無料観光案内所 | |||
名久多教会 明治20(1887)年の建造で、県内に現存する教会中、最古の洋風建築物。絵本に描かれたような、小さくてかわいらしい教会だ。(真田道を歩く 上毛新聞社) ホームページビルダーで描いてみました。 |
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熊野神社 祭神速玉男命、事解男命、伊拝再命、菅原道真公、倉稲魂命である。由来は永保元年(1081年)辛酉秋、紀伊国熊野三社を勧請して一村総鎮守として創建し、源義家修理を加え、元弘三年(1333年)癸酉三月新田義貞が再営修繕したと伝えている。又一説には元弘三年、里見五郎左衛門尉の御立願によって御建立されたもので、この時熊野三社権現を次の村々と分けて勧請したという。 上尻高村 新宮 |
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(県指定文化財)泉龍寺の高野槇 寺伝によれば、建久4年(1193)源頼朝浅間まき狩の途中常盤の塔墓参の折、泉龍寺にて休憩し裏庭に公自ら記念して植えたという。樹高30m、樹齢800年を超える。(たかやまの文化財) ホームページビルダーで描いてみました。 |
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北向観世音 群馬県高山村尻高字熊野 福蔵寺と称し永保元年(1081)行者熊野坊の開創。 ホームページビルダーで描いてみました。 |
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瀧の下不動尊 「嘉永丑子季 上州群馬郡上尻高村 別當 福蔵寺 六月二十八日 氏子 熊野 依火 並木 中島 八王子 入沢 講中」と読める不動明王は160年以上前のものです。この歴史的財産をなんとか守りたいものです。 高山村と中之条町の境に沢が流れています。その源流というか山中に「瀧ノ下」という場所があり、石像の不動明王が祀られていると聞いていましたが、場所はわかりませんでした。 ところが、その沢の周辺の雑木が伐採され、杉山が間伐されたので、近くの林道から不動明王が見えてきました。 それではと、この不動明王を彫った小池石材の親方(社長)に話を聞いてみました。 「高山と大塚(中之条)の境の北山に瀧がある。そこは「瀧ノ下」といわれる所で、沢の両傍(りょうわき)に高山分と大塚分の石像の不動明王が祀られていたが、大水が出たときに大塚分の不動明王が流されてしまった。 それで、昭和25年頃に篤志者に頼まれて不動明王を彫った。当時は車が通れる道がなくて、人が背負って運んだが大変だった。今は林道もできて車も通る。久しぶりにここに来てよかった。」 高山分の不動明王は、大水で流されてしまうような瀧壷のすぐそばにあります。大塚分の不動明王は、沢から離れた絶壁の手前の高い所に祀られています。どちらの不動明王も風格がありありがたいものです。 ホームページビルダーで描いてみました。 |
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