入莊報告

 

入莊者   丑澤(28C,後閑(33C,閑(33C,房内(33C,増渕(33C,渡辺(33C,深澤(33W

期 日   入莊:2006年1023日(月)    退莊:2006年1025日(水)

行 程   

初 日   丑澤先輩、関西在住2名の北回り組と関東在住4名が、国道17号線沿いのSCノグチで落ち合う。[関西在住者は前日丑澤先輩宅に宿泊して丑澤先輩の車に便乗。関東在住4名は、高崎駅東口に集合、房内兄の車に便乗] → SCノグチで食材調達 → 土樽[剣持家累代墓碑の墓参 → 剣持家で鍵受領、丑澤先輩の車は剣持家に預ける] → 山荘着→ 夕食 →  歓談、山の唄合唱 → 就寝

◎ 天候:最初は曇りときおり霧雨。山荘に近づくにつれ霧雨多くなる。夕方から降雨。就寝の頃から雨脚が非常に強くなる。

         

二日目   降雨終日強く、登山と周辺散策は諦める。朝食 → 休憩[この間に丑澤先輩と房内兄は、発電機用ガソリン購入で湯沢町まで往復] → 2グループに分かれ薪運びと茸狩り → 昼食 →休憩 → 薪運び[35卒生が、前日安中より搬送した薪の軽いものを運び終え、太い薪を半分に割って運び始めた頃から雨脚が強くなり作業を中止] → 夕食[この頃から降雨弱くなる] →歓談  就寝[雨は上がり満天に星燦めく]

         

三日目  皮肉にも下山日に快晴。朝食 → 退莊準備 → 退莊 → 土樽[剣持家に鍵を返戻、花壇を鑑賞] → 解散[関西在住者は野沢温泉に1日逗留後帰省。関東組は湯沢駅近くの町営温泉で入湯 → 関越道 → 高崎駅東口にて解散]

 

その他    退莊を延ばして薪入れの手伝いをするべきでしたが、また皆様とお会いすることもなく失礼してしまいましたことお許しください。

卒業して48年。訪莊実績なしや、あったとしても5回に満たない者が入莊するため、丑澤先輩と布河谷兄には大変お世話様になり厚くお礼申しあげます。

私自身は、12年前の60周年記念と翌々年?の薪入れ、今回が3度目の訪莊でした。卒後初回の入莊時に土樽から山荘周辺の変わりようには驚きました。大きなダムに差しかかったときに、どなたかに「山にトンネルを掘り水力発電に利用している」と伺い、毛渡沢の水を赤谷川に導水していると早合点。恥ずかしい話ですが、この12年間そう信じ込み「何を馬鹿な・・・・」と初日に丑澤先輩に窘められた次第です。

田中元総理が、「東京の水不足など心配無用。日本海に流入する水をトンネルで関東平野に導水すれば解決」といった話を耳にしていたので、「さすがは田中さん地元だけに・・・・」と信じて疑うこともなく来てしまいました。

半世紀も経ると人工林は鬱そうと繁茂。石油・ガスの普及で灌木は炭材に下草は炊き木に利用する里山の機能は失せて山は荒れるに任せ、眺望は悪く、渓声は心なしか小さくなったかなという感じでした。恐らく、これが最後の入莊と思います。寂しい限りですが前橋といっても場末での生活、老妻と二人で日本語も忘れてしまうような日々を暫くは続けます。何とぞ今後とも宜しくお願いします。

 

 

毛渡沢の橋上にて(帰路)左から 房内 閑 後閑 丑澤 渡辺 増渕

 

 

 

初日夕食前

左前から 丑澤 深澤   右前から 後閑 増渕 閑 渡辺 房内

 

退莊時  

前列左から 深澤 丑澤 房内  後列左から 増渕 閑 後閑 渡辺

 

 

 

下山時   剣持様宅への途上

 

                    

同 上

 

 

 

山荘から   万太郎山

 

 

 

剣持様宅前にて(帰路)

 

 

 

同 上

 

 

なめ茸の収穫量