関谷 丞一
2008年6月6日〜6月18日
参加者名簿
No |
氏名 |
卒年・科 |
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1 |
コーディネータ− |
高橋 清 |
29C |
2 |
美那子 |
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3 |
参加者 |
宮本 敬之助 |
18W |
4 |
平沢 英昭 |
29C |
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5 |
関谷 丞一 |
29W |
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6 |
今野 元治 |
32E |
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7 |
浅見 美智雄 |
34D |
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8 |
望月 恭一 |
35C |
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9 |
公子 |
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10 |
桜井 勝 |
35C |
カナダ旅行 3000km 予定表
2008.6.6〜6.17
月 日 |
内容 |
宿泊 |
6月6日 |
出発 Vandusen 植物園 |
Vancouer |
7日 |
UBC人類学博物館 Stanley Park |
〃 |
8日 |
Campbell Valley Park 高橋邸 |
〃 |
9日 |
Last Spike |
Revelstoke |
10日 |
Emerald Lake |
Drumheller |
11日 |
Royal TYRREL Museum |
〃 |
12日 |
Rocky Mountain 越え |
Banff |
13日 |
カナダ・アメリカ国境を行く |
Ainsworth Hot Spring |
14日 |
Ashnora Camp Ground |
Manning Park |
15日 |
Manning Park |
Vancouver |
16日 |
Vancouver 観光 |
〃 |
17日 |
帰国 |
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出発まで
2006年末、高橋清さんがカナダから日本に来て、東京都小石川函徳亭での山岳部OB忘年会に出席した。その時、宮本さんとカナダ行きの話が始まり、平澤さんが計画をまとめて、高橋さんと何回も連絡を取り合った。
2007年8月付け、平澤さんより第1報として、カナダ旅行計画案が届いた。第2,3報と計画案がより詳細に、より具体的になり、2008年3月に入り、旅行日程6月6日から6月18日と、参加人数も若干の変更はあったが、宮本(18W)・平澤(29C)・今野(32E)・浅見(34D)・望月(35C)夫妻・桜井(35C)・関谷(29W)計8人となり、現地にてカナダ住在の高橋(29C)夫妻が加わり合計10人が決定した。
計画案が決定した所で、望月さんが事務手続きを行い、2008年3月に航空券手続き、高橋さんへの宿泊費・交通費などの送金手続きを行ってくれた。5月31日最終案を受取り、出発の日を待つばかりとなった。
6月6日
コース
東我孫子14:21―成田空港第2ビル15:40―成田発18:35―バンクーバー11:00(現地時間)―Vandusen 植物園12:30〜14:10―15:20 Best Western Coquitlam Inn 15:45―Hume Park―夕食―ホテル18:10
梅雨の季節に入ったが、出発当日は晴れて暑くなった。午後出発のため、JR東我孫子を14時21分の電車乗り、成田空港第2ビル駅で下車して、出発ロビー日航カウンターに着くと、仲間たちが集まっていた。8人全員が搭乗手続き、出国手続きを済ませても2時間ほど出発ゲート前で待つことになる。その間アルコール類などを購入した。
日航機尾翼の鶴マークが消えて、単純な赤マークだけになっていた。飛行機はボーイング747-400型、搭乗総数446人・乗務員16人乗りのジャンボ機で、我々はエコノミークラスで2階席3−3に案内された。
飛び立つとすぐ夜になるが眠れず、するとすぐ明るくなり、食事が運ばれて来た。現地時間午前11時にバンクーバー国際空港に到着した。入国・税関審査も簡単に済み、出るとドライバーの打越さんが出迎えてくれた。
道路は濡れていたが、雨は降っていない。このままホテルへ行っても時間が早すぎるので、結局は市内観光しながら行くことにした。
ドライバーの打越さんが説明を始めた。道路の縦横はStreetとAvenueに区分され、番地で統一されていると言う。先ず向ったのは西側の高級住宅地で一軒一軒が大きな屋敷に個性ある建物が建ち並んでいる。地下1階・地上2階の緑に囲まれた静かな住宅地を通り過ぎた。街路樹も庭木の若葉が雨に濡れて色鮮やかであった。
バンデューセン植物園(Vandusen植物園)
バンデューセン植物園内にキバナフジ(Laburnumラブーナム)が咲いているかも知れないと言うことで急遽行くことになった。
この植物園はもともとゴルフ場で、カナダ太平洋横断鉄道のW.J.Vandusenによって、1975年に開園された。園の特徴は6大陸から集めた7,500種類の植物が植えられている。その中でもキバナフジは有名とのことである。
大きな樹に驚かされた。黄色い大きな花が垂れ下がり、今は盛りと咲いていた。花一房の長さが20cmほどはあるだろうか、その下を歩いて行った。また青いケシの花(Himalayan Blue Poppies)もあると言う。聞いてはいたが見たことはない。初めて見る青いケシの花、高さは30cmほど茎の先に青い花を咲かせていた。空色の花びらに橙色のおしべと中央にめしべがあった。道路脇には真赤な花を咲かせた石楠花も見事であった。ゴルフ場を植物園に改園したのでロングホールだろう、手入れされた芝生がきれいであった。通路の所々に故人を記念して寄付されたベンチがあり、故人の名前と年代がプレートに刻まれていた。
ホテルBest Western Coquitlam Inn に着くと、高橋さんが出迎えてくれた。一休みして近くのHume Parkへ散策することになった。途中川を渡った時、高橋さんの話では、この川にも鮭が遡って来ると言う。見下ろしても水がきれいと言うわけにはいかないが、河口から約40kmあると言うから珍しいと思った。柵のある犬の放し飼い運動場を半周して戻って来た。
ホテル周辺のスーパーなどを眺めると、ハングル文字が氾濫している。韓国人が多く住んでいる地域だと言う。初めはどこの国へ来たのだろうかと目を疑った。
スーパー隣りの韓国系の食堂で夕食をとることにした。夕食だと言うのにアルコール類が一切置いてないので驚いた。国が違えば規則も異なることを知った。
VANDUSEN 植物園 1
VANDUSEN 植物園 2
VANDUSEN 植物園 入口
VANDUSEN 植物園にて(キバナフジ)
Best Western Coquitlam Inn 1
Best Western Coquitlam Inn 2
6月7日
コース
ホテル9:00―UBC人類学博物館10:10〜11:40―UBC食堂(昼食)11:50〜12:30―English Bay 海岸―Down Town―Stanley Park 14:00―The Pan Pacific Hotel 15:50―Burnaby Mountain Park―ホテル17:20―夕食ギリシャ料理
カナダの総面積は998万ku(日本面積の約22倍)、人口は3,278万人(2007)日本人口の1/3。またブリティシュ・コロンビア州の面積は94万ku(日本の約2倍)、人口は433万人(2007)日本の4%である。
先ずUBC(University of British Columbia)へ向う。バンクーバー市の海に突き出たところにあり、広大な土地120万坪が大学である。学内にはUBC人類学博物館・UBC植物園・新渡戸記念公園・アートギャラリー・ゴルフ場などがあり、海岸への眺めの良い斜面は学校関係者の住宅が建ち並んでいる。学内を見学するには一日掛かると言われている。車で行くと右手にゴルフ場が見えて来た。そこはすでに学校の敷地内を走行していた。今日はUBC人類学博物館を見学することにしている。
UBC人類学博物館
北アメリカ大陸北西沿岸の先住民が作った文化遺産を展示してある。世界でも有名な博物館である。館内に入ると、すぐ両側に朽ちかけた部族の家柱を、そのまま保存するために、館内の天井が高い。先住民と言っても部族によって差異があるが、知識のない私にはその特徴を理解することは出来ない。ただ驚き眺めているだけである。
丸木船があり、その船前後に彫刻がある、中央に守り神だろうか置いてあった。さらに天井の高いガラス張りのグランドホールにはトーテムポールが建っている。トーテムポールとは先住民が建てた飾り柱であり、木製なので野外では保存が難しい。資料によると約5000年前から作られていたらしいが、祖先の歴史や生活内容に合わせて各部族がトーテムポールを作っていた。あるトーテムポールの先端にはワタリガラスが飾ってあった。そのために先住民を調査する貴重な資料である。
収納庫に入ると仮面や装飾品などが、棚や何段にも重ねられた引き出しにぎっしりと並べてあった。
円形ホールには、大きな木彫が天井からの光を受けて置かれてあった。資料によると、ビル・リード作の彫刻で、
“Raven and the first people”
ワタリガラスがこの世に初めて人間を呼び出したと言う神話の物語で、大きなハマグリから顔をだして、こわごわと外を覗いている人間に怖くないから出て来いと、声を掛けているところの彫刻である。
この博物館のために、以前あった作品を、大型にして完成させたものだと言う。
野外に出ると、先住民ハイダ族の共同住宅、家柱と見上げるようなトーテムポールが建ち並んでいた。
見学し終ると、ただインディアン先住民の民族間の文化の違いは、目に付いたが、なぜかどうしてかまで知識を深めることは出来なかった。しかし、素晴らしい博物館の印象だけは残った。
昼食をとるために、学内にあるUBC食堂へ行った。10ドルを支払う。バイキング方式で、自分で好きなものを好きなだけ食べるので都合がよい。ホテルでの朝食は量の多いことで驚かされたが、この食堂では腹と相談しながら食べることが出来た。
車で海岸へ下って行く途中の傾斜地は学校関係者の住宅で、海が一望に見える絶好な場所に、家が建ち並んでいる。海辺に着いた。引き潮だろうか遠浅のように見えた。右手前方はバンクーバー繁華街の高層建築が湾越しに小さく見えた。車は繁華街を通り抜けて、スタンレーパークへ向った。
スタンレーパーク(Stanley Park)
先ず着いたところは、トーテムポール広場である。パーク内の名所の一つ、トーテムポールがたくさん建っていた。トーテムポールとは何だろうか、何のためにあるのだろうかと疑問を持った。
トーテムポールの定義
北アメリカ北西沿岸インディアンが彫刻した柱を、ヨーロッパ人が付けた名称と、文化人類学辞典に載っていたと言う。また、北アメリカ北西沿岸と言ってもかなり広い地域で、北はアラスカの東南部から、南はカナダ・ブリテッシュ・コロンビア、およびアメリカ・シアトル周辺までを指している。
この広場には代表的な異なった、トーテムポールが建ち並んでいる。彫られてある像は各部族により異なるが、像は一種のシンボルであり、物語が含まれている。また、目的によっても違い、墓標・家柱・入口柱・記念柱などがある。
先住民の世界では、ワタリガラス・ワシ・ビーバー・熊などがあり、人間の祖先と深いつながりがある。それを木に彫りト−テムポールにして、なお物語にも関係があると言われている。
トーテムポールの例を示すと、
1)ハイダ族の墓標(8m)である。トーテムポールの一番上に丸い顔のある横板が張ってあり、その後に族長の骨を入れる箱があると言う。
2)クワクワカワク族の入口柱(3m)であろうか、一番上にサンダーバードが翼を広げている。その下に子供を抱きかけている像である。
公園内に桜庭園があり、満開時は見事であろう。日本では花の下で宴が開かれるだろうが、ここはカナダでアルコール類は一切禁止とのことである。
近くで鳴き声が聞えた。隣がバンクーバー水族館だと言う。鳴き声はラッコの声であった。
歩いてすぐの所に、第1,2世界大戦と朝鮮戦争のとき亡くなった、在カナダ日本人の記念碑が建っていた
車を走らせて、ライオンズ・ゲート・ブリッジの見える展望台へ向った。スタンレーパークから対岸の北バンクーバーへ通ずる主要な吊橋である。
車はDown Townへ、今野さんが仕事で関係した、東急ホテルを見たいと言っていたので立ち寄ることにした。バラード入江に面した最高級ホテル、The Pan Pacific Hotel Vancouver に入ると、目の前の埠頭には豪華船が2隻停泊していた。ホテルの側から見下ろすと、船首にプールがあり、どこへ行く船だろうかと想像した。
車はBurnaby Mountain Parkへ山を登って行った。一番高いところに丹頂鶴の舞いを形とった造形が飾ってあった。
この市は日本の釧路市と姉妹関係を結んでいて、周辺一帯にある彫刻群は神々の遊び場である。またこの左端の彫刻は西の方を指し、姉妹都市釧路とバーナビを結ぶ友情の架け橋を象徴するものだと説明していた。
ホテルに戻り、近くのギリシャ料理店へ行き食べた。ここでビールを飲むことが出来て満足であったが、隣の席では40歳になるカナダ人中心に大勢の人がうるさいほど賑やかにテーブルを囲んでいた。
ドライバーの打越さん
バンクーバー近郊を車で案内してくれた打越さんは、ホテルに我々を迎いに来る時、日本での情報を、その都度インターネットで検索しコピーして我々に報せてくれた。
6月8日 東京秋葉原での無差別殺傷事件
6月16日 岩手・宮城内陸大地震
の衝撃的なニュースが瞬時に飛び込んで来てびっくりした。情報は世界を駆け巡っていた。
話は変わるが、2001年9月、中国敦煌へ旅行していた時、あのアメリカでの9.11事件は、新疆ウイグル自治区では、全然報道されず、西安まで来て、やっと事件の全容を知った。中国では都合の悪いニュースは知らされていなかった。
UBC人類学博物館にて
UBC人類学博物館 1
UBC人類学博物館 2
UBC(University of British Columbia)内食堂にて
スタンレーパーク 1
スタンレーパーク 2
6月8日
コース
ホテル9:00―Campbell valley Regional Park 9:50〜14:00―昼食14:10〜15:00―買物―高橋邸16:50〜20:30―ホテル20:45 キャンプベル谷 公園(Campbell Valley Regional Park)
バンクーバー宿泊のホテルから、車で約1時間、Langleyの南、カナダとアメリカとの国境に近い、Campbell Valley Regional Parkに着いた。
高橋さんの話によると、この地域公園は、かつて80年前ある人の牧場で、小キャンプベル川の流域に、総面積551ヘクタール(約165万坪)の広大な土地を寄付された後、40年前に地域的な公園として整備されて、現在は民間に開放している。小鳥がたくさんいて、観察するには非常によい公園であると言う。また、樹木があり、草花もたくさん咲いている。バンクーバーに近い公園であるので、高橋さんはよく来ると言っていた。
公園は非常に広いので、1日充分楽しめるほどであるが、今日は公園の南半分を散策することにした。車は南口駐車場に置いて、ドライバーの打越さんも一緒に歩き出した。この公園は四季を通じて、小鳥や植物の観察が出来る。
最初にSouth valley trailより入る。緑滴る樹林帯、途中で台湾の観光客に出会った。小鳥チェックリスト資料によると、約170種類の小鳥が生息し、春夏秋冬の各季節によく見られる小鳥、稀にしか見られない小鳥と区分されていた。今囀っているのは何と言う小鳥だろうか、私には一つ二つは聞き分けることは出来るが、大半は不可能と言うものである。しかし、小鳥たちが囀っているのは気持ちがよい。
小道を歩くと、アメリカトドマツ・カエデ・ダグラスファーなどを見て、草花では黄色い花を咲かせたバターカップ・ピンク色のフォックスグローブ・ワイルドロー・ゼラニューム・紫色の花を咲かせたルピナスなども咲いていた。
Little Campbell riverを渡ると、川の流れはなく川の中に植物が繁茂していた。また、案内板には小鳥たちの声を聞いてごらん、動物や植物を探してごらんと、観察する注意書きもあった。
Deer trailを通り、公園内外周の道に出ると、馬に乗った美女たちの一群が通り過ぎて行った。Shaggy mane trail(草の茂った馬の道)とあり、日本では見られない風景であった。
駐車場へ戻り、ビジターセンターへ行くと、この公園での資料を配り説明もしていた。センター内の壁や天井には羽根を広げた鳥の姿も張ってあった。
森の一生
高橋さんの話によると、森は循環すると言う。藪が枯れて落葉樹が育ち、100年ほどで針葉樹に変わり、400〜600年ほど生育した後、ある時は火災に遭い、森林が焼けて野原になると、その後、藪が育って行くと言う。森林火災は、何時、どのような状態で発生するかは別として、焼け野原に藪が再生すると言う。
また、ロッキー山脈を車で走っている時、延々と枯れた森を見た。高橋さんは山火事の跡だと言う。山火事は森の更新の一つなので、人家に被害が及ばない限り、積極的な消火活動はしないと言っていた。
これにはある程度の気候条件のもとでの事で、落葉樹と針葉樹が共生可能な地域での、森の一生である。
ホテルの朝食
バンクーバー宿泊のホテル レストランで朝食を取りに行った。他室の仲間も食事をしていた。メニューを持って来て、コーヒーですかジュースですかと聞くから、コーヒーを注文し、朝食を注文した。ハム・卵・ポテト・パンを持って来た。これが朝食かと思うほど、大皿にいっぱい盛ってある。他室の仲間も同じように注文したと思う。食べ残しを紙ナプキンに包んでいる。大量の朝食は食べきれるものではない、せっせと食べたが半分ほど残してしまった。ウエイトレスに紙ナプキンを頼むと、パックと紙ナプキンを持って来てくれた。このパックに詰めなさいとのサービスである。残り半分でも私の一食分に相当する。コーヒーは別代金で朝食代金13ドル50セント支払った。
次の日同じレストランで朝食を取った。昨日のこともあるので、他室の仲間と相談すると、シニア用朝食があると言う。早速注文した。運ばれて来た朝食を見ると、昨日の朝食より少し量は減ってはいたが、それでも多過ぎた。三日目の朝食となるとある仲間は、果物とヨーグルトだけで済ませていた。
カナダ人の朝食はこんなに量多く食べるのかと感心した。その上、野菜が少ないのにも閉口した。
また、あるホテルでの朝食も量が多いだろうと思って、パンケーキだけを注文したら、大皿に蜜をたっぷりかけたパンケーキが3枚届いた。少ない朝食を注文したつもりであったが、量の多いのには驚かされた。
高橋邸訪問
高橋さんはバンクーバ−市に、四十年間滞在している。彼の国籍はすでにカナダ人である。我々仲間は全部山岳部OBで、高橋さんも山岳部OBで、ドライバーの打越さんと合わせて9人が、大勢して高橋邸を訪問した。
川の見える傾斜地にある住宅で、彼の話によると、裏庭に熊が出没すると言う。小鳥たちの餌箱が置かれてあるのでよく飛んで来ると言っていた。
奥さんの用意してくれた夕食のピザを各自大皿に取って、ビールで乾杯した。話は彼のカナダでの生活や、学生時代の山岳部活動にもおよび話が弾んだ。夕食後、彼が撮影した写真をテレビで解説してくれて、時間の過ぎるのも忘れるほどであった。
翌朝、ホテル備え付けの分厚い電話帳に高橋さんが載っているかと話題になり、電話帳を手繰りながら探すと有りました。
TAKAHASHI KIYOSHI
452 Riverview Cresent Coquitlam 604−464−3573
と書いてあった。
アルコール
バンクーバーに着いて、一日目の夕食はホテルの近くで取ることにした。スーパーからの帰りがけに、同じ建物内にある韓国系食堂に入った。各自注文し、ある人は韓国料理ビビンバを注文した。また、大皿にイカのボイル煮・キムチ・ウドン類も注文した。カナダに着いて初日ビールで乾杯と、注文したところアルコール類は置いてないと言う。仕方なく食べるだけになってしまった。
アルコール類は、ホテルレストラン・バーや家庭で一般的には公の場所では飲まないことが原則であると言う。
ある日の夕方、ホテル近くの寿司屋を教えて貰い、松寿司に行った。にぎり寿司・ちらし寿司を注文し、夕方だからとビールを注文しても、アルコール類は置いてないと言う。しかし、バンクーバー繁華街へ買物に行ったとき、亀井鮨では、昼食ながらビールを置いてあったので、飲む人は満足そうな顔で飲んでいた。いずれの寿司屋にしても日本人だけかと思っていたらカナダ現地人もたくさん食事をしていたので、日本食の普及もあって、店は満席で食卓を囲んでいたので、経営的には安定しているようにも思えた。
カナダの交通標識
カナダは車社会である。殆どの高速道路は無料で走れる。道路は広く片側3車線が多く右側通行である。車が交差点で赤信号停止すると、次の瞬間信号が変わると、左折大回りが先行する。次に直進と右折小回りと変わる。日本とは反対である。
大きな交差点を歩いて渡ろうとしたとき、歩行者専用の信号を見ると、手の平を出してストップしている。次に青信号で歩行姿勢の像が出るが、すぐ手の平が出て光が点滅している。暫くすると点滅が消えて手の平だけになりストップである。これはおもしろい信号だと思った。
大きな交差点を通過するのに、30秒ほど要するが、青信号は10秒ほどで消えて、手の平が出て20秒ほど点滅に変わる。信号を待って歩き出しても、渡るのに忙しい。小さい交差点は20秒ほどで信号は変化する。歩行者よ、早く歩けと言わぬばかりである。
Campbell Valley Park にて
Campbell Valley Park 1
Campbell Valley Park 2
Campbell Valley Park 3
Campbell Valley Park 4
高橋邸にて
高橋邸にて 1
高橋邸にて 2
6月9日
コース
ホテルVancouver 9:00―Hope 10:35―Meritt 昼食 12:00〜12:35―Kampool 13:50―Salmon Arm(コーヒー)15:05〜15:40―Last Spike 16:40―ホテル Revelstoke 17:20
今日からカナデァンロッキー方面へ向けて遠出する。車は16人乗りの車、ドライバーは石井幸夫さんである。ホテルを出発して1号線を走る。昨日はcampbell Valley公園へ行ったときと同じ道路を走り、Langleyで分かれて1号線をさらに走り続けた。Hopeに入る。これより先Kamloopsへは1号線より、有料道路である5号線の方が距離も短く時間的にも早い。また今日中にRevelstokeまで足を延ばさなくてはならない。結果的に車だけで8時間半643km走った。
途中雪に覆われた山々が見え始めた。12時に近いので昼食を取るために、高速道路を降りてMerittの街に入る。昼食に便利なのは何と言ってもサンドウイッチである。ドライバーの石井さんが探した。全国にチェーン店を持つSubway店に入った。一列に並んで順番を待つ。すると、パンは何にしますか、大きさは、ハムですかチーズですかローストビーフですかと、矢継ぎ早に声がかかる。野菜は、かけるソースはと、あれだこれだと指を指しながら注文し、終わると包んでくれる。コーヒーはと催促されて、合計金額締めて6ドル50セントを支払った。
パンの長さはフルサイズ12インチ、前の人が6インチで注文したので、私はSameと言った。食べ終わったらSubwayで6インチが通り相場になった。しかし、私には量が多過ぎた。
また車は5号線を走り、料金所手前で車を停めて小休止した。後方に雪山が見える。高橋さんの話では、この地区は冬季によく雪崩が起こるので、積った雪を砲など使って、積極的に雪崩を落としていると言う。今は季節的に非常によいので雪崩などの心配もなく、雪を覆った山々を眺めながら走り続けて、Kamloopsから1号線に戻り走った。
Last Spike
どこからか道路と平行して鉄道線路が見えて来た。貨物列車が走って来た、長い長い貨物列車だ、何両くらい連結しているのだろう、100両くらいは引っ張っていると言う。機関車が前後と中間で運転をしている。
Salmon Armでトイレ休憩タイムを取り、車はしばらく走り右折して停止した。
カナディアン太平洋鉄道(バンクーバー〜カルガリー)の記念すべき場所Last Spikeである。
1885年11月7日、最後の線路を繋いだ地点である。資料によると、カナディアン太平洋鉄道(The Canadian Pacific Railway)はバンクーバーからカルガリー間、約1,000kmを建設した。話によると、現在は貨物が主体で利益を上げているが、客車は赤字であるとのこと。観光客を乗せて走る列車は期間限定で走っているとの話であった。
山に差し掛かると、雨が降り時々強く降りフロントガラスのワイパーも忙しくなる。ある町に入ると道路は乾いているところもあった。
今宵の宿、Mt. Revelstoke National Park内にあるホテルに着く前に、ドライバーの石井さんが展望台まで案内すると言う。車は山道を登って行き、ゲートまで来ると、今日は終了したと言う。時計を見ると5時を過ぎてしまっていた。残念と思ったが致し方がない。車は戻り国立公園内の山の中腹にある、The Hillcrest Hotel a Coast Resortsに着いた。
このホテルには温泉があるが、車で疲れているので止めようか思ったが、高橋さんが温泉に入れと誘うので、部屋へ戻り水着に着替えてから温泉に入り楽しんだ。
ロッキーへの道 Kamloops 付近
Last Spike 1
Last Spike 2
Revelstoke Coast Hotel & Resorts
Revelstokeより雪山を望む
6月10日
コース
ホテルRevelstoke 8:30―峠9:20通過―Golden 10:15(時差1時間調整11:15)―Field―エメラルド レイク 11:55〜12:05―滝12:55―Mt.Table Mt.アイゼンハァー(車中より)13:35―Banff(昼食)14:00〜15:00―Calgary(スキージャンプ台)16:10―Drumheller ホテル18:40
朝起きて外へ出ると、道は昨夜の雨で濡れていたが、今朝は晴れて遠くの雪山が見えた。部屋へ戻りカメラを持って来る。遠くに見える雪を覆った稜線は、どの辺の山々だろうか。ホテル周辺を歩き、雪山の良く見る場所を選んでシャッターを押した。仲間も写真を撮っていた。
ホテルを出発した。車は一路Banff方面へ向って走る。Rogers Passに差し掛かると、ここはGlacier国立公園内を走り続けている。
Goldenを通り過ぎて、Fieldに着いた。ここはもうYoho国立公園内である。左折してエメラルド レイクヘ向った。駐車場には観光バスが何台か停まっていた。小雨が降り、雲が低く垂れ下がり山は煙っている。しかし、湖は紺色の水を湛えて、波はなく静寂そのものであった。カヌー小屋もあったが、一艘も出ていなかった。
濡れた木橋を渡り、再び湖の縁に立ったが山頂は雲の中に隠れたままであり、ガスが切れて一瞬対岸に雪渓が見えたが、すぐガスの中に消えてしまった。
木道から戻る途中、湖の上にMt.Burgess 2583mが顔を出した。晴れていればなぁと思ったが残念であった。エメラルド レイクは青色と静寂だけが心に残った。
Fieldへ戻る途中滝に寄った。岩と岩との間を潜り抜ける滝Natural Bridgeである。橋を渡ると滝の展望台に出た。急流が岩を削り、岩の橋と滝が出来上がるまでの過程を説明していたが、読んでいる暇はなかった。
車はFieldへ戻り、1号線をバンフへ向けて走った。バンフに着くと大きな街である。以前来たことのある人は、街の変わりように驚いていた。時計は午後2時を回っている。小雨も降っている。各自好みの食堂で食べることにしたが、大部分の仲間たちはラーメン店に入った。10人ほどで一杯になる小さな店で、我々以外にも日本語が聞こえてくる。カナダに着いてまだ日は浅いが、郷愁の想い出でラーメンを食べた。とにかく美味しかった。
今夜の宿はDrumhellerである。ロッキー山脈を越えて平原に出たが、まだまだ先は長い、Calgaryの街に入った。かつての冬季オリンピックのジャンプ台が右手に見えた。1号線とも分かれて21号線に入る。すると道路は見渡す限り一直線である。やっとDrumhellerの宿に午後6時40分に着いた。
日はまだ高い。部屋に入るとベッド一つとソファしかない。どうしてくれる、ソファで横になるのかと受付で説明を受けると、ソファがダブルベッドに早代わりして安心した。
翌日部屋へ戻って来ると、ダブルベッドが畳まれてソファになっていた。連泊するのだから、そのままにして置いて欲しかったが、ソファを再び広げることにした。
今日はロッキー山脈を越えて車で走った距離は574 kmで8時間30分掛った。ドライバーの石井さんは仕事とは言え疲れたであろう。もう遅いのでTravelodge隣りの食堂で夕食を済ませた。
エメラルド湖より Mt.Burgessを望む
6月11日
コース
ホテルTravelodge 8:40―The Buffalo Jump 10:15〜11:30―昼食13:10―Royal TYRRELL Museum 13:35〜17:10―ホテル17:20 18:00―夕食中華料理店 18:20〜19:30―ホテル20:00
The Buffalo Jump
Druheller Travelodgeを出て、高橋さんが企画した The Buffalo Jumpへ向った。ドライバーの石井さんも初めてである。詳細は高橋さんが、記憶を頼りに車を案内した。大平原の中、9号線・56号線一直線の道路を北上する。道路脇に囲いがあり、原油の汲み取り口である。やっと探した Deer Riverの断崖絶壁の上に立った。“The Buffalo Jump”の立札がある。見下ろすと昔を思わせる場所である。観光客は我々以外に誰も来ていない。
想像したこの断崖に野牛を追い込んで狩猟したのだろう。この大平原に野牛がいつ頃からいたのだろうかと・・・・・・。
野牛の狩猟は700年から2800年前、かなり昔から先住民たちによって行われていた。恐らく先住民が総勢参加して、野牛を遠巻きにして追い出し、この断崖に追い込んで殺傷させたのであろう。その野牛の皮は衣類に、肉は食料に、骨は道具などへ加工された。原始的な野牛の大量狩猟である。
車で崖下へ行った。下から断崖を見上げると、その時の凄まじい状況が頭に浮かんだ。今もDeer Riverがあり、流れは緩やかで小鳥が囀っていた。現在はハイキングコースとなり、川岸にはテーブル・ベンチが置かれて、カヌーの出発点にもなっていた。
Royal TYRREL Museum
次にDrumhellerへ戻る途中に、Royal TYRREL Museumへ向った。世界でも有名な恐竜博物館である。
1884年Young J T TYRRELが大平原のバットランドで、中生代・白亜紀(6500万年前〜1億4500万年前)の恐竜アルバータザウルス頭部の化石を発見した。このバットランドで恐竜化石をさらに発掘し続けて、ここに恐竜博物館(Royal TYRREL Museum)を建設した。
バットランド周辺は中世代(6500万年前〜2億4500万年前)・白亜紀(6500万年前〜1億4500万年前)に栄えた恐竜である。
入館料は10ドルであるが、シニアは8ドルであった。入館すると、恐竜標本が並んでいる。それも恐竜類で最も強くて獰猛な恐竜、テイラザウルス(Tyrnnosaurus)、身長15m、肉食恐竜が待っていた。子供連れのカナダ人が大勢来館していた。
次室に入ると、解説者が石膏で外側を固めた恐竜化石を、一つ一つ丁寧に泥などを落としながら、説明し部分部分を整理していた。説明が充分に理解出来ればさらに面白くなると思った。隣のガラス越しの部屋では大掛かりな機械で、化石を整理していた。2階から下の展示室を眺めると、こちらは恐竜の骨格標本が並んでいた。
部屋ごとに解説者がいて、質問に答えていた。その中の一つに、テイラノザウルス恐竜の歯を置いて、肉食恐竜の歯の鋭さについて、子供たちにそのザラザラした歯を触らせて、肉食恐竜と植物恐竜の歯の違いを説明していた。
恐竜骨格の展示室では、身長15mの大型恐竜がこの世に生息していたと想像するだけでも驚きである。その恐竜がある時から姿を消すなどとは夢にも思わなかったが、なぜ恐竜が絶滅したのか、色々と説はあるが理解は出来なかった。また、恐竜が絶滅してなぜ爬虫類・哺乳類などが生き延びたのだろうかと、推理すると不思議である。
また、話を現代に戻して、この地球には、知能の発達した人類がお互いに争って殺し合いを繰り返している。人類が恐竜と同じように絶滅したら、その次に栄える動物は何であろうかと話題になった。それは蟻ではないかと言うと、仲間たちはウーンと頷いていた。
博物館を出て、恐竜化石を発掘した現場周辺を散策した。化石が露出していれば容易であろうが、この広大な土地のどこに埋没しているか、分からない化石を発掘することは容易なことではない。
世界的に恐竜化石の産地は
バットランド (カナダ)
ゴビ砂漠 (モンゴル)
グレート リフト バッレー (アフリカ)
など各地で発掘が続けられているが、発掘には多大な時間とコストがかかるので、現在は効果的に化石を探す方法として、
1 GPS(全地球測位衛星網)での位置確認
2 振動を利用したトモグラフィー
3 骨と地層との違いを電磁波の利用
などで探索も可能になっていると聞いている。この方法は考古学にも応用されていると言う。
Drumhellerの町を散策しながら、夕食場所を探すことになった。
この町には世界的に有名な恐竜博物館があるが、まだ観光客は少ない様子である。町自体は閑散としていたが、市側としては、恐竜で町起こしに苦労している様子が窺えた。大きな恐竜模型を飾り、案内所を設置し、無料駐車場を用意して、観光客を待っているようであった。
町中の中華料理店を見付けて、バイキング方式での中華料理を楽しんだ。
Drumheller Travelodge
Drumheller Travelodge 隣のRestaurant
The Buffalo Jump 1
The Buffalo Jump 2
Royal Tyrrel Museum
Royal Tyrrel Museum 2
Drumheller 1
Drumheller 2
恐竜の種類
種類 |
分類 |
身長 |
食性 |
内容 |
1 アルバータザウルス (ALBERTASURUS) |
獣脚類 |
8m |
肉食 |
立つことが出来る 動作は鈍く生きた動物を捕らえることは困難 死んだ動物を食べる |
2 テイラノザウルス (TYRANNOSAURUS) |
獣脚類 |
15m |
肉食 |
立つことが出来る 最強恐竜 歯が鋭く歯にギザギザがある 肉食に適する 鋭い爪がある |
3 ステゴザウルス (STEGOSAURUS) |
剣竜類 |
9m |
植物食 |
おとなしい 背中に剣がある |
4 トリケラトポス (TRICERATOPS) |
つの竜類 |
9m |
植物食 |
速く走ることが出来る 時代最後に栄えた |
アルバータザウルス
テイラノザウルス
ステゴザウルス
トリケラトポス
6月12日
コース
ホテルDrumheller 7:55―朝食―Red Deer 10:20―Rocky Mountain House(昼食)11:35〜12:10―Saskatchewan Crossing 14:00〜14:15―Peyto Lake展望台 14:45〜15:15―Lake Louis 16:00〜17:00―Moraine Lake Ten Peaks 17:15〜18:00―Banff Inn 19:00―夕食KAB 19:30―ビーバー探検―ホテル 23:30
DrumhellerからBanffへ向う。高橋さんの企画でRocky山脈を越えて行くことになった。Drumheller Travelodgeの朝食は朝8時と遅いので出発して、途中マクドナルド店でサンドウイッチを買い、店内は人で一杯のため、車の中で朝食を済ませた。道路は大平原に一直線に延びている。貨物列車が走っているのが見えた100両ほどはあるだろう。貨物の殆どは小麦だと、ドライバーの石井さんは言う。
Red Deerで小休止して、西へ車を走らせて、ロッキー山脈へ向う。初めは大平原の中を走り、水平線上遥かかなたに低くロッキーの山々が見えると言うが、私には見えなかった。11号線を走りRocky Mountain Houseに着いた。昼食を取り走り続けた。ロッキー山脈が見えてくると、11号線は川沿いに走り、カーブは多くなって来たが道路は2車線で立派である。雪を覆ったロッキーの山々が前方と横側にも見え、ある時は川越しに見えてきた。車内でカメラを取り出し、運転席脇で、前方に見える山々を交代でシャッターを押した。ロッキー山脈の中へ入れば入るほど、山は大きく雪の積った岩肌も凄みを増して、雪山が壁のようにそそり立っている間を通って、ロッキー山脈中の交差点、Saskatchewan Crossingに着いた。小休止を取りカレンダーと絵葉書を買っている内にもう出発の時間になった。
昔のロッキー越えは非常に困難であったと言う。3000m級の山々が壁のごとく立ちはだかっていたが、現在は立派な道路が出来て観光も盛んになって来た。
Peyto Lake
93号線をバンフへ向って走る。途中観光するところはたくさんあるが、Bow峠2068mを越えて右折して登るとPeyto Lakeがある。
駐車場に着くと、観光バスが何台も停まっている。展望台へ急ぐと大勢の観光客がいた。展望台より見下ろすとPeyto Lakeがトルコブルー色をしていた。湖の周囲は雪を覆った山々に囲まれている。この湖はPeyto氷河が後退して出来た氷河湖で、素晴らしい景色であった。
解説版があり昔の写真もあった。1885年この展望台から見えるところに氷河があったが、現在は後退して氷河は全然見えない。どこでも見られる現象であるが、温暖化の影響がここまで来ているのかと・・・・・・。
次から次へと観光客が来ては写真を撮るのでゆっくりしている暇などはない。
この季節は山に雪があり、風景が一番美しい時期でもある。遊歩道脇の樹林帯内にはまだ雪が残っていた。
車は次の駐車場Crowfoot Glacier展望台に着いた。川向うにクロウフット氷河が見えた。岩と岩との間に氷河が垂れ下がっている。下部の細くなったところが烏の足だと言う。昔は3本あった指が今は2本になってしまったと説明していた。
Lake Louise
Lake Louiseはバンフ国立公園でも最も有名な観光地の一つである。“ロッキーの宝石”と呼ばれ、世界十大絶景の一つと賛美されている。1882年エメラルド レイクと名付けられたが、その2年後、ビクトリア女王の娘ルイーズ カロライン アルバータ王女の名に因んで“Lake Louise”と呼ばれるようになった物語がある。
車から降りて、一時間の散策時間をとった。あまりにも有名なこの地に、たくさんの観光客が楽しんでいる。
紺碧の湖と左側にMt.Fairview 2,744mがあり、湖の前方にはビクトリア氷河とMt.Victoria 3,459mなど雪山の景色が待っていた。湖上にはカヌーを漕ぐ人たちもいた。湖畔の道を奥へ行けば行くほど観光客は少なくなった。立札があった、ここは熊の地域、注意して下さいと案内があった。
写真を撮りながら歩いている内に、仲間から遅れ出した。するとザイルを肩に掛けた若い男女が帰って来た。この奥にいろいろなトレイルがあると言う。
振り返り眺めると、レイクルイーズ畔にある最高級のホテル The Fairmont Chateau Lake Louise が陽を浴びて建っていた。
散策を終えて駐車場へ戻って来ると、かって冬季スキーにこのバンフに来た仲間が指差しながら、あのスキー場で滑ったなどと話題を広げていった。
Moraine Lake
高橋さんがMoraine LakeはLake Louiseより美しく静かな湖で、彼自身はこの湖の方が好きだと言う。
車を駐車場に置いて、モレインを登り始めた。この湖は氷河が後退して出来た氷河湖である。モレインの上に立った。我々以外に数人の観光客がいただけで静寂そのものであった。眼下には紺碧の湖、両側低いところは緑の樹林帯、その上に湖を囲むように雪を覆った峰々がずらりと並んでいる。Ten Peaksと称せられる山々である。右側から数えた、一つ二つ三つと数えると10峰に足らないと言うと、もっと左側まで数えろと言う。左側2峰の雪のない岩峰まで含まれている。数え直したら10峰になった。Ten Peaks 大袈裟に言うと180度半円形湖を囲んでいる。
高橋夫人が言う。カナダ旧紙幣20ドルの裏面にこのTen Peaksがあったと言う。その紙幣は今手元にない。
出来れば一日掛かりで歩いて、湖を見て、峰を眺めながら散策が出来ればと思ったが、それは無理と言うものである。
車はBanff Innに午後7時に着いた。今日の走行距離は702km、東京から岡山近くまで走った距離になった。
高橋さんは我々のために気配りをしている。ステーキの美味しい店があると言う。荷を解く暇もなく夕食に出掛けたが、その店はもうなくなり、ホテル近くの店KABに入った。客が一杯で日本語メニューもあり、ビールで乾杯して食事に入った。
ビーバー探検
夕食を済ませてからビーバー探検に行くことになった。道路から離れて樹林帯に入ると、もう真っ暗である。鹿の鳴く声と鹿の目だけが光っていた。
道路に出て運よく洗車していた人がいた、仕事が終ったところだと言う。観光会社の日本人であった。高橋さんがビーバーについて話をすると、Vermillion Lakeの岸辺まで車で案内してくれた。
真っ暗でも水は静かに流れている。指差しながらあそこにいる、波が立っている。皆の目は指差す方を見ているが、私には何も見えない。ほらあそこだと言われてもだめであった。時間が過ぎて、さあ帰ろうと今来た道を戻り、バンフ駅まで来て、ホテルの建ち並ぶ道を歩きながら、今宵の宿Banff Innに着いた時はすでに午後11時30分を回っていた。
ビーバー Beaver
ビーバーはカナダ国立公園のシンボルマークに使われている。体長は75〜130cmほどで、生息地は川や沼の水辺に住む夜行性の動物である。巣は陸上にあるが、一旦水に潜り陸の穴に住む。木の樹皮や新芽を食べているが、歯が鋭く直径2mほどの大木も2日間ほどで倒すと言われている。またなかなか見ることが出来ない動物だと言われている。
Subway店 昼食
ロッキー山脈越え 1
ロッキー山脈越え 2
ロッキー山脈越え 3
Peyto Lake 1
Peyto Lake 2
Peyto Lake 3 2008年
Peyto Lake 4 1885年
Crowfoot Glacier 1
Crowfoot Glacier 2
Lake Louise 1
Lake Louise 2
Moraine Lake 1
Moraine Lake 2
Moraine Lake 3
Moraine Lake 4
Moraine Lake 5
6月13日
コース
ホテルBanff Inn 8:00―ラジューム温泉入口 10:00〜10:10―Crarbrook(昼食 洋食)11:50〜13:20―Yahk 14:10 SL機関車― Creston 15:05 国境の町 左USA―Salmo 15:40―Nelson 16:35―17:12時差一時間戻す16:12―Ainsworth Hot Spring Resort 16:25
ホテルBanff Innを出発して、Lake Louise方面へ1号線を走り、途中から左折し93号線に入り、Rocky山脈を越えると、そこはもうKootenay国立公園で、山間を下りながら走ると、ラジューム温泉、93号線と95号線との合流点に着いた。
さらに南下して、12時少し前に、Crarbrookの街に入った。昼食を約1時間の予定で車から降りた。青空食堂があり、木陰で食べている。これもよいなぁと思ったが皆は気が進まなかったらしい。広い道の両側を見ながらレストランを探した。
クランブルック レストラン
レストランに入ると中々立派である。我々10人のためにテーブルを並べ替えて両側に腰掛けられるように整えてくれた。
昼食であるので簡単に済ませるつもりが、中々注文を受けに来ない。主菜を1,2選んで、手を上げ数えて注文すれば良いと思っていたが、このレスランはそうはいかない。メニューを持って来て一人一人に注文を聞いている。これが本来のレストランのマナーである。
私の注文する番になった、主菜はベジタブル・クロワッサンと決めると、スープは、サラダはと、次にソースはイタリアンソースですか、ガーリックソースですかと、段々注文が細かく聞いてくる。一人決めるのに時間がかかり、これが10人となると大変である。出発時間が刻々と過ぎて行く。全員が注文終っても、次は中々運ばれてこない。昼食を食べ終ったら一時間半も過ぎてしまった。簡単に済ませようと思ったが、そんな訳にはいかなかった。しかし、これがレストランで訓練されたウエイトレスのマナーである。時間のことは気にしていたが、美味しい食事を取ることが出来た。
SL機関車
3号線は鉄道と平行して南下している。Yahk付近で、右側に貨物を連ねたSL機関車が停まっていた。我々も車から降りて線路内に入り、SL機関車を取り囲むようにして写真を撮った。線路上に作業服を着た人が、機関士と何やら話をしていた。どうしたのだろうかと思ったが、先があるので引き上げた。
3号線を走りCrestonに入る。もうここはカナダとアメリカとの国境の町である。左へUSAと案内があった。地図上では国境に平行して走っているが、全然そのようなところを走っているとは考えられなかった。
高橋さんの話
太平洋横断鉄道を無蓋車で石炭を運搬している時、無蓋車の粉炭が沿線に飛び散りクレームになっていた。彼は無蓋車に積み込まれた石炭に、酢酸ビニール系の樹脂を吹き付けて飛散を防ぐ実験をしていた。また散布した石炭が燃焼時に無害であることが必要条件でもあった。ある時石炭を積み込んだ貨車に乗って輸送実験に成功したことの話を聞かせてくれた。
車は6号線に入り北上して、Nelsonを過ぎて、クートニィ湖畔にある、今宵の宿Ainsworth Hot Spring Resortに着いた。
Ainsworth Hot Spring Resort
クートニィ湖畔高台にある、Ainsworth Hot Spring Resortで部屋割りが決まると、そのルームナンバーの書いてある紙を持って、3階の通路から温泉プールへ行くことが出来る。水着に着替えて脱いだ衣類を袋に入れて預けた。日本以外の温泉は殆ど水着を着ての混浴である。大きな温泉プール、目の前はクートニィ湖を見下ろす高台にある。仲間たちが三々五々プールに来た。カメラマンもやって来たので、プールサイトの手摺りに掴まり、上半身を出してカメラに納まった。温泉プールより上の洞窟のある方が、温度が高いのでこぞって移った。なるほどよい湯加減である。洞窟の中へ進むと鍾乳洞がそのまま温泉になっている。腰丈から胸丈と深くなり、一番奥に温泉源からの湯が流れ出ている。一周して洞窟の外へ出た。広々とした温泉プールに水着を着て、周囲の景色を見ながら楽しむところである。
夕食はホテル最上階のレストランで会食となった。
Banff 1
Banff 2
SL機関車 Yahk付近 1
SL機関車 Yahk付近 2
SL機関車 Yahk付近 3
Ainsworth Hot Spring 1
Ainsworth Hot Spring 2
Ainsworth Hot Spring 3
Ainsworth Hot Spring 4
6月14日
コース
ホテルAinsworth Hot Spring 8:40―Nelson 9:25―Castlegar 9:55―Grand Forks 11:25―Green Wood 12:00―Osoyoos展望台12:50―Camp場(昼食)14:25〜15:15―Pentiction 16:15―Princeton (食材購入)16:45―Manning Provincial Park17:40
ホテルを出発して3号線を走り、Castlegarを過ぎ、さらに南下して、カナダとアメリカの国境沿いに3号線を走る。この周辺は1840年代・1900年代と2回ゴールドラッシュに沸いた町であり、開拓時代に住みついた町の名残りがあると言う。
峠を越えると、前方に雪を覆った山々が見えた。カナダの山々であろうか、アメリカの山々だろうか。Osoyoo Lakeが見える見晴しで車を停めて眺めた。湖の真中を道路が横切り先へ延びている。
ドライバーの石井さんの話では、このOsoyoo Lakeはバンクーバーの人達の別荘地で、湖でボートに乗り、水上スキーなどを楽しんでいると言う。
昼食時間は過ぎているが、どこで食べようかと考えていると、高橋さんの話で、サンドウイッチを購入して、この先、池がありベンチのある所で食べることになった。車を走らせたが、その場所は水が乾しあがって休むところがなくなってしまった。
Ashnora Camp Ground
昼食用にサンドウイッチを買ったけれど、どこか良い場所がないかと探しながら車を走らせると、キャンプ場の案内を見付けた。ここなら大丈夫と左折して橋を渡ったが、行けども行けどもキャンプ場はない。間違いなく案内板を見た。川沿いを走ること8km先にインディアン経営のキァンプ場があった。午後2時半になろうとしていた。やっと見付けた食事場所、キャンプ場にあるテーブル・ベンチに腰掛けて食べることにした。暑いので木陰にあるテーブルを探してやっと落ち着いた。松林もあった、大きなマツボックリが落ちている、拾って見ると手の大きさほどもあり、とげが痛い。また草原にはアネモネが咲いていた。宮本さんも大きなマツボックリを拾っていた。キャンプ場管理棟の近くで、皮の鞣をしていた。思わぬキャンプ場での昼食を済ませて、元の3号線へ戻り車を走らせた。
今宵の宿Manning Park内のロッジに宿泊するために、Princetonのスーパーに寄って、夕食の食材を高橋さんとご夫人たちが買物に行った。
Manning Provincial Park
3号線脇にManning Parkの入口がある。公園の管理棟の近く草原にリスGrand Squirrel一般名Goferがいた。カメラを向けても逃げない、さらに近づいて写真を撮ろうとすると逃げてしまう。逃げてもすぐその先で立ち止ってはこちらを見ている。2本足で立つこともある。近づけるが中々よい写真は撮れないものだ。
管理棟もホテル並みでロビーもある。高橋夫妻と望月夫妻は管理棟内の部屋に宿泊する。その他6人はコッテイジに宿泊することになった。Cottageに行くと2部屋・ロビー・台所・シャワーが付いている。1部屋1ベッド・もう1部屋は2段ベッド2組・ロビーにあるソファーを広げるとダブルベッドになる。そこで宮本さんは1部屋1ベッドに決めて、残り5人はジャンケンで寝るところを決めた、私は2段ベッドの上段になった。
Cottageにもシャワーはあるが、管理棟近くに温水プールもあり、好きな方を選んだ。
夕食は我々が宿泊するCottageにドライバーの石井さんも含めて全員集合した。台所はオーブン・冷蔵庫と近代設備が揃っている。途中で購入して来た野菜・スパゲッティなどで、高橋さんが料理を作り始めた。野菜サラダ・何種類ものスパゲッテイを作り、テーブルを囲んで席に着いた。ビール・ワインで乾杯し、話に花が咲いた。日本では考えられないCottageであった。
Osoyoos 展望台にて
Camp場 1
Camp場 2
Manning Park 1
Manning Park 2
Manning Park 3
Manning Park 4
Manning Park Cottage 夕食会 今野元治氏 撮影
6月15日
コース
Manning Park Cottage 8:30―展望台8:45〜9:25―Lightning Lake 9:55〜12:10―Manning Park Restaurant(昼食)13:30〜14:30―Hope 15:00―Vancouver 高橋邸 16:45―ホテル17:00
Manning Provincial Park
Manning Parkは静かな州立公園で小鳥の囀りで目が覚めた。昨日購入してきたパンで朝食を済ませる。車で展望台へ、山並みの突端が駐車場・展望台になっている。それから先は山へのトレイルになっている。
雪を覆った山々が見える。The Three Brothers PeaksでUSAではMt.Winthrop と呼ばれている。青空のもと雪山と緑の森に青い湖が見えた。
展望を楽しんだ後、俯瞰した湖へ行くと言う。この湖がLightning Lakeである。駐車場に車を置くと、子供連れの親子が来ていた。それにしても人が少なく静かである。反対側のレイクサイドを歩き出すと、魚釣りをしている人がいた。こんもりとした森の山道脇に、黄色い花を咲かせた小さなミヤマキスミレなどがあった。トレイルの所々に雪がまだ残っていた。切り倒された木があり、樹齢200年ほどだと言う。年輪が同心円で切り口も見事であった。湿地帯にはやっと芽を出し始めたものもあった。Lightning Lakeを二分するかのように橋が架かっていた。湖に一人乗りのカヌーを漕いでいる人がいた。我々の仲間が橋の上から話かけていた。奥を眺めると、雪を覆った山、両側は緑の森で、手前が青い湖でカヌーが浮いていた、素晴しい景色である。
キャンプ場もある。今日は日曜日でキャンプを楽しみに来ていた若者たちもいた。またこの公園内を車でパトロールしていた人にも出会った。ゴミは一つも落ちていない。ゴミ箱は斜め箱型で手を入れて押すと、鍵が外れて蓋が開くようになっている。熊防止のゴミ箱で、どこの公園を歩いても同型のゴミ箱は設置されてあった。Lighting Lakeに架かっている橋を渡って半周し散策を楽しんだ。
Manning Park管理棟まで戻り、隣接するレストランで昼食を取った。午後2時半に公園を出発して一路バンクーバーへ向ったが、すぐ、1965年に発生した地震で、広範囲に起った山崩れHope Slideの現場を見た。今も山崩れした土砂の下に、バスが埋まっているとのことであった。
またトラックが道路に横倒しになり、道路を塞ぎ警備員が整理や、車の誘導をしていた。カナダは車社会で、今回かなり長い距離を走ったが、大きな事故に遭遇しなかったことは幸いであった。
松喰い虫の被害
Lightning Lakeの湖畔にある松林はほとんど全部が枯れていた。案内板を見ると、松喰い虫の被害であると書いてあった。
車で走行している時、森林に枯れている松林がある。これも松喰い虫の被害だと高橋さんは言う。以前は松喰い虫の被害に遭うと、殺虫剤を散布して、被害を最小限に勤めてきたが、効果の効き目はなく被害は広がるばかりで、現在は手の付けようがないので、野放し状態であるとの話であった。
日本でも松喰い虫の被害があり、松木を切り倒し焼却している地域もあるが、野放し状態になっているのが現状である。世界的な問題の一つである。
野生動物の保護
高橋さんの話では、原則的に野生動物にはエサを与えないことになっている。野生動物は野生食料で自活出来るように指導している。人間が人工的にエサを与えると、人工的な病気が発生するのを防ぐためだと言う。
私が日本で、バスを待っているとき、ある女性がカラスにエサを与えていたので、与えないように注意したら、その女性が私に愛鳥運動と言うのを知らないのかと言われたこともあった。野生動物に対する違いがここにもあったのかと・・・・・・。
ドライバー石井さんの話
今年(2008)のゴールデンウィークに、日本からの観光客が少なくなったと言う。以前はゴールデンウィークと言うと、観光会社は稼ぎ時で忙しい時期でもあった。しかし、今年は非常に少なかったとのこと、これは日本経済が低迷し、旅行も“安近短”の観光になったのかと言っていた。
車をバンクーバーに向けて走り、車内でこのような話をしながら走り続けた。先ず高橋邸に立ち寄り、高橋夫妻にお世話になったお礼を述べて、我々は前に宿泊したホテルに着いて、ロッキー山脈の旅を終えた。何んと走行した距離は、7日間で3,000kmを超えていた。
松寿し
夕方高橋夫人から聞いていた、宿泊しているホテル近くにある寿司屋松寿しへ行った。カナダに来て始めての日本食である。各自好みの寿し、ちらし寿しか、にぎり寿しを注文した。
ロッキー山脈の長旅が終ったので、ビールで乾杯しようと、ビールを注文したら置いてないと言う。何と言うことかと思ったが、残念であったが仕方がない。注文した寿司そのものは、見た目には日本の寿司と、食材の種類、新鮮さに差はない。郷愁の念もあって美味しかったが、海苔巻きだけはいただけなかった。海苔が厚くごわごわした感じであった。
この店の客を見ると、結構日本人以外の人たちが食べていたことは、店の経営としてはよいことであった。隣は日本食材を売っているスーパーで、店の中を覗いて見ると、米が1kg当り3.3ドル、USA製ミツカン酢、日本製キッコーマン ショウユなども売っていた。
Manning Park 5
Manning Park 6
Manning Park 7
Manning Park 8
Manning Park 9
Manning Park 10
Manning Park 11
Manning Park 12
6月16日
コース
Best Western Coquitlam Inn 10:10―スーパー―電車(Sky
train)Lougheed town center 11:25―Water front 12:00―
Down town 買物―亀井鮨(昼食)14:00―(Sky train)Water
front―Lougheed town center ―ホテル16:30
電車に乗ってバンクーバー繁華街へ行くことにした。一方宮本さんは高橋さんと一緒に高橋邸近くの広い病院の森を見に行くことになっている。高橋さんがホテルに来て、一番近い駅Lougheed Town Centerへ出掛けて、途中スーパーに立ち寄り駅に着いて高橋さんと別れた。
先ず乗車券の購入、自動販売機に向って、行先が各ゾーンに区分され値段も異なる、コイン使用で、自動販売機に向っていると、駅員が来て乗車券片道2.5ドルで購入を手伝ってくれた。
電車(Sky train)は高架式で繁華街に入ると地下に潜る。改札はない、電車は無人で2両または4両で運転をしている。行きは途中で乗換えて、終点Water frontで下車して、カナダの土産品メープルシロップ・海産物などを売る店を高橋夫人に教えて貰ったが、現在位置の確認、店のある道路を探すが分からず、集団迷子になっていると、道を教えてくれる人もいた。大橋巨泉の店OKショップに入り、私はメープルシロップとメープル菓子を購入した。
12時を大分過ぎている。昼食をとるためにビル2階の亀井鮨に入った。店は満席であり、どうしようかと考えてもどうしょうもない。少し待っていると店の人に導かれて中に入る。座敷部屋で掘り炬燵になっていた。カナダに来て諦めていたビールを尋ねるとあると言う、早速注文する。料理は好みもあったが、天ぷら・寿司・うどんなどの組み合わせが多かった。
日本人女性店員が我々日本人観光客と見て、味は如何ですかと尋ねられて、美味しいと答えると、有難うございますと丁寧に挨拶された。日本食に満足して、土産品も購入したので、また電車でホテルへ戻ることにした。
帰りは少し遠回りになるが、乗換えなしの電車に乗って無事に駅に着いた。
晩餐会
カナダ最後の日となった。バンクーバーで宿泊している、Best Western
Coquitlam Innのクラブで晩餐会をした。お世話になった高橋夫妻を中心に、用意されたテーブルに腰掛けた。乾杯を合図に始まった。
約2週間、カナダ旅行 3000km、世界的に有名なUBC人類学博物館・Campbell valley park・世界有数の恐竜博物館・山に雪を覆ったロッキー山脈・Ainsworth hot spring・Manning parkなどなど、一般観光客が行かない静かな州立公園や、珍しい博物館などの思い出を語りながらの夕食会であったが、語り尽くせない内に夜が更けていった。
バンクーバー 1
バンクーバー 2
バンクーバー 3
バンクーバー 4
Vancouver Coquitlam Inn にて 晩餐会
6月17日
コース
ホテル バンクーバー 11:15―バンクーバー空港 12:05―搭乗開始 14:55―空港発15:20―アラスカ上空 18:15―成田空港16:25(日本時間6月18日)―成田空港第2ビル18:02―東我孫子18:50
今日は日本へ帰る日になってしまった。日の経つのは早いもの、カナダに来て12日目、想い出を一杯詰めての帰国である。
Best Western Coquitlam Inn に高橋夫妻が見送りに来てくれた。
カナダ旅行大変お世話になりましたと、高橋さんに一人一人が握手をした。高橋夫人は2010年にバンクーバーで冬季オリンピックがあると、予告のバッチを頂き、手を振りながら後ろ髪を引かれるように別れた。
一路バンクーバー空港へ、「あれ!石井さんだ」ロッキー山脈でお世話になった、ドライバーの石井さんが空港出発場所にいたので、お互いにびっくりした。
出国手続きを済ませて、各自店を見ていた。私は手持ちのカナダドルをどう処分するか考えながら店を覗き見ていると、鴨が来たかと思って、何かお探しですかと尋ねられた。残金8ドルが残っているので、買えるものを探していると言うと、案内してくれて、カナダ銘菓?メープル菓子であった。まお残金で絵葉書を買って、カナダドル全部使ってしまった。
集合時間、75番ゲート集合場所に行くと、ゲートは閉ざされたままで、長い列が出来ていた。係員が搭乗券をチェックしている。搭乗時間が刻一刻と過ぎて行く。3人の警察官が来て、1人の搭乗客を捕らえ、並んでいた列から離れて、私が腰掛けて待っている目の前で話をしている。パスポートは1人の警察官に取られ、手荷物は別の警察官が開けて調べていた。一瞬の出来事の後、その搭乗客は3人の警察官に連行されて行った。何があったのかと気付いた搭乗客は何人もいなかった様子であった。予定時刻も過ぎてから、ゲートが開き搭乗手続きが始まった。
飛行機内に乗り込み、5分遅れて離陸した。太陽を追って西への飛行で、ふと窓から下を眺めると、真白な土地の上空を飛行していた。アラスカ半島の上空だろうか・・・・・・。
日付変更線をいつ通過したのか分からなかったが、6月17日から18日になっていた。夜がない内に日が変っていた。バンクーバーを出発したのは6月17日午後3時20分で、成田に着いたのは6月18日午後4時25分であった。全員無事に成田に着いて解散した。
アラスカ上空
参考資料
1 地球の歩き方(カナダ西部) 編集部 ダイヤモンド 1992
2 カナディアンロッキーハイキング 益田幸郎著 山と渓谷 1994
益田晴子著
3 花と氷河 今井雄二著 同信社 1972
喜美子著
4 氷河への旅 樋口敬二著 新潮社 1982
5 雪と氷の世界 樋口敬二著 岩波書店 1985
6 たくさんのふしぎトーテムポール 二川英一著 福音館書店 2006
7 トーテムポール世界紀行 浅井 晃著 ミリオン書房1996
8 恐竜の話 小畠郁夫著 らくだ出版 1979
9 恐竜が動き出すデジタル古生物入門笹沢教一著 中公新書 2001
10 恐竜の古代生物 小畠郁夫他 実業の日本 1993
11 Hikes in Southwestern BC
この本の資料を引用しております
2008年10月28日
2010年 カナダ 冬季オリンピック バッチ
2008年11月11日
宮本 敬之助 様
平澤 英昭 様
今野 元治 様
浅見 美智雄 様
望月 恭一 様
桜井 勝 様
カナダ旅行 3000km 送付について
拝啓
6月のカナダ旅行 大変お世話になりました。私にとって楽しい旅でありました。想い出を纏めようと始めて、平澤さんに校正を依頼して、修正をしていた時に、パソコンが壊れて記録が全部消えてしまいました。再度打ち直ししたところ時間がかなり掛ってしまいました。
思いついた事を、ただ書き綴っただけのものでありますが、一読して下されば有難いです。不備な点、文章も至らぬところ多々あると思いますが、後日参考のために、ご指摘下されば有難いと思っております。
敬具
関谷 丞一 拝
2008年11月6日
高橋 清 様
カナダ旅行 3000km 送付について
拝啓 6月のカナダ旅行 大変お世話になりました。私にとって楽しい旅でありました。想い出を纏めようと始めて、平澤さんに校正を依頼して、修正をしていた時に、パソコンが壊れて記録が全部消えてしまいました。再度打ち直ししたところ時間がかなり掛ってしまいました。
思いついた事を、ただ書き綴っただけのものでありますが、一読して下されば有難いです。不備な点、文章も至らぬところ多々あると思いますが、後日参考のために、ご指摘下されば有難いと思っております。
奥様にもよろしくお伝え下さい。
敬具
関谷 丞一 拝