丑澤経樹の本 | ||
まだまにあった私の百名山 −思い出の記− (1995.6.1発行) |
駒ヶ岳の稜線から最高峰黒桧を見る |
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青春時代の一時期を私は上州で過ごした。朝夕眺めた赤城山は故郷の山であり、多感な頃だったため、印象深く、今でも懐かしい。久し振りで赤城山を眺めると心ときめく程である。 (略) 夜中に山麓を歩いた赤城山の夜間登山なども、また子供を連れて、大沼湖畔にキャンプに行ったたことなども、遠い昔のこととなってしまった。テント生活が珍しく、若者にボートに乗せて貰っての子供達の喜びようは、夢のように遠い夏の日のできごとであった。 また秋の日、鈴ヶ岳の稜線を歩いたことなども忘れられない。風のない小春日和の静かな道端にひっくり返って、梢を、青空を見上げて過ごした青春もまた夢のようである。 新坂峠からシールをつけたスキーをはいて、地蔵岳を目指して登った冬の日のこともまた青春の思い出である。 地蔵岳の北斜面は、積雪は余り多くなかったが、雪質のよいことで知られていた。何度通ったことであろうか、四十年以上も昔のことである。赤城の思い出は尽きない。 (83ページ「赤城山」より) |
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丑澤経樹写真集「ネパールの山旅」 (1999.12.1発行) |
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そこには世界最高峰のエベレストが聳えていた。 私はただただジィーンとするばかりでした。 ゆっくりカメラを構えてシャッターを押す。そして再びジィッと眺める。 (36.エベレスト) |
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どこよりも早く8000m峰の頂きに陽がさした。もの凄く寒い。6時前である。辺りには陽がさしたピークは何処にもなく、まだ暗い。 (16.ダウラギリ1峰の日の出) |
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忘れ難い人である。 「もし帰りにここを通ったら再び寄れ」といって握手して別れた。私はドゥード・コシからのタキシンド越えはきつかったが再び寄った。約束を守ったことで彼は抱きついて喜んでくれた。”無事で良かった”と。 (77.テンジン・フィルケ・シェルパ氏) |
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