西田博太郎先生揮毫の欄間額
令和3年12月19日
群馬大学山岳部OB会
令和2年(2020年)10月に、群大仙ノ倉山荘の鍵の管理をお願いしている剣持真理子さん(新潟県南魚沼郡湯沢町土樽)から、長年、剣持宅に掲げられていた欄間額を群大山岳部にお返ししたいとの申し出がありました。
この額は、仙ノ倉山荘創建(昭和9年/ 1934年)後の昭和14年(1939年)の二月に、桐生高等学校第二代校長の西田博太郎先生が揮毫された欄間額二面です。先々代の剣持国三郎さん(仙之倉山荘初代管理人)が西田先生に依頼した書であることが読み取れます。群馬大学にとっても群大山岳部にとっても貴重な財産ですので、二面の欄間額を引き取ることにしました。
今後の保管等について群馬大学工業会に相談した結果、痛みが激しい欄間額を修復し、群大理工学部内の同窓記念会館内資料室に展示・保管して頂けることになりました。
令和2年12月8日に清心堂 鈴木表装店(前橋市若宮町)に修復を依頼し、翌年4月16日に修復が完了、群馬大学工業会に届けました。修復費用(198,000円/二面)は、群馬大学工業会で負担していただきました。
欄間額の写真
修復前
「天地寂然不動、而気機無息」
「登高使人心曠、臨流使人意遠」
(両書とも、中国明代の著作家 洪自誠による随筆集『菜根譚(さいこんたん)』より)
修復後
解 釈
■前集8項
天地寂然不動、而気機無息少停。日月昼夜奔馳、而貞明万古不易。
故君子、闔棊v有喫緊的心思、忙処要有悠闢I趣味。
天地は寂然(せきぜん)として動かずして、而(しか)も気機は息(や)むことなく、停まること少(まれ)なり。
日月(にちげつ)は昼夜に奔馳(ほんち)して、而(しか)も貞明(ていめい)は万古に易(かわ)らず。
故に君子は、闔栫iかんじ)に喫緊(きつきん)の心思うるを要し、忙処(ぼうしょ)に悠閨iゆうかん)の趣味(おもむき)あるを要す。
天地はひっそりとして動かないように見えるが、働きを止めることはなく、太陽や月の明るさは永遠に変らない。だから人の上に立つ者は、暇な時こそ張詰め、忙しい時こそゆったりとした心構えが必要である。
つまり、小人(しょうにん)は閑居すれば不善を成すが、大人(たいじん)は閑居しても成果を成すということ。
言い換えれば、活人は随所で主なのだ。慧智(1030531)
■後集113項
登高使人心曠、臨流使人意遠。
読書於雨雪之夜、使人神清、舒嘯於丘阜之嶺、使人興邁。
高(たか)きに登(のぼ)らば、人(ひと)をして心(こころ)曠(ひろ)からしめ、流(なが)れに臨(のぞ)めば、人(ひと)をして意(い)遠(とお)からしむ。
書(しょ)を雨雪(うせつ)の夜(よる)に読(よ)まば、人(ひと)をして神(かみ)清(きよ)からしめ、嘯(しょう)を丘阜(きゅうふ)の嶺(いただき)に舒(の)ぶれば、人(ひと)をして興(きょう)邁(まい)ならしむ。
高いところに登ると、人の心は広大になり、流れに接すれば、人の心は無辺となる。
雨や雪の日に読む書物は、人の心を崇高なものにし、小高い丘の上で詩歌を口ずさめば、人の心は深遠なものとなる。
つまり、人間は置かれた環境次第で広大無辺な心境を得られるし、頭の使い方次第で崇高深遠な心境が得られるのである。
言換えれば、達人は自分の心の置き場所や、頭の使い方を心して生きれば、有限な世界で無限な世界観を得られるということだ。
慧智(030727)
出典は同じです。
『菜 根 譚(さいこんたん)超訳』
“活き活き生きる人生の「心」の経営術”
性善説の人生哲学『菜根譚(さいこんたん)』
訳、編著: 小林慧智
■前集222篇: 現役向け
■後集134篇: 退役向け
■附集 篇: 経営者を目指す活人向け(慧智追記予定)
編著: 洪自誠(本名は応明、自誠は字、道号は還初道人)
超訳: 活人禅会 虚菴快山慧智
底本: 『遵生八牋』附載(国立公文書館所蔵)
参考: 論語、各種禅書、岩波漢和辞典、同古語辞典
および釈宋演老師(元:臨済宗円覚寺派管長)
以上