白馬岳 朝日岳 蓮華温泉 

 

月 日  2007年8月6日〜10日

メンバー 荒井(38C) 関(40C) 永井(38W) 山田(40S)

     石川(40S) 関谷(29W)

 

出発まで

 

今年(2007)は白馬から蓮華温泉へ縦走することに決定した。東京上野松坂屋にて毎年恒例の夏山相談所が開設されるので、524日荒井、関谷2人で白馬山荘の支配人若林さんに会い

 

JR白馬―白馬尻(泊)―大雪渓―白馬山荘(泊)―三国境―雪倉岳

―朝日小屋(泊)―朝日岳―蓮華温泉(泊)―JR平岩

 

の計画について打合せをした。また相談所で昨年(2006)お世話になった、太郎平小屋のあるじ五十嶋博文さんに会ってお礼を述べた。

荒井さんが山岳部ホームページに今年の 白馬・朝日・蓮華、日程

86日〜10日(予備日11日)を紹介した結果、6名が参加することになった。荒井さんから詳細な実施計画書を送って来た。

 

メンバーの役割

 

荒井真二チーフリーダー 関将盛サブリーダー 永井孝治撮影全般

山田和夫写真記録 石川 弘会計 関谷丞一記録と各担当を決め、共同装備は関谷を除いて分担した。

参加メンバー最高齢の私は76歳、最年少関さんは64歳で、平均年齢は67歳である。

山岳保険については各自加入することにしていたが、今年(20078月より内容変更になり、アイゼンを使用することで、保険費用も高くなり、昨年1,000円が今年は保険会社にもよるが2,300円から6,000円と高くなった。

 

 8月6日

 

コース

JR天王台6:15―新宿7:20 高速バス8:00―白馬町12:35 タクシー13:55―猿倉14:20 14:35―白馬尻小屋15:50

地図 (25千分の1) 白馬町 白馬岳 黒薙温泉 小川温泉

 

高速バス 新宿〜白馬町 4,700

タクシー 白馬駅〜猿倉 5,720×1/61,000

宿泊 白馬尻小屋 12食 8,900 弁当 1,100

 

首都圏組4人は新宿から白馬町まで、高速バスで行くことにした。

今年(2007)は梅雨明けが遅れて、81日にやっと梅雨明けの発表された途端に猛暑となった。昨夜(8/5)は関東北部に夕立があり、夜半から涼しくなった。JR新宿駅を下車して、高速バスターミナルに集合することになった。新宿8時発白馬行き40人乗りバス2台が発車した。白馬町に着いて白馬駅へ向う。関西組も下車して、白馬駅で全員揃ったところで、予約していた大型タクシーに乗り、猿倉へ向う。カーブを曲がりながら上り猿倉荘前に着いた。

 

 

猿倉荘にて

 

猿倉荘前で準備運動をしてからさあ出発だ。昨夜雨が降ったのだろうか、登山道は濡れて水溜りもある。前方に大雪渓が見えて来た。木橋を渡り木道を行くと、先ほど見えていた大雪渓がかなり近づき、ここまで登って来たのかと……。小雨が降ってきたと思ったらすぐ白馬尻小屋に着いた。

 

 モレーン

 

モレーンは氷河によって運ばれて来た岩屑で作られる地形堆石で、氷河の表面に載っている表堆石、氷の内部に取り込まれたものを内堆石、氷河の底を引き擦られている底堆石に分類出来る。表堆石は側壁から供給された岩屑が、氷河の縁を帯状に覆ったもので、これを側堆石ラテラル・モレーンと言う。また氷河の流動に伴って末端まで運ばれ、底に積み上げられた末端堆石ターミナル・モレーンを形成する。これらのモレーンは氷河が縮小したり、消失した後もその位置に残され、一連の丘を連ねている。日本では氷河時代に形成された圏谷氷河(カール)や小規模の谷氷河によるモレーンが確認されている。

猿倉荘から白馬尻へ向う途中、右岸はラテラル・モレーンで、我々はその上を歩き白馬尻へ向う。白馬尻小屋付近の左手白馬沢にもモレ−ンが見えた。

 

 8

 

コース

白馬尻5:45―雪渓下6:00―休憩7:10―雪渓終り7:35―避難小屋跡9:35

9:55―小雪渓(通行禁止)―村営頂上小屋11:25(昼食)12:25―白馬 

山荘12:55―白馬山頂散策

宿泊 白馬山荘 12食 8,900 弁当 1,100

生ビールジョッキ 860  

 

白馬尻から白馬岳へ

 

昨夜(8/6)は雨が降っていた。一番目の朝食は5時より始まり、大雪渓を登るについての注意事項があった。大雪渓上はアイゼン着用すること、小雪渓は今日より通行禁止、特に雪渓上は落石に注意をすること、天気は夕方に雨が降るかもしれないとの予報である。

外に出ると山に朝日が当り輝き始めていた。大雪渓下でアイゼンを付けて歩き出す。各パーティとも前後列をなして登り順調な歩調で登る。傾斜が段々と急になって来た。ガレ場で小休止し、残りの雪渓を登り詰めてから尾根への取り付きは悪い。登る組と下る組とが狭い登山道で交差する、身体を横にしても擦れ違う箇所もあった。避難小屋跡に着いた。出合ったパトロールの人と話をすると、この避難小屋は今年(2007)の雪崩で崩壊したと言う。コンクリートの土台だけが残っていた。晴れ上がってますます日差しは強くなるばかり。小雪渓の登りは昨日までで、今日は通行禁止とパトロールガイドが説明する。急峻な登山道が続く、お花畑に着いた。

 

白馬大雪渓上部

 

今年は雪が多かったため、花の咲く時期が遅れて、普段なら一面に花が咲き乱れている頃であるが10日ほど遅れていた。イワオウギ・シロウマオウギ・タイツリオウギ・イワギキョウ・ヨツバシオガマ・イワツメクサ・ウルップソウ・オオガサモチ・クルマユリ・ミヤマキンポウゲ・ミヤマオダマキなどが咲き、疲れを癒してくれた。

やっと村営頂上小屋に着いた。昼食の準備お湯を沸かして味噌汁を作る。小屋近くにある雪田下より水が流れ出ている。飲むと冷たくて美味しくがぶがぶと飲んだ。ボトルに水を一杯入れるとすぐ表面が結露するほど冷えていた。

昼食後白馬山荘へ向った。午後1時前に着いた。さっそく誰かが生ビールジョッキと言った。山荘前のテーブルに腰を下ろして、旭岳・杓子岳・白馬鑓ヶ岳を眺めながら、到着の乾杯を祝した、喉を通る冷えた生ビールは格別であった。

白馬山荘を望む

 


白馬山荘にて

 

白馬岳

 

白馬山荘より白馬岳を眺めると、左右不対象の山姿で、私はこの方向の姿が一番好きである。なぜこのような山姿になったかは後日談にしたい。

白馬の名前の起こりは、残雪の消えるころの田植えにかかる前、苗代をする代掻き馬の形が見えるので、代馬(しろうま)と呼ばれ白馬と変っていったと言われている。

 

白馬山頂にて

 

登山としての白馬岳は、一説によると、1894年(明治27)ウエストン(18611940)が登頂し、その後山崎直方(18701929)が1902年(明治35)に登っている。日本百名山を書いた深田久弥(19031971)は1923年(大正12)に登頂している。現在はたくさんの登山者が登っている。

 

 

白馬大雪渓

 

白馬大雪渓は日本で最初に氷河地形が発見された場所である。

山崎直方(18701929)東大卒 明治・大正・昭和期の地理学者で、1902年(明治35)荒れ果てた大雪渓を下る途中、氷河擦痕のついた基盤岩やモレーンを発見して、白馬岳にかって氷河が存在していたことを発表した。

その後1970(昭和45)から数年間に渡って 小疇 尚(こあぜたかし)1935〜 )グループが大雪渓から下流の地形と堆積物を詳しく調査して、モレーンなどの分布を明らかにした。

 

雪渓

 

雪渓は谷を埋めている残雪で、吹き溜まりや雪崩れのため厚く雪が堆積し、夏になっても融けずに残るもので、日射と夜間の冷却によって融解と氷結を繰り返してザラメ状になる。白馬大雪渓は代表的な一つである。

 

氷河

 

氷河は多年にわたって蓄積した雪が、圧縮されて氷の塊となり、重力に従って徐々に下方へ移動しているもの、積雪は昇華・融解・凍結を繰返して密度を増し、0.8/立方センチ以上の氷になり移動速度は遅い。氷河には山岳氷河と大陸氷河がある。

 

白馬山荘支配人若林さんと山荘経営

 

白馬山荘の支配人若林さんとは、東京上野松坂屋の夏山相談所でお会いし、白馬山荘でも会うことが出来た。

若林さんは白馬村に白馬館を本社に、白馬山荘・白馬尻小屋・白馬大池山荘などを経営している。今回宿泊した山小屋と宿泊人数をまとめると、

 

山荘名

宿泊人数

 白馬山荘

  1,200

 白馬尻小屋

200

 朝日小屋

150

 蓮華温泉ロッジ

250

 

宿泊人数は山小屋であるので、畳一帖2人と考えて良い。

白馬山荘の宿泊人数は1,200人山小屋としては最大級である。

第二次世界大戦後の山小屋はどこの山小屋も設備が良くなった。ヘリコプター使用により食料は空輸され、発電設備・冷蔵庫および冷凍食品の普及により目覚しい発展を遂げた。お蔭で登山客は快適な登山を楽しむことが可能になった。特に最近はトイレの水洗化に設備を更新している。山小屋の設備資金はかなり掛かっていると思う。

しかし、登山人口と言うと中高年登山者ブームも高齢化により減少していると、支配人の若林さんが言っていた。この白馬山荘はかってピーク時には、1,000人の宿泊があったが、現在は半減していると言う。我々が宿泊した日は約350人位であったろうか。

 

 8月8日

 

コース

白馬山荘5:40―白馬山頂6:00―三国境6:35―鉢ヶ岳分岐点7:28

雪倉避難小屋8:20 8:30―雪倉岳9:13 9:2511:00(昼食)11:30

朝日岳分岐点12:30―朝日岳合流点14:15―朝日小屋14:25

宿泊 朝日小屋 1泊2食 8,400

缶ビール(500) 700

 

白馬山荘から朝日小屋へ

 

白馬山荘の支配人若林さんに見送られてガスの中出発した。白馬岳海抜2,932.2m一等三角点の頂上に立った。天気予報ではガスは朝のうちで晴れるとのことであった。出掛ける時は寒かったが、礫石の道を白馬山頂より三国境へ下るとき晴れて来た。目の前に鉢ヶ岳、右手に雪倉岳があり左手に朝日岳が見えた。振り返り眺めると剱岳立山の上部だけが見え、手前の山が遮っていた。

 三国境に着くと、左側朝日岳へ行くパーティと右側小蓮華岳を越えて白馬大池へ向うパーティとに分れる。我々は雪倉岳・朝日岳へ行く。登山者はぐんと少なくなった。白馬岳から雪倉岳の間は白馬連山高山植物帯地区である。コマクサ・チングルマ・ハクサンコザクラ・ツガザクラ・ハクサンイチゲなどなどが花を咲かせている。

三国境を過ぎて暫く行くと、右側に蓮華温泉への道があり、これを通り過ぎるとエスケープルートはなくなり、朝日小屋まで歩かなければならなくなった。鉢ヶ岳トラバース分岐点に着いた。凹部の沢筋面で雪田がやっと融けた箇所はまだ枯れた草が寝ていて、濡れた猫毛のように横になっている、高山植物は茎も伸びず葉もまだまだで、花を咲かせるどころでない。凸部の尾根面は雪田が消え、時間が経っているがそれでも10日間から2週間位の間だろう、一面に緑色になりミヤマキンポウゲなど黄色い花が一面に咲き乱れ見事であった。

鉢ヶ岳と雪倉岳のコルに雪倉岳避難小屋がある。三方石垣に囲まれている。戸を開けて中を覗き見ると、奇麗に掃除してあり床が光っていた。

 

二重山稜

 

小休止後雪倉岳への登りである。雪倉岳を眺めると、今登っている稜線があり、溝があり、また稜線がある。この溝(線状凹部)はどうして出来たのだろうか、両側の稜線は二重山稜と呼ばれている。長年の間成因について問題になっていたが、その後断層であることが分った。断層の種類は、滑落型・隆起型・表面滑り型など考えられるが、断層種類まで結論付けることは出来ないようである。

このような目で今歩いて来た道を考える、三国境から小蓮華岳や鉢ヶ岳までの途中に、二重山稜・線状凹部(雪窪・船窪)を見ることが出来た。まだ線状凹部には雪が残っていた。

 

雪倉岳山頂は素晴らしい展望台の一つである。振り返り眺めると、今歩いて来た白馬岳からの道、左手は三国境から分れた小蓮華岳の稜線、遠方には剱岳・立山の山々が見えた。特に剱岳について詳しく、あの峰はなに、あの長い雪渓は剱沢雪渓だなどと、昔登ったことを想い出しながら語り合っていた。さらに遠くには白山も見えていた。

三国境より鉢ヶ岳・雪倉岳・朝日岳を望む

 

雪倉岳から朝日岳を眺めると低く見えた。主稜線を行くと右手下の方に登山者が小さく見えた。主稜線の反対側は断崖絶壁で通行不能のため、右手支尾根を下って行く道であることが分った。この尾根道にはミネウスユキソウが咲き誇っていた。

  

  シロウマアサツキ           ミネウスユキソウ            

 

更に下って断崖を巻くようにして鞍部に着いた。振り返り見上げると絶壁であった。日差しは益々強くなり、風が少しでも吹き抜ける場所を選んで昼食を取ることにした。

この鞍部まで下ると朝日岳いや手前にある赤男山が、我々を立ちはだかっている。朝日岳への分岐点に着いてやれやれと思った。花の終った水芭蕉や大きな花を咲かせているキヌガサソウが迎えてくれた。これから先水平道で湿地帯に木道が敷かれてあった。この水平道のことは甘く見るなよ、朝日岳の巻き道であるが水平どころか起伏の多い山道であると聞いていた。足は重くなり登りともなると、手で岩を掴み、足を踏ん張って、腰をぐいっと持ち上げながら登る。さらに鎖場もあった。朝日岳からの合流点に辿り着いて、木道を行くとすぐ朝日小屋に着いた。

 

 

地形 地質 高山植物

 

高山植物を書いた図鑑や本はたくさん出版されている。また地形と高山植物についても書かれているが、地形・地質・高山植物の関連については少なく、小泉武栄(1948〜 )が論じ始めた。

未熟な私が本を読めば読むほど分らなくなってしまう。これも地形・地質・高山植物に対する知識のなさだと思っている。しかし、単純に纏めて見ると、異論はあると思うが、次のようになった。

 

地型

地質

高山植物

A 高茎草原

 

ミヤマキンポウゲ チングルマ

ハクサンコザクラ クルマユリ

シナノキンバイ コバイケイソウ

ミヤマシシウド

B 風衝草原

砂岩 頁岩

ウルップソウ タカネシオガマ

C 高山荒原

  (残雪型)

蛇紋岩

ハクサンイチゲ ハクサンフウロ

ミヤマキンバイ

D 高山荒原

  (風衝地型)

流紋岩

砂礫地

コマクサ タカネスミレ

イワツメクサ

E 風衝矮低木型

    

花崗斑岩 礫地

ハイマツ コケモモ

ガンコウラン

 

コマクサの土壌

 

白馬岳の高山植物と言えば、高山植物の女王 “コマクサ”と言うであろう。コマクサの分布は高山帯強風地の乾いた砂礫地に適する。白馬岳付近のコマクサが生育する砂礫地は、流紋岩の分布地である。流紋岩は割れ目がたくさんあるために風化しやすく、氷結破砕作用によって壊されて、ざくざくした細かい岩屑に変形する。また岩屑の移動速度は年に2060cmとかなり速い速度で斜面下方に動いている。

しかし、植物にとってはこの移動速度は致命的な速度であり、発芽したばかりの実生も大きな株も土砂に埋められてしまう危険性がある。葉も茎も土砂に埋められてしまえば、普通の植物は枯れてしまう。しかし、コマクサを調査すると、地下に枯れた葉が埋まっていたことを調査した結果が報告されている。コマクサは急いで茎を伸ばし地上に顔を出して、葉をつけ直すことが出来る。表土は表面の12cmほどが速く移動するものの、それより下の土層は比較的動かないから、下の土層に根を張ってしまうと根は固定されて、上層部の土壌が異動しても、コマクサの主根だけは根を深く伸ばして移動に対処している。砂礫地と言う環境は普通の高山植物では生育が困難である。

話は異なるが、ウルップソウの場合は、地下茎を深く張り、地上部も速く大きく成長させて、表土の移動に対して、押し流されずに耐えている。

 

生ビールとスコッチウイスキー

 

昨年(2006)黒部五郎岳縦走した時、山小屋に着くと生ビールジョッキを売っていたので味を占めた。ヘリコプターで山小屋まで空輸した生ビールである。

白馬山荘に着いた瞬間に誰かが「生ビール!」と言った。山荘前のテーブルに腰を下ろした。仲間が生ビールを両手で運んで来た。「乾杯!」と言って各自手に持ったジョッキを一同に合わせて祝した。冷えたビールが喉元を通る瞬間が旨い。山で生ビールを飲むために登って来たのだと言わぬばかりに飲んだ。それから展望を楽しみ、あっと言う間に飲み干してしまった。

部屋に入り担ぎ運んで来た、スコッチウイスキーを並べた。シーバスウイスキー・バランタインウイスキー・電気ブラン・ズブロッカ トカイ

ブランデー(桜餅の味)・焼酎などをペットボトルに詰め替えて持って来た。白馬山荘の水で割って、ちびりちびり飲み始めた。話に花が咲いた。

蓮華温泉ロッジに着いた時も、まだリュックサックを下ろし、汗を拭く暇もなく、すぐ生ビールジョッキを外へ運んだ。外にはテーブルがなく、椅子の上にジョッキを置いた。椅子を囲むように各自ジョッキを持って、乾杯の掛け声と同時に一気に飲んだ。冷たくて美味かった。陽はまだ高い。夕食時にも生ビールを注文した。食堂にいる他の登山客も結構生ビールを飲んでいた。二杯目の生ビールを飲み干すと誰かが言った、もう一杯飲みたいと言ったら、6人中3人が手を挙げた。どこで飲んでも暑い時に冷たいビールは美味かったが、3杯目は少し多過ぎた。部屋へ戻り手持ちのスコッチウイスキーを並べたが残ってしまった。暑い日には冷えた生ビールの売れ行きは良かった。

 

朝日小屋前の青空宴会

 

朝日小屋に着いた。生ビールと言ったが朝日小屋には缶ビールしか置いてなかった。小屋前のテーブルも満席で仕方なく、人数の少ないテービルの一部を借りることにした。テーブルは6人掛けで、我々は6人で相手は3人で合計男性9人である。しかし、席をお互いに譲り合って腰掛けて、到着の乾杯を祝した。

  

朝日小屋の朝焼け          朝日小屋

 

同テーブルの人達と話が始まった。出身高校が同じ前橋高校の卒業生がいた。卒業生同士は学校のことで話が弾んでいた。予算のことで不足するならば、あとで徴収すれば良いとばかりに、大缶ビールを更に買い込んで来た。相手の3人組は2人組と単独行であり、単独行の人は私より年上であった。朝日小屋へ北又方面から登り、3連泊中であると言う。1日目は雪倉岳への往復、2日目は照葉の池へ散策して、朝日小屋を中心に歩いていたと言う。そこへ群馬県太田出身者も挨拶に来た。同郷の友、同趣味の友と和気あいあいの一時であった。

 

 

8月9日

 

コース

朝日小屋5:35―朝日岳6:35 6:50―吹上のコル7:20―照葉の池7:45 

8:00―吹上げのコルへ戻る8:20―五輪の森10:10―花園三角点10:50

11:45(昼食)12:40―白高地沢13:05―白高地沢のぞき13:40―瀬戸川

14:40―兵馬の平15:35―雪倉岳への分岐点16:15―蓮華温泉ロッジ

16:40

缶ビール (500) 700

 

今日も暑い日になりそうである。朝日小屋女主人に見送られて出発した。朝日岳も大きな山である。各登山者達は朝日岳へ向って登って行く。振り返り眺めると赤い屋根朝日小屋が段々と小さくなって行く。

朝日岳は海抜2,418.3m二等三角点であるが、展望は抜群である。白馬岳昨日(8/8)歩いて来た尾根・剱岳・立山・毛勝三山などが見えた。小休止後礫岩の道を下り吹上のコルに着いた。

朝日小屋の女主人と

 

  

朝日岳山頂にて             朝日岳より剱岳を望む

 

次は荒井さん提案の照葉の池オプションである。リュックサックを置いて、カメラと水だけを持って出掛けた。すると道標に日本海へと書いてある。23日の行程で親不知へ行くことが出来る。一つの池に着いた。新しい木道が敷かれてある。作業小屋もあった。2個の池が木道より下の方に見える。空の青さ、一面の緑の中に澄んだ池と雪田があり、黄色い日光キスゲが色を添えていた。

 

照葉の池

 

作業小屋から若者がチエンソウなどの道具を担いで木道を行き、新設木道の作業に取り掛かるところであった。若い女性単独行がやって来た。日本海までですかと尋ねると、そうですと答えが返って来た。照葉の池を見て戻ると、約一時間の行程であった。

吹上げのコルから八兵衛平を経て五輪尾根へのトラバースである。木道を歩き左手山斜面側に一面ハクサンコザクラの群生地でピンク色に染まっていた。五輪尾根に辿り着くと、前面が開けてかなり下の方まで、木道が延々と続いていた。左側に三角点ありと書いてあり、右側に三等三角点海抜1,753.6mを確認した。

昼食のことを考えると、白高地沢まではかなり距離がある。途中に小沢でもと思うがない、やっと水が流れている沢で、お湯を沸かして手持ちのラーメンを食べた。白高地沢は大きな沢である。渡ることを考えると大変である。赤ペンキ印があり、大岩にも赤ペンキの矢印があった。見ると大岩の上にパイプ掛けの仮橋が架かっていた。一人づつ左岸から右岸へ渡った。増水時川原にある道も流されて、その都度道も付け替えられている様子であった。登って尾根を巻き越して次の瀬戸川へ下る。鉄橋が架かっていたので、安心して渡ることが出来た。朝日岳から今日一番低い位置にある瀬戸川まで、標高差1,200m以上下ったことになる。 

白高地沢の仮橋を渡る

 

しかし、問題はこれから200mほどの登りであり、兵馬の平まで急峻な登りである。どの位登ったかと尋ねると、まだ50mだと答えが返って来た。足が重くなってくる。前方が開けて明るくなったら兵馬の平に着いた。やれやれと思った。平坦な木道を進めば蓮華温泉に近づくと考えていたら、木道が坂を登っている。潅木帯に入っても登りの木道が続いている。蓮華温泉まであと20分の白馬岳への分岐点で、ガス切れ、水切れで機関車はストップしてしまった。水を飲んでから歩き出すと、人の声が聞こえて来た、ロッジも近いぞと、家も見えて来たがどうもおかしい。そこは蓮華温泉のキャンプ場であった。幅の広い道に出て歩くと前方に蓮華温泉ロッジが見えた。午後440分に着いた。生ビールと言って、ジョッキに注がれた生ビールを持って来て、到着の乾杯を祝った。

 

蓮華温泉

 

部屋に入りすぐ内湯へ行った。男女別の木枠浴槽の大きな風呂である。湯は薄茶色で手を入れるとかなり熱く、まだ陽は高く外は明るかった。

 

蓮華温泉成分表を見ると、

 

蓮華温泉(緩和性低張高温泉)

 単純温泉  源泉温度 70℃  使用温度 43

 

成分

 

陽イオン

カルシューム イオン   21.4 mg

マグネシューム イオン  13.1

ナトリューム イオン    6.9

 

 

陰イオン

硫酸 イオン       86.4 mg

メタ珪酸 イオン     56.0

ヒトロ炭酸 イオン    35.2

クロム イオン      5.5

メタ硼酸 イオン     4.5

遊離炭酸 イオン     4.5

 

 と書いてあった。

浴槽の一方から温泉が出ていて、また一方から水が出ている、温泉の温度調節をしているが、源泉温度は高く、調節後の温度でも熱い。浴槽に入る時、水の出ている蛇口の脇で、湯船に浸かること出来た。

今回山に入ってから始めての温泉で、汗で汚れた身体を洗ってさっぱりとした。山旅最後の日に温泉に浸かることは最高である。

 

 8月10日

 

コース

ロッジ6:55―黄金の湯―薬師の湯(入浴)7:15―仙気の湯(入浴)7:45

―三国一の湯―ロッジに戻る8:10―バス蓮華温泉10:07JR平岩11:00 

11:18―南小谷11:43 あずさ24号特急13:20―新宿18:00

生ビール 700  缶ビール (350) 450

バス 蓮華温泉〜JR平岩 1,490 荷物代含む

JR平岩〜天王台 4,260  特急券 南小谷〜新宿 1,610 

                   (ジパング使用)

 

昨晩、蓮華温泉ロッジは100人ほどの団体客が宿泊して満室とのことであった。

まだ暗い午前4時ごろ、外が騒がしいので、部屋から外を見ると、各自懐中電灯を点けて出発準備をしていた。出発したかと思ったら、次の団体客がまたロッジ前で出発準備をしている。それでもやっと夜が明けるころである。この団体客が出発した後は静かになった。

もう床に入って寝ることも出来ず、部屋の窓から山々を眺めていると、空が紅くなり山の頂がはっきり見えて来た。紅く染まった山頂も、陽が昇るに従って緑色に変って来たが、ロッジ付近はまだ陽が当っていない。

6時に食堂へ行くと、100人ほどの団体客が出掛けた後で食堂は空いていた。バスは1007分まで、露天風呂巡りをすることにした。

 

露天風呂巡り

 

露天風呂を一周するのに40分は掛かると言う。入浴して楽しんでいると約一時間以上掛かるが、時間は充分ある。登山靴を履き、タオルとカメラを持って、ロッジ裏から登り始めた。登山道での登りである。白馬大池への分岐点を左へ行くとすぐ「黄金の湯」があった。浴槽は小さく薄土色の湯で黄金の湯と名付けたのだろう。手を入れて見ると温い。更に登って行くと「仙気の湯」がある。白馬岳より一緒になった福岡の女性2人が入浴中である。彼女達は朝が早いので誰も来ないだろうと考えていたらしいが、我々と会ったので挨拶を交わした。良い湯加減ですと言い、写真を撮って下さいと言う。デジカメは湯船の傍、袋の中にあると言う。カメラを出して入浴中の彼女達をカメラに納めた。写真を撮った事を言ったら、やつは人畜無害だから声を掛けられた。

一番高い所にある「薬師の湯」、石組の浴槽で周囲の山々を眺めながら湯に浸かった。途中にあった木枠浴槽「仙気の湯」へ行き、彼女達が去った後入浴をした。スコッチウイスキーを持って来た人がいた。入浴しながらの朝酒である。“朝寝 朝酒 朝湯が 大好きで それで身上潰した”と小原庄助さんの歌を想い出した。「三国一の湯」を見てロッジへ戻って来た。

露天風呂 薬師の湯にて

 

蓮華温泉からJR平岩までのバスは、77日〜109日までは12往復であるが、最盛期は6便と運行している。蓮華温泉発1007分のバスに乗った。平岩駅まで約1時間の道程、深い谷を見下ろしながら下る。平岩駅に着きワンマンカーで南小谷駅まで行き、南小谷始発あずさ24号午後120分までの間、昼食を取ることにした。駅前には大した食堂もなく、駅員に聞くと川向こうに寿司屋があると言う。蔵造りの店 “田舎”

である。先ず生ビールを注文すると、キューリの突き出しが冷えていて美味しかった。すし定食とかきあげ丼組に分れて食べた。

南小谷駅へ戻り、始発あずさ24号特急に乗り、首都圏組は新宿へ、関西組は松本で別れた。

 

 なお山田和夫さんが作成した、白馬・雪倉・朝日 花の山旅をインターネットでご覧下さい。

 

 

 参考資料

 

1 山の自然学入門    小泉武栄 編  古今書院  1992

             清水長正 

2 百名山の自然学    清水長正 編  古今書院  2002

   (西日本編)

3 山の自然学      小泉武栄 著  岩波新書  1998

4 山歩きの自然学    小泉武栄 著  山と渓谷社 1998

5 自然を読み解く山歩き 小泉武栄 著  JTBパブリッシング

                           2007

6 日本の山はなぜ美しい 小泉武栄 著  古今書院  1993

7 雪と氷の世界から   樋口敬二 著  岩波新書  1985

8 フィールド図鑑    奥田重俊 著  東海大学出版会

  (高山植物)     木原 浩          1987

9 山を読む       小疇 尚 著  岩波書店  1991

10 日本百名山      深田久弥 著  朝日新聞社 1982

11 山DAS        石井光造 著  白山書房  1997

 

 この中の資料を引用しております

 

 

2007年8月22日 記

コマクサ

 

雪倉岳より白馬岳・旭岳を望む

 

白馬大雪渓