「仙の倉山荘 75周年記念祭イベント」 記念山行 Cコース 蓬峠越え
コース 土合 − 蓬峠(蓬峠ヒュッテ泊) − 土樽 − 仙の倉山荘
期 日 平成21年9月17日(木) 〜18日(金)
参加者 S33卒 後閑 宏二(C) 閑 春夫(C) 塚越 廣治(C) 深澤 進(W)
行動実績
初 日 土合駅着 8:30 − 登山指導センター(登山計画書届出) 9:00 − 旧道 − マチガ沢 9:50 − 一の倉沢(昼食) 11:10 − 幽の沢 11:40 − 芝倉沢新道分岐 12:10 −
白樺避難小屋 15:50 − 蓬峠ヒュッテ(泊)着 18:00
二日目 蓬峠ヒュッテ 6:40 − 水場(朝食) 7:20 − 東股沢渡渉点(昼食) 11:10 −
林道終点 13:20 − 林道終点からおよそ1km下った所でタクシーを手配 −
森林管理所ゲート 14:00 − 仙の倉山荘着 14:30
山荘創設75周年記念祭特別企画の記念山行Cコース蓬峠越えに参加。昨年、涵徳亭で行われたOB会忘年会で、荒井さんからA〜Eの5コースについて説明があった。若手OBがリーダーとなり、希望者を募り引率してくれる。ついて行くだけでよい。ありがたい。と勘違いをしていたのが大きな誤算であった。参加者が計画を立てると知り、慌てて十分な検討もせずに敢行、「山を侮ってはいけない」ということを痛感する。
53年前の晩秋に、同期の幕内さん(C)と二人して、土合 − 蓬峠 − 土樽を日帰りで歩いたことがある。蓬越えの難易度は、工学部キャンパスから吾妻山を往復する程度の印象しかなく、40歳代一般登山客の所要時間に対し、登り50%増、下り30%増の登山計画を立案。行動実績の所要時間が物語っているように、計画が甘かったと批難されても弁解する余地はない。
現役時と比べ、登山道はよく整備されている筈なのに、体力と技量が衰えると、こうも違うものかと愕然とする。歳をとり、力量がこれほどまでに衰えているのを弁えておれば、蓬峠越えは諦めた。恐らく土合から一の倉沢往復ぐらいで済ませて、山荘に入莊していたのではないかと思う。
幸い、@ 快晴、適温、風もない穏やかな登山日和であった。 A 異常な渇水で、岩場や草付きが乾いており、滑りにくかった。 B 初日午後の後半の道程が陽を浴びる斜面で、日の陰るのが遅かった。 C 日没時間もまだ遅い時期で、気を急かされなかった。 等の好運が重なり、結果オーライの山行であったかなと深く反省している。
「さすがは昔とった杵柄・・・・」年下の方が、お世辞に先輩や高齢者を誉めそやす。昔とった杵柄と称えられるほどの人でも、あくまで過去のこと。杵柄は磨かずにおれば錆が生じ、磨き続ければこそ価値を維持できる。自分の登山歴では、杵柄といわれるものは何もない。それだけに入念な計画と準備をしなければならない。それを怠っての今回の山行、年寄りの冷や水とはまさにこのこと、山に限らず何事にも慎重に処することにしたい。
マチガ沢 旧道出合いへの途上 撮影(深澤)
昭和31年5月に、マチガ沢でお亡くなりになった佐川先輩を慰霊。旧道出合い左岸の大きな岩に掲げられた沢山の慰霊碑は、しっかりと固定された碑を二つほど残し、すべて取り外してあった。(佐川先輩の慰霊碑も外される)
一の倉沢 天候に恵まれ岩壁の威容を存分に観賞 撮影(後閑)
駐車場には数台駐車、登攀中の登山者を探すも人影はなし。
一の倉沢を背に 左より 塚越、後閑、 閑、 深澤 撮影(後閑)
後方の学童は、小千谷小4年生の修学旅行、土合を同時にスタートしたが、彼らの方が先に着く。
旧道より 幽の沢 険しい岩壁の全容を堪能 撮影(深澤)
白樺尾根より 笠ヶ岳 朝日岳 撮影(深澤)
白樺避難小屋にて 撮影(後閑)
蓬峠より 茂倉岳方面 撮影(後閑)
蓬峠朝方 馬蹄形右尖部山群の連なり。右遠方に小さく見えるのは赤城山 撮影(後閑)
蓬峠ヒュッテにて 二日目出発前、右二人目は高波管理人(吾策氏次男)
到着が遅れ、管理人の高波さんには要らざる心配をかけた。吾策さんの次男と知り、髯の吾策、土樽山荘、国鉄山の家のこと等の思い出話に耽る。また、土樽が寂れ行く半世紀の経緯、谷川北面開発に功績のあった父吾策さんへの思い、群大生が冬遭難時の救護活動の一部始終、谷川連峰五つの山小屋に吊してある鐘の由来、登山道開発と整備保全のこと、高波本・分家両家族の消息について管理人から伺うことができた。
蓬新道より 茂倉新道 撮影(後閑)