2012年夏山山行:白峰三山、花の山歩き

 

 7月27-31日、北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰(しらね)三山を歩いた。メンバーは38Cの荒井リーダー他、永井、関、石川、山田で年一回の恒例山行。 27日、山田は車で下山場所の奈良田温泉まで6時間ほどのドライブ。ここで関西方面2名と合流、バスで広河原へ。広河原山荘で全員集合、生ビールで一年ぶりの再会と明日からの3千m山歩きに話が弾んだ。


 28日朝、準備運動をして5:25出発。大樺沢沿いの道を緩く登っていく。2ピッチを過ぎると雪渓が出てきた、脇の登山道より雪渓のほうが歩きやすそう、3ピッチで二俣に着いた。


http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885720.jpg
バットレスを見上げながら登る

 

二俣は簡易トイレもあり大勢が休憩している。少し上がったところで休憩、8:20/30。

バットレスを見上げながら傾斜のきつい右俣を登る、ダケカンバやナナカマドの灌木帯のなかに青紫色のミヤマハナシノブがきれい、可愛いツマトリソウもポチポチ。


http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885719.jpg
ミヤマハナシノブ、北海道でお目にかかった、本州では稀産種のようだ

 

チングルマの咲く草すべりを過ぎると白根御池小屋からの道と合流、ここで昼食、ミヤマキンポウゲやシナノキンバイの咲く急登をあえぎ登り小太郎尾根にでた、12:00。

風が気持ちいい、鳳凰三山が大きい。右手に仙丈を見ながら急な稜線をしばらく登るとこの日の宿、肩の小屋に着いた、13:05。


http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885721.jpg
小太郎尾根に合流すると右手に仙丈岳が存在感をみせる


http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885722.jpg
肩の小屋到着、後ろに北岳

大パノラマのなか、冷えた缶ビールで乾杯、一本目はあっという間、二本目で落ち着いた。土曜日ということもあり客は多そう。2階の寝所は一人分半畳一寸、何とか5人分確保。どうやら2階に詰め過ぎ、後から1階に移動してゆったり休めた皆さんが多くいた。

 

北岳から農鳥小屋

29日はこの山歩きのクライマックス、日本第二と第四の高峰を含む3千mの尾根歩き。

狭く寝苦しい一夜が明けた、天気はまあまあ、朝食の後、小屋のすぐ右手斜面に咲いているキタダケソウをゆっくり鑑賞。ハクサンイチゲに似ているが花弁が多く葉も細く切り込まれている、ここだけの固有種。梅雨時にしか見られないということだがよく咲き残っていてくれた。


http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885803.jpg
キタダケソウ:北岳の固有種、小屋の近くで大事に管理されている

 

http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885808.jpg
肩の小屋の朝、甲斐駒を望む

 

準備体操をして5:55、出発。いきなり急な登りが始まる。駒・仙を背に稜線を西側に回り込み一登りすると北岳頂上、6:40。手前の間ノ岳が大きい、右奥に二瘤の塩見岳、富士山もうっすら。




北岳山頂のプレートは「白根岳」で標高3192m、少し南に80p高い所

があったので今は3193m、でも何で日本第二の高峰が三等なんだろう

このコースは人気のようだ。下りの鎖場はツアーパーティで混雑、我々の後を20数名のアミューズ・パーティが続き、途中アルパインの山田さんリーダーで20名ほどのパーティとすれ違った。どのパーティも中高年女性主体、男性ポチポチが共通している。アミューズは塩見まで行くという、おばちゃんパワーは半端じゃない。

下りの花はミヤマダイコンソウ、ツメクサに似たシコタンソウの群落、紫のオヤマノエンドウ、細い茎のチョウノスケソウ、イワベンケイなどなど。下りきると北岳山荘、8:20。この小屋も昨晩は大混雑だったようだ。

 

http://img.ky.roof-8.com/20120807_2886126.jpg

シコタンソウ、ホソバツメクサに似ているが葉・茎が違う、このコースに沢山ある


 山荘から穏やかに登り中白根まで1ピッチ、9:20。北岳のビューポイント、むっくりの間ノ岳に対しピラミダルで筋肉質の北岳といったところか。間ノ岳までは結構長い、ハクサンイチゲやイワベンケイの咲く岩礫の稜線を緩く登ると広々とした頂上に着いた、10:35。

行動食で軽い昼食、雷鳥親子が登山客を和ませてくれた。



http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885805.jpg

中白根から北岳を振り返る


http://img.ky.roof-8.com/20120806_2885807.jpg
間ノ岳から農鳥方面、農鳥小屋や塩見も見える

ここから岩礫のなか農鳥小屋へ下る。広河原山荘で一緒だったおばちゃん3人組が熊ノ平への分岐で待っていた。ひとしきりワイワイ、元気印のおばちゃんたちはここから塩見目指して下って行った、軟弱組は農鳥小屋へ、13:05着。
 
 小屋の前の高台でトルコ帽のおやじが呼び込みをしている、「大門沢までは無理、雷が来る、ここで泊れ」、どうやらこの小屋の名物おやじ。しばらく呼び込みを続けていた。
 小屋の前にテーブル・丸太の椅子を設定して雲上の宴会開始、時間はたっぷり、途中15分ほどの水場まで下り、冷たい水で汗を流した。この斜面はお花畑、ハクサンチドリ、シオガマ、ハクサンイチゲなどなどで楽しませてくれた。
 4時過ぎには夕食、まあまあおかずに味噌汁がうまい、寝所スペースも十分。早めに休んだ。

 

農鳥岳から大門沢を下る

 白峰三山縦走最終日は大門沢を下り奈良田までの高度差約2千2百mの長丁場。準備体操をしっかりして4:45の早立ち。


http://img.ky.roof-8.com/20120807_2886730.jpg
農鳥小屋の日の出、中央にうっすらと鳳凰三山

 

朝一番のきつい登り1ピッチで西農鳥(頂上へは行かず)、小休止して稜線の西側を巻きながら進むと三山最後のピーク農鳥岳の頂上、6:45。北の奥に鋭角的な北岳、手前に重厚な間ノ岳が並んでそびえる、西南には塩見・悪沢・赤石など、富士山も雲の上に浮かんでいる。


http://img.ky.roof-8.com/20120807_2886731.jpg
小屋から西農鳥に向かう、朝一番の急登は応えた


http://img.ky.roof-8.com/20120807_2886732.jpg
西農鳥から南の眺望、右に塩見、中央は悪沢・赤石岳


http://img.ky.roof-8.com/20120807_2886735.jpg
農鳥岳から間ノ岳、北岳を望む

 

最後のパノラマを楽しみ、岩礫を下って大門沢下降点、7:40。

三山の稜線ではずっとハクサンイチゲが付き合ってくれた、黄色のミヤマキンバイ、ミヤマダイコンソウも多かった、青色のイワギキョウ、オヤマノエンドウ、白いツメクサなど小さな花も様々。まさに花の三山縦走路だった。


http://img.ky.roof-8.com/20120807_2886736.jpg
ハクサンイチゲはずーと付き合ってくれた
http://img.ky.roof-8.com/20120807_2886737.jpg
大門沢下降点、この縦走路のエピローグ

花々に別れ、ハイマツからダケカンバの灌木帯を急下降し大門沢の河原に出た、ここに流れ込む沢で昼食、関さん持参の高級ハム、ゴマ豆腐にチキンラーメンと豪華メニュー。

10:30/11:20。ここから30分弱で大門沢小屋、衛星電話で宿の迎車をお願いする。

谷沿いのブナ林を延々と下ると、砂防ダム工事現場。登山道は急ごしらえの迂回高巻道になる、斜面の道は歩き難く滑ったら危険、もう少しきちんと整備する必要がありそう。ダムの先のつり橋を渡り、取水小屋を過ぎると林道に出た、14:55。ストレッチ体操をして宿の迎車を待った。

 この日の宿は奈良田の白根館、秘湯の湯として人気の宿。早速湯に入り3日分の汗を流した。長丁場の後、湯上りのビールは格別だった。

 

下山後、宿の前で

 

 

 

白峰三山の花々

白峰三山は花の山、二俣から大門沢下降点まで様々な花が楽しめた。 小泉武栄著「山の自然学」(岩波新書)に南アルプスのお花畑の素晴らしい理由が書いてある。南アルプスの山々はほとんどが四万十層群と呼ばれる堆積岩類かその変性岩からできている。これらの岩石は風化して、岩塊から細かい泥までの様々な岩屑をつくりだす。それが移動してまじりあうと、表土が安定して通気性や保温性が良く、高山植物の生育には理想的な土地ができる。この土地と残雪のバランスで見事なお花畑ができる・・・とある。 そんな花々の幾つか。

 

 

ズミ?:広河原山荘から歩き始めて間もなく       ミヤマハナシノブ:二俣上(再掲)

 

ミヤマキンポウゲ:北岳肩の小屋周辺       キタダケソウ:肩の小屋周辺

 

オヤマノエンドウ:北岳下山時            チョウノスケソウ:北岳下山時

 

ミヤマダイコンソウ:間ノ岳手前       イワキキョウとホソバツメクサ:農鳥小屋手前

 

キバナシャクナゲ:農鳥小屋手前          アオノツガザクラ:農鳥岳

番外:白峰三山の山名と重衡

 

白峰三山は北岳・間ノ岳・農鳥岳、北にあるから北岳、真ん中だから間ノ岳、農鳥岳だけが山名にふさわしく日本第二、第四の高峰二山の山名は安易に過ぎるように思う。

深田久弥は百名山にこの辺の事情を書いている。「甲斐国志」によれば北岳は昔「甲斐ヶ根」と呼ばれ、北方最も高き者を「白峰」と称す。・・・中峰を間ノ岳或いは中岳と称す。この峰下に、五月雪溶けて鳥の形をなす所あり。土人見て農耕とす、故に農鳥山とも呼ぶ。その南を別当代という。皆一脈の別峰にして、全て白峰なり。・・・
 深田久弥は北岳の山名には触れず、間ノ岳を農鳥に、農鳥は南岳或いは別当代の名を当てたかった、としている。 北岳山頂の三等三角点プレートは「白根岳」、北岳山荘と間ノ岳の中間にあるピークは中白峰。
 日本百名山で白根の名を持つ山は日光白根(奥白根)、草津白根で何れも地名がついた白根。第二の高峰はすぐ南に中白峰もあることだし堂々と「白峰岳」で良いのではないだろうか、プレートの「白根岳」は筋肉質のこの山にそぐわない。

間ノ岳という山名は屈辱的という議論もあったようだ。山頂プレートは「相ノ岳」、白峰三山のいい加減な山名を象徴しているように感じた。雪代もあるのでこの山は農鳥に。今の農鳥は何かの折二山に代わる山として別当代。そんなたわいもないことを考えた。

 深田久弥の北岳に平家物語が引用されている。「・・・宇津の山辺の蔦の道、心細くも打ち越えて、手越しを超えていけば、北に遠ざかりて、雪白き山あり、問えば甲斐の白峰といふ。その時、三位中将,落つる涙をおさえて、惜しからぬ命なれども今日までに つれなき甲斐の白峰をも見つ・・・」、巻第十「海道下」の一節。生け捕りになった三位中将重衡が鎌倉に護送される途中、手越しから白峰を見た場面とその心境の歌。
 平家物語(岩波文庫)の注釈で「甲斐の白峰」は「白峰三山;北岳・間ノ岳・農鳥」とある。

手越しは静岡市の県庁から南西に数kmのところ。地図で見るとここから白峰三山は手前の笊ヶ岳(2629m)などに隠れて見えない。やや西で大井川の左に聳える赤石・悪沢・塩見が見える。重衡が見たのはこちらの三山だったようだ。往時はこの山々も含めて甲斐の白峰と呼んだのだろうか。 

2012/8 40S 山田 和夫記