かわせみ倶楽部の歴史
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1973年 10月 |
○ 中学校の文化祭で「ルアー愛好会」から「かわせみ倶楽部」に変更。 ( 当時のしおり : 町田和久作 ) ○ 文化祭でのルアーフィッシング解禁署名簿を提出。 ○ 水槽に入れたナマズがルアーに何度もアタックしてくれて大成功。 ○メンバーは自転車で榛名山系の渓流を釣り歩く。 ○ 群馬県は96年までルアー禁止の暗黒時代が続いてしまう。 |
1974年 |
○ 当時は珍しかったブラックバス釣りにハマり、「竹沼」や「榛名湖」に通う。 ○ 一方で高崎銀山会にくっついてまわり、銀山湖や大鳥ダムのイワナにハマる。 後に全日本チャンピオンになる某フライマンに弟子入りするが、どうしてもルアーが 頭から 離れず断念。 |
1975年 6月〜 |
○ 初めて中禅寺湖に遠征。メンバーがキャスティングで39cmの中禅寺レインボーを 釣り上げてからは、 ルアー病に冒されてしまう。 ○ 現在は進化した強力なウイルスが倶楽部内に蔓延している。 |
1985年〜 |
○ メンバーは釣具店主催のバスダービーなどに盛んに参加し好成績を残す。 (初期ステッカーマーク) |
1987年〜 |
○ 榛名山中にプライベートポンド付きのクラブハウスを所有する。(1997年まで) ○ 決定事項は合議制に変わる。 |
1988年〜 |
○ 月例大会始まる。 |
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○ 会長任期1年に変更。前会長指名制に。 ○ 初代会長池谷氏から第2代会長塚越氏に。 初代会長 池谷氏 |
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第2代会長 塚越氏 (現ステッカーマーク) |
1990年 |
○ 新制月例大会始まる。 第3代会長 町田氏 ○ 中禅寺湖ボート持ち込み禁止になってしまう。 |
1991年 |
○ 漁協株取得運動始まる。 (かわせみ倶楽部ライフジャケット) 第4代会長 田村氏。 |
1992年 |
○ 釣具店主催釣り大会優勝連覇。 第5代会長 亀井氏。 |
1993年 |
○ 釣り具店主催釣り大会連覇。 第6代会長 武石氏。 |
1994年 |
第7代会長 小田切氏。 |
1995年 |
○ 群馬県庁流通園芸課水産係協力のもと、県知事宛に ルアー解禁要望書 及び署名簿提出。 第8代会長 齋藤氏。 |
1996年 3月 |
○ 一部条件を残し、群馬県ルアー解禁。 (かわせみ倶楽部帽子) 第9代会長 岩田氏。 |
1997年 |
○ インターネット部設立。 ○ かわせみ倶楽部カップに協賛社。 ○ ?ヤリエ製作所協力のもとオリジナルスプーン5g開発。 (かわせみ倶楽部オリジナルルアー) 第10代会長 山本氏。 |
1998年 |
○「わかさぎ塾」ルアー代表として参加。
○「中流域のヤマメ釣りを語る会」ルアー代表として参加。
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1999年 |
(かわせみ倶楽部ワッペン) 第12代会長 市川氏。 |
2000年 |
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2001年
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○JGFA入会
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2002年 |
○レイクトローリングに便利なオーバーパンツ購入
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2003年 |
○群馬県内一部漁協を除き、イワナ・ヤマメ・ |