2011年 GW入荘報告
メンバー:35C下田、35M布河谷、35C桜井、40E中林、54Edu萩原、49S相川
日 程:2011年4月29日(金)〜5月1日(日)
4月29日(金) 曇り 入荘
布河谷、桜井、中林の三氏は午前中に入荘。萩原、相川は午後に入荘した。今年は雪が多く、山荘の庭で1メートルの残雪である。しかし、仙ノ倉谷は埋まっておらず右岸への渡渉は、毛渡の吊橋を使わなければならない。
山荘は、北側窓のシャッターのひとつが、雪の重みで動きが悪くなっていた。また、室内の水道のバルブが凍結時に破損し、水漏れしていた。下田さんが、代品を調達する。退荘時には、“排水”にバルブを切り替え、蛇口までの配管中の水は抜いておくこと。
夜は、いつものように持ち寄った酒類と酒の肴で酒宴となった。
4月30日(土)曇り後雨
5:00起床−山荘7:00−日白ダム7:20−小松沢を進む−9:00熊谷高校尾根取り付き−稜線11:15−12:00日白山頂12:35−13:55日白ダム−14:20山荘
小松沢経由で日白山に出かける。雪が多く、右から合流する西タツメ沢の出会いまで進むと、小松沢は完全に埋まっていた。1.5時間ほど進んで熊高尾根に取り付く。以前、熊谷高校山岳部が、毎年3月の合宿で使っていた尾根である。1ピッチはシール登高で、その後はスキーを背負いツボ足で登る。稜線に出てからは再びシール登高で日白山まですすむ。このころから黒い雲となり、雨が心配された。
山頂には、二居からの登山パーティーが休憩していた。30分ほど休憩し下降開始。熊高尾根を少し滑り、右側の沢に滑り込む。クレパスもなく小松沢出会いまで、さらに日白ダムまでの小松沢の残雪の滑降を楽しんだ。
日白山ルート
小松沢上部(相川、中林、桜井) 熊高尾根の登高(萩原)
熊高尾根上部(中林、桜井) 日白山頂で休憩(桜井、相川、中林)
仙ノ倉山と平標山 平標山(1983m)
イイ沢河原とシッケイの頭 万太郎山(1954m)
谷川本峰 巻機山
日白ダムまで降りたところで、入荘してきた下田さんに会う。今夜、群大仙ノ倉山荘の取材のため入荘する朝日新聞の木下記者を案内するための入荘である。
今日も明るいうちから酒宴となり、ひと眠りした20:00に木下記者が到着。ぐっすり寝込んでいる間に、下田さんが土樽の登山道入り口まで出向かいに行ったとのこと。その後は、一杯やりながらのインタビューとなった。山荘創建時の伝聞や1977年の旧山荘倒壊から現山荘再建の話など、懐かしい思い出を巡るひと時であった。
5月1日(日) 晴れ
5:00起床−7:00木下記者退荘−8:00退荘−8:45岩原スキー場9:00−11:30飯士山11:50−12:20スキー場下駐車場
山荘前で写真撮影をし、7時に木下記者退荘。その後、山荘の片付けをして全員退荘した。萩原さんと相川は残雪が残る岩原スキー場から飯士山に登る。飯士山は独立峰で、簡単に登れそうだが、結構きつい。狭い稜線と強い風に苦しみながら、2時間半掛けてどうにか山頂にたどり着く。帰りは誰もいないスキー場を下ればいいのだが、雪質は悪く快適な滑降といは行かなかった。
萩原、相川、桜井、木下記者、下田(撮影:布河谷)
岩原スキー場〜飯士山ルート
岩原スキー場 飯士山
飯士山山頂手前の登高(相川) 飯士山山頂(萩原)
短い山荘滞在だったが、残雪のスキー、酒宴、新聞インタビューと、なかなかバラエティーに富んだ入荘であった。
以上