような原風景となっている身近な自然の中で毎日のように友達と一緒に遊び回っていたはずです。雑木林でカブトムシやクワガタを捕り、山菜を摘み、山栗を拾い、山裾から湧き出す小さな流れにホタルを追い、ため池や水路でフナやクチボソを釣り、水路が流れ込む川では水遊びやハヤ釣り、カジカ捕りなど興じていたと思います。
この身近な自然は子供たちにとって「生きた百科事典」で、この中で遊びをすることで教科書には書いてないことを学び、様々な体験をすることで知恵や想像力を授かっていたのだと思います。

ところが世の中が工業化が進み経済が発展する中で、効率化のためコスト至上主義、画一化が求められ、いつしか効率化がなじまない精神面や地域文化、食文化などまで浸透して、身近な自然の大切さが疎んぜられ、その本来の姿や大切さが忘れられてきてしまいました。このことは「生き物である人間にとってどのような自然が必要で大切なのか、自然の仕組みがどうなっているのか、人と自然の関係がどうなっているか」を知らない人や自然の変化に対して敏感さが失われてしまった人が増えるという現象を引き起こしてしまいました。
これは、生き物である人間として、季節の変化を感じる心の豊かさが失われたり、自然への危険予知能力を失ったり、精神的に不健康になったりと非常に恐ろしいことになることを意味しています。
いまこそ「心のふるさと」である身近な自然を取り戻して「生きた百科事典」を開く子供たちが増え、自然を原点に考えて生きていく人達が増えていくよう願っています。そして、自然にやさしい人間生活を取り戻すため私たちは行動を起こさなくてはいけないと思います。


※山菜考(某メルマガへの寄稿から)
春の野山の楽しみ・・・山菜採り
山野に春が訪れると草木の新たな芽が一斉に萌え出します。この時期の楽しみは何と言っても、この山菜の芽を摘んできて、口いっぱいに広がる春の香りを食べることでしょう。
山菜は、栽培ができて味にも癖のない野菜に比べれば採れる量は少なく、味もアクが強く癖のあるものが多いようです。しかし、それがかえって野趣に富み喜ばれているのでしょうし、山野のおいしい空気を吸って一日中歩き回ることも山菜採りの楽しみと言えます。

群馬県内では、タラノメ(たらっぺ、たろっぺ等の方言)やワラビ・ゼンマイ、フキなどが一般的に好まれているようですが、最近は東北地方で好まれているコシアブラ(別名:ごんぜつ)やモミジガサ(方言:しどけ・きのした)なども採取されるようになって、比較的標高の高い地方にあるコシアブラなどは至る所で取り尽くされしまう問題も起きてきました。

山菜取りでは、たくさん取ることをしないで、自分で食べられる分だけをいただいてくるのがマナーです。ナタで切りたおしたり根こそぎ持っていったりすることはもってのほかです。もちろん、タラノメなどを早い時期から切り取って水耕栽培をしたり、二番目・三番の芽を採ったりすることも木のために良くありません、マナーを守って山菜取りを楽しんでいただきたいと思います。

山菜は、昔から親しまれて地域ごとに独特な食文化が出来上がっているためか、愛称や方言がたくさんあります。「なんで、こう呼ばれているのだろうか?」などと、その由来に想いを巡らせるだけでも楽しくなって来るものです。
その山菜のいくつかについて、愛称や方言、食べ方など思いつくままに紹介します。

@山菜の王様「タラノメ・写真」
山菜の中で、最初に名前があがるのは、何と言っても「タラノメ」でしょう。誰もが知っていて山菜の王様と言われ、他に「タラッペ、タロッペ」などの愛称で呼ばれています。
ウコギ科の低木で幹には多数のトゲがあります。「タラ」は「トゲ」の古語だそうでして「トゲの木」つまり「タラノキ」なのだそうです。

●ウコギ科の植物には食べられるものが多いのですが、最近になって有名になってきたコシアブラもウコギ科の山菜です。
コシアブラは5枚の掌状複葉で長い柄をもっていますが、まだ開ききらない芽を天ぷらやおひたしにして食べます。別名を「ごんぜつ」と言いますが、黄色の塗料(漆の代わり)に使ったので「金漆」と書くのだそうです。コシアブラはこの塗料(油)を漉して採るからだそうで、他には「トウフノキ・イモノキ」とも呼ばれていますが、木肌が白く柔らかいからでしょうか。

A山菜の女王「シオデ」
「山菜の王様は「タラノメ」でほとんどの人が異存はないのでしょうが、女王となると地方々々によって違うのでしょうか?・・・「アイコ(ミヤマイラクサ)」「シドケ(モミジガサ)」「ウド」「ナルコユリ」などいろいろな山菜名があがってきます。

●わたしは「シオデ」が、その姿と味から一番ふさわしいと思っています。山のアスパラガスとも言われ、ぬめり気があってアクのない味でユリ科のつる植物です。5月下旬頃に沢筋などに芽を出したものを採取します。おひたし、油炒め、みそ汁の具で食べます。他に「ソデコ」とか「ショデコ」と呼ばれ、東北地方では「ひでこ」の愛称で親しまれています。


B山でうまいは「オケラ」に「トトキ」

「山でうまいはオケラにトトキ、嫁に喰わす(やるの)は惜しうござる」という意地悪な言いまわしがあります。それほど「オケラ」と「トトキ」はうまいと言うことなのですね。確かに癖のない山菜ですが格別うまいとも思えないのですが・・・。

●「オケラ(和名)」はキク科の植物で、万葉の時代から「ウケラ」と呼ばれて詩に詠われたり、漢方として使われたりしていたようですが名前の由来は不明です。花はアザミに似ていますが、あまりきれいな花ではなく、新芽を摘んでおひたしや和え物で食べるのが一般的です。

「トトキ」はキキョウ科の植物で和名は「ツリガネニンジン」で「ワカナ・アマナ」とも呼ばれます。つみ取ると切り口から乳が出てべとつき、花は紫色の釣り鐘型をしていて、根はチョウセンニンジンに似ています。おひたしや和え物で食べるのが一般的でが、根を漬け物にする食べ方もあります。

●「山でうまいは滝菜(タキナ:別名ミズ)にタラの芽」という言いまわしもあるとか?


Cシダ類では「ゼンマイ」「ワラビ」「コゴミ」が代表的な山菜

シダの仲間は、葉が垂れる(しだれる)からシダと呼ばれているそうですが、そのシダ類で山菜として一般的に食べられているものに「ゼンマイ」「ワラビ」「コゴミ」などがあります。
「ゼンマイ(和名)」は若芽の先がくるくると巻いて、丸い銭(お金)に見えるので「銭巻き」と呼ばれたのが名前の由来とされています。
「ワラビ(和名)」は、「ワラ」が茎を言い、「ビ」は食べられるという意味だそうですが、本当のところ名前の由来は不明のようです。
「コゴミ」は「クサソテツ」が和名で「ソテツに似ている草」からついたそうで、その若芽の姿がくるくると巻いて“前こごみ”になることから、別名でコゴミ、コゴメなどと呼ばれています。

●シダ類はアクがあって食べるまでが面倒で、「ゼンマイ」は採ってから乾燥させて、揉んで毛を落とし、もどして煮物にしますし、「ワラビ」は灰や重曹をまぶして熱湯をかけてアク抜きをしてから食べるといったように手がかかります。しかし、「コゴミ」だけはアクが少ないので、さっと茹でて醤油、マヨネーズで食べられます。


D符丁で付いた名前「トウキチロー(モミジガサ)」

「モミジガサ」はキク科の多年草で、東北地方では「ギョウジャニンニク(オゼビル)」などよりも好まれている山菜で、市場でもけっこう高い値段で取引されています。
森林内にまとまって生えているので採集しやすく、林床(木の下)に生えるので「キノシタ」と呼ばれ、転じて「トウキチロー(木下藤吉郎から来た符丁)」と呼ばれています。この他に、シドケやシドキとも呼ばれています。味はフキに似ていますが、青臭さが多少強く、おひたしや油いためが美味しい山菜です。

●符丁で名前が付いた植物(山菜ではありませんが)で、皆さんがよく知っているものにヘチマがあります。昔は「トウリ(砥瓜)」と呼ばれていましたが、「いろは」で言うと「と」は「へ」と「ち」の間にあるから「へ・ち・ま(間)」となったのだそうです。

Eよく似た毒草に注意しましょう!!
春先に「毒草を山菜と間違えて中毒!」と新聞紙上を騒がせることがあります。ひどい場合は死に至ることがありますので、知らない山菜は採らないことです。

特に、トリカブト(ニリンソウと間違えやすい・写真)やコバイケイソウ、ハシリドコロなどは猛毒を持っていますので気をつけましょう。またたくさん食べると下痢をしたり、ウルシのようにかぶれたり、しゅう酸が多くたくさん食べると骨に影響すると言われている山菜もありますので、山菜採りには植物に詳しい人と一緒に行くことをおすすめします。

※群馬のアユは江戸前のアユ(某メルマガへの寄稿から)

利根川のアユ、特に群馬県まで遡上してくる天然のアユは「江戸前のアユか?」それとも「九十九里産のアユか?」と言うことについて考えてみたいと思います。 

利根川は下流の茨城県、埼玉県、千葉県の県境付近の関宿というところで利根川本流と江戸川に分かれます。利根川は江戸時代よりも昔は東京湾に流れ込んでいました。
また、これと平行して渡良瀬川も東京湾に流れ込んでいました。その東側を流れる鬼怒川が銚子の太平洋に流れ込んでいたのですが、徳川家康が江戸に入城してから江戸を水害から守るためと水戸方面からの水運を作るために利根東遷と言う大事業を始め、利根川と渡良瀬川・鬼怒川をつないで、現在のように銚子で太平洋にそそぎこむ利根川の流れをつくりました。そして古い利根川を埋め立てて、昔の渡良瀬川を使って東京湾に流れ込むようにしたのが江戸川です。

ですから、今でも利根川は分流とは言え江戸川を通じて東京湾とつながっていて、東京湾の三番瀬など波打ち際の浅瀬はアユの子の絶好のゆりかごとなっています。ここで大きくなったアユは桜が咲く頃に荒川や多摩川、江戸川に大量に遡上してくるのです。

ところが、荒川の秋ヶ瀬取水堰や多摩川の調布取水堰には魚道があるのですが、残念なことに江戸川の場合は水閘門(洪水を流す水門と船を通す閘門が一体となった施設)というのがあって魚道が無くアユの遡上をさまたげています。水閘門が開くのは、水量が増えた時や舟が通る時だけですが、その時にうまく通過したアユだけが利根川水系にのぼってくるということが分かっています。
アユが来ている証拠として、水閘門の下流では水門の下で登れないでいる稚アユを狙った密漁(6月1日以前のアユ漁は禁止されています)が横行しています。遡上の時期には毎日100人〜300人の釣り人が多い日には1人で1000匹も釣り上げています。(一説には300万尾近くが遡上すると言われていますが、試算ではここで約4割が釣られてしまうのではないでしょうか?これは上流の群馬県のアユ漁にとっては非常に問題です!)

また、水閘門より上流では地元漁協が待ち受け網(これは正当な漁です)などで採捕して放流種苗として売っている事実もあります。
このため利根川本流だけでなく江戸川ルートのアユものぼれるようにする必要があるのではないか。いや、むしろ江戸川のアユの方が群馬県の天然アユには重要なのではないかと考えるようになってきました。

そして、海からの距離を調べてみると、利根川河口から前橋までは200kmもあるのに比べ、一方の江戸川は河口から137kmと63kmも短かく、1日にせいぜい2〜3kmくらいしかのぼらないと言われているアユですので、80日もかかってのぼるのと55日弱で到達するのとでは1ヶ月近くの大きな違いがあることも分かりました。
つまり、同じ3月下旬にのぼりはじめたとしても江戸川のアユは利根大堰をゴールデンウィークのころ通過して5月中旬には前橋あたりまで来ていることになるのですが、九十九里産のアユは5月下旬にやっと利根大堰を通過して、前橋には6月中旬ころに着く計算になるのです。実際には銚子からのアユは水温の関係でのぼりはじめが遅くなっています。
さらに利根川河口には河口堰があって、その魚道はアユにとってのぼりづらいとも言われていますので、量は少ないのではないかと考えられますし、アユは水温が高く、水質の良い川を好むと言われていますので、途中にある鬼怒川や渡良瀬川を選んでのぼる可能性が高く、利根大堰をこえて群馬県までのぼってくるアユは少ないのではないかとも言われています。

このように考えると「群馬県内の利根川に遡上してくるアユは、銚子からのぼってくる九十九里浜育ちのアユよりも江戸川をのぼってくるアユの方が多いのではないのか?」と・・、つまり東京湾育ちのアユ=江戸前のアユ・・・ではないのかと思われ、江戸川からのぼってくるアユのため川の連続性を確保する施策が重要となってくるのです。

※魚と釣り人の効用(某メルマガへの寄稿から)

海から川に遡上(そじょう)してきたり、放流されたりしたアユは、ご存知のとおり川の石に着いた藻類(コケ)を食べて大きくなります。川には珪藻、藍藻、緑藻などの藻類が生えていますが、アユはこのうちの珪藻と藍藻を食べ、その量は結構多くて体重の半分くらい食べると言われています。
特に珪藻が好きで、これがアユの香りや味を良くすると言われていますが、珪藻はガラス質のカラで包まれているため、消化が遅く胃の中に残っているので珪藻が主な餌だと思われているのだという説もあります。また、藍藻は窒素が多く、たんぱく質をたくさん含んでいてアユの成長はよくなるようです。
珪藻は黄色の色素が多くて川の中の石は茶褐色になりますが、アユに過度に食べられると再生産が追いつかなくなって、その後に藍藻が繁茂してくるそうです。藍藻は過度に食べられても再生産する能力が強く黒っぽい色をしています。「アユがなめた石は黒光りしている」と、よく言われますがこの藍藻のせいなのです。

さて、川には森林から供給されるほかに、生活排水などから大量にチッ素やリン、有機物が流れ込んで、川の栄養分となって多くの生き物を育むとともに、川の汚濁の原因ともなっています。チッ素やリンは水に溶け込んで流れ、有機物は水生昆虫などが食べて細かくして、それを微生物がチッ素やリンなどに分解しています。
その水生昆虫は魚の餌などになりますし、チッ素やリンは藻類に吸収されていきます。(藻類は植物ですので、畑の野菜などと同じように、川の中にあるチッ素やリンを栄養として吸収し、太陽の光を受けて育っています。)水生昆虫やコケをアユなどの魚が食べて大きく育つことになりますが、その魚を釣り人が釣り上げるということは、魚の骨や肉を作り上げているチッ素やリンを意識せずに川の外に出していることになるのです。
つまり、チッ素・リン→藻類→アユ(魚)→釣り人というような図式ができあがって、川の中の汚濁物質が取り除かれることになるのです。それも、魚が多ければ多いほど、釣り人が多いほど、その効果は大きいのですね!

ちなみに、高知県の物部川での調査・試算では、アユが生息する5月から10月の間に川を流れたチッ素の1%、リンの20%が取り除かれるという結果が出たそうです。チッ素の量はたいしたことがないのですが、リンは大きな効果があるようです。
(物部川の資料は「ここまでわかったアユの本:築地書館:高橋勇夫+東
健作(著)」を参考にしました)

※春の七草・秋の七草・夏の七草

春の七草は早春の食べられる野草から選ばれています。正月の7日に七草粥を食べると、災いから逃れ、長寿と富を得られると言われています。

この春の七草は、平安時代の1362年頃に「四辻の左大臣(四辻善成)」によって書かれた『河海抄』に「七種。薺 繁縷 芹 菁 御形 須々代 仏座」の記述があって、それから「せり、なづな、御形、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ、これぞ七草」として春の七草が定着したと言われているそうです。

セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ・写真)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ(コオニタビラコ)、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)

そして秋の七草は花のきれいな、そしてわび・さびのある野草です。
万葉集に「秋の野に
  咲きたる花を  指折り(およびおり)かき数うれば  七種(ななくさ)の花 萩の花  尾花葛花  撫子の花  女郎花  また藤袴  朝顔の花」と山上憶良が詠ったところから憶良の選定と言われているそうです。

ハギ、オバナ(ススキ)、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ
この春と秋の七草は有名ですが、それでは夏の七草はあるのでしょうか? 
あまり知られてはいませんが夏の七草は有るということです。

ヒユ・アカザ・シロツメクサ・ヒメジョオン・スベリヒユ・イノコヅチ・ツユクサ
この夏の七草は、戦時中に東京大学の本田正次教授が食べられる野草を主として選定し発表したものだそうです。

また、ヨシ・イグサ・オモダカ・ヒツジグサ・ハス・コウホネ・サギソウも夏の七草と言われていますが、こちらは夏に涼を呼ぶ水辺や湿地の植物ですね。

秋の里山の味覚を楽もう!(某メルマガへの寄稿から)

秋も深まり、里山ではやま遊びを楽しみながら秋の味覚の収穫が出来る季節になりました。
現在ほど経済社会も進まず、効率化などが叫ばれなかったころは、農作業など主業の合間にノラやハラ、ヤマなどから、季節ごとに自然の中で生まれ育った食べ物を収穫する小さな息抜きとでも言える山菜採りや、自然薯掘り、イナゴ採りなど里山の遊び(遊び仕事)がありました。
金では買えない楽しみ、仲間と収穫の喜びを分かち合い、自然の仕組みを体で覚え、自然の生き物と共存しながら知恵比べをする喜び、これが里山の遊びです。
このような遊びを通して収穫できた自然の食べ物は体にも心にもすばらしい御馳走であると私は思っています。この自然の中で生まれた御馳走・・・今回は秋の味覚について、とりとめなく書きたいと思います。

【木の実の季節】
秋は何と言っても植物が花を咲かせ実を付けて子孫を残すための最終段階の季節です。つまり木の実がたくさんみのる季節なのです。

ヤマグリ、ギンナン、ヤマナシ、ヤマブドウ、アケビ、サルナシ(シラクチヅル)、ヤマボウシ、ウワミズザクラ(アンニンゴ)、チョウセンゴミシ(写真左)など、数え上げればきりがありませんが・・・そのいくつかを紹介します。
ただし、これらの木の実は野生の動物、クマやイノシシ、シカ、リスなどの食べものでもあります。最近は里に下りて農作物を荒らす動物も出てきていますので、動物たちが山で安心して暮らせるよう、私たち人間は、たくさん採らず、ほんの少しだけ頂くように心がけましょう。
※ギンナン
 言わずと知れたイチョウの実ですが、果肉のにおいはすごいものです。それにかぶれる人もいますが、種子はおいしいので多くの人が拾い集めています。果肉は土に埋めて腐らせるか、拾う時に手袋をしてある程度除いたあと水洗いをよくします。それをザルに広げて乾かして保存します。
食べる時、いちいち割ってフライパンで煎る人もいますが、今は文明の利器が有ります。紙封筒に食べる分を一つまみの塩と入れて、封筒の空気を抜きながらくるくるとまいてレンジの中へ、そして3〜4分間でチン、中からはポンポンとはねる音がしますが紙封筒は破けませんのでご安心を・・・

※アケビ

 里山の林縁部などを歩いて上を見上げれば、紫色のアケビがなっている・・・そんな情景は郷愁を誘います。そして口を開いた中には真っ白な果肉があります。この果肉はほんのり甘く、これをほおばり、中の種を吐き出す・・・こんなことを子供のころの経験として持っている人も多いと思います。
そして、紫色の果皮・・これはほろ苦く大人の味なのですが、塩ゆでをしてアクを抜き、短冊に切って油炒めに、そして、少し豪華に挽肉・きのこ・葱などを炒めたものを詰めて蒸し焼きや天ぷらなども妙味があります。


※サルナシ

 マタタビの仲間の落葉ツル植物でツルは腐りにくいため「かずら橋」をつくる材料やカゴなど工芸品に使われます。雌雄異株で円形の果実をならせます。キュウイフルーツ(オニサルナシ)も同じ仲間です。別名はシラクチヅルですが、シラクチは猿の呼び名で和名のサルナシと同じく猿が食べる実がなる蔓と言うことですね。

霜が降りた頃に生で食べておいしく、ジャムも作れます。そして、少し色づきはじめた頃は果実酒にといろいろな方法で楽しめます。

※ウワミズザクラ(アンニンゴ・杏仁子)

 細長いブラシのように白い花をたくさん咲かせるサクラです。昔はこの木を使って溝を掘り、割れ方で吉凶を占ったとのことで上溝桜がウワミズザクラになったそうです。
実は赤く熟して、食べるとアンズの種の中身のような味がします。このつぼみや実を塩漬けにして食べますが、この味からアンニンゴとも呼ばれています。塩漬けのアンニンゴをポツリポツリと食べながらの熱燗は格別の味がします。他に少し色づきはじめた実を使った果実酒もおいしいのですが、漬けすぎると苦みが出るのでご注意を・・・。

【ジネンジョ(自然薯)掘り】
 秋も深まり、雑木林の葉も落ちて、黄色く枯れたジネンジョの葉やツルが目立ちはじめた頃がジネンジョ掘りの季節です。
ツキやスコップを持ってヤブの中へ入っていき、ツルをたどって生え際の土をどけるとアンズと呼ばれる部分が見つかります。周りの灌木を刈りはらってから芋を傷つけないように慎重に掘り下げていきます。芋は石や根の障害物をよけながらあちこちに曲がりくねって生えていることが多いので大変な作業となります。時には1.5mや2mを掘らなければならない大物に行き会うこともあって、これを先端まで無傷で掘り上げたときの喜びは何ものにも代え難い喜びとなります。
 ジネンジョ(自然薯)はヤマノイモ科の多年生つる性植物で、ヤマイモとも呼んでいて、この地下茎を掘り出して食べます。葉の脇にムカゴを付けて無性繁殖しますが、このムカゴも食べられます。

 ヤマトイモとかナガイモと称して売られているものは中国原産のヤマノイモの仲間で細長いものがナガイモ、丸いものがツクネイモ、扁平で下が広がったものがヤマトイモ(イチョウイモ)で、こちらは畑で大量生産されています。

 里山には、ジネンジョとよく似たトコロが生えていますが、葉が互生(ジネンジョは対生)なのと3つの翼を持った種子が細長い楕円なので区別が付きます。トコロの仲間は苦みがあり、それほど強くはないのですが毒性が有るのでご注意を・・・。

 ジネンジョはすり下ろして箸で持ち上げると、餅のように上がってしまうほど粘りが強いのが特徴です(おろし金を使わず、すり鉢で直接するとキメが細かくなります)。これをだし汁や卵を入れて、ゆるめにのばしてトロロ汁にして食べるのが普通ですが、野風味を楽しむには、濃いまま醤油を掛けて食べるのも良く、他には苔に包んで揚げ物、千切りにしてわさび醤油やウメ味噌でと、いろいろな食べ方を楽しめます。

 最近は、テレビなどでジネンジョの良さが宣伝され、それを求めて多くの人が勝手に里山に入って掘っていくことが増えましたが、山の所有者に断って、自分が食べる分だけ掘るようにし、掘った後の穴は元のように埋めていくのが最低のマナーです。そして、掘る時にアンズから食べられる太さまでは土に付けたま残して埋め戻せば、数年後にはまた掘ることが出来るので、このような心配りも欲しいですね。

イナゴ捕り&イナゴの佃煮(某メルマガへの寄稿から)

秋の稲刈り後、季節限定の食料調達を兼ねた野遊びにイナゴ捕りがあります。
田んぼの畦などで、早朝の露が降りてイナゴの羽根がまだ濡れている間は動きがにぶいので、この時間帯を見計らってイナゴ捕りをします。
ゆっくりとイネ科の植物が多い畦を歩けば、驚いてモソモソ、ピョーンと居場所を教えてくれますので飛んで逃げる方向、つまり頭側から素早く捕まえます。
捕まえたイナゴは手ぬぐいを縫って袋状にして竹筒を括り付けた入れ物に入れます。この竹筒が袋から逃げ出すのを防いでくれるのです。
イナゴは驚くと動くものにしがみつくのか、メスにオスがしがみつくのかどうかよく分かりませんが、大きなイナゴに小さなイナゴがオンブして2匹一緒になります。このオンブしている2匹を捕まえることは非常に効率的で嬉しくなってしまいますね。

普通にイナゴと呼ばれているのはコバネイナゴ(イナゴ科)で、イネの葉を食べる害虫とされていますが、最近は農薬散布の影響で水辺近くの湿った場所に移ってイネ科の植物を食べて暮らしていることが多くなったようです。
このため、耕地整理が行われた田んぼよりも、水が湧き出している谷津田のような場所の方が生息密度は高いようで、私たちもそのような場所を選んでイナゴ捕りを行っています。

イナゴのつくだ煮は、捕まえて布袋に入れたまま1日生かしておいてフンを排泄させます。
そして可哀想なのですが、そのまま熱湯を掛けるか蒸し器で蒸します。
蒸し上がったイナゴはザルにあけて天日に1日干して、羽根と足(ギザギザがある部分・ここが一番面倒くさい)を取って、さらに2〜3日乾燥させます。

乾燥させたものを鍋に入れ、油でサッと炒りあげ(この工程をやらない場合もあります)水・酒で煮て、醤油を加えて煮詰め、最後に砂糖を加えて甘辛く煮あげれば完成です。
バッタ類の一見グロテスクな形のままの佃煮はチョット引いてしまいますが、独特の風味のある佃煮は酒のつまみによく合います。
そして5〜6匹分が卵1個以上の栄養価があると言うのですから・・・秋の味覚として珍重!!

 ※「春の妖精」と「春の女神」(某メルマガへの寄稿から)

啓蟄そして春分も過ぎると春が本番になってきますが、この時期はいろいろな虫たちが活動を始め、春植物たちも可憐な花を咲かせ始めます。特に、雑木林の林床にはスプリング・エフェメラル(春の妖精・春先のはかない命とも言われる)と呼ばれるカタクリ、アマナ、アズマイチゲ、イチリンソウ(日本固有)、ニリンソウ、フクジュソウ、エンゴサクなどの植物がかわいい花を咲かせます。

これらは、早春期に葉を広げ3月下旬から4月下旬にかけて花を咲かせ、上を覆う落葉広葉樹が葉を広げ始める5月頃には実を着け、地上部が枯れて次の春まで眠りにつきます。このように春先の1ヶ月程の短い期間だけ活動することから、スプリング・エフェメラルまたは「春の妖精」とか「春先のはかない命」と言われる理由になっています。
これらの植物の多くは北半球の3分の1が氷河で覆われていた時代(新生代第4期:1万〜200万年前:氷河期)に寒く乾いた気候で生きていける植物として氷河の周辺部に生まれたと言われています。そして、その時代は大陸と地続きになっていた日本列島に気の遠くなるような長い時間をかけて移動してきたと考えられています。氷河期が終わって、暖かくなった日本では常緑広葉樹林(関東以西)が多くなりましたが、農耕文化が発達して里山を肥料や燃料の採取の場として利用してきたため、明るい雑木林(落葉広葉樹林)がたくさん残され、暗い常緑広葉樹林の中では生活できないこれらの植物も生き残ってきたと言われています。

この「春の妖精」たちが花を着け、実を結び子孫を残すためには、里山にすんでいるたくさんの生き物の働きやしくみを必要としてきました。例えば、花粉を媒介してもらうためには春先に活動するマルハナバチたちの働きが必要となります。マルハナバチはミツバチと同じように女王蜂を中心に群れで生活しますが、ミツバチよりも早く活動を始めことや蜜を吸うための舌が長いという特徴を持っていて、春早くに咲く花、細長い花筒を持った花や下向きに咲く花にうまく順応して花粉の媒介を行ってきました。
また、「春の妖精」たちが種を分散させて仲間を増やすために、明るい雑木林の林床や開けた場所に巣を造るアリたちの働きに頼ってきました。これらの種子には脂肪酸の固まりであるエライオゾームというものを付けているものが多く、これを大好物としているアリたちは、この種子を巣に運んでエライオゾームだけを利用した後、種は巣穴の外に捨てています。そして、ここから芽を出した「春の妖精」たちが仲間を増やして行くというしくみができあがっているのです。


さて、カタクリやスミレ、カンアオイなどもアリによって種子を分散させる「春の妖精」と言われる植物ですが、この「春の妖精」の蜜を吸ったり、卵を産み付けたりする昆虫に「春の女神」と言われる「ヒメギフチョウ」がいます。ヒメギフチョウは地域によって少しずつ形態が違っているそうで、群馬県では「赤城姫(あかぎひめ)」の愛称で呼ばれているヒメギフチョウが赤城村深山地区だけに残されていて、地域の住民や小学生のボランティアによって手厚く保護されています。

ヒメギフチョウは4月中旬から5月中旬にかけてサナギから羽化し、カタクリやスミレなどの蜜を吸って、ウマノスズクサ科のウスバサイシンの葉裏に卵を産み付けます。卵から孵った幼虫はウスバサイシンの葉を食べ、夏の終わり頃にサナギとなって越冬します。
ヒメギフチョウは非常に繊細な羽根を持っているため、藪の中では羽根が傷ついてしまうため飛べませんし、カタクリやスミレ、ウスバサイシンの生えている明るい林でなければすむことができないのです。このような林には、人間が草やヤブを刈ったり、落ち葉かきをしたりする雑木林が適していて、このチョウも人間の生活や農業活動のために使われていた雑木林の環境にうまく順応して大昔から息づいてきた生き物と言えるのです。

この他にも里山には、ゼフィルス(そよ風の妖精・森のそよ風)と呼ばれるチョウがいます。この仲間には採草地のクララ(毒草のため草刈りの時に残される)だけしか食べないオオルリシジミやハンノキ類を好むミドリシジミ、ナラ類を好むアカシジミ、アリと共生するクロシジミ、アリの卵や幼虫を食べるゴマシジミ、アブラムシを食べるゴイシシジミなどがいます。

一部のチョウだけを見ても、このように里山の自然の中で、それぞれが独特の生活史を持って息づいているのですが、それだけ里山にはモザイク状に多様で豊かな自然があったと言えるのです。
ところが、現在の里山は、管理・利用されなくなってヤブに被われた暗い林が増え、採草地などは人工林に変わり、水路は土からコンクリートに変わって必要な時以外は水がなくなるなど大きく変化してきてしまいました。このため里山の土や水、植物や動物たちが造り上げてきた良好な自然環境が、さまざまな生き物が安心してすむことができない環境へ大きく変わりつつあります。特に限られた条件の中でしか生きられない生き物(例えばスプリング・エフェメラル→春先のはかない命)にとっては本当の意味で「はかない命」になりつつあると言えます。
このため、いまこそ里山の身近で多様な自然環境について考え、人間にとっても他の生き物たちにとっても良好な状態で維持していくための施策を早急に推進していく必要があると思っています。

※ 機心(中学生たちへX)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

少し難しい言葉ですが「機心」という言葉をご存知でしょうか?「きしん」とか「からくりごころ」と読みます。辞書を引くと「いつわりたくらむ心」としか書いてありませんので、よく意味がわかりませんね・・・。

この「機心」という言葉が出てくるのが、昔の中国の偉い思想家、孔子という人の弟子で子貢(しこう)という人が地方を旅していた時の話しです。

一人の老人が井戸の中まで降りていって瓶(かめ)に水をくんでは、苦労して畑の野菜に水をやっている様子を子貢さんが見て、その老人に「いちいち、そうやって水をくんでいたらたいへんでしょう。今は釣瓶(つるべ)という便利な機械ができています。それを使ったら苦労しないでたくさんの水を掛けることができますよ」と教えたそうです。
すると、その老人は「私も、そのことは知っていますが、便利な機械を使うと、どうしても機械に頼ってしまうことになります。機械に頼る心(機心)持つと、人間はさらに便利なことを求めて素朴さや生まれながらの純真な心を失ってしまいます。私は、そのようなことを恥だと思っているので使わないのです。」と言ったそうです。
この老人の奥深い考えを聞いた子貢さんは、恥じ入って黙ってしまったそうです。「何の考えも持たずに機械化や効率、能率と言っていると素朴な心を失ってしまうよ」という、いましめの話です。

ところが、現代は釣瓶どころか、蛇口をひねればきれいな水が出てきますし、旅をするにも電車や自動車があって短時間で遠くまで移動できます。畑を耕すにはトラクターがありますし、通信や情報関係では電話やテレビ、パソコンがあるなど、身の回りのほとんどが科学技術や機械でいっぱいになっています。
これによって得られたものは、能率的とか効率化、移動時間や労働時間の短縮、便利な生活や心のゆとりといわれています。しかし、便利な科学技術や機械が生み出してくれたはずの心のゆとりや時間はどこかへ消えてしまったような気がします。
効率化を追い求めすぎて、例えば「入試に出ない科目は勉強しなくてもいいのだ」と言うように本来の勉強の目的を見失ってしまったり、テレビやゲームに熱中しすぎて機械に大切な時間を無駄に使われたり、授業中に携帯電話を使っていたりと、楽なことや面白いことばかりを求めて、汗を流して結果を得るという心を失っているのではないでしょうか。
このような生き方によって、自然とともに生きる時間や家族だんらんで過ごす時間、地域文化に親しむ時間などが無くなり、自然への感謝や家族への愛、地域を大切にする心が失われてしまっていないでしょうか。さらに、自分を愛し、自分を深く見つめる心さえも失っていないでしょうか?

いまさら科学技術や機械を捨てて、昔のように不便な生活をしなさいと言っているのではありませんし、そんなことが今の時代できるはずはありません。しかし、安易に科学技術や機械に頼る「機心」と言う心があると人間として必要なものを失うことが多いのではないでしょうか。
「機心」という心を捨てると、今まで見えなかった素晴らしい世界が見えてくるし、忘れていた大切なものが見えてくると思います。
皆さんには、ぜひ自分を見つめ直して、自分を大切にして、純粋な気持ちで生きて行って欲しいと思っています。

※ 当世釣り人気質と経済効果(某メルマガへの寄稿から)

「釣れますか?」と竿を出している釣り人に声をかけると「釣れないねぇ…」「…やっぱり、きのうの雨でできた水たまりだからねぇ〜」というのは落語の世界。ですが、このように「水がある所はどこでも、春夏秋冬、暗くても、雨が降っても雪が降っても、いつでも、じっと当たりを待っている、あやしい存在が釣り人である」と誰かが言っていました。自分を振りかえってみても、まったくそのとおりだと思ってしまいます。

昔から釣りには「健・忍・寛・尚・楽」の五徳目があるといわれ、体を健康に保ち、忍耐力と寛容の心をはぐくみ、高尚なる精神をつくり、人生を楽しませてくれると言われています。けれども最近では、忍耐力も寛容な心も高尚な精神も失われて、楽しみばかりを追いかけている釣り人が増えていると非難されています。

実例を挙げればきりがありません。林道のゲートをこじ開けて車で入っていく釣り人。「渓流釣りでは先行者が優先」のルール無視で声もかけずに追い越していく釣り人。釣れていると見るやさおがぶつかるまで近づく釣り人。子どもたちが川で遊んでいると釣りの邪魔だと追い出す釣り人。ゴミや吸い殻などを捨てる釣り人。所かまわず駐車して地域住民に迷惑をかける釣り人。遊漁券も買わず小さな魚もキープし制限匹数も守らない釣り人。外来魚を放す釣り人など…。確かに傍若無人で無神経な釣り人がいます。このような釣り人は、ほんの一部かも知れませんが、それが目立って非難を受ける結果となってしまうのでしょう。

一方で、「釣り人というものは、自然の恵みを受けてこそ存在できるのであって、誰よりも自然に対して謙虚であるべきで、自然環境を守らなければならない」と、社会貢献活動をしている釣り人たちも数多くいます。
環境のモニタリングや監視、ゴミの収集、子どもの自然体験や釣り教室の開催、環境改善に対する署名活動、外来魚の駆除への協力など、たくさんの活動事例が見られます。

このような活動は釣り人が意識して行っている活動です。ところが、釣り人が特に意識しないでも釣りという行為をするだけで経済的には貢献しています。その経済的効果を検証してみましょう。
釣り人たちが待ちに待ったアユの季節になる様子を、私自身を振り返りながら紹介すると…。
まず解禁前に、昨年使った道具を取り出して点検を始め、小物類をそろえ、新しい仕掛けなどを準備しはじめます。
アユ釣りの道具にはサオ、タモ網、引き舟、オトリ缶、アユタビ、タイツ、ウェーダー、シャツ、ベスト、帽子、サングラスなどなど、車のトランクが一杯になるほどたくさんありますが、古くなって数年に1度は買い換える必要があり、まずは釣具屋が盛りますね!

そして川の下見。今年はどこに入ろうかと見当をつけ、いよいよ解禁です。
アユ釣りにはオトリ(普通は2尾)と入漁券を買って、昼飯や飲み物を持って川へ入っていきます。遠いところへはもちろん車で行きますし、泊まることもあります。時には自分一人ばかり遊んでいると家族から疎まれるので家族連れで行ったり、免罪符としてのおみやげなどを買ったりと気を遣います。釣ってきたアユは、家で一杯やりながら塩焼きで…ということになるのでしょうか。そして、これにはすべて金の支出が伴うのです。

ぐんまの魚振興室では、釣り人を対象として2年間にわたってアンケート調査を実施しました。この調査の「アユ釣りにどのくらいお金を掛けたかという項目から「アユ釣りの経済効果」を試算したところ、平成16度年のアンケート平均値で計算するとのべ人口10万人で約15億円、17年度の結果では約20億円という結果が出ました。
一日一人で平均1万5千円から2万円を使っている計算になります。結構な金額です。しかもこの中には家族連れ、免罪符、塩焼きの経費は入っていません。

アユ釣り人口が15万人、20万人と増えていったら、そして全魚種までを考えれば 100億円を超えるかも…。これは「捕らぬタヌキの皮算用」かもしれませんが。

さて、残念ながら最盛期には17万人近くもいて魚種別遊漁者数でもトップを走っていた群馬県内のアユ釣り人口は、平成15年にはその4割ほどの6万8500人に落ち込み、渓流やワカサギに追い抜かれて3位になってしまっています。何とかしてアユがたくさんいる川を取り戻してアユの釣り人が増えるようにしたいものです。
ちなみに、小寺知事のヴィジョンに挙げられている「アユ漁獲高 300トン」という数字は、延べ25万人の釣り人が20匹ずつ釣って達成される数字。そうなればアユ釣りの経済効果は約4050億円!

※ さかな達のつぶやき(身近な自然を考える)−技術と生態学の狭間から−

【上州利根川生まれ・利根川育ちのウグイ(上州弁?)と利根川生まれ東京湾育ちのアユ(東京弁?)のつぶやきです】

「なあ、アユちよぉ・・・近ごろは、なっから暮らしづらくなっちまったなぁ〜!
 川
中の石は、まっさか少しきしになっちぃまって、うめぇチョロが喰えねえしさぁ・・・。鵜ガラス(カワウ)がすげぇいっぺぇ飛んで来てさぁ、おれらをのっこむべぇ・・。そでもって、おっかくれべぇと思っても、そんなとこもありゃしねさぁ!
 そんで、まっと跡継ぎを残してくれべぇと思ってもよぉ、かあちゃんとまやをかく(産卵する)とこだってありゃしねぇ!
 おーか、こんなことばぁい続くと、おれらハヨ(ウグイ)一族はどうなっちゃんだんべぇなぁ・・・」

「ウグイさん、本当にそうですね。私たちアユは生まれてから4日以内に海にたどり着けないと、餌のワムシが食べられなくて死ぬしかないのですよ。昔は簡単に海に着けたそうですが、今は堰などで阻まれて簡単にはたどり着けません。
 なんとか海にたどり着いて大きく育って川に帰る季節がきて、川を上り始めても、またまた堰のために美味しい藻が生えている上流に行けません。やっと堰を越えて行っても、最近は川の中に石が少ないし、石があっても餌になる藻が少なくて、私たちが食べないカワシオグサばかりと言うこともあります。
 さらに、ダムの影響で水位は幾度となく上がったり下がったりするし、水温が低かったり、頻繁に泥水が流れたり、冷水病にカワウの食害・・・と、生きていくのは大変ですよ。こんな環境では私たちは絶滅するしか無いのですかね!?」

「そうだぃね、んなことばぁいしてちゃぁ、はぁ、人間だってダメだぃなぁ!」

「まあ、人間たちは自分で壊した環境だから自然のしっぺ返しを受けたって仕方ないでしょうけど・・・巻き添えを食う私たちは、たまったものじゃないですよね!」
 最近は、仕事の関係で水辺の環境を見て回ることが多くなりました。もちろん、渓流釣りやアユ釣りなど川遊びの中でも多いのですが。
 そのような時によく目にすることは、自然護岸の河川が減って矩形河川(コンクリートの堤防などで直線的になった河川)が増えていること、河床が低下して川の中の浮き石が少なくなって基岩が露出している場所が増えていること、または川の中の石が沈み石(泥や砂・小砂利に埋まっている)になっていること、さらに流心の石や基岩に長い緑藻(カワシオグサ)がびっしりと生えていて、アユなどが好む藍藻や珪藻が繁茂している場所が少なくなっていることなどです。
 これらの現象は、大きな洪水が少なくなって河川の攪乱による浸食・運搬・堆積の作用が無くなってしまったこと、中小の洪水によって流路内の石だけが流され、上流のダムや横断工作物によって堰き止められて新たな石の供給が無くなってしまったことなどが引き起こしたものだと考えられます。
 
 このような現象が河川の生き物に及ぼす影響としていくつかの例を挙げてみると、せっかく遡上してきたり放流されたりしたアユにとって、休む場所も隠れる場所も餌を摂る場所も少なくなって、中流域の小石の多い産卵場も泥に埋まってしまっていますし、ウグイにとっては川虫がたくさんいる餌場が少なくなって、身を隠す浮き石がなくなって、繁殖するのに絶好の小砂利の産卵場がなくなってしまうということがあります。他のカジカやイワナ・ヤマメなどの魚にとっても、卵から孵って、さまざまな場所に棲み付き、餌を食べて大きく育ち、卵を産んで子孫を残すといった「生息・生育・繁殖」の生活史の場所が失われてきているのです。
特に、なんとか生きて行けても繁殖する場所が失われては子孫を残すことが出来ずに絶滅に向かうしかない状況になってしまいます。

 われわれ人間は自分たちの安全・安心、便利な暮らしのためにさまざまな技術を開発してきました。洪水から身を守るために堤防を築き、田畑を潤すために堰を築き、効率的に飲料水を確保するためダムを築く技術などを開発し進歩させてきたのです。そして其処に使われる資材も石や土や木材などの自然資材から、生き物にとってはとても自分たちの生活史には繰り込めない鉄やコンクリートに替わってしまったのです。
 生態系を考えない技術は、自然界のさまざまな繋がりを断ち切ってしまいます。森と川と海の繋がり、生き物の生活史、生き物同士の食う食われるの関係などを壊してしまい、ついには生き物の生育・生息・繁殖環境を失ったばかりではなく、人間の安全・安心で便利な暮らしを約束するはずだったものが、かえって暮らしにくいものにして来てしまったのではないでしょうか。
 
 このような問題を解決するためには、これからの技術者は生態学を必要としなければなりませんし生態学者は土木技術などを考えて研究する必要があるのだと思います。

※ 根っこ(中学生たちへY)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

私も○中の卒業生ですが、今から40年余り前、3教場が統合し新しい校舎が造られた時の最初の卒業生ですから、相当古い卒業生になります。
 当時、庭には何も無く、西側の自転車置き場あたりも更地で花壇などを手作りした思い出があります。校庭の桜も当時植えられたものですから、40才を超えた桜になります。

○中の桜は「ソメイヨシノ」という種類で江戸時代の後期に江戸(東京)の染井村(豊島区)で人工的に作り出されたものです。
桜は交雑しやすいので花がきれいなものは主に接ぎ木という技術で増やします。ですから、最初は1本だった「ソメイヨシノ」は無数に増やされ、全国各地に植えられているのですが、すべて遺伝子が同じ人工の桜「クローン」なのです。
そのために、同じ条件のところでは一斉に同じような花をたくさん咲かせ、同じ頃に一斉に散っていくのです。
しかし、この桜は寿命が非常に短いと言われています。ソメイヨシノが作られる元になった桜は何百年という寿命があるのにソメイヨシノの寿命は悲しいかな60年程度と言われています。このため、○中の桜も心なしか衰弱して来たような気がします。
一方、自然に生えている桜は、花の付き方が寂しかったり、葉が開くのと同時に咲いたりして地味なものが多いようです。そして、同じ種類の桜でも葉が開いたり、花が咲いたりする時期は微妙にずれていますし、色合いも微妙に違っているなど1本1本に個性が有ります。
一斉にきれいな花をたくさん咲かせる「ソメイヨシノ」が好きか、地味だけども個性のある自然の桜が好きかは人それぞれでしょうが、私たち人間はこれらの花を、そして自然を愛でる心のゆとりは有ってほしいものだと思っています。

この桜たちが美しい花を咲かせるためには、土の中で目立たない存在ですけれど「根っこ」の働きを忘れてはならないと思います。土の中には枝や葉と同じくらいの根っこが伸ばされています。この根っこが、太い幹や枝を強い風に倒されないように支えています。
さらに、根っこの先からは水分や養分を吸収して幹や葉に栄養分を蓄えて、美しい花を咲かせ子孫を残すための実をつける原動力となっているのです。このように、植物にとって根っこをしっかり張り巡らせることは生きていく上で、とっても大切なことです。
人間に置き換えると、ちょうど皆さんの年頃が根っこをしっかり張り巡らせる時期に当たるのだと思います。食事や運動などで体力を付け、勉強で知識を付け、地域や家族・友達とのかかわりの中でルールやマナーなどを身に付けることが人間として生きていく上で大切な基礎・根っことなるのです。
逆に言えば、このような根っこが無いと、自然を敬い大切にする心や地域の文化や伝統を守る心が育たなくなって、社会的なマナーやルールも身に付かないで、社会的に孤立してしまうということになると言われています。

ですから、皆さんには是非、この時期を大切に生きて行って欲しいと思います。

※ 考動(中学生達へZ)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

昨年の9月27日は体育祭でしたね。私も来賓として皆さんが元気いっぱいに取り組んでいる姿を拝見させていただきました。その時、ふと校舎脇の花壇に目をやると数羽の蝶がキバナコスモスの花に集まっていました。きれいな蝶なのですが、これを見た瞬間に私は少し違和感を感じました。
何故かというと、その蝶はツマグロヒョウモンと言う蝶だったからです。実は、この蝶は暖かい地方に生息していて、日本では千葉県より西の太平洋沿いの地域や関西より西にしか棲んでいなかったのですが、最近は北上を続けて、とうとう群馬県にまで、そして○中学校にも現れたからです。

その原因は、温暖化の影響と言われています。この蝶は暖かければ一年に数回、卵を産み幼虫から成虫へと育つという強い繁殖力があるため、暖かくなった地域へ勢力を伸ばしているのです。
そして、もう一つの原因に花壇があります。この蝶が卵を産んで幼虫が食べる植物(食草と言います)はスミレの仲間なのですが、花壇にパンジーやビオラなど園芸用のスミレがたくさん植えられるようになって増加を助けてしまったのだそうです。
きれいな蝶が増えているのだから歓迎という人もいるでしょうが、問題はこの蝶だけのことではないのです。それぞれの地域における気候や自然の仕組みが変わってくるということは、そこに棲む生き物だけでなく、私たち人間にも悪い影響を及ぼす恐れがあるということなのです。
例えば、気温が高すぎて米や小麦などの作物ができなくなって飢饉になるとか、雨が降らなくなって干ばつを引き起こしたり、逆に雨が降りすぎて洪水や土砂崩れを起こしたりと私たちの生命まで危うくさせる問題が心配されているのです。
たくさんのエネルギーを使って二酸化炭素を増やして地球温暖化を引き起こしてしまったり、身勝手から自然を壊してしまったりしたのは私たち人間に他なりません。そして、地球の危機に気がついた人たちは、これを何とかしようと行動を始めました。

二酸化炭素の排出を抑えるために、技術を開発したり、機械の性能を上げたり、炭素を分離して地中や海の底深くに溜めようとか、原子力発電を進めようとか、自然エネルギーを使おうとか、二酸化炭素の排出が少ない国から排出する権利を買おうとか、色々なことを考えています。
でも、よく考えてみると、これらの方法は今までの私たちの生活水準を変えない方法で、使うエネルギー量を減らさないで技術や機械に頼って問題を解決しようというものです。これも一時的には必要でしょうが、本当にそれだけで良いのでしょうか?

これからは私たちの生活を見直して我慢することや無駄を省くこと、そして自然に優しい生活をすることなどが本当の意味で必要ではないかと思います。ちょっと努力すれば、そんなには難しくないし、皆が参加できる方法です。それに、身近なところから始めれば良いのです。
例えば冷房や暖房の温度設定を変えるとか、近いところは徒歩や自転車で行くとか、買い物にマイバッグを使う、お風呂は続けて入る、食べ物は残さない、ゴミを分別してリサイクルなどなど・・・環境のことや自然のことをちょっと考えて実行する考動(行動)をしてもらうとより良い環境が守られるのではないかと思います。是非、ひとつでもいいからやってみてください。よろしくお願いします。

※ 自然の中へ・・・(中学生達へ[)(某中学校生徒会誌への寄稿から)

先日、怪しげなタイトルに興味を引かれて読んだ本がありました。主題は「虫捕る子だけが生き残る」で、副題は「脳化社会の子どもたちに未来はあるのか」と付けられていて、虫好きの三人が対談している内容です。その三人とは「バカの壁」で有名な解剖学者の養老孟司さん、生物学者の池田清彦さん、仏文学者で日本昆虫協会長の奥本大三郎さんです。

それぞれの分野で名をなした人たちですが、共通点は虫捕りが好きということなのです。その虫好きのおじさんたちの言いたい放題が三章から構成されている本で、第一章のタイトルなどは「虫も殺さぬ子が人を殺す」となっていて少し大げさすぎる部分もあるのですが、現在のように子どもたちが山や野原や川で遊ばなくなって、本や映像だけでのみ断片的な知識を得ることが出来ても実体験や実感が伴わないことを嘆いている人たちの共感を呼ぶ内容の本です。
確かに、最近は虫捕りと言っても、その対象がカブトムシやクワガタといった人気のある虫だけで、それも山に入って捕ってくるのではなく、どこかで買ってくるとか街路灯の下で捕まえるということが多くなっているようです。
ですから、虫がどんなところに棲んでいてどんなものを食べているかが分からないから上手く飼うことが出来ない。

どのようにして捕まえるかも知らないし、手を挟まれたり刺されたりしないような持ち方も知らないから上手く捕まえることができないということになります。
さらに、野外では目的の虫以外に毒針を持ったハチや毛虫などがいますし、ヤマウルシのようにかぶれやすい植物も生えているのですが、その危険性をよく知らないから被害を受けやすくなってしまうということもあるのです。
「だから、山や川になんか行かない方が良いんだ。ムシキングや虫捕りゲームで遊んでいた方が良いよ。」と言う声が聞こえて来そうですが、本当にそうなのでしょうか?
この三人はこう言っています。「山に入って虫を探して捕る、水田でヤンマを捕る、池や沼をのぞき込んで虫や小魚を捕るということには自分で考え工夫をして実行するということ。そしてカンを働かせ、気配を感じ、じっと我慢して、すばやく的確に動くと言った様々なことが必要とされ、これらは本来人間にとって必要なものなのだ。」と、さらに「標本を作ることによって器用さが養われるし、美意識やセンスが育つ。虫について調べることで文章を読み、考え、不思議に思い、学問の世界に入っていくのだ」と・・・。
虫に限ったことではなく、山や川や野原など自然の中で動物や植物などを追いかけたり見たり実際に手に取ったり、魚をすくったり釣ったりすることによって生きた学習ができるのだと思います。
もちろん、学校での勉強や部活動は基本的な知識や体力を付けるためにはとっても大切なことです。ぜひ皆さんには学校での勉強や部活動に頑張るとともに、さらに一回り大きな人間となるために時間を見つけて自然の中でもいろいろな活動をしていって欲しいと思います。

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