谷川岳

 

月 日  2007年11月28、29日

メンバー 荒井 石川 関谷

 

10月28日(日)

 

コース  

仙の倉山荘8:40―土樽9:10 10:08―土合10:18―谷川岳登山指導センター11:00―ロープウェイ11:05 12:18―天神平12:35―熊穴沢避難小屋13:20

(昼食)13:35―天狗の留まり14:10― 天神ザンゲ岩14:45―肩の小屋15:10―トマの耳15:20

地図(1/25千分) 水上 茂倉岳

     

ロープウェイ 土合口〜天神平 1,200

肩の小屋 12食 6,800  

缶ビール(350) 450  酒 400

 

1027日は台風20号の襲来により、関東地方は大雨になった。その大雨の中、仙の倉山荘薪入れを実施した。28日は台風一過で天候は急速に回復し、朝方雲はあったが切れて青空が出て来た。今年(2007)の紅葉は例年に比べて2週間ほど遅れて、山荘付近は見事なブナの黄葉であった。

土樽駅まで車で送って貰い、日曜日の臨時列車1008分に乗り土合駅で下車した。日曜日ともあって、観光バスが引切り無しに往来している。先ず谷川岳登山指導センターへ行き、登山届を提出した。観光客はセンター前を一の倉出合方面へ列をなして歩いて行く。周辺の紅葉は見事であった。

 

 

出発 土合駅にて

 

新設されたロープウェイ駅に着くと、天神平行きを待っている観光客が長蛇の列、1時間15分待ってやっと乗ることが出来た。ゴンドラに乗ったと思ったらもう天神平に着いてしまった。リュックサックを背負っているのは我々3人だけであった。

天神平周辺の紅葉は既に終っていた。登山道を歩き始めると、下山して来るハイカー達で、登って行く人達は殆どいない。熊穴沢避難小屋に着き、遅い昼食を取っていると、先発の木村さんと山田さんが谷川頂上から下山して来た。

天神尾根を登り出すと、前方右側にごつごつした西黒尾根が見え、左側は西黒沢が大きな緑の弧を広げている。見上げると色とりどりのシャツを着たハイカー達が列をなして下って来ている。天狗の留まり場で一休み、ナナカマドの真赤な実が陽を浴びていた。天神ザンゲ岩を過ぎると肩の小屋も近い。小屋にリュックサックを置いて、トマの耳へ向った。頂上には誰もいない、すると3人のハイカーが登って来た。目の前にオキの耳、マチガ沢が急に落ちている。茂倉岳、茂倉新道、東の方には雪に覆われた日光白根山が白く輝いていた。西側を見ると、近くに川棚の頭、オジカ沢の頭への稜線が夕日に輝き、遠くに万太郎山、仙の倉山が見えた。寒くなって来たので肩の小屋へ戻って来た。

 

 

雪に覆われた日光白根山

 

谷川岳 トマの耳にて

 

 

小屋の食堂には石油ストーブに火が燃えていた。缶ビールを買って来て「乾杯!」を祝した。オジカ沢の頭方面の空が紅く染まって来たので、カメラを持って外へ出る。肩の小屋の宿泊客は天神尾根を登って来た男女1組と、元橋より縦走して来た男性1人で、合計6人の宿泊となった。

 

 

 

10月29日(月)

 

コース

肩の小屋7:55―氷河跡下8:35―巌剛新道分岐点9:30―マチガ沢出合11:55― 一の倉出合12:25(昼食)13:10―新道分岐点13:20―新道合流点13:35―林道14:00―土合14:35 15:32―上野19:16

 

夜半は風が強く吹き窓をガタガタと音を立てていた。午前6時前、朝日を撮るために外へ出た。東の空に雲があり、赤く染まりかけていた。太陽が顔を出した。カメラのシャッターを押す。

 

日の出 谷川岳より

 

  

肩の小屋          オジカ沢の頭・川棚の頭方面

 

朝食を済ませてから、トマの耳へ行き、肩の小屋へ戻って管理人の馬場さんに挨拶して、西黒尾根へ向った。右側は昨日登って来た天神尾根と天神平ロープウェイ駅が良く見える。左側はオキの耳・東尾根・シンセン岩峰を眺め、マチガ沢を見下ろしながら下る。氷河の跡・大きな岩などがある。昔は難なく登り下りしていたが、こんなに急坂であったのだろうかと思いながら下った。しかし、東南稜・シンセン岩峰など東尾根を見ると、凄い岩場だと再認識した。

西黒尾根を登って来るハイカー達に出会う。巌剛新道分岐点に着く。ここがマチガ沢一の沢のコルである。巌剛新道に入ると、北斜面の日陰で濡れている上に急坂が続く。第1見晴台に着いた。マチガ沢大滝が目の前に見える。登山道脇にはマユミが紅い実をつけ、周辺の樹木にはまだ黄色い葉が残っていた。急坂が少し緩やかになって来たら、足が重くなって来た。車道に車が見えたら、もうすぐマチガ沢の出会いである。

旧道の車道には自家用車が往来している。紅葉した車道を一の倉出合いへと向う。前回(2007.10.18)来た時は緑であったが、今日(10.29)は見事な紅葉であった。しばし佇んで一の倉岩壁を眺めていた。昼食を取り旧道より新道へ下って行くと、ブナの樹林帯で前日の雨に洗われて、黄葉が一段と冴えていた。新道に出て、一の倉沢を渡渉し、マチガ沢の橋を渡り、車道に出て土合駅へと向った。

 

巌剛新道

 

巌剛新道はマチガ沢出合いから、西黒尾根ガレ沢の頭下コルまでの登山道を言う。昭和29年(1954)、沼田営林署の竹花巌・川中剛両氏が切り開いた登山道でこの名前が付けられた。この新道は急坂で岩が所々に露出している。見所の一つに第1見晴台がある。マチガ沢大滝が目の前に見える。また春先に登ると、マチガ沢の雪崩が見え、雪崩の音を聞くことが出来るであろう。

 

 

谷川岳遭難

 

谷川岳と言うと、日本三大岩場の一つであると同時に遭難事故を想い出す。一の倉沢・マチガ沢での遭難が特に多い。

遭難事故資料を調べて見ると、記録を取り始めたのは、昭和6年(1931)である。その時から現在平成19年(2007)まで、谷川岳遭難死者数は790人不明者8人である。

少し古い資料を見ると、谷川岳の遭難資料は、上越線開通した昭和6年(1931)より遭難資料が県警察資料に記録されている。

 

昭和6年(1931)から平成11年(1999)までの統計によると、

 

     遭難事故発生件数     1,210 件

     死者            776 人

     負傷者           632 人

     無事救出者         285 人

 

遭難死者数を年代別に見ると

 

     1930年代(19311939)   40 人

     1940年代(19401949)   90 人

     1950年代(19501959)   156 人

     1960年代(19601969)   228 人

     1970年代(19701979)   144 人

     1980年代(19801989)   80 人

     1990年代(19901999)   38 人

                合計  776 人

 

 

 

一つの山でこれほど多くの遭難者を出したのは谷川岳であり、谷川岳は「魔の山」と呼ばれるようになった。

 

遭難事故中で特に記憶に残っているには、自衛隊の銃撃によるザイル切断事故ではなかろうか。

1960924日一の倉沢衝立岩登攀中に宙づりになってしまったので救出の手立てがなく、自衛隊の出動を依頼して、ライフル銃でザイルを結んであるハーケンを狙って撃ち、遺体を搬出した遭難事故である。

 

遭難事故資料のことで、山岳資料館と話をしていた時、今谷川岳で遭難事故があったと言う。

1031日午前11時ごろ、一の倉岳から谷川岳へ縦走中、稜線より滑落した。115日一の倉沢3ルンゼ標高1500m付近で遺体を発見した。40歳女性、との報せを新聞で確認した。

 

参考資料

 

1 日本登山大系3 谷川岳 柏瀬祐之 編     白水社  1997

              岩崎元郎 

              小泉 弘

2 谷川岳 上越の山    アルペンガイド 編 山と渓谷社 1989

3 みなかみ町山岳資料館  資料   

4 上毛新聞

 

この中の資料を引用しております

 

2007年11月8日 記

 

 

谷川岳 トマの耳

 

紅葉 一の倉岩壁