山荘日誌 第4 昭和18/8/21 宮本:山荘を去るに当たって

 

山荘を去るに当り最後の山荘日誌を記す

 

私は過去2回この山荘より先輩を送り出してきた。そして遂に私も送り出される日がやって来た。

夏に冬に、そして春に秋に、私は心に痛手を負った時、解決不能の問題に逢着した時、いつもこの囲炉裏辺に、また山毛欅(ブナ)の木陰に、心の安息所を見出すのだった。

「ふるさとの山」「ふるさとの谷」 実に山荘こそ永遠の「ふるさと」となってしまった。

私はこの山荘に私の心の隠家を見出してからは、よくこっそりと訪れた。そして山荘はひっそりと私を迎え抱きしめ、そして慰めてくれるのだった。山毛欅の木陰に立てば、さやさやと枝を鳴らして私を励まし叱って呉れた。

しかし今年の322日、天は私の傲慢な心に鉄槌を下した。けれど犠牲はあまりにも大きかった。私は何度山毛欅の木陰で川田を呼んで泣いたことか。そのたびに私を慰め叱って呉れるのは、山毛欅、そして山荘であった。

私の嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、全てこの山荘は見て来た。そしてその憶出を黙々として蔵って置いて呉れるでしょう。

大東亜建設の栄ある一兵として征で立つ光栄の日は眞近、生還期さず、もうここに参ることはありますまい。しかし、いずこの戦場で果てようとこの山荘の憶出をしっかりと心に抱きしめて、魂だけでも山荘へ戻って参ります。

山荘よ、山毛欅よ、幸多かれと祈りつつ、最后となるであろうところの「山荘よ サヨウナラ」を申し上げます。 
 昭18.8.21  AM11.00        紡  宮本 敬之助

 

 

   我が骸(ムクロ)何処の果てに曝すとも

      還りて止まじ この山川

 

   もう邪魔だ 早く出てけと

          二年はわめく

 

   賢しみて もの云はんより 

水かぶり山に琴なぞ

          まさりてあるらし