45年前の夏山合宿の懐かしい想い出 1964年(昭和39年)7月

剣岳 岩場登攀と雪渓訓練合宿      42S 生形武夫

剣沢雪渓 (源次郎尾根突端、長次郎谷、八ツ峰)

 

剣別山尾根岩峰  東大谷側への落ち込み   早月尾根

 

源次郎尾根突端前にて

田村K 生形42  渡邊42 宮崎39入医 清水43

43K  山崎39入医

 

主な経路

富山駅−(電車)−立山(千寿ヶ原)駅−(ケーブルカー)−美女平駅−(バス)−弥陀ヶ原−(これより徒歩  荷重40〜50Kg)−ミクリガ池―地獄谷―雷鳥沢―別山乗越―剣御前―剣山荘付近BC(30分・5分ピッチ(徒歩・休み)で登る)

 

主な剣登攀ルート

源次郎尾根から本峰登攀:尾根に取り付きルンゼへ―源次郎尾根T峰―源次郎尾根U峰−懸垂下降―剣本峰

八ッ峰から本峰登攀:長次郎谷出会―T、U峰中間取り付き―T、Uルンゼ―T、Uのコル―V,W峰― X,Yのコル―Z峰下降―八ッ峰頭―剣本峰

剣沢雪渓と長次郎谷出会付近にて

生形42S 田村K 田中42学芸 宮崎医39入 清水43M

岸43K 山崎39入医

 

 

  剣沢での主な雪渓訓練

雪上での滑落時の停止訓練、グリセードー訓練等

 

約1週間で剣岩場合宿終了、縦走合宿直前、強風と集中豪雨に遭遇し3日ほど行動出来ず。テントのポールを手で押さえたり、びしょびしょに濡れたシュラフに寝たり、飲み水が無くなりまいった。

 

今年は浅田次郎原作の山岳小説「剣 点の記」が映画化され6月から上映されて剣岳の魅力と厳しさが又更に一般人に知れわたるであろう。

 

 

 

剣岳〜槍ヶ岳縦走合宿   1964年(昭和39年)7月

五色ヶ原より薬師岳を望む(手前の草の中に見えるのは登山靴)

 


黒部五郎岳とカール(手前北ノ俣岳、赤木岳)

赤木岳方向より黒部五郎岳、三俣蓮華岳を望む

         

槍沢を下る (写真から合宿参加者は12名であった)

 

 

槍ヶ岳 穂先を登り槍沢を下る

 

 縦走合宿経路

剣沢―剣御前―別山―真砂岳―富士ノ折立―大汝山(3015m―雄山―一乗越―(龍王岳)―(鬼岳)―ザラ峠―五色ヶ原―(鳶山)―(越中沢岳)―スゴ乗越―(間山)―(北薬師岳)―薬師岳(2926m 薬師峠―太郎平小屋―(太郎山)―(北ノ俣岳)―(赤木岳)―中俣乗越―黒部五郎岳(2840m 黒部五郎小屋―三又蓮華岳―双六岳―(双六池)―樅沢岳―西鎌尾根―千丈沢乗越―槍ヶ岳(3180m―槍沢―徳沢―上高地

727日 合宿終了

 

 

前穂高岳の岩場登攀 1964年(昭和39年)7月29日〜8月4日(個人山行)

縦走合宿終了後、メンバー大川43K、近藤43C、生形42S、清水43Mの4名で前穂高岳岩場の登攀に挑んだ。松本市にて食糧等を再度調達し、奥又白池の端にBCを設営した。奥又白本谷を登り各方面の岩場に取り付いた。

 

  前穂高岳北尾根縦走

   五六のコル、前穂高岳頂上、奥穂高岳頂上、涸沢

  三峰リッジ

  前穂高岳東壁 

   北壁、Aフェース   

ナイロンザイル切断による遭難事件で話題となり井上靖の「氷壁」のモデルとなった若山五郎氏が若き命を散らした前穂東壁は山男達の憧れの岩壁であった。

  四峰  

   明大ルート

  五峰

   甲南ルート

   松高ルート

 

小生(生形)はこの後、引き続き仙の倉山荘の小屋番を1週間やってこの夏の山が終わった。

写真は45年前に記録者が撮影したものを戴いたものと思われます。セピア色に変化しており、又若干表面に黴の痕跡がありましたので見にくさがあるかと思います。

纏めに際して渡邊42S,清水43M、お二人の協力を戴いた。