2024年歳時記 
【 七 草 】  1月7(日)
 1月7日は、七草の入った粥を食べる七草です。鎌倉時代から「春の七草」を使うようになりました。春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろの7種類です。我が家では、七種類の野菜等を使ったお粥を食べます。なお秋の七草は、はぎ、おばな、くず、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、あさがおをいいます。 
                                             
【 干 支 】
 十二支は動物の名前で呼ばれていますが、これは中国の戦国の時代からで、殷の時代に月を数えるための符号として用いられたのが起源とされています。
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名称
読み方 うし とら たつ うま ひつじ さる とり いぬ
「子」は、冬至点を含む12月からはじまり、万物の生命を生むの意味。
「丑」は、くねくねと根の張るのを「紐」にたとえ、その糸へんをとったもの。
「寅」は、「演(のぶる)」のさんずいを略したもの。
「卯」は、芽生えの象形文字。
「辰」は、万物が震(ふる)いたつ「震」の雨かんむりを略したもの。
「巳」は、祭祀月(さいしつき)なので、「祀」の示へんをとったものという説と、蛇が穴を出る季節なので、「巳」の象形文字をかりたという両説があります。
「午」は、夏になり炎熱がようやく「忤(もと)」るときだから、そのりっしんべんを略したもの。
「未」は、物が実って「味」の楽しめるときなのでその口へんを略したもの。
「申」は、「もう一伸び」の「伸」のにんべんを略したもの。
「酉」は、「醸(かもす)」のへんをかりた酒瓶の象形文字。
「戌」は、万物収れん」の「滅」の一部をとったもの。
「亥」は、生命を「核(かく)」に蔵(おさ)めて越冬に入る時なので、その木へんを略したもの。十二支は、季節の変移と生物の育成の過程の組み合わせと言われています。  (開運方位学講座より)
                                  
【 初観音 】 1月18日(木)
 正月18日は初観音といって特に信仰されており、北向観世音大祭日となっています。終日護摩祈祷を修法し、露天商も並び大変賑わいます。
 また、18日は観音の縁日ですが、縁日とは、神仏がこの世に縁をもつ有縁の日、また衆生が特定の神仏に縁を結ぶ結縁日のことで、神仏の降誕、示現、誓願などの日にあたって祭典、供養を行う日のことをいい、この日に神仏を念ずれば、特別な功徳があると言われています。また、縁日が一定の日に行われるようになったのは鎌倉時代ころとみられ、観音信仰の18日の縁日がもっとも早く固定化されました。観音信仰は、我々がうけるあらゆる災難や苦難を、観音菩薩の名を唱えるだけで即座に救われるという、七難七生のご利益と観音菩薩が三十三の姿に化身して我々の苦難を救ってくださる三十三身説などが、観音三十三ケ所霊場や、四国八十八ケ所の遍路となって広く信仰されました。
  主な縁日 18日(観音菩薩)、21日(弘法大師)、24日(地蔵菩薩)、28日(不動明王)、甲子(大黒天)、寅(毘沙門天)
不動明王は大日如来のお使いで、右手に魔を降す剣、左手に悪を縛る縄を持って仏法を守護してくださいます。
釈迦(釈尊)は仏教の開祖。29歳で出家し、修業の末に悟りを得、人々を幸福へ導く法を開きました。
文殊菩薩は知恵と得をつかさどる。人々に悟り深い日常を授けてくださいます。
普賢菩薩は慈悲門をつかさどり、理知第一でもあります。長壽にもご利益があります。
地蔵菩薩は釈尊の入滅後に弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、人々を救済し幸せをもたらします。
弥勒菩薩は釈尊の弟子で未来の悟り、平安を約束する未来仏です。その名を称える人はあらゆる罪が許されます。
薬師如来には病気から救ってくださる功徳、健康を守ってくださる功徳(衆患悉除)とが備わっています。
観世音菩薩は三十三身に変化し、自在な観音力を発揮して、人々の悩みを晴らし願いをかなえ賜います。
勢至菩薩は浄土尊の一尊で、知恵の光で現世を照らし人々を迷いや苦しみから救い淨福を授けます。
阿弥陀如来は「無景」という意味で、その知恵、慈愛ともに、限りなく人々に注がれ至福へと導きます。
阿しゅく如来は不動の菩提心をつかさどる厳しい修業で得た徳により、無病息災をお授け下さいます。
大日如来は大光明遍照と呼ばれ、その偉大なる知恵の光は昼夜の別なく人々を照らし繁栄をもたらします。
虚空蔵とは無尽の宝庫のこと。無量の福徳、知恵を備えると共に、人々のいかなる願いも満たして下さいます。
                                        
【 節 分 】 2月3日(土) 
 節分は立春の前日をいい、大寒の末日で、冬の節が終わり春の節に移る時をいいます。本来の読み方は「セチブン」ですが一般には「セツブン」と言っています。季節の分かれるという意味で、本来は立春・立夏・立秋・立冬に移る時をすべて節分といいましたが、いつの頃からもっぱら立春に限って言うようになりました。節分には社寺で節分会・追儺(ツイナ)式」を行うところが多くあります。
 追儺(ツイナ)は疫病を駆逐する行事で、大別すると2通りあって、1つは、人を(赤鬼・青鬼)に扮装させて、これを追い払うもの、いま1つは、豆打ちを行うものです。一般的には、「福は内、鬼は外」と福豆をまき悪鬼を追い払い、この豆を食べたり、ヒイラギの枝にいわしの頭を差したして厄を払います。(東京堂 年中行事辞典参考)当寺では、節分の夜、豆撒きを行ったあと除災招福のご祈祷をします。
                                   
【 初 午 】 2月12日(月)
 2月の第一の午(うま)の日を「初午」といい、各地の稲荷神社では祭典が行われます。初午は、京都伏見の稲荷神社の祭神が、山上三ケ峯にお降りになったのが天明天皇和銅4年(711)2月11日といわれ、その日が初午に当るというところから稲荷さまを祀る日だといわれています。稲荷は農耕神的な五穀(5種類の穀物。米・麦・あわ・きび・豆)をつかさどる神で「いなり」は「稲なり」の意味にも通じ、農家では稲荷さまを氏神として祀る家が多くあります。
 高山村では豊作を祈る金甲稲荷様の大切なお祭りがあります。
                           
【 春分の日 】 3月20日(水)
 春分の日は、昭和23年に「国民の祝日に関する法律」によって定められました。春分とは、太陽の中心が春分点(太陽が南から北に向かって赤道を通過する点の上)にきた時をいい、太陽は真東から上がって真西に沈む日で昼と夜の長さがほぼ等しくなります。わが国では、古来よりこの日は彼岸の中日として、祖先を敬い、仏を祭る日となっています。 春の彼岸は、3月17日に入り23日に明けます。20日が中日(春分の日)となります。
 彼岸とは、梵語の波羅密多(はらみた)、と訳して「到彼岸」の略で、生死の境を此岸(しがん)とし、煩悩の此岸を離れて涅槃(ねはん)の世界に到達する意。
「東京堂出版 年中行事辞典より」
 当寺では、墓参りのあと彼岸会を修法します。季節もこれから春本番となります。
                                
【 お釈迦さまの誕生 】 4月8日(月)
 時は春。4月8日。ルンビーニの園は無憂樹(むゆうじゅ・アショーカ)の花が美しく咲きほこっていた。麻耶夫人(まやぶにん)は旅にあった。産み月の近づいた彼女は、釈迦(しゃか)国の首都のカピラ城から里方のコーリヤ国に向っていた。里帰りをして出産するためである。
 途中、ルンビーニの園で、麻耶夫人は小憩をとられた。沐浴をしたあと、池のほとりを散策しておられた。無憂樹の花を見て、彼女はその一枝を手折(たお)らんとした。そのとき、彼女の右脇下を破って、一人の男児が出生した。
 麻耶夫人と、その夫であり釈迦国の王である浄飯王(じょうぼんのう)とのあいだの子、シッダールタ太子の誕生である。そして、このシッダールタ太子こそ、のちに出家をし、悟りを開いて仏陀となられた、あの、−−−お釈迦さま−−−にほかならない。西暦紀元前566年の4月8日である。この日、偉大なる人類の教師であるお釈迦さまが、この地上に出現されたのであった。
 麻耶夫人の右脇下を破り出たシッダールタ太子をしっかりと受けとめるべく、地上に忽然として七茎の蓮(はす)の花が咲き出た。太子はその上に降り立つ。
 そして、太子は、ゆっくりと、着実に、誰の助けを借りることなく、七歩を行く。一歩、二歩、三歩、四歩、五歩、六歩、七歩。その姿は獅子が密林を行くがごとくであった。
 七歩目、彼は立ち止まる。右手をあげて天を指し、左手でもって地を指し、シッダールタ太子はりんりんと響きわたる声でもって宣言した。
  あめがうえ あめがした、われにまさる聖者なし。
 「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」−−− いわゆる誕生偈(げ)と呼ばれるものである。それは、シッダールタ太子の初声(うぶごえ)であった。
(「仏教とっておきの話366」ひろさちや著・新潮社版)   
 今日は、釈迦の誕生日を祝して行う潅仏会(カンブツエ)・花祭りです。潅仏会には、花御堂(ハナミドウ)といって、いろいろの花で飾った小堂を境内に設け、これに銅製の釈迦の誕生仏の像を浴仏盆(ヨクブツボン)とよぶ水盤上に安置し、その頭上から柄杓で甘茶を注ぎます。釈迦は、仏教の祖で、釈迦牟尼といい、現インドのヒマラヤ南麓の迦毘羅(カピラ)城の王子として生まれ、幼名は悉達多(シッタルタ)といい、29才で宮殿を出て出家し、35才で悟りを開き、80才で入滅するまでの45年間布教活動を行いました。
                          
【 お 盆 】 8月13日(火)〜16日(金)
 お盆(盂蘭盆会)は、梵語の「ウラバンナ」で、逆さに吊るされるような苦しみの意味です。「仏説盂蘭盆会」の教えにより、死者が受ける苦しみを救うための先祖供養の行事となりました。詳しくは、「釈尊の弟子目蓮が、餓鬼道に落ちた母を救おうと、釈尊にすがり、倒懸の苦を受ける母のために祭儀をもうけ三宝に供養して、その苦しみから救った」ことによります。我が家では、13日の朝に盆棚を作り午後に迎え火を焚き墓参し、先祖の精霊を家に迎えます。16日に送り火を焚きご先祖を送り出します。
 先祖を供養し、思いやり、慈しみの心を伝えるこの行事は、私たちの心のよりどころとなっています。盆の間は、施餓鬼作法を修行します。
      
 【 仲秋の名月 】 9月17日(火)
 9月17日は、仲秋の名月(旧暦8月15日の十五夜)です。季節の三大節にも、正月・端午・仲秋として広く知られています。
旧暦16日の夜の月を「十六夜(いざよい)」。次の日の月を「立待月(たちまちづき)」、次を「居待月(いまちづき)」、その次を「寝待月(ねまちづき)」というそうです。これは、月が出る時間が日に日に遅くなる為、「立つ」から「坐る」そして「寝て待つ」ことからだそうです。
 
 
 【 秋分の日 】 9月22日(日)
 秋の彼岸は、9月19日に入り25日に明けます。22日が中日(秋分の日)となります。
 彼岸とは、梵語の波羅密多(はらみた)、と訳して「到彼岸」の略で、生死の境を此岸(しがん)とし、煩悩の此岸を離れて涅槃(ねはん)の世界に到達する意。
「東京堂出版 年中行事辞典より」
 当寺では、墓参りのあと彼岸会を修法します。季節もこれから秋本番となります。
 
【 七五三 】 11月15日(金)
 七五三のお祝いは、男児は5才、女児は3才と7才になると、その成長を祝い社寺に詣でて神仏の加護を祈願します。
 この七五三の風習は、明治の初め頃からだと言われています。三才で幼児となり、五才で幼稚園、七才で学年期に入るという成長期の年齢として、日本人は、昔からこうした人生の節目を大事にしてきました。七五三は親子で神仏に感謝をする日です。
    
【 除夜の鐘 】 12月31日(火)
 除夜の鐘を108回撞くのは、108の煩悩を払う意味があります。人間の六感が識別する「色、声、香、味、触、法」をもとに、これに対して「好、悪、平」の3つの感じ方があるとして、6感×3感で18になります。また、もうひとつ、6つの感覚器官に「楽、苦、捨」の感じ方もあるから、これも18になり、2つをたして36です。これに過去、現在、未来の3つを掛けて108というわけです。このほか、修行段階によって煩悩を分ける数え方もあります。(日本の行事、大洋出版社)
 私は、108の数は「生、老、病、死」を四苦、これに「愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦」の4つを加えて八苦という、この世の苦しみを表した数だと聞いたことがあります。意味は、四苦(4×9)で36、八苦(8×9)で72、2つをたして108となります。除夜の鐘は、108の煩悩と四苦八苦の苦しみを払い、新たな気持で正月を迎えるための大切な行事です。来年が良い年でありますよう祈りましょう。
          
【 家庭と生活 】
        
1.合   掌  
 正しい合掌は、指も掌もすき間なくぴったりくっつけます。仏教では右手を仏さま、左手を自分とし、この二つがぴったり重ねられることで、仏と自分が一体化します。  
     
2.数   珠
 数珠は念珠ともいい、百八の玉の数は百八の煩悩をあらわし、この汚れた心を清浄にするためにかけます。仏教では左手を自分とし、ふだん持ち歩くときは、戒めのために左手の手首にかけます。
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 天 台 寺 門 宗
北向観世音(福蔵寺)
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