里山を考える                       

里山の生き物はこちらからも入れます

● 私たちの生活の中で密接に結びついて来た原風景・・・里山

「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」・・・この小学校唱歌にあるような、私たちが幼い頃から見慣れた心のよりどころの風景=原風景=農山村の集落(ムラ)や小川、ため池、谷津田(ノラ)、薪炭林(ヤマ)などは、農耕が始まって以来、生産活動や生活と密接に結びついて造り上げられた二次的な自然・風景です。

この二次的な自然は、小さなまとまりではあるけれど、モザイク状に様々な環境が組み合わされていて、この環境に依存して多様な生き物が暮らしています。

ノラやヤマでの仕事(生業)と里山での遊び(遊び仕事)は、生活の中で表裏一体のものだったと思います。里山に住む人々は、薪を拾い、草を刈り、田畑を耕し、川で魚や貝を採り、山菜を採り、きのこを探し、花や紅葉を愛でるなど自然の中で仕事をし、生活の糧を得るとともに、美しい自然に心の潤いを求め楽しんできました。

そして、子供たちにとっては山や川が唯一の遊び場であり、ここで日がな一日かけずり回っていたはずです。そして大人になっても懐かしい思い出・風景として残り、原風景=心のよりどころとなる場所への愛着=として今でも変わらず心の中に生き続けているのです。

私自身、子供の頃から通称「裏山」と言っていた松井田城址(戦国時代の山城跡)でカブトムシやクワガタを捕り、メジロなどの小鳥を追い、山菜を摘み、山栗や木の実を集め、ヤマイモ(自然薯)を掘り、化石を探し、裏山から湧き出す小沢にホタルを追い、ため池や小川(水路)でフナやカエルを釣り、小川が流れ込む川(碓氷川や九十九川)では水遊びや魚釣り(ハヤ・ヤマメ・カジカなど)と、さまざまな遊びを行ってきました。そして、このような遊びの中で教科書には書いてないことを学び・体験し、様々な知恵を授かって来たと思っています。

私の原風景:裏山(松井田城跡)と碓氷川
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● 里山とは?

つい最近までの日本の農山村には、生産と生活の中から造り上げられた空間構成、ムラ(集落)、ノラ(耕地)、ヤマ(林野)といった同心円上の生産・生活環境(人里=村落)が維持されていました。
人里(村落)の外にはハラ(原)とオクヤマ(奥山)があって、オクヤマはカミ(神)が棲んでいる場所として崇められ大切にされてきました。
この空間構成のうち、ヤマだけを「里山林」や「里山」と呼んだり、ムラ・ノラ・ヤマ(ハラも含む)を一括りに「里山」と呼んだり、「里山」という呼び名では森林のイメージが強いからと「里地」と呼んだりと定義と呼称はさまざまです。

「里山」と言われる言葉が一般的に使われるようになったのは1970年代以降ですが、時代や目的によって捉え方が変わり、定義は下記のようにいくつかあります。
@ 農村の生活との関連で利用される薪炭林など、人の手で造られ管理されている森林。
A 平地の農村から農山村にある森林。
B 丘陵地にある二次林(武蔵野など)。
C 雑木林やため池、田圃、集落などを環境のまとまりとして捉えたもの。

なお、四全総では「森林としての土地利用が70%以上で人口密度が50〜300人/q平方の国土、もしくは森林としての土地利用が70%以下、人口密度が300人/q平方未満で人工林が40%未満の国土」と定義しています。
(日本造園学会誌:ランドスケープ研究・VOL61/No4を参照しました。)

このページでは、都市と奥山の中間に位置している地域の樹林地、農地、ため池、水路等の二次的自然を全てまとめて「里山」と呼ぶことにします。

● 里山の成り立ち

太古の日本は原生林で覆われていたと言われています。西日本ではシイやカシなどの常緑広葉樹林で覆われていたといわれ、関東や東北はブナやミズナラの森林であったろうといわれています。

私たち日本人は、弥生時代以降、建築材や燃料を得るため森の木を伐り、農耕のため焼畑を行い、田畑を開墾し、肥料や牛馬の飼料採取のため粗朶刈りや落ち葉かき、下草刈り、火入れなどを行ってきました。

このため自然遷移が止まって、人里(村落)に近い森林はアカマツ林やコナラ林、草原などの二次的自然になり、開墾した田畑には水路やため池がつくられて耕作や水管理・泥あげ・草刈りなどの仕事が行われ、千年以上ものあいだ里山が維持されてきたのです。

その結果として、モザイク状の環境(林齢や樹種の違った森林、草原、田畑、ため池や小川など)ができあがり、そこには多様な生き物が棲みつき、それらが創り出す四季の美しさ、それを感じる心、生き物と共存し生活を営む知恵が地域の伝統文化を生み出して来たといえるのではないでしょうか。

身近な里山の生き物を写真と雑記で紹介している「里山の生き物ページ」へはここをクリックしてお入り下さい。

管理された雑木林

● 里山は今

古代から営々と維持されてきた里山は、近代の化学肥料の出現や燃料革命、機械化や効率化の追求などによって、生態系のバランスが狂って崩壊の危機にあります。

ヤマ(林野)やハラ(草原)は、燃料や肥料・飼料の採取場としての利用価値が減少して、スギやヒノキなど針葉樹林に植え替えられたり、管理の放棄が行われたりしてきました。管理の放棄は、遷移の中断=つまり雑木林のままで維持されていた状態=が解かれたことになって、次第にヤブ化や常緑広葉樹林化しつつありますし、戦後の造林政策によって人工林化された森林も材価の低迷等によって管理されず放置されている状況も見受けられるようになりました。
ノラ(田畑・ため池・水路)は、ため池や水路はコンクリートで被われたり、パイプライン化したりして必要な時以外は水が流れなくなり、田んぼも冬には干上がってしまいました。そして農業の衰退は耕作放棄地を増加させ、ヤブ化などが進んでしまいました。
さらには、生産的価値が減少した里山(ヤマやハラやノラ)をゴルフ場や廃棄物処理場用地として転用した大規模開発も進められてきました。

このような状況は、私たち人間の生活基盤や原風景を奪うばかりではなく、里山に依存してきた生き物のすみかを奪うとともに、奥山とムラ(人里)との境目が分からなくなってクマやイノシシ・サル・シカなど人間と一線を画して生活してきた野生動物のムラ(人里)への出没を招き、人的被害や農作物被害を引き起こすなど、防災的にも生態的にも危機的な状況を引き起こしてしまいました。

放置された里山
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 里山の再生

典型的な里山風景
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環境の世紀・21世紀になって、里山は身近な自然環境や生物の生息地、歴史的価値や伝統文化の伝承の場、環境教育の場などとして存在意義と重要性がふたたび見直されてきています。

生産資材や生活資材の供給源としての価値は減少したとしても、里山の果たしている役割のすべてが無くなったことにはなりません。
今こそ、里山の質的・量的な衰退を食い止め、日本の文化が培われてきた原風景と自然環境を失わないため、里山の大切さを見直すとともに再生し維持管理を永続して行くことが求められています。

農業が主流であった時代、里山の維持管理は地域社会によって行われてきましたが、現代は過疎化や高齢化が進み、農業者と会社勤めの人達の混住化などによって難しくなっています。
反面、地域に住んでいない都市住民や企業、NPOなどが里山の存在意義に着目していろいろな活動をおこなっている状況も生まれてきました。


里山の新たな存在意義や管理手法、利用のルールづくりなどを官民一体となって考え、それぞれの存在意義と地域に合った施策を実施していくことが必要なのではないでしょうか。


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