北向観世音扁額は吾妻郡東村の工匠、福原郡八師の作です。
 寺務所の書庫を整理していたら、北向観世音の扁額と製作者の福原郡八師について昭和52年2月号「上州路」に掲載されていましたので、ご紹介させていただきます。

 
 欄間を飾る獅子の透かし彫りも、福原郡八師の作です。


   
彫刻60年  隠された工匠・・・・・福原郡八さん
 

 その日、北向観音堂は初観音でにぎわっていた。観音堂は、文字通り北向きに建てられてあり、小さなお堂の屋根にうっすらと残る雪が、南からの日ざしを受けて、きらびやかに雫を落としていた。にぎやかな参道では、頬を紅潮させた子供たちが、露天をとり囲んで、たっぷりもらったお年玉の消費に腐心し、対照的に堂内では、村人達が一心に念仏を唱えている。現代の世相の一端を見る思いがつよい。


   
彫刻一筋、その来し方・・・

 前に述べた北向観音堂、このお堂は吾妻郡高山村尻高に在り、その欄間を飾る獅子の透かし彫りをつくったのが、ここに登場ねがった福原郡八さんである。
 吾妻郡東村奥田、この地の奇勝・岩井堂の近くに住む隠れた工匠・福原郡八さんを知ったのは、2年ほど前、ある新聞にその存在を紹介され、一度お会いしたいと思いつづけていた。機会は2年後にやってきた。
 お訪ねした郡八さんは、今年七十八歳、とてもお歳には見えぬ若さ、元気さで、ストーブを中に応対してくれた。当初、彫刻一筋に生きたお人だと聞いていたから、気むずかしい人柄を想像していたのだが、とんでもないこと、くゆらす煙草の煙を透かして見る眼は、むしろ慈愛にかがやき、妙な言い方だが、煩悩のすべてを超越した、すばらしいマスクの持ち主であった。
(以下略)

  広い、レパートリー

 郡八さんの手がける材料は、ケヤキ、一位、松、朴、桐などで、色彩用には一位、木肌を生かすのはケヤキ、ひずみが来ないように、5年から10年はネかせておく。
 北向観音堂の欄間には松を使った。額はケヤキ、郡八さん35歳の作品だから、建立以後43年も経つ。須弥座前、二間半の欄間に、長さ5尺の三面、三態の動きのある獅子、牡丹の透かし彫り、赤・青・白の色彩、これらがいまなお生々躍如として、参拝者に迫る。
 郡八さんの最高傑作は、なんといっても、堂の軒にある「北向観世音額」であろう。額の周囲に配されたニ匹の龍、その鱗の一枚一枚の彫りの見事さ、その胴体はあたかも生けるがごとく、いまにも額から躍り出してきそうな錯覚にすらとらわれる。
(以下略)

 

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